293話
あの日から、俺は哲也とも沙希とも会話をしていない。
昼食も哲也は別の友人と食事をしており、俺は中村っちと鉄平と食事をしていた。
ここまで哲也と喧嘩したのは初めてな気がする。
前にも何度か大喧嘩はしたが、何日間も口を利かない事は無かった。
いつの間にか、お互い相手を許し、自然に話しかけていて自然消滅が多かったが、今回ばかりは違うだろう。
哲也は沙希をフった俺を許さない。そして俺も、感情的になっていたとはいえ、バッテリーを組んで甲子園優勝まで果たした相手に「なんでこの学校に入学したんだ」なんてふざけた事を抜かしたあいつを許せなかった。
このまま疎遠になるかもしれない。正直それは嫌だ。だが未だに俺の気持ちの整理はついていないし、哲也のほうも同様だろう。
なので、この件は一度置いておいて、俺は俺のほうの与えられた業務をこなしていくまでだ。
文化祭が終わって最初の日曜日、俺は丘城市内のホテルに来ていた。
ホテルの多目的室、隣には佐和ちゃん。目の前には広島シャークスの球団代表取締役のお方。
今日はドラフト指名されてから球団オーナーとの初顔合わせ。佐和ちゃんも珍しくビシッとスーツを着こなし、俺も珍しく背筋を伸ばして座っている。
たわいない会話を挟んでから、さっそく本題へと突入する。
「佐倉君、シャークスに入団する気はあるかね?」
「はい」
球団オーナーの言葉に俺は即答してうなずいた。
その様子を見て、どこか嬉しそうに頬を緩ませている。
「それは良かった。君がシャークスに来てくれるのはとても嬉しい。共に頑張ろう」
「はい、僕もシャークスで野球をやりたいと思っていました。指名していただき光栄です」
ハツラツとした爽やかなイケメンフェイスを振りまきながらハキハキと答える。
隣に座る佐和ちゃんが「猫被りやがって」と小声で呟いているが無視だ。
俺の高校野球然とした振る舞いに球団オーナーや近くで座る球団職員もニッコリ笑顔を浮かべている。
「それじゃあ契約の内容だけど…」
オーナーさんの隣に座る重役っぽいかたが話を始めた。
ここからは大人の話。正直こういう話は初めてだが隣には佐和ちゃんもいるし、たぶん大丈夫だろう。
さて、シャークス側が提示したのは、契約金は8000万円。年棒は1500万円。
そして背番号は17番。
せっかくならエースナンバーとも言われる18番のほうが良かったが仕方ないか。それに高校生に10番台の背番号を渡すのは破格だろう。何より背番号で野球をするわけじゃない。ここは喜んでいただこう。
「もったいないぐらいの破格な契約に感謝します」
「いやいや、甲子園優勝どころかノーヒットノーラン、完全試合も果たしたピッチャーには当然さ。むしろこの契約ではうなずけないかと心配したものさ」
そういって「ははは」と笑うオーナーに俺や佐和ちゃんも同調して乾いた笑いを浮かべる。
「僕はプロで野球が出来るならどんな契約でも構わないです。どこでも…あ、一つだけ契約に加えていただきたい条件があるのですが」
俺の提案に、球団代表の方々が表情を険しくさせて「なにかね?」と聞いてきた。
よもや高校生から契約内容に提案をしてくるとは思わなかった様子だ。そんな球団代表の方々の様がおかしくて、思わずニヤリと口角を上げてしまった。
「海外FA権を取ったら、メジャー挑戦させてください」
ニヤリと笑いながら提案する。それを聞いて球団代表の方々は驚いたように目を見開き顔を見合わせた。
「えっとそれは構わないが…」
「安心してください。ちゃんと雇ってもらった分の恩返しはします。シャークスの何十年ぶりかの優勝に貢献させてもらいます」
齢18の高校生の強気発言に球団代表の方々は乾いた笑いしか出てこない。つまらない冗談話だと思っているのだろうか。
その様子がおかしくて、俺の口角はさらに上がっていく。
「とりあえず来年は新人王と最多勝獲りに行かせてもらいます。あとFA権行使まで毎年10勝以上あげる約束をします」
今度の大口にはさすがに球団代表の方々も閉口か苦笑いに変わった。
今日はおとなしくしておこうか考えた結果、俺はいつもの俺で行くことを決めた。
常に自分の首を絞める大口発言を叩く。自身の尻に火をつけるような強気発言をする。そうやって俺は結果を出してきた。だから俺は、ステージが変わろうとも、その俺を貫くまでだ。
先ほどまで見せていた高校野球然とした姿はもうない。球団代表の方々には強気発言をするクソガキにしか見えていないだろう。
一方で隣で座っている佐和ちゃんは必死に笑いをこらえていた。
「くっくく…すいません。こいつ、無駄に大口を叩く癖がありまして」
笑いをこらえていた佐和ちゃんが球団代表の方々に俺の説明をする。
そんな佐和ちゃんに困惑しながらも乾いた笑いをする一同。
「ま、まぁ若いんだからこれぐらい強気なぐらいがちょうどいいかもしれないね」
「そ、そうですね」
ぎこちなくうなずきあう球団代表の方々。
そんな状態を一瞥して俺は佐和ちゃんへと視線を向ける。佐和ちゃんと目が合った。にやりと笑ったのを俺の目はとらえた。
「えぇ。でも安心してください。こいつは有言実行ですから。むしろ有言以上の活躍をしてくれますよ。そうだよな英雄? 一年目に20勝とかするよな?」
そして流ちょうに目標の難易度をあげてくる佐和ちゃん。マジでデビル。
高卒ルーキーが20勝とか昭和時代のプロ野球かよ。
「えぇ、監督の頼みならやりましょう」
だが20勝を目指すのは面白い。
佐和ちゃんの言葉に俺は笑顔でうなずいた。
これは冗談だと思ったのか、球団代表の方々が愛想笑いではなく普通に笑っていた。
こうして、俺の仮契約は終了をした。
その後、会見が行われた。
ホテル内に会見場を設け、そこに俺が現れた際にはフラッシュが焚かれ、十数のカメラに撮られた。
今年のドラフトで俺は一番の話題の人だ。ミラクル山田と呼ばれた奇跡的快進撃の立役者。甲子園に打ち立て偉業の数々。むしろ俺が一番に話題に上がらなきゃおかしいぐらいだ。
さてさて、そんな十数の記者、カメラマンの前でシャークスの帽子をかぶり、球団の編成グループ長と握手をする所を写真に撮られる。
その後、記者たちに何個か質問をされる。
「来年、プロ野球に「佐倉英雄フィーバー」が起きるぐらいの活躍をしたいです。新人王と最多勝を絶対に獲ります!」
プロ野球に向けた意気込みという質問への俺の答え。
大口発言を強気発言を周りはどうとらえるだろうか? 高校生のくせに、夢が大きすぎるとか叩かれるのだろうか?
別にかまわない。挑戦者はいつでも逆風を突き進むものだ。俺は、俺の道を進む。
「佐倉君には大きな期待を寄せています。広島シャークスというプロ野球球団の歴史に名を刻むような投手になってほしいです」
球団の編成グループ長は、俺に対してそんな期待を寄せる。
任せろ。シャークスの歴史どころかプロ野球、いや全世界の野球史に残るようなピッチャーになってやる。
会見が終わり、佐和ちゃんの車で山田市に戻る。
「なぁ英雄」
「なんだい佐和ちゃん?」
助手席に座り窓から見える景色を見ていると佐和ちゃんが声をかけてきた。
「俺は、お前がプロで活躍する姿を楽しみにしている」
「そりゃ監督だもんな。当然でしょ」
たわいもない会話。顔は見合わせない。俺も佐和ちゃんも正面を見ながら言葉を交わしていく。
「それにお前は俺の教え子初のプロ野球選手だ。期待してるぞ」
「ありがとな。期待に応えられるよう頑張るわ」
いつものように軽い調子で佐和ちゃんに応対する。
「将来、俺が酒の肴にするぐらいに活躍しろよ。メジャーでも第二の英雄ブームを巻き起こすぐらいにはな」
「心配性だな佐和ちゃん。俺ははなっからメジャーしか見てねぇ。メジャーリーグの野球殿堂とメジャーの野球史に名前を刻み込むつもりなんだからな」
「そうか。安心した。お前は今まで通り強気に無謀に挑んでいけ。プロだからと日和るなよ。お前の実力ならプロでも通用する。メジャーは…ここからのお前の頑張り次第だな」
佐和ちゃんの言葉。胸に刻み込んでいく。
今までいろんな言葉を佐和ちゃんから言われたが、そのどれもが俺の心にしっかり刻み込まれている。自身を見失った時、胸に刻み込んだ佐和ちゃんの言葉が俺を支えてくれた。
だからきっとこの言葉も、これから先道に悩んだとき、俺の道標になってくれるだろう。
「将来、俺がじじいになって、周りの奴に英雄はわしが育てたって言えるようにしてくれよ」
なんて冗談交じりに言う佐和ちゃん。
佐和ちゃんも期待している。全員が俺を期待している。
プロで潰れるわけにはいかない。期待外れになってはいけない。
なんて、勝手に背負うのが一番いけない。
俺は俺らしく、俺のやりたい野球をすればいい。佐和ちゃんの言う通り、今まで通り強気に無謀に挑むだけだ。
「だが英雄、これだけは忘れるな。これからお前の野球は、今までのようにお前だけの野球じゃないという事だ。誰かがお前を応援し、お前の野球を見る。もうお前だけの野球じゃないんだ。
だがな。だからと言って今までの野球を止める事はない。自分の野球をしろ。そうすれば勝手にお前の野球を応援するだろう」
「佐和ちゃん、説教臭いからやめて」
そんなの分かってるっての。佐和ちゃんって意外に心配性なのな。
「説教臭いというな。指導者から最後のありがたい言葉だと思え」
そういって佐和ちゃんは俺のほうを見ず、左手で俺の右肩を叩いた。
佐和ちゃんを見る。横顔だが嬉しそうに笑っているのが見えた。
「頑張れよ英雄」
「あぁ」
最後に一言、そんなやり取りを交わして話はこれで終わりだ。
俺は窓の外へと視線を向けた。
はるか向こうにうっすらと虹が見えた。冬の虹か、珍しいな。
さて、残り少しで俺の高校生活も終わりだ。
心残りはないかと考える。
そうして一つだけ心残りがあったことが気づいて、俺は頬を緩ませるのだった。




