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怪物は一日にして成らず  作者: ランナー
7章 聖地、怪物立つ
260/324

259話

 金属バットの音が球場を支配した。

 たった数秒だけの支配だったが、それは後世に語り継がれるであろう一振りだった。

 甲子園球場、レフトスタンド最上段席まで運んだ大輔のソロホームラン。高校生が叩きだす飛距離じゃない。あと少し伸びていれば場外もありえただろうとんでもない飛距離だ。

 馬鹿げた大輔にふさわしい一撃は、一大会本塁打記録を7本に記録を伸ばした。これを越えられるバッターはこれからの時代にいるのだろうか? まさしくあいつは怪物としての偉業を成し遂げた。

 結局、最後までうちの打線は大輔頼りだったな。


 「まったく……叶わねぇなぁ」

 そんな言葉が出てしまうほどに今の打席の大輔は凄かった。

 だけど同時に負けられないという思いが燃え滾る。

 三塁ベースを蹴飛ばし、こちらへと走ってくる大輔。満足そうな顔をしている。どうやら今の打席を楽しめたらしい。ならそれで良い。


 「ナイスバッティング」

 「あぁ!」

 ホームベースを踏みしめた大輔とハイタッチを交わす。

 さぁ今度は俺の番だ。


 この後、俺はヒットを放つが続く六番の中村っちが凡退となりスリーアウトとなった。



 九回の裏のマウンドへと向かう直前、俺は佐和ちゃんのほうへと向き直る。

 

 「うん? どうした?」

 そしてそんな俺を不審がる佐和ちゃん。


 「佐和ちゃん、今までありがとうな」

 「はぁ?」

 最後のマウンドに上がる前に一つ感謝をしておきたかった。

 ここまで俺達を導いてくれてありがとう。そう一言言っておきたかったのである。

 だが佐和ちゃんには鼻で笑われた。


 「お前な、そういう事言ってると負けるぞ。試合はまで終わってないんだ。気を抜くな油断するな勝った気になるな」

 呆れ笑いを浮かべながら佐和ちゃんに注意をされた。

 確かに言われて気づいたが一理ある。俺も笑いながら「そうだな」とうなずきつつ反省しておく。


 「だから英雄、この回も頼むぞ」

 「おぅ任された」

 そうしていつも通りのやり取りを交わして、俺はマウンドへと走り出した。



 九回の裏、最後の攻防。

 打席へと入るのは七番ピッチャー楠木。

 隆誠大平安の応援歌が流れ始める。その中で俺はいつも通り神経を研ぎ澄ます。

 緊張はしていない。勝利に焦っているわけでもない。俺はいつも通り、落ち着き哲也のサインを待つ。

 あと三つのアウトで甲子園優勝を果たす。全国の頂を望める。そこに何があるのか、俺は何を思うのか。


 怪腕を唸らせて、一球一球投じていく。

 楠木は必死に打ちにきているが、バットは空を切るばかり。

 ミットが音を響かせるたびに球場の緊張は高まっていく。やめてくれ、俺まで緊張するだろうが。


 カウントはワンボールツーストライクとなった。哲也がサインを送る低めへのフォークボール。俺は小さくうなずいて投球動作へと入り、左腕を振るい投じる。

 楠木は打ちに来るがバットは空を切った。

 空振り三振、まだワンアウトだというのにスタンドからは大歓声が起きた。

 まずは一つ目。俺は一度集中を解いてから、再び呼吸を繰り返し再び神経を研ぎ澄ましていく。



 八番バッター加地に代わって代打の西(にし)が打席へと入った。

 だが表情はどこか覇気がない。まるで敗北を覚悟しているかのような弱々しい表情だ。

 勝利を諦めているようなバッターに打たれるつもりはない。だが油断はしない。この打席も俺はいつも通り投げて抑えるまでだ。


 一球、二球と空振りを奪っていく。ストレートは依然140キロ中盤をキープし続けている。 

 ボールもそこまで荒れていない。昨日の疲れがあったはずなのに、今は身体が軽く、いつも以上の状態だ。

 今日のピッチングは俺の人生の中で一番の出来だ。

 甲子園決勝戦という大舞台をこの状態で投げれたのは最高の幸運だろう。いやこれまで重ねた積み重ねの結果か。


 ツーボールツーストライクにしてからの五球目、高めへの釣り球を投じる。

 バッターが打ちに来るが、バットからは鈍い音が響き、打球はショート頭上へと飛んだ。


 「オッケー! 任せろー!」

 恭平の陽気な声が聞こえてすっと集中が解ける。気が抜けるような声を出しやがって……。

 まもなく恭平のグラブにボールが収まり、球場はさらに緊張と興奮が高まる。スタンドからはもう勝利したかのような大歓声が響くが、まだだ。まだゲームは終わっていない。 

 高校野球の歴史において九回ツーアウトから逆転負けしたゲームは数を知れない。現に俺達は九回ツーアウトから逆転勝ちを経験している。

 最後まで気は抜けないし、抜くつもりもない。


 「英雄ぉ! 見たかぁ! 俺のキャッチング!」

 「あー凄い! サンキューな!」

 やけに自慢げに語る恭平に適当に感謝しつつボールを返球してもらう。

 まぁ完全試合のかかた最後の守りなんだ。後ろで守っている奴らのプレッシャーも大きいだろう。その中でしっかりとボールを捕ったんだ。確かに自慢げになってもおかしくないか。


 完全試合……。パーフェクトゲーム……。そうか、俺今パーフェクトゲームを継続中なんだ。

 その状況に気づいたが別段緊張はしなかった。俺、冷静だな。

 自分でも不安になるぐらいに落ち着いていた。むしろ今打席に入った代打の山岡(やまおか)のほうが緊張しているように見える。


 スタンドが大いに沸いている。一度スタンドを見る。

 あそこに沙希や鵡川がいるんだろうか、家族は見に来ているのだろうか、俺を応援したり馬鹿にしたりしていた友人たちもいるのだろうか?

 彼らは今、何を思っているのだろうか? この瞬間を楽しみ、興奮しているなら幸いだ。


 山岡と対峙する。彼がこの夏の大会最後のバッターになるのだろうか? だとしたら少々役者不足だ。もうちょいシャキッとした表情をしてくれ。

 でも仕方がない。俺は俺の持ちうるすべての力をもってあいつをねじ伏せる。


 まず一球目、インコース一杯にストレートを投げ込んだ。

 山岡のバットは動かない。反応できずただただ見送るのみだった。

 息を吐き哲也からの返球を受け取る。空気が張りつめているせいか、呼吸を繰り返しても力が抜けない。思わず深呼吸を一つしてしまった。

 やばいな。俺もちょっと緊張して来たか? いや、こんな事考える余裕あるし、そこまで緊張してないか。


 二球目、今度はアウトロー一杯にストレート。山岡は打ちに来るがバットは空を切った。

 スタンドからは歓声が起きて、空気がさらに張りつめていく。

 あと一つストライクを取れば、それでゲームセットだ。哲也を見る。なんだか哲也が緊張しているように見えた。おいおい、最後のボール取り損ねてパスボールとかするなよ。


 三球目、高めへの釣り球。これに山岡は手を出してくるが打球はファールとなる。

 俺達の一挙手一投足にスタンドが一喜一憂している。

 山岡を見る。落ち着かない様子でバットを構えなおしている。あの状態ではボールが見えていないだろう。


 「ピッチ! あと一つ頼んだぞ!」

 「ってか、もういっちょ俺のところに打たせろ! 俺に勝負を決めさせろぉ!」

 誉と恭平の声が耳に入る。

 二人の声に続くように各ポジションからエールが届いた。その言葉に俺は頬を緩ませた。プレートを踏みしめて相手バッターと対面する。

 本当こいつら最高だわ。


 長かった夏の終わりが近づいている。胸中には終わりまで走り抜けた充足感と、終わってしまうという虚無感が入り混じり複雑な気分になっている。

 だけど、これだけは言える。


 楽しい夏だった。最高の夏だった。


 こう思えるほどに、この夏の激闘は、熱く、楽しく、心を躍らせるものだった。

 秀平、誉、中村っち、恭平、大輔、耕平君、龍ヶ崎、そして哲也。この八人に俺は何度も助けられた。彼らだけじゃない。鉄平をはじめベンチで今応援している奴らにもずっと助けられっぱなしだった。

 彼らがいなかったら、今の俺は存在しないだろう。

 この一つの極致に至れたのは仲間たちのおかげだ。


 「ありがとう、みんな」

 小さな声で感謝を口にした。さぁ最後の一球を決めようじゃないか。

 この夏を締める最後の一球。俺が満足する一球をここに投じる。

 哲也のサインはアウトローに外れるストレート。俺は小さくうなずいた。


 ゆっくりとグラブに左手を入れて、白球を握りしめる。 

 ゾクリ、ゾクリと背筋が震える。

 指先に心臓があるかのように、ドクンドクンと脈打つのを感じる。


 決める。


 哲也がミットを構えた。

 息を吐き、神経を研ぎ澄まし、哲也のミット一点のみに意識を集中させる。

 最高の一球をもってこの夏を締める。


 ゆっくりと腕を振りかぶり、投球動作へと移る。

 一連の動作は一つでもミスはいけない。

 全てパーフェクトなら、自身の最高の一球を放てる。 


 右足が地面を突き刺し、左腕が振るわれる。

 そして指からボールが放たれる。指先に残るのは確かな手応え。

 見える景色が遅くなっていく。

 鵡川良平との対戦でもあった現象だ。

 バッターのスイングが、俺の投げたボールが、哲也の挙動が、世界全てがスローモーションのようにゆっくりと動いていく。


 ゆっくりとゆっくりと動いていく極限まで遅くなった世界で、バットは……空を切った。

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