278話
そして迎えた決勝戦。
勝ち上がってきたのは隆誠大平安。両チームエース温存で挑んだ試合はシーソーゲームとなる中、先に勝ち越しエースの楠木を投入した隆誠大平安が一歩優り、4対3で勝ち上がってきた。
夏の甲子園決勝戦と同じ組み合わせとなった。
どちらもあの夏の決勝戦のスタメンで挑む。楠木、奈川との再戦。あの夏は俺が完全試合を成し遂げて完全勝利を収めたわけだが、前回と同じようになるとは思えない。
試合は投手戦となると思われたが、意外な展開を迎えた。
初回、ツーアウトから三番龍ヶ崎がセンター前ヒットで出塁すると、続く大輔が、初球をレフトフェンス直撃のツーベースヒットを放ち、その間に龍ヶ崎がホームインしてあっという間に先制したのだ。
さらに続く五番俺が右中間真っ二つのツーベースヒットを放ち追加点。さらにさらに六番サードの中村っちが、ライト前にヒットを放ち、俺がホームインするなど、初回から3点を追加した。
守りの方も終始、俺が圧倒していく。
すべてを出し切るつもりで初回から全力でボールを投じていく。元々隆誠大平安で怖いバッターは奈川ぐらいなもの、全力投球の俺のボールを打てるバッターは早々いないだろう。
こうして相手打線をぴしゃりと抑える。まぁ奈川には2本のツーベースヒットを許してしまった。
うちの後輩どもが甲子園と秋の大会を経て経験を積み一回り成長しているように、奈川も同様だ。
夏の甲子園で俺との対決、そして秋の府大会でチームを引っ張る四番として責任感が芽生えた事で、一回り成長したらしい。
奈川もまた怪物への道を歩み始めている。やがて大輔に追いつく、あるいは追い越すスラッガーへと成長するのだろうか。
試合は3対0のまま最終回を迎える。
楠木も初回の失点を除いて、あとは完璧にうちの打線を抑えてきている。
夏の甲子園で大輔にホームランを打たれていたが、今日の試合では初回のツーベースヒット以外、大輔を完膚無きまでに抑え込んでいる。
大輔もさすがにお手上げらしく「あいつには勝てん」と大笑いしていた。
九回。最後の守りとなる。
「これが最後か」
マウンドに上がる前、俺は一人そんな事を呟いていた。
九回、両エースが投げ合いだいぶ汚くなったマウンド。
そこに俺は一歩、また一歩と登る。
夏の甲子園の時よりも熱気はない。
あの時よりも興奮はない。
あくまでこれは甲子園の延長戦。選ばれた12校しか参加する事が出来ない大会。
これを投げ終われば、俺の高校野球は終わる。
そう思ったら、なんだか胸の奥がざわついた。
「バカだな…」
そんな自分を笑い、マウンドへと上がっていく。
こんな感情を抱くのならば、もっと早く野球に戻れば良かった。ずっと抱いてきた後悔。もっと早く野球に戻っていたら、俺はどうなっていたのだろうか。今この時を満足してマウンドに上がれたのだろうか?
…いや、そんな事考えても意味はないか。
あのタイミングで戻ったからこそ、俺はここに到達できたのだと思う。一年の頃の恭平や大輔とバカやっていた頃も、決して無駄じゃなかった。
プレートを踏みしめ、顔をあげる。
キャッチャーボックスには哲也。マスク越しから哲也と目が合った気がした。あいつも今頃感慨にふけっている事だろう。
最後の最後までよろしくな相棒。
「最終回! 楽しんでいこう!」
「おぅ!」
最後の哲也の号令に選手たちが声を張り上げた。
この回からセンター耕平君に代わり鉄平が入っている。
キャッチャー哲也、セカンド誉、サード中村っち、ショート恭平、レフト大輔、センター鉄平、ライト龍ヶ崎、スコアラーの岡倉がいて、マウンドには俺。
三年生勢揃いだ。最終回、楽しんでいこう。
「へいへいへい! 英雄俺のところにもってこい!」
「いやいや俺の方に打球をくれよ!」
「英雄! サードだサード! サードに打たせろ!」
恭平、誉、中村っちが普段以上に声をあげている。
なんてふざけた発言だ。気が抜けて笑ってしまう。
外野からも普段以上に大きな声が上がっている。その声を耳にするたびに不思議と緊張がほぐれていく。まったく最後まで頼りになるバックだな。
まず先頭バッターをセンターフライに仕留める。
鉄平が打球へと走り、落下点に素早く到着し、危なげもなく捕球する。
ゾワリゾワリと胸の中で、何かが動く。
続くバッターをショートゴロ。
恭平は「オーケー!」と声を張り上げて打球を処理する。
素早い動作でファーストへと転送。ファースト秀平のミットを響かせた。
これでツーアウト。さらに胸の中でゾワリゾワリと違和感が膨れていく。
ラストバッター。
「へいへいへい! 俺のところに打球を…あーくそ!」
軽い調子で声をあげていた恭平が急に悪態づいた。
何してんだあいつは。一度プレートから足を離し恭平へと視線を向ける。
なんか俯き目元をぬぐってる。何してんだあいつ? 砂が目に入ったか?
「へい恭平! 何泣いてんだよ!」
「な、泣いてねーし! 誉のほうこそ声が泣き声だぜ!」
「うっせ! 泣いてねーよ!」
ガキのような口論をする誉と恭平。おいおいお前ら、何やってんだよ。
ふと後ろを守る選手たちへと視線を向ける。どの選手も目元をぬぐっているように見えた。なんだお前ら? 試合が終わってないのに泣いてんのか?
勘弁してくれよ。そんな目じゃ打球も追えねーだろ。
「…まったく、しゃーねーなー」
ぼそりと呟き、口角を釣りあげた。
しゃーない。ここは俺がバシッと抑えますか。
一球目、ストレートで空振りを奪う。
二球目、今度もストレートで空振りを奪った。
あっという間に追い込んだ。バッターはまったくタイミングがあっていない。これなら最後もストレートで空振りを奪えそうだ。
哲也から返球されたボールを受け取った瞬間、世界が滲んだ。
あぁ、このバッターを打ち取ったら、後ろを守る連中と、野球が出来なくなるのか…。
俺は一度、プレートから足を離し、バックを見渡す。
誉、恭平、中村っち、大輔、鉄平、龍ヶ崎。本当、一年しか一緒に野球ができなかった。でも本当に濃い毎日で、一年とは思えないほど楽しい毎日だった。
全員が腰を低くし、声を張り上げている。やっぱり時たま袖で目元を拭いているように見える。
「よし、終わらせるぞ」
覚悟を決めた。
胸からこみ上げてくる、熱い何かは意識しない。
まだ俺の役目は終わっていない。まだ俺の高校野球は終わっていない。あの夏はまだ続いている。
だけどそれもこれで終わりだ。
ゆっくりとプレートを踏み、哲也と向き合う。
マスク越しの哲也の目を見つめ、小さくうなずいた。
それを見て哲也はぐっと唇をかみ締めてミットを構える。
さぁ終わらせよう。
辛くも楽しい日々を、駆け抜け続けたこの一年間を。
思い返せば楽しい事ばかり。
辛い事もあったけど、そのたびに支えてくれた支えた仲間がいる。
かけがえのない一年間だった。
ゆっくりと振りかぶる。
ドクン、ドクン、と胸の鼓動が大きくなる。
まぁあれだ。こいつらと野球が出来てよかった。
感謝の言葉はまた後で。最高の気分のまま、最高の幕切れを決める。
左腕を振るう。
アウトローへのストレート。それを打者はスイングしにきた。タイミングはあっていない。これなら…。
バットは空を切る。哲也のミットは乾いた音を響かせる。
その瞬間、俺はマウンドで無意識のうちに吠えていた。
マウンドに集まる選手たち。
俺達は甲子園優勝した時のように抱き合う。目から馬鹿みたいに大粒の涙がこぼれていく。
それはマウンドに集まった三年生、みな同じだった。
哲也、大輔、恭平、誉、龍ヶ崎、中村っち、鉄平。全員が涙を流し、この最後の試合は終わりを告げた。
喜びしかなかった夏の甲子園の優勝の時とは違い、今回の優勝は喜びと寂しさが入り混じった。
ともあれ国体優勝。
俺達は全国にいた高校三年生の球児達の中で、誰よりも長く野球を続けたのだ。
あの夏の延長戦もこれで終わり。
なんだか胸の奥にあった責任感がすとんと落ちた気がした。
試合終了後、バスに乗って山田高校に帰宅。試合終了後、あんなに泣いてたのに、帰りのバスの中では終始笑顔だった。
山田高校についたのは午後8時過ぎ。
ここで佐和ちゃんは軽く総括し、一二年生は解散。三年生のみ、佐和ちゃんと佐伯っちから最後の話があるという事で視聴覚室に向かった。
視聴覚室でそれぞれが椅子に腰掛けて、最後の佐和ちゃんの言葉を待つ。
「まず、優勝おめでとう」
最初に言ったのは優勝を祝う言葉。
笑顔の佐和ちゃん、俺たちは笑顔を浮かべて歓声と拍手をあげた。
「そしてお疲れ様。夏が終わってからも野球をしていたわけだが、これで本当の引退だ」
続けて話す言葉に選手たちは口を閉じた。先ほど見せた笑顔はない。
だが佐和ちゃんだけは笑顔を浮かべている。
「何悲しい顔をしている。お前らにはまだまだ将来は続いていくんだ。これで終わりじゃない。新しい門出だってのに悲しい顔してたらろくな事ねーぞ。笑え笑え」
軽い調子で佐和ちゃんは俺達を励ました。
その言葉に選手たちは自然と頬を緩ませた。
「哲也と龍ヶ崎、岡倉は三年間、よく頑張ったな。一時は野球ができるか怪しいぐらいに部員も減ることがあった。それでも決して諦める事無くよく続けてくれた。お疲れ様」
「ありがとうございます!」
一年の春から野球を続けた哲也、龍ヶ崎、岡倉の三人に佐和ちゃんは優しく声をかけた。
「それから、素人なのに野球部に入った大輔、恭平、誉、修一、鉄平。ありがとう。俺の指導は厳しいものだったが、よく辞めずに最後までついてきてくれた。本当、ありがとう」
佐和ちゃんが穏やかな笑顔を浮かべて感謝をする。
それを見て、照れくさそうにする一同。
「そんで英雄。お前には、ずっと助けられてばかりだったな」
「んなわけないでしょう。むしろ俺が、他の奴らに助けられてたぐらいですよ」
穏やかな笑顔のまま、俺に感謝をする佐和ちゃんに、逆に俺が感謝をした。
佐和ちゃんは「そうか」と感慨深そうな顔を浮かべて頷いた。
「お前らはきっと、この引退を素直に喜べないだろう」
少し間をおいてから、佐和ちゃんは穏やかな笑みを浮かべながらも新しい話題を話し始める。
その佐和ちゃんの言葉に、俺らの三年の顔から笑顔が消えた。
「きっと、もっとこいつらと野球をしたいと思うだろう」
誰もが黙る。俺だけじゃなく皆がそう思っているのだろう。
そりゃそうだ。素人ばかりの去年の秋からやっと野球の試合を楽しめるようになったんだ。もっと野球をしたいさ。
「だが、もう高校野球は出来なくなっても、別に野球は出来る。お前らが俺の年代になる頃、また揃って野球をやれば良い。野球はバットとボールとグローブがあれば、いつでも出来るものだ」
その一言に、誰もが佐和ちゃんの顔を見つめる。佐和ちゃんは穏やかな笑顔を浮かべた。
「いつまでも野球部に未練を残すな。時間は止まらない。もう進路を決めていかなきゃいけない時期だ。言っとくが他の三年生はもう進路決め始めてるんだからな。危機感を忘れるなよ。大学進学組も就職組もここから大忙しだぞ」
「はい!」
自然と選手たちの返事が揃う。
そうだな。もう俺達の次の目標は出てきているんだ。高校野球はこれで終わり、次はプロ野球。気持ちを切り替えていかなきゃな。
「佐伯先生からは何かありますか?」
「じゃあ一言だけ」
佐和ちゃんに促されて、佐伯っちも話し始める。
「えー、大体は佐和先生に言われたので俺から言う言葉は一つだ。お前らと野球が出来てとても楽しかった。ありがとう!」
短くまとめながらも真っ直ぐな言葉を伝えた佐伯っちは頭を下げた。
その言葉に俺達は照れくささを覚えた。
「それじゃ、話は終了だ。解散」
最後まで笑顔だった佐和ちゃんと佐伯っち。
ここで哲也が立ち上がる。それにつられて俺らも立ち上がった。
特に何もやり取りはしていなかったが、自然と哲也が何をやろうか読み取れた。おそらく他の連中も読み取っただろう。
「佐和先生! 佐伯先生! 今まで、ご指導していただき、ありがとうございました!」
「ありがとうございました!!」
最後は鼻声になっていたが哲也が佐和ちゃんと佐伯っちに感謝を述べる。
それに追従するように俺たち三年生も声を揃えて、精一杯の感謝の思いを乗せて感謝の言葉を叫び、深く頭を下げた。
佐和ちゃんと佐伯っちは笑いながらも、目元を袖でぬぐう。
その姿に俺達も溜まっていた涙を流して笑いあう。
「英雄、ありがとう」
帰り道、哲也と二人で歩いていると、哲也がそんなことを言ってきた。
「おぅ。こっちこそありがとう」
俺の哲也に感謝しつつ空を見上げる。
星も見える、雲一つない綺麗な夜空だ。
長くもあり短くもあった高校球児としての日々が終わりを告げる。
明日からは一人の高校生として、残り少ない青春を謳歌していこう。




