283話
ドラフト会議から一夜明けた。
全国紙のスポーツ新聞にも俺がシャークスに一位指名された記事が書かれていた。昨日のあの大会議室にいた記者が書いた記事かもしれない。
現役高校球児で一番プロ入りの動向が注目されていた俺は、テレビのスポーツニュースでも取り上げられた。昨日の会議室でおこなわれた記者会見での映像が使われている。
なんだか自分をテレビで見るのはむずかゆいものがある。こればかりは未だ慣れないな。
「英雄、シャークスかぁ。一番近い球団に選んでもらえたな」
「あぁ」
朝の食卓でテレビから流れるスポーツニュースを見ながら父とやり取りをする。
父はこれと言って好きな球団があるわけでもない。心から俺のプロ入りを祝っている。
「…そういえば親父」
「なんだ?」
「親父は、プロからの誘いを蹴ってまで大学に進学したんだよな? …その時の心境ってどうだった?」
ふと思い出したように俺は質問していた。
親父の選んだ道と、大輔が選んだ道はかぶっている。お互い高校野球をならした稀代のスラッガーでありながら、プロという道を捨てて人生を楽しむ道を選んだ。
だからこそ親父に聞いてみたかった。野球を辞めた人生は楽しかったのかどうかを。
「心境? そうだな。やっと野球から離れられると喜んだな。俺は元々野球を好きで始めたわけじゃないしな」
そういって笑う親父。
そういえば祖父もひい祖父も野球一筋の人間だったらしい。どちらも俺が生まれる前にひい祖父が、幼い頃に祖父が亡くなっているから父の話でしか知らないけど。
親父はそんな家族に無理やり押し付けられて野球を始めた。だからこそ野球から離れたいと思ったのだろう。
そうなると大輔と話が違ってくる。大輔は無理やり始めたのではない。誰かに押し付けられたわけでもない。俺が勧めてそれに乗って野球を始めた。
「まぁでも、野球だけの人間だったからな。その後の人生は苦労したぞ。劣等感もあったし、プロで活躍する同期を見て日に日に後悔を募らせたしな。比呂さんがいなかったら今頃どんな劣悪な人生だった事か」
笑い話のように笑顔で語る親父殿。比呂さんとは哲也の親父さんだ。大学時代、親父と先輩後輩の関係だった哲也の親父さんは、親父曰く命の恩人と感謝している。
今だからこそ笑顔で語る父だが、当時はきっと酷い葛藤と後悔にさいなまれていたのだろうか。
「親父、俺の仲間に高校で野球を辞めるって奴がいる」
「そうか」
「でも俺はそいつに野球を辞めてほしくない。そいつは……俺が知りうる限り最高のバッターなんだ」
「ほー」
親父はあいまいな相槌を打つだけ。でもきっと誰か見当はついているはずだ。
そう信じて言葉を続ける。
「だから、なんとか野球を続けてほしい。プロ志願届は出さなかったから、もう大学か社会人かで野球を続けるしか選択肢はないんだけど…なんとかならないか?」
「なんともならんだろう」
珍しく親父に頼った俺をバッサリと切り捨てた。
親父は呆れたようにため息をつくと、近くに置いていた新聞を手に取り広げる。
「英雄、それはお前のエゴだ」
「…知ってる」
「なら何も言わず放っておけ。そいつの人生はそいつが決める。他人が決めていいものじゃない」
「…分かってる」
父のいう言葉は全て理解できる。
だけど、だけど俺は、大輔には野球を続けてほしいんだ。
「仮に犯罪に手を染めたのなら、それをいさめるのは親友の務めだ。だがそいつは犯罪に手を染めているわけじゃない。なら何も言ってやるな」
そうして父は黙ってしまった。
俺は「わかった」とだけ答えて白米を口へとかき込み、逃げるようにリビングを後にした。
学校へと登校すると、まず初めに屋上から垂れ下がる「祝佐倉英雄シャークス一位指名」という垂れ幕が下がっていた。文字をよく見ると手書きだ。校長が徹夜でもして作ったのかもしれない。思わず呆れ笑いが出てきてしまう。本当あの校長は…。
そんな垂れ幕も下がっているのもあり、また今朝は新聞、ニュースでドラフト会議の事を取り上げていたのもあり、俺がシャークスに一位指名された話は学校中に知れ渡っていた。
教室に入るなり、友人や知り合いが歓声をあげ、クラッカーが鳴らされる。
黒板を見ると友人たちがチョークで書いたのだろうか。「祝!佐倉英雄プロ入りおめでとう!」の文字。
おいおい、こんなサプライズ聞いてないぜ?
「みんなありがとう! サイン欲しい奴は今のうちにこい! Yシャツなり使わねぇ教科書なり、俺の自慢のサインを書いてやるぜ!」
「ははは! いらねぇ!」
誰かがそんなことを口にする。今言った奴誰だ。怒らないから目の前にこい。
安心しろ、将来後悔すんなよとは言わない。今すぐ後悔させてやるから来い。
今日一日は俺が学校の中心になった。
廊下を歩けば知り合いや友人や教師、果ては顔も名前も知らない奴から祝福される。
これまた顔も名前も知らない初対面の女子に手紙やメアドが書かれた紙なんかも渡される。
そんな感じでどこ行っても声をかけられるので、昼休みを迎えるころにはヘトヘトになっていた。
「いやぁしんどい」
「あはは、有名人は大変だね」
今日は哲也と沙希二人と昼ご飯を食べる。
大輔もここ最近は彼女さんとばかり昼ごはんを食べているし、恭平も千春とばかり昼ごはんを食べている。哲也も今日は沙希と一緒に昼ごはんを食べるらしい。
色んな友人から昼を誘われたが、声かけられて疲れていた俺は、気心知れた二人と昼ごはんをとることにしたのだ。
「それにしても英雄、凄いね…」
そういって哲也は俺の目の前に広がる紙の束を見て呆れ笑いを浮かべる。
この紙の束は全て、名も知らぬ女子から渡されたメアドや電話番号が書かれた紙だ。
その一枚を手に取り、ぱっと内容に目を通す。学年、クラス、名前、連絡先と応援メッセージが添えられている。もちろん顔も覚えていない。俺はため息を吐いた。
「それ、連絡するの?」
「するわけねーだろ」
そういって、俺は紙束をぐしゃぐしゃに握りつぶすと近くのゴミ箱へと投げる。
放物線を描いた紙束は、まもなくすとんとゴミ箱へと落ちていった。
「どっかで祀られてる神様じゃねーんだぞ。こんな願掛けみたいなことされても嬉しくねーって」
「あはは…でもそこから出会いとかあるんじゃない?」
苦笑いの哲也。
「んなもん期待してねーよ。もう俺に出会いは必要ねぇ」
哲也の言葉をすぐさま否定して、俺は弁当に残っていたご飯を口へとかき込んだ。
そうしてお茶で流し込んでいく。
「でもこれから大変だね。英雄の将来性を見越して、色んな人が寄ってくるかも」
「かもな。邪魔くせーなー。彼女の一人でも作るかな」
哲也の言う通り、有名になれば有名になるほど、色々な人が寄ってくる。
みんながみんな、善人なわけがないし、俺を応援している者だけが寄ってくるわけでもない。
そういう悪い虫をどう払っていくがこれから重要になっていくのだと思う。プロとは野球ばかりしていれば良いわけじゃない。普段のふるまいも気にしていかないといけないわけか。
面倒くさい。この一言に尽きる。特にこれから寄ってくる女子どもは九分九厘、俺の将来性目的だろ。プロで活躍すればそれだけ高額な年俸が入ってくる。それを狙う奴らがいたっておかしくない。
冗談半分で彼女を作るかなんて言ったが、本気で彼女の一人ぐらい作ってもいい気がするぞ。
「英雄、それ本当?」
「五割本当だ。虫よけにもなるし、それにあれだ。学生生活もあとわずかだし、甘酸っぱい思い出の一つぐらい作っておきたいしな」
そういって俺はにやりと笑った後、沙希へと視線を向ける。目が合ったがすぐ逸らされ、頬が紅潮していくのを確認した。
哲也も横目で沙希を見てから、こちらへと視線を向けた。
「それならさ、沙「あ! 悪い、中村っちと鉄平に用があるんだった。ちょっと行ってくるわ」
哲也の言葉を遮るように俺は大声をあげると、早口で嘘を語ると、二人の言葉を待たずにその場をすぐさま立ち去った。
「哲也の馬鹿野郎、だからお前は彼女できねーんだぞ」
教室から出てからぽつりと一言漏らす。
あの場面であんな話題を出したところで、気まずくなるか嫌な展開を迎えてただろう。哲也の奴、もうちょい頭を使えよな。
あいつとは幼稚園に入る前からの腐れ縁だが相変わらず気が利かない男だ。呆れてため息を吐きつつ、頬を緩ませる。
気が利かない男ではあるが、誰かの為に必死になれる男だ。そして…自身の感情よりも親友の俺を優先してくれる男だ。
相も変らぬ不器用な親友に俺は安心する。日々変わりゆく中で変わらない存在。
きっと哲也は俺にとって大切な存在なのだろう。いつまでも俺の親友で女房役で相棒。そうであってほしいしこれだけは変わってほしくない。
だからこそ俺は、沙希は哲也と結ばれるべきだと思うのだろう。
「英雄君!」
教室の近くにいるのもあれだったので校内をうろうろしていると、聞き慣れた声が聞こえた。
声の方向には案の定鵡川。俺は左手を軽く上げた。
「よぉ」
「今大丈夫?」
「大丈夫だけど、どうした?」
彼女の問いに俺は首を傾げた。
鵡川は一つ深呼吸をしてから、天使のような笑顔を浮かべる。
「プロ入り、おめでとう!」
そういってニコッと笑う鵡川。悔しいが顔が熱くなった。一撃必殺、最強すぎる。
可愛すぎる。そんな笑顔でそんな事言われたら、俺以外の男はみな落ちているだろう。だが俺は落ちない。奈落寸でのところで耐えきった。何故なら天才だからな。
「ありがとう」
「えへへ…なんだか私も嬉しくなっちゃった! プロ初登板、応援に行くね!」
はい今奈落に落ちましたー! 可愛すぎる!
やべー、鵡川やべーわ。お前さ、そうやって可愛い笑顔を意中の相手でもない男に振りまいてると、いつか痛い目見るぞ。もうちょい気をつけろよな。
「ははは、来年にはお見せできるな」
「うん! 楽しみにしてるね!」
彼女の優しい笑顔に俺はただただ頬を赤くさせつつ、動揺を極力見せないよう努める。
さすが山高一の男キラー鵡川。天才、怪物の俺ですら落としにかかるとは。鵡川、恐ろしい子。
…あぁでも鵡川が彼女だったら、きっと残りの学生生活は楽しいものになるんだろうな。
なんてことを少しだけ考えて、すぐさまそんな考えを打ち払う。
冷静に考えて、鵡川が俺の事好きになるはずないし、告白したところで幾千幾万の男を切り捨ててきた鵡川の伝家の宝刀「ごめんなさい、好きな人がいるんです」を聞かされるだけだろう。
やめておこう。鵡川と気まずい関係になるのもなんかあれだしな。
「それよりももうすぐで文化祭だな」
「そうだね。…高校最後の文化祭だし、楽しもうね!」
「あぁ!」
笑顔の鵡川に俺も笑顔で応える。
残りわずかな学生生活。楽しみつくす!




