285話
文化祭の準備は続く。残り開催まで三日を迎えて、より一層忙しくなった気がする。
本日絶賛、女子から声をかけられまくっている。昼の弁当を持ってきた女子は三名。みな名前と顔が一致しない程度の顔見知り。
恭平は「奴らの弁当は食べるな。やばいものが入ってると思う」と神妙に語っていたし、俺も顔見知り程度のクラスメイトが作ったものなど食いたくない。
仕事の合間、沙希が教室の端っこで一人作業をしているのを見かけたので、彼女のもとへとからかいに向かう。
「よぉ沙希、頑張ってるか」
「あ、英雄。うん」
俺に気づいた沙希は一瞥すると視線を机へと下ろしながら答える。
彼女の視線の先、机の上には一枚の絵。そういえば彼女は我がクラスの出し物のポスターを任されていたはずだ。
「なんだポスター作りか」
「そう。これはクラスのポスターだけど、文化祭のポスター作りもやってたから、結構ギリギリなの」
なんだか忙しそうだ。
そんなタイミングで会いに来たのはなんだか申し訳無いな。
「…英雄はもう自分の仕事終わったんだし、野球の練習でもしてれば?」
なんだか沙希の様子がそっけない。
まさか俺が女の子に話しかけられているのを見て妬いているのか? …これが冗談話だと言い切れないな。面倒くさい関係になってしまった。
「今は基礎を築いているところだ。野球の練習ではあるが、メインは筋トレとかかな」
「…プロに行くため?」
「そうだよ。一つ上のステージに行くという事は、体つきも変えていかないといけない。野球で金を稼ぐわけだから、今まで以上に真摯に挑まないといけない。それがプロフェッショナルというものさ」
顔をキメて虚空を見ながら俺のプロフェッショナル論を語る。
沙希を見る。特に何も感じていないらしい。人の心を響かせるというのは心底難しいものだな。
「まずは一年目からプロでも通用する肉体を作ってる。佐伯っちの特別プログラムをこなして、食生活も気にしてる。野球を極めるためにな」
「…英雄ってさ、本当野球だけはしっかり考えてるよね」
どこかトゲがあるような言い方をする沙希。
俺がまるで野球以外の事はいい加減と言いたげじゃないか。否定はできないが。
「だけはは余計だ。俺だって色々考えてるさ」
「…考えてるなら………」
ぼそりと呟いた沙希の声は、最初のほうこそ聞き取ったが、あとのほうは喧騒にかき消されて、俺の耳まで届かなかった。
聞き返そうとも思ったが、きっと聞き返したところで沙希は何も言わないだろうし、聞き返す内容でもないだろうきっと。
「それよりもお前大丈夫か? 美術部でも出展あるらしいじゃないか、間に合うのか?」
「えっ…あぁうん」
話題を逸らして美術部の話をする。驚いたように顔をあげた沙希。
この話は哲也から経由して聞いた。沙希にとって最後の美術部の活動。それが終わっても美大の勉強もしないといけない。
正直なところ、文化祭という祭りの手伝いなんてしてるべきだとは思えない。
「あぁうん、じゃねぇよ。クラスのポスター作れる奴なんて星の数ほどいるんだし、お前は美術部のほう行けよ」
そう言って俺は沙希の隣の席へと腰を下ろした
「ポスター作れるって誰が」
「それはもちろん俺だ」
こっちを見る沙希へとにやりと笑って見せながら自身に指を差した。
凄い目で見られているが言葉を続ける。
「信用してないな? 安心しろ俺は天才だ。人の琴線に触れる絵を書くぐらい朝飯前だ」
「それ嘘でしょ。中学の時の美術の年間評定どれくらいでしたっけ?」
彼女の言葉を聞いた後、しばらく硬直する。
目を細めて彼女を見る俺と不審げに俺を見る沙希。
「5」
「を?」
「…5で割った数です」
そう答えると沙希が心底呆れたような深いため息を吐いた。
悪いか、悪いかよ。あぁそうだよ。美術だけは凡人以下なんだよ。どんなに頑張って書いても絵だけは上手くならない。何故だ。神様が全てにおいて万能なのは認められないと美術の才能をはく奪したとでもいうのか?
「英雄の絵じゃ、恥ずかしくてポスター出せないよ」
「なんだその下手と言わんばかりの言い方は」
「実際下手でしょ?」
「下手とか言うな! 味のある絵と言え!」
再びため息をつく沙希。
あぁそういえば中学の頃、沙希に絵を見られて死ぬほど笑われていたのを思い出す。あぁなんだか思い出したらクソ恥ずかしくなってきた。
「なぁーにが、味のある絵よ。中学の時に幼稚園児が描いたのかしら? とても上手ね。って先生に皮肉言われてたでしょ」
「絵ってのはさ。やっぱり幼子レベルの感性が必要だと思うんだ。そうだろう?」
「思わない」
プロフェショナルのようなすまし顔を浮かべて適当な事を口にしたが一蹴される。
わざとらしく咳ばらいをしながら俺は立ち上がった。
「…でも、私の事気遣ってくれてありがとう」
立ち上がったところで彼女は俺の顔を見ずにぼそりとまた呟いた。
今度はしっかりと俺の耳に届いた。その感謝の言葉に俺は頬を緩ませた。
「あぁ、辛いときは哲也や俺に言ってくれ。力になれる限りはしてやる」
「…またそんな事言って。だから英雄は…」
小声でやはり聞き取りづらい。だがこれも聞き返す必要はない。
「じゃあな」と一声かけて俺は彼女のもとを後にする。
今日は作業が少ないし、グラウンドの方で佐伯っちが組んだ特別練習をこなしていくか。
文化祭も残り三日。3年D組は佐和先生が率先して作業の指示を出してくれたのもあって、大部分が終わり、今日はどこか生徒たちが暇そうにしている。
その中で、わたし沙希だけは忙しい。先日やっと文化祭のポスターが完成し、そこから今度はクラスのポスターだ。もちろん絵を描くだけじゃない。ちょっとした雑務も請け負っているから、作業が進まない。
そのうえ美術部の活動もある。今年の美術部は部員たちが描いた風景画を売るらしい。私も何枚か出品するんだけど、それもまだ終わっていない。
忙しい。本当に忙しい。
「よぉ沙希、頑張ってるか」
「あ、英雄。うん」
作業をこなしていると暇そうにしていた英雄が近づいてきた。
私は彼を一瞥するとポスターへと視線を下ろす。今は彼と話している余裕もないし…彼とは気まずくて話がしづらい。
やはり心の片隅にあるのは、九月にできなかった告白未遂。あれがあるせいで、私はどこか英雄から避けるようになっていた。
「なんだポスター作りか」
「そう。これはクラスのポスターだけど、文化祭のポスター作りもやってたから、結構ギリギリなの」
英雄の顔を見ずに答える。
気まずいのもあるが、今は忙しい。英雄とゆっくりと話している暇はない。
「…英雄はもう自分の仕事終わったんだし、野球の練習でもしてれば?」
無意識にそんな言葉がこぼれていた。
忙しさと気まずさから無意識に英雄を遠ざけようとしているのだろう。そんな自己分析をしてすぐさま自己嫌悪する。
「今は基礎を築いているところだ。野球の練習ではあるが、メインは筋トレとかかな」
遠ざけようとしているのに英雄は話を続ける。
本当、英雄は能天気なのか曲者なのか分からない。私は一度たりとも彼の感情を読めた事があっただろうか? と言っても私と英雄の関係はわずか4年か5年程度。その程度では彼の心を読むことは出来ないだろう?
「…プロに行くため?」
結局私は話を続けることを選択した。先ほど遠ざけようとしていたのに。
優柔不断でどっちつかず。告白しきれないのもそんな私の性格が原因だろう。英雄と付き合いたいのに断られて距離を置かれたくない。ここ数日の間のうちに私は心底自分の事が嫌いになっていた。
「そうだよ。一つ上のステージに行くという事は、体つきも変えていかないといけない。野球で金を稼ぐわけだから、今まで以上に真摯に挑まないといけない。それがプロフェッショナルというものさ。まずは一年目から……」
英雄は高らかにこれからのスケジュールを口にする。終盤の方はまったく話を聞いていなかった。
普段はダラダラしているくせに、野球に関しては妥協を許さない。生まれ持った素質に飽きることなく日々研鑽を続け完璧を目指す。天才で努力家で求道者。甲子園優勝しアジア大会も優勝し、プロ入りまで決めてもなお、英雄は相も変わらず私の好きな英雄のままだった。
「…英雄ってさ、本当野球だけはしっかり考えてるよね」
思った事を口にしていた。
本当、野球だけはしっかりとしている。…野球だけは…。
「だけはは余計だ。俺だって色々考えてるさ」
「…考えてるなら…この前の告白の事も…」
俯き、ぼそりと呟いた。最後の方は声になっていたかも怪しい。
英雄を一瞥する。彼の耳には届いているのだろうか? 私は唇を固く閉じて止まっていた作業を再開する。
「それよりもお前大丈夫か? 美術部でも出展あるらしいじゃないか、間に合うのか?」
「えっ…あぁうん」
英雄に心配されて思わず顔をあげてしまった。
私、美術部のこと話したっけ? …いや、哲也には話したし、哲也から英雄に伝わったのだろう。
「あぁうん、じゃねぇよ。クラスのポスター作れる奴なんて星の数ほどいるんだし、お前は美術部のほう行けよ」
そう言って英雄は私の隣の席へと腰を下ろした
「ポスター作れるって誰が」
「それはもちろん俺だ」
にやりと笑いながら英雄は自分の顔に右手人差し指を差した。
凄く自信満々な顔を浮かべている。そうして思い出す中学の時の英雄の美術の評定。
「信用してないな? 安心しろ俺は天才だ。人の琴線に触れる絵を書くぐらい朝飯前だ」
「それ嘘でしょ。中学の時の美術の年間評定どれくらいでしたっけ?」
私が目を細めて英雄に問う。
英雄は何とも言えない微笑を浮かべながら硬直する。
「5」
「を?」
「…5で割った数です」
苦し紛れの英雄の回答。たまらず深いため息を吐いた。そうしてじろっと英雄を見る。英雄は口笛を吹きながら視線を逸らした。
英雄はなにをやらせても天才だと思う。野球以外のスポーツも勉強も人並み以上の結果を残してきた。だけど絵心の才能だけは無いらしい。
中学の美術の時間、英雄の絵を何度も見たが、そのたびに私は笑っていた。それぐらい英雄の絵は下手くそだ。普段の自信満々な姿とは裏腹に恥ずかしそうにする英雄の姿は面白くて思い出しただけでも笑いが込み上げてくる。
「英雄の絵じゃ、恥ずかしくてポスター出せないよ」
「なんだその下手と言わんばかりの言い方は」
「実際下手でしょ?」
「下手とか言うな! 味のある絵と言え!」
また苦し紛れの反論。呆れてため息を吐きつつも頬を緩ませる。
「なぁーにが、味のある絵よ。中学の時に幼稚園児が描いたのかしら? とても上手ね。って先生に皮肉言われてたでしょ」
「絵ってのはさ。やっぱり子供ぐらいの感性が必要だと思うんだ。そうだろう?」
「思わない」
どんだけ反論をしたとしても、私が納得する反論は出てこないだろう。
英雄も悟ったのか咳ばらいをしながら立ち上がった。
そんな彼を見ていると、なんだか気持ちに余裕が出てきた。
「でも、私の事気遣ってくれてありがとう」
感謝の言葉を口にする。さすがに面と向かって言うのは恥ずかしいから彼の顔は見ないけど。
私の言葉に彼はどんな表情を浮かべているのか。…きっといつもの笑顔だろう。
「あぁ、辛いときは哲也や俺に言ってくれ。力になれる限りはしてやる」
そしていつもの頼りになりそうな一言。すっと肩にたまっていた余分な力が抜けた気がした。心が楽になって、頬が紅潮する。
…あぁ、やっぱり私は英雄が好きだ。彼の声を聞くと気持ちが楽になる。そばにいたいと思える。
だからどっちつかずのままでは終わらせない。この想いを絶対に伝える。
「…またそんな事言って。だから英雄は…」
そこまで呟いて口を閉じる。ここで言うにはまだ早い。
大事な言葉だから、ここ一番で口にしたい。
「じゃあな」
一言彼の声。そうして私のもとから離れていく。
ちらりと顔をあげて、彼の背中を追う。
文化祭も残り三日。もうすぐで高校最後の文化祭が始まる。




