296話
翌日、朝から俺と鵡川が付き合った事で話題は持ちきりだった。
「よぉ佐倉! グッモ! おっとぉ! 今は鵡川英雄だったな! おはよう!」
こんな感じで友人や知り合いにからかわれている。正直ウザい。ウザいがその程度で腹を立てるほど度量の小さい男ではない。
適当にあしらいながらも教室へと向かう。
というか昨日の今日でここまで情報が拡散されるとは。中村っちと鉄平の二人だけが噂の発生源ではここまで広がらないだろう。そうなると鵡川側にも噂の発生源がいそうだな。
教室に入っても、朝から茶化されまくる。
別段茶化されまくるのは構わないのだが…。
チラリと沙希のほうを一瞥する。椅子に一人座る沙希の後ろ姿を確認する。ここからでは彼女の表情は確認できない。かといって彼女の前へと回り込むのもわざとらしいし、下手すると悪意ととられてもおかしくない。
ここは俺があーだーこーだー関わるべきじゃない。ここは…哲也がなんとかするべきだ。
哲也、お前に沙希は任せたんだ。俺みたいな沙希を泣かせるような真似はするなよ。
そうこうしていると鵡川が教室へと入ってくる。
その瞬間、俺の周りを取り囲んでいた奴らから茶化すような歓声があがった。
鵡川は少々驚いた表情を浮かべていたが、原因が判明すると微笑を浮かべながらこちらへと近づいてきた。
「おはよう英雄君!」
そうして笑顔で挨拶してきた。
周りには俺を茶化している連中がいるのになんて肝っ玉だ。だてに男どもの告白を何度も斬り伏せてきただけある。良い肝っ玉だ。これぐらいじゃないと彼氏の俺も張り合いがないというものだ。
「おはよう鵡川」
という事で俺も挨拶を交わした。
しかし鵡川はどこか不満そうに表情をむっとさせた。うん? 俺今変な事いったか?
少し考えてすぐさまハッとなる。そういえば忘れていた。
「おっと、昨日から梓、だったな。改めて、おはよう梓」
昨日から下の名前で呼ぶことにしていたのを忘れていた。
改めて挨拶をし直すと、鵡川は照れたように、けれど嬉しそうに頬を赤くしながら笑顔を浮かべる。
「うん! 今日も頑張ろう!」
そういって彼女は自身の女友達のもとへと向かう。
その後姿を追ってから、俺は茶化す友人たちへと視線を向ける。うん? なんだかこいつの見る目が敵意むき出しだぞう?
「佐倉、てめぇ本当に鵡川と付き合ってんのかよ…」
「なんだ? お前ら俺が鵡川…いや梓と付き合ってるの聞いてたんじゃないのか?」
「いや…あくまで噂話だと…」
「おいおい、なんだお前ら。根も葉もない嘘だと思ってたのかよ。んなわけあるか。昨日俺は梓に告白し、あいつと交際した。これは紛れもない事実だぜ」
こういう所は変に気恥ずかしさを出すとからかわれるのだ。、
あくまで堂々と口にすればいい。なにもやましい事はしてないんだしな。
さて、俺の堂々なふるまいを見るなり、男どもは負け惜しみのように「英雄なんて鵡川と別れろ!」だの「鵡川に変な事すんじゃねぇぞ!」だの口にして去っていく。その様子に呆れながらも俺は頬を緩ませるのだった。
梓が彼女になったところで、なにも変化はなかった。
強いて言うなら梓と話すことが若干増えたぐらいか。そこまで俺と梓の間に変化はなかった。
とはいえ、要所要所で俺と梓がいちゃつき、周囲に交際している事実を振りまいていく。そうして俺達がからかっても気恥ずかしさを見せないからか、昼休みに入る頃には俺らをからかう輩はいなくなっていた。
さてさて昼休み。一つ伸びをしてから立ち上がる。
「英雄君!」
「お、来たか」
予想通り梓がやってきた。
俺はバッグから弁当箱を取り出した。
「あ、昨日言っておけばよかった」
「うん? どうした?」
「あ、えっと…お弁当作ってきたんだけど、昨日作ってくるって言い忘れてた。ごめん」
そういって残念そうにうつむく梓。なんだそんな事か。
「そうか。それでその弁当って?」
「え? えっと…これ…」
そういって手でもっていた一つの巾着袋を掲げる梓。
あまり大きくないな。それぐらいなら十分に食える。
「よし、じゃあそれももらうわ」
「え? 大丈夫?」
「大丈夫大丈夫、これでも俺スポーツマンなんだぜ? 人並み以上には食うんだ。それぐらいあっという間だ。いや、味わって食うからあっという間じゃないな」
クソどうでもいい訂正を入れつつ笑みを浮かべる。
俺の笑みを見て梓も頬を緩ませた。
「それより弁当ありがとうな」
「ううん、気にしないで。英雄君は私の、か、彼氏だもん」
そういって顔を赤くさせながらも誇らしげに語る梓。
あまりの可愛さを俺まで顔を赤くさせてしまう。
「そ、そうか。さすが俺の彼女だ」
なんて世辞を口にしつつ冷静さを保つ。
どう見てもバカップルです。本当にありがとうございました。
「くっせぇぇぇぇぇ! うえぇぇぇぇぇ! げろろろろろろ!」
そうしていると前の座席にいる恭平がなんかわめきだしたが無視だ。俺と梓の二人だけの空間にお前みたいな汚物は不要だ。
屋上にてベンチを占領して二人並んで座る。
梓から渡されたのは、ピンク色をした弁当箱。とても小さい。これじゃあ物足りないのは明らか。
でもそこは紳士的な俺。物足りないとは言わない。何より今日は母上殿の弁当もある。この二つで俺の腹も満たされようというものだ。
「私、まだ夢見心地というか、実感わかないんだ」
食事をしながら、梓が嬉しそうな声で話し始めた。
「まさか英雄君が、私に告白してくるとは思わなかったから、信じられなくて。その、実感が沸かないんだ」
「そっか。ちなみに、いつから好きなんだ、俺のこと?」
付き合い始めた瞬間から思っていた疑問である。
正直、どのタイミングで梓が俺に恋したのか気になっていた。
「中学三年の頃から」
「はやっ!? 俺たち、出会ってたっけ?」
あまりの早さに驚いてしまった。ってか、中三じゃまだ彼女と知り合ってないし、分からないはずだ。
「出会ってないよ。ほら、全中の県大会の時、良平のいるチームと戦ったでしょう?」
「…あぁ、そういえばそうだったな」
良ちんを全打席三振にした試合ですね。覚えてます覚えてます。
「あの時、良平の応援に来てたの。そのときに一目惚れしたの」
「そうなのか」
なんという偶然だ。
きっと彼女も山田高校に入学してから俺の存在に気づき驚いたのだろうな。
「その、英雄君は…いつから私の事、好きなの?」
今度は梓からの質問。
マズい。どうしよう。好きになった理由を考えてなかった。
さすがに中村っちと鉄平の話題の標的になりたくないからなんて答えはできない。ここまで彼女が俺の事好きだったとは知らなかったとはいえ、相手の百年の恋を冷ますような発言はご法度だ。
「…定期考査で勉強を教えてもらった頃かな」
苦し紛れにでた言葉がそれだった。
ほぼ適当同然の一言だったが、中々、理由をこじつけるにはピッタシじゃないか?
「あの時、鵡川が優しい事を知って、間近で梓の顔を見たら、可愛いなぁ~って思って、それから」
なんという、こじ付け。
…いや、口にしながらしっくり来ていた。
「それから色々と梓に助けてもらったりしながら、出会いを重ねていたらこんな事になっていた」
口にしながら自分自身の想いに納得してきた。
そうか。そうなんだ。
鉄平や中村っちにからかわれるのが嫌で、鵡川梓に告白したのは本当だ。
だけどそれ以前から、俺は鵡川梓という女の子が気になってたんだ。
定期考査の時に勉強を教えてもらった時に見た彼女の横顔を思い出す。文化祭で金のない俺を助けてくれた彼女を思い出す。文化祭の借りだと返して遊んだ日を思い出す。彼女の誕生日会で見た彼女の姿を思い出す。俺の本性を見て失望しながらも野球を応援してくれた彼女を思い出す。夏の大会前にくれたお守りと彼女の笑顔を思い出す。
思えば俺はずっと彼女を目で追っていた。彼女との関係だけは壊すのをためらっていた。彼女の笑顔を見て心安らいでいた。
そうして最後に沙希の想いを断った時に浮かんだ想いと合致した。
なるほど、こうして口にして分かった。俺が思っていた以上に佐倉英雄という男は、鵡川梓という女の子にゾッコンだったらしい。
「そ、そっか」
俺の想いを聞いた梓は恥ずかしそうに顔を赤くさせて俯いた。
その様子が愛おしくて、可愛くて、俺まで顔を赤くさせてしまう。なんて初々しいカップルなんだ俺達は。
「そうだ。放課後暇か?」
「えっ? うん」
食事し終え弁当を袋の中にしまっている梓に、俺はそんな質問をする。
「じゃあさ、帰りにどこか遊びに行こうぜ」
「えっ!?」
俺の提案に大袈裟に驚く梓。
そして、あっという間に顔が真っ赤に。
「ほら、さっきお前さ。実感が湧かないって言ったからさ。デートでもすりゃ、少しは実感が湧くのかと思ったからさ。もしかして、嫌だったか?」
「ううん、そんなんじゃない! うん! 良いよ!」
そう言ってニッコリと笑う梓。
その笑顔を見て、なんとなく安堵する俺だった。
「行きたい所あるか?」
屋上から四階へと続く階段を下りながら、俺は梓に質問する。
梓は少しうなってから、俺に返答をする。
「ショッピングしたいかな」
「ショッピング?」
俺が改めて聞き返すと、梓は「うん」と言いながら、小さく頷いた。
「そうか、んじゃ放課後行くか」
「うん! 楽しみ!」
って事で、梓と放課後デートの予定が決まった。
場所は山田高校前のバス停から二つほど先にあるショッピングモールのシオンガーデン山田だ。
梓とは過去に何度か遊んでいるが、今日が一番楽しみな気がする。
放課後が楽しみすぎて、いつも以上に授業が手につかず、あっという間に放課後になった。
帰りのホームルームも早々に終えて、梓と二人並んで教室を後にする。
「おいおい英雄、なに鵡川と並んで歩いてるんだ。まるでカップルみたいじゃないか」
と思ったら教卓のそばにたつ佐和ちゃんに声をかけられた。
その言葉を耳にしながら佐和ちゃんのほうへと振り向いた。
「まるでじゃなくて、本当に、ですよ佐和先生」
「なに? という事はあの噂話は本当なのか?」
どうやら俺と梓の交際話は生徒のみならず教師陣のほうにも届いているらしい。
梓も俺も何かと話題になっていた人物だからな。教師の間でも噂になっていたようだ。
「えぇ、今日からイケメン英雄君と呼んでください佐和先生」
「そうか。お前まで彼女持ちになったわけか。まったくこれからプロ入りだというのにうつつをぬかしおって」
そう言いながらもニヤニヤ笑っている佐和ちゃん。どこか嬉しそうだ。
教え子の交際を嬉しそうに笑うのは山田高校の教師陣でも彼ぐらいな気がする。佐伯っちは心配そうな顔をするだろうし。
「くれぐれも松下みたいな真似はするなよ」
「ご安心を。松下先輩と違って俺はちゃんとハメを外しませんので」
「英雄! 外すんじゃなくて着けるんだぞ! じゃないとデキちゃうからな!」
俺と佐和ちゃんの会話に汚い野次が耳に入ったが無視だ。
声の主は誰と言わずとも分かる。こんな下ネタを口にするのはこの教室で一人しかいない。
「それじゃあ佐和ちゃん、おつかれ!」
「あぁ」
という事で俺は教室を後にし、昇降口へと梓と並んで歩く。
「なんだか今日一日疲れちゃった」
「俺もだ。茶化されるのは悪くないが、こうも一日中茶化されては食傷気味だ」
「そうだね」
呆れ笑いを浮かべる梓。
そうして廊下を歩いていると、目の前に見知った顔を見つけた。
哲也だ。
一度立ち止まりかけた足を踏み出す。
そうして何も声をかける事無く通り過ぎる。
そのまま無視すればよかったのだが、思わず振り向いてしまう。
案の定そこにはジッとこちらを睨みつける哲也の顔があった。
放課後、廊下で英雄と鵡川さんとすれ違った。
英雄は僕に声をかけることもせず、謝罪の一つも口にせず、横を通り過ぎた。
僕は思わず英雄のほうへと振り返り、二人の後姿を睨みつける。そうしていると英雄もこちらを振り向いた。
英雄は無表情でこちらを見つめている。その表情に思わず腹が立った。
英雄と鵡川さんが付き合い始めたと言う噂話は修一から聞いていた。
初めて聞いた時は「嘘だろう?」という言葉が口からこぼれたぐらいだ。
正直、こうして二人の姿を見た今でも信じられない。きっと周りもそう思っているだろう。だって、野球を始めてから恋愛にずっと無関心だった、岡倉さんや沙希の想いを断った英雄が付き合い始めたんだから。
…なんで、今このタイミングなんだ。
なんで、沙希の想いを断ってすぐに鵡川さんと付き合うんだ英雄。
こんなの…こんなの絶対に沙希が傷つくじゃないか。
歯を食いしばりながら英雄と鵡川さんの背中を睨みつける。
英雄、君はどうしてそこまで…沙希の心を傷つけるんだ? 沙希を苦しめるんだ…?
君しか沙希を救えないのに、君しか彼女を笑わせてあげれないのに。なんで彼女を痛めつけるような事をするんだ…?
そのまま沙希がいるクラスへと向かう。道中、佐和先生とすれ違い挨拶をすませておいた。
沙希は動作が止まったまま、教室の前の出入り口へと顔を向けていて、僕と目が合った。
その顔は何も考えていないように無表情。
この状況で何一つとして感情が表に出てないことに、恐ろしさも感じていた。
だけど僕と目が合ってすぐさま表情を変えた。無念そうな表情を浮かべて視線を逸らしてから、再びこちらを見たときは作り笑いを浮かべていた。
その笑顔が痛々しくて、僕のほうが表情を歪めてしまった。
沙希はこの状況を、どう受け止めているのだろうか?
僕は少なくとも英雄が許せない。これは、まったくもって僕のわがままだと思ってる。
英雄だって、鵡川さんが好きだったから沙希の告白を断ったのだろうけど、僕としては沙希と付き合って欲しかったわけだし、なんで沙希じゃなくて、鵡川さんを選んだんだと思ってしまう。
どうして英雄は、沙希の気持ちを考えてくれない。
なぜ沙希に声をかけない? 沙希が無理してるって気付かないのだろうか?
本当に、英雄は酷い。最低な野郎だと思う。
断って、すぐに他の女子と付き合ってしまうんだから、まったく持って沙希のことを考えていない。
このすべてが僕のエゴだと分かっているからこそ、余計に腹が煮えくり返る。
英雄、いい加減気づいてくれ。僕は君が思ってるほど…沙希を支えられるような男じゃないんだ…。
「沙希」
僕が声をかけると、沙希は作り笑いを浮かべなら「どうしたの?」と聞いてくる。
「えっと…」
どう言おうか悩んだ。
ここで英雄と鵡川さんの話題を出しても沙希に無理させるだけな気がして、その話題を口にする勇気が出なかった。
「いや、単に通りがかっただけ。そうだ沙希。帰りにどこか寄っていかない?」
結局、話題を口にすることが出来ず、別の方法で彼女を励ます事にした。
僕と一緒にいたところで、彼女が元気になれるとは思わないけど、今は誰かと一緒にいてほしい、最悪自殺してもおかしくないだろうし。
それに沙希を元気付けたい。昔の僕ならきっと恥ずかしくて、すぐさま訂正したと思うけど、今の僕はちょっとだけ積極的だった。
「あぁーごめん! ちょっと忙しいから無理かな」
「そっか…。受験勉強?」
だけど沙希は困ったように笑いながら、僕の誘いをやんわりと断った。
がっくりとうな垂れそうだった体を堪え、沙希に理由を聞いた。
「うん、受験勉強もあるし、絵の練習もしないといけないから。私は哲也みたいに野球が上手いわけじゃないし」
「あ…」
沙希の言葉に僕は言葉を失った。
僕も酒敷美大だが、僕の場合は数少ないスポーツ推薦枠を勝ち取り入学を決めた。
だが彼女は違う。本当に美術の実力を認めてもらわなきゃ入学できない。
「そっか、そうだよね…ごめん」
「ううん、哲也は気にしなくていいの。哲也が頑張った結果なんだから。だから…私も頑張らなくちゃ…」
そう言いながら彼女は立ち上がり、バッグに教科書類を詰め込んでいく。
その様子をただ茫然と見ながら、次になんて声をかけようか考える。だけど頭に真っ白になっていて出てこない。
「それじゃあ哲也、またね!」
「う、うん。また明日」
まるで僕から逃げるように教室から後にする沙希。
一人残された僕は唇を固く結び、こぶしを強く握りしめる。
沙希は最後まであの作り笑いを崩すことはなかった。それが悔しくて歯を食いしばって堪える。
「おうおう哲也、フラれちまったな」
そんな僕の様子を見て、恭平がからかってくる。
思わず睨みつけていた。
「おおぉ!? なんだよ! 睨むことねーだろ。一回断られたくらいでがっくりうなだれやがって! 英雄を見習え英雄を!」
「なんでそこで英雄が出るんだよ! 今は英雄は関係ないだろう!!」
恭平の軽口がやけに腹立って、僕は思わず声を張り上げていた。
騒がしかった教室が静まり返る。ハッとなって周りを見る。教室にいる一同がいぶかしげに僕たちを見ている。
「おいおい哲也…気張りすぎだろう…」
ぼそりと恭平はそう呟くと呆れたようにため息を吐いて立ち上がる。
「まぁあれだ。からかって悪かったな哲也。なんかあったら俺や大輔に相談しろよな」
我に返って気恥ずかしくなっている僕に恭平は優しい声でそういうと、軽く僕の肩をポンッと叩きながら教室を出ていく。
こうしてまた僕は一人になった。
俯き歯を食いしばる。
恭平にまで心配されてしまった。
僕は、どうすれば…。
帰り道、一人僕は駅へとトボトボと歩く。
野球部に居た頃は部員達と帰っていたし、引退しても英雄や野球部の同期と歩いて帰っていた。
だけど今は一人も傍に居ない。大輔も恭平も彼女と帰ってるし、他の面子もそれぞれの友人達と帰っている。
そう考えると、僕って本当に友達少ないんだな。
幼い頃から何度かこれぐらい苦しい状況になったことがある。だけどそのたびにそばで励ましてくれた親友が一人いる。だけどのその親友はもうそばにいない。
結局、今の僕は一人だ。
自虐的に鼻で笑ったが、むなしさだけが募る。
だけどこうした状況に置かれて、初めて僕は気付いた。英雄はやっぱり僕には必要だ。
前、英雄に「英雄よりも沙希のほうが大切」と言ってしまったが、実際のところ英雄のほうが大切かもしれない。
昔から、いくら僕がつまらなくても、英雄は傍にいてくれた。いつも馬鹿みたいに笑ってくれていた。
僕にしてみれば、兄弟のような関係だったし、家族のような絆はあったはずだ。
それをないがしろにして、さらには「なんで山田高校に来たんだ」とまで言ってしまった。
感情的になっていたとはいえ、あれは言いすぎた。英雄だって怒っても仕方がない。
だけど沙希が大切なのは一番だ。英雄と沙希、どっちが大切かなんて優劣をつけるべきじゃない。どちらも大切なんだ。
沙希の笑顔を見れば、いつも心は落ち着く。沙希の嬉しそうな声が聞ければ、その日一日幸せでいられる。
それぐらい、僕は沙希のことが好きなんだ。
実際のところ、きっと僕は、英雄と沙希が付き合い始めていたら、英雄の傍にいられないだろう。
沙希の笑顔を見ても、きっと今のような感情にはならないはずだ。だってそれは、僕じゃなくて、英雄に向けられているものになるのだから。
他人に向ける笑顔を見ても、他人に向ける声を聞いても、喜べるはずがない。それが英雄であっても変わらない。いくら英雄との仲でも辛いものだ。
けど、僕は沙希の幸せを願い続けたい。
今現在の沙希の幸せは、僕と付き合う事じゃなくて、英雄と付き合うことなんだから。
ただ、英雄は鵡川さんと付き合い始めてしまった。もう英雄と沙希を付き合わせる事は綺麗事じゃ済まされないだろう。
それでも僕は…。
ふと我に返った。駅へと延びる一直線道路の歩道で僕は立ち止まっていた。向こうには山田駅の駅舎が見える。通り過ぎる人たちから、いぶかしげに見られている気がする。
何を考え始めてるんだ僕は。
人目をはばからず首を大きく左右に振り、両頬を数度両手で叩く。
他人を不幸にしてまで、沙希を幸せにしようとするなんて…。
一度、深呼吸をしてから、さっきまで考えていた事を一新させて、これからの事を思い浮かべながら歩く。
直近の楽しいイベントは球技大会か。野球部は野球の種目に出れないけど、サッカーには出れる。キーパーでもやろうかな。
沙希は、球技大会を楽しめるのだろうか?
…いやいや、また沙希の事を心配してしまった。
どう頑張っても僕じゃ彼女を励ませられないのに、こんなことを考えてしまうなんて。
もう少し僕は学習しないとな…。
冬に入り日が落ちるのが早まり、この時間でも空はだいぶ赤くなってきた。
そんな冬の夕空を見ながら、僕は帰路につくのだった。




