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怪物は一日にして成らず  作者: ランナー
7章 怪物の休日
281/324

280話

 10月も中旬に突入した。

 27日にはドラフト会議も待っている。俺の進路が決まる運命の日だ。今からすでにドキドキしている。

 指名はすでに確実。数球団のスカウトから一位指名予定と言われている。

 あとはどこに指名されるか。そこだけが気がかりだ。別にこの球団が良いとか嫌とかはないけど、出来るなら一年目から活躍機会を与えてくれる球団がいいだろう。


 「英雄! 帰りにゲーセン行かね?」

 「おぅ!」

 放課後、友人中本からの誘いに俺は笑顔でうなずいた。 

 ドラフト会議も大事だが、このわずかしかない休日を楽しむのも大事だ。ドラフトで指名されれば、プロに向けて準備もしていかないといけない。こうして何も考えず遊んでいられるのもあと少しだろう。



 「あ、英雄」

 廊下に出たところで沙希とばったり出会った。

 俺は右手をあげながら「よぉ」と挨拶する。彼女は俺の肩口へと視線を向けた。


 「そっか、野球部引退したから普通のカバンなのか」

 「そういえば、俺のスクールバッグ姿は久々か。どうだ? 似合うだろう?」

 「別にエナメルバッグの時と大して変わらないけど…まぁちょっと違和感あるかな」

 そういって沙希は笑う。

 彼女の笑顔を見て、俺も頬を緩ませた。

 彼女は後ろにいる俺の友人へと視線を向ける。


 「嘉村くんとか三村くんは?」

 「あいつらは女遊びが激しくてな。大輔は特に野球部引退してから彼女とベタベタだ。野球部にいた頃は野球に専念してばかりで彼女に気をかけてやれなかったからって。恭平は知らん」

 「あーなるほど…。嘉村くんと千春ちゃん、お似合いだと思うけど?」

 「は? 沙希、それ冗談で言ってるのか? いくら沙希でも容赦しねぇぞ」

 そんな俺の兄馬鹿気味に沙希は苦笑い。


 「あ、私そろそろ進路指導室に行かないといけないから」

 「おぅそうか」

 そうして短いやり取りを交わして、彼女はこの場を立ち去った。


 「本当、英雄って山口と仲良いよな。付き合ってるのか?」

 「んなわけねーだろ。中学の頃からの馴染みだからな。確かに他の女よりかは仲が良いけど、付き合ってない」

 「そうなのか。俺はお似合いだと思うけど?」

 「いや、俺よりも哲也のほうがお似合いだ」

 友人中本の冗談話を適当に答えつつ、俺たちは昇降口へと歩いていく。

 それにしても沙希の奴、今の時期に進路指導か。あいつ酒敷美大に行くんじゃなかったのか? それとも就職に切り替えたのだろうか。まぁいいか。



 放課後の進路指導室。

 私、山口沙希は美術部の顧問である浅間(あさま)先生と机をはさんで対面していた。

 浅間先生の手には、複数書類があり、書類と私の顔を交互に見比べては小さく唸る。

 浅間先生とはこれで四度目となる進路の話だ。今日も話す内容は分かっている。私は表情一つ変えず、浅間先生の次の言葉を待つ。


 「山口さん。何度も聞くようだけど、本当に美大進学希望なの?」

 「はい」

 困ったような表情を浮かべながら、浅間先生は数度目の同じ質問をしてくる。

 私はジッと先生の顔を見ながら、同じ返答を先生にする。

 そうしてまた先生は書類へと目を移し、ため息を一つついてから、低く唸り声をあげた。


 「あのね山口さん。美大ってのは、行きたい人が行けるような場所じゃないの。それは分かるでしょう?」

 「はい」

 私だって美大が厳しいのは知っている。

 有名な美大は毎年酷く高い倍率だと聞いている。

 特に私が目指している酒敷美術大学は、中国四国地方の中で一番倍率が高いと言われているくらい、入学が厳しい。


 「私は絵の勉強がしたいから、美大に進学を希望しています」

 意思を持った一言に、浅間先生はさらに困った表情を浮かべた。


 「その、あのね…山口さん。単刀直入に言うわね」

 そうして浅間先生は言いづらそうな顔を浮かべてから、意を決したように口を開いた。


 「山口さんには、絵の才能が無いから、入学しないほうが良いと思うの」



 夕暮れの児童公園。私はブランコに腰掛けていた。

 だいぶ寒くなってきた。夏の暑さが恋しく感じる。もうすぐで季節は秋から冬へと移るだろう。

 すでに子供たちの姿は無く、私一人分の影が地面に映し出される。

 俯き、何度目かの深い溜め息を吐いた所で、両手で顔を覆った。


 「なにが…絵の才能が無い、よ…」

 浅間先生の馬鹿。美術部で描いた絵は、毎回上手だって、凄く褒めてたくせに。

 今から進路を変えろって言うの? せっかく絵の勉強もしたのに?


 「ふざけんじゃないわよ…」

 苛立ちだけがつのる。

 どうせ才能が無いなら、最初から上手とか褒めないで、才能無いときっぱり言ってくれれば良かったのに…。

 今まで、いや今だって、美術大学に進学希望なのは変わらない。だけど今日の浅間先生の言葉を聞く前よりかは美術大学進学に抵抗感が増した気がする。

 私は、本当に美術大学に挑戦すべきなのだろうか? 素直に絵は趣味と割り切って、普通の大学に進学すべきなのではないだろうか?


 悩み、悩んで、悩み続けた結果、ここにいても何も変わらないという答えを得る。

 寒くなってきたし、これ以上ここにいても風邪をひくだけだ。ゆっくりとした動作でブランコから立ち上がった。

 ふと公園の出口を見ると、道路をのんびりと歩く英雄の姿があった。英雄は何気なくこっちを見て立ち止まり、目を凝らすような動作をする。

 そんな彼の姿を見て、私は自然と彼の名前を呼んでいた。


 「英雄!」

 私の声を聞いて、英雄は左手を大きく上げた。

 まもなく私の方へと近づいてきた。


 「よぉ沙希。こんなところで何してんだ?」

 「…別に、ただなんとなく来ただけ」

 そういってそっぽを向いた。

 本当は家に帰る気力すらなくなるぐらい、浅間先生の言葉に落ち込んでいただけなんだけど…。


 「英雄のほうこそ、こんな時間まで遊んでたの? 次期プロ野球選手だってのに」

 「今でしか遊べないからな。あと少ししたらドラフトだ。指名されればプロに向けて準備をしていかないといけない。遊べる時にとことん遊んでいかないと」

 そういって英雄は笑みを浮かべる。

 本当、進路が決まっている英雄が羨ましい。私はこんなに進路について悩んでいるというのに…。


 「それよりも沙希。なんか元気ないけど、なんかあったのか?」

 「……元気ないように見えた?」

 「あぁ、普段より声のトーンが低い。…進路の事か?」

 …相変わらず英雄は観察力が凄い。

 まさか進路の事で悩んでいるというところまで読まれるとは思わなかった。


 「英雄…」

 「お前の力になれるかは分からんが、話を聞くぐらいはするぜ。とりあえず分かれ道まで一緒に行こうぜ」

 そういって温和な笑顔を浮かべる英雄。

 …普段は冗談ばかり言ってるのに、こういうときだけ真面目な顔をして…。そういう所が格好いい。口にはしないけど。

 私は小さくうなずく。英雄は一つ微笑みを浮かべてから歩きだす。私は並んで彼と歩き出した。



 夕暮れの赤に染まった街は昼間に比べて静かだ。

 喧騒は遠く、子供たちの騒ぐ声がわずかに聞こえる。

 そんな町中の道路の端を私と英雄の影が並んで地面に描かれた。


 「それで沙希、進路の話だけど美大の事か?」

 「…うん」

 彼の顔を見る事無く私は小さくうなずいた。

 数時間前の記憶がよみがえる。悔しさがこみ上げてきて、私は唇をかみしめる。


 「美大って入学厳しいんだってな。酒敷美大って、四国中国で一番倍率高いらしいじゃん」

 「うん…だから、浅間先生に諦めろって言われた」

 今日起きた出来事を英雄に伝える。

 彼は今、どんな顔をしているのか気にはなったが見ない。逆に私の今の顔を英雄には見せたくない。きっと酷い顔をしている。


 「そうか…」

 英雄は一言、それだけ口にして黙る。

 嫌な沈黙が私と英雄の間に流れる。私も何を口にすればいいか分からない。


 「私、小さい頃から絵描きになりたくて、美大を目指してたの。それなのに、なんで、美大は難しいなんて先生言うのかなぁ…。才能がないとか言われるのかなぁ…」

 ポツリポツリと思いを吐露する。

 別に英雄から何か言われたいわけではない。ただ、誰かにこの悲しい想いを聞いてほしかった。


 「浅間先生に美大は止めろって言われて…絵を描く才能が無いって、ばっさりと言われて…。凄く悔しかった…今までの自分のやってきた事が…全部…全部否定された気がして…私…悔しくて…」

 思いを口にするたびに目頭が熱くなっていく。

 景色がぼやける。情けない。英雄の前で泣いてしまう。私は目をつむる。


 「そうか。それで、お前は諦めるのか?」

 英雄の言葉。私はつむった目を開いた。そうして彼のほうへと視線を向ける。

 英雄は無表情。どこか呆れているようにも見えた。


 「たかが一人に才能が無いって言われただけで、小さい頃からの夢を諦められるのか? お前の夢はそんな簡単に諦められるものだったのか?」

 英雄の問い。

 その問いにはすぐに答えが出た。


 「そんなわけ無いでしょ」

 当たり前の答えを口にする。

 諦められるはずがない。幼い頃見た美しい風景画を思い出す。今でも鮮明に思い出せる絵。名前とか作者の名前は忘れてしまったのに、あの絵の美しさだけは忘れられない。

 あれを見て、私は絵に興味を持ち、将来あんな絵を描きたいと思った。だから私は美大を目指している。


 「なら挑戦すればいいじゃん。なに簡単な事で悩んでるんだよ」

 そう当たり前だと、こんなことも分からないのかと言わんばかりの呆れた声をあげると、小さく鼻で笑った。

 その言葉はスッと私の胸に刺さり呆然としてしまった。


 「時代を切り開く人間は、いつだって、初めは否定的なものさ。かの有名な織田信長は、昔はうつけと呼ばれてたんだろ? 太陽中心説を唱えたコペルニクスも、死後評価された」

 英雄がどこか格好つけながら話していく。

 その言葉を私は聞くばかり。


 「偉人はいつだって、逆風を突き進むもの。才能あるなしなんて些事な事だ。大事なのは自分の信念を曲げない事。思う念力岩をも通す。だから沙希、お前がやりたいことをすれば良い。ダメだったら良いじゃねぇか。挑戦する事は人類平等だ」

 そう言って笑う英雄の笑顔は、なによりも頼もしく感じた。

 …あぁ、良かった。彼を好きになって、彼に恋して良かった…そう心の底から思った。


 「それに俺は沙希の絵が好きだ。沙希ならきっと大丈夫。根拠はないけどな! ははは!」

 そういって大笑いをする英雄。

 思わず私まで頬を緩ませてしまった。本当…彼が好きだ…。この想いを再確認する。


 夕暮れの道路に影二つ。

 彼の笑顔を見ながら、私は決意を改める。美大に絶対進学する。駄目でも良い。英雄の言う通り挑戦する事は人類平等だ。なら、挑戦だけでもしたい。

 そしてもう一つ。今年中に英雄に告白しよう。この想いを彼へと伝えよう。

 隣を歩く英雄の横顔に頬を赤くさせながら、私は帰路へとついた。

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