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怪物は一日にして成らず  作者: ランナー
7章 聖地、怪物立つ
257/324

256話

 六回の裏の隆誠大平安の攻撃を俺はベンチで見ていた。

 マウンドに上がる英雄を見つつも、グラウンドにいる九人の選手たちを一通り見渡した。

 

 「佐和先生、今日の英雄は良い状態ですね」

 「あぁ」

 隣で応援する佐伯先生と私は一言二言やり取りを交わす。

 流れる汗も気にならないぐらいに、俺は英雄のピッチングを見守る。


 「英ちゃん! ファイト! 達也君もファイト! みんな頑張れ!」

 そばでスコアをつけているマネージャーの岡倉も流れる汗を気にも留めず、声を張り上げて選手たちに声援を送る。

 スタンドにいる応援団も今日は一糸乱れぬ応援で選手たちをしっかりと鼓舞している。


 熱戦続いた甲子園も今進行している試合で幕が下りる。

 49の地区から選ばれた各都道府県の代表校はこれまでに47の激闘が行われ、その末に勝ち残り敗れ去り、残ったのは我が山田高校と、対する隆誠大平安高校の二校のみ。


 熱い夏だった。きっと今まで経験してきた夏の中で一番熱かったと思う。

 現役の時の夏の大会よりも熱く、胸を躍らせ、滾らせる大会だった。

 監督として何度も手に汗を握った。何度喜び何度落胆し、何度興奮したか、もう数など覚えていない。でもとにかく熱かった。

 その熱源は今マウンドで躍動する佐倉英雄が主だろう。俺は何度彼のピッチングに喜怒哀楽を示し、興奮しただろうか。


 今日の英雄のピッチングは文句なしに良い。

 状態は決して良くないだろう。昨日の延長十三回の疲れは絶対に残っているはずだ。だがそれを微塵に感じさせないほどに今日の英雄のピッチングは出来上がっている。

 一寸の隙も無く、一ミリたりとも相手バッターを寄せ付けない。


 夏の甲子園決勝戦。

 この後国体こそ待っているが、この試合はある意味で英雄たち三年生のゴールでもある。

 その一つのゴールを前にして、英雄は今本当の怪物へと至ろうとしている。

 そう考えると魂が震え、興奮が体を支配し、自然と体に力が入ってしまう。俺は今、一人の怪物ピッチャーの誕生を見ようとしている。


 マウンドで快投を演じる英雄。

 去年の夏の大会を思い出す。俺の心を震撼させ、こいつを育てたいと思ったあの日。俺はあの日の答えを見ているのかもしれない。

 胸に手を当てる。異常なまでに心臓が速く鼓動を刻んでいる。手のひらは汗でびっしょりだ。まったく見ているだけの俺が緊張しているとはな。投げている当事者は緊張の色なんて一切ないというのにな。


 先頭の七番楠木を空振り三振に打ち取った。

 英雄はまた一つ怪物へと近づいた。あいつはこの夏の甲子園で大きく成長している。

 初戦の城南高校戦でのノーヒットノーラン達成、阪南学園戦での選抜準優勝校という遙かに格上との対決、郁栄学院戦での一試合奪三振記録の更新、弁天紀州戦での八人連続三振、横浜翔星戦での延長十三回完投。

 並みいる強豪とぶつかり、強力な打線と戦うたびに、英雄は力をつけてきた。

 死闘を乗り越え、強打者に勝ち続けてきた英雄は今、一つの究極点に達しようとしている。


 あぁ…考えれば考えるほどに心が滾ってきた。

 俺はこの目に今日の試合の出来事を焼き付ける。きっと俺はこれからの生涯をかけても、英雄を越えるピッチャーを育てる事は叶わないのだろう。だからこそしっかりと焼き付けておかねばならない。



 八番バッターの加地をあっという間に三振に切って落とした。

 これで八人連続三振。英雄が過去に弁天紀州でも出しているが連続三振のタイ記録だ。

 九番バッターの丸岡が打席へと入る。


 「さぁ来い!」

 「ピッチ打たせろぉ!」

 「英雄俺のところにもってこいおらぁ!」

 バックの選手たちが声を張り上げる。未だ英雄はパーフェクトゲームを続けているが、バックの選手たちに緊張の色はない。むしろこっちに打球を打たせろと声をあげている。

 夏の県大会の頃に比べたらかなり成長をしていると実感する。修一や新座辺りは緊張でがちがちだっただろうに。


 甲子園は高校球児を大きく羽ばたかせると、前に高校野球の名将が口にしていたが、まさにその通りだ。

 山田高校の選手たちは英雄に限らず、みな大きく羽ばたいている。

 甲子園大会の開幕前は戦力不十分だし、決勝は難しいだろうと内心思っていたのに、気づけばこの状況だ。

 選手たちが一戦一戦力を高めてくれたのが大きい。

 初めて甲子園に来たが、ここは良い場所だ。



 英雄がここでも躍動する。

 投じるストレートは140キロ後半を連発し、時折150キロを越してスタンドを大いに沸かせる。投じる変化球はどれもしっかりと機能しており、相手バッターを寄せ付けない。


 彼のピッチングを見ていると優勝の二文字がどんどんと大きくなっていく。

 試合はゲームセットが宣告されるまで分からない。だけど今日試合は負ける気がしない。


 甲子園優勝。俺が描いていた夢が果たされる。

 優子(ゆうこ)の顔が浮かんだ。大学時代、一瞬のうちに俺の手元から消え去った最愛の恋人。

 彼女を失い失意のどん底まで俺を救ったのは、この夢だった。

 監督としてこの夢を果たす。それだけを一心に考えて、彼女の死を乗り越えた。

 だから、この夢が果たされたとき、俺はどうなるのだろうか? 俺は新たな目標を、新たな夢を見つけられるのだろうか?

 興奮の合間に不安が垣間見える。

 俺は唇を固く結び、英雄のピッチングを見つめる。


 英雄は未だにマウンドで好投を演じている。

 カウントはすでにツーストライクと追い込んでいる。今日の英雄ならどこに投げ込んでも空振りは取れるだろう。


 優勝への不安はある。目標が達成されたとき、俺は次なにを道標に歩けば良いのか。

 その答えは分からない。分からないけど、今はこの優勝を求めるだけだ。


 英雄が最後の一球を決めた。球審が唸り声のようなストライク宣告を口にした。

 スタンドは大いに沸き、拍手と歓声に包まれる。その中で英雄は喜びを少しだけ見せてこちらへと戻ってくる。

 さて、なんて声をかけようか。少し悩んだが、ここは定番な一言が良い。


 「英雄、ナイスピッチング」

 「どうもっす!」

 いつも通りのやり取りだ。こういう記録達成は意識させないほうが良い。まぁ今日の英雄なら記録を口にしても冷静に対応するだろうがな。

 六回を終えて英雄のパーフェクトゲームは続く。残り3イニング。英雄は甲子園に刻んできた名をさらに深く刻み込めるのだろうか。



 六回を終えてグラウンド整備がおこなわれる。

 その間にこれからの作戦会議をするのだが、今日は軽めに選手たちを鼓舞する程度に収めておく。今日の試合は監督の俺がぐちぐちいうよりも選手に任せたほうが良い結果を残すはずだ。

 というより、楠木に関して攻略する手立てはまったくない。どれをとっても完璧すぎて攻略方法なんて地道に球数を稼いでスタミナ切れを狙うしか他ならない。だがそんな事、俺が言わなくても選手たちは分かっているはずだ。


 楠木将成、確かにあいつは大会ナンバー1ピッチャーという称号がふさわしいだろう。

 もしこの夏、俺達が甲子園に出ていなければ、春夏連覇を果たしていたかもしれない。

 むしろ今日、なんで俺達が今2点もリードしているのか。それが不思議でならない。


 「大輔! この打席も頼むぞ!」

 「任せろ!」

 選手たちが笑顔でやり取りを交わす。

 その中の一人、三村大輔へと視線を向けた。


 英雄一人ではこの決勝まで進むことは無理だっただろう。大輔がいたからこそ、俺達はここまでこれた。

 人外レベルのパワーと、類まれな野球センス。英雄が投の怪物ならば、大輔は打の怪物だ。

 まさか同学年に怪物が二人もいるとはな。しかもそいつらがとても仲がいい。一体、野球の神様は何を期待して、こんな巡り合わせをしたのだろうか。


 グラウンド整備が終わり、打席へと向かう大輔。

 今日の試合、隆誠大平安の楠木からヒットを打っているのはあいつと龍ヶ崎だけ。

 それだけにこの打席も期待してしまう。


 右打席に入りバットを構える大輔の背中。これまで何度彼に救われただろうか。何度彼のバッティングに度肝を抜かれ、呆れ笑いを浮かべただろうか。

 彼もまた甲子園で大きく成長した。郁栄学院での四打席連続ホームランはさすがの俺も想定の範囲外で脳みそが一瞬おかしくなったのではないかと思ったほどだ。

 そんな彼は今日、大会六本目のホームランを放ち、その名前を未来永劫高校野球の歴史に刻み込んだ。これが彼の一つの終着点なのだろうか、それともまだ先に行こうとしているのか。

 大輔が打席に入るだけで、俺の心はウキウキと躍る。あいつが見せるバッティングに注目をせざるを得ない。


 楠木から投じられる初球。大きく曲がるカーブに大輔は迷わず打ち抜いた。

 目を覚ますような強烈な一撃が三遊間を切り裂いた。電光石火の当たりとなってレフト前へと転がっていく。

 ショートもサードもまったく反応できていなかった。相変わらずのバッティングだ。


 さてノーアウト一塁。打席には英雄が入る。

 ここはフリーに打たせよう。2点取っているし、今日の英雄が1点でも取られる感じがしない。下手に作戦を出すよりかは選手を好きに打たせたほうが個人的に良いと判断した。

 結局、英雄は三振、続く六番中村はレフトフライ、七番秀平もライトフライに倒れて後続が出ず、この回も無得点で終わる。


 だがチームの雰囲気は悪くない。むしろ回を増す事に勢いが出てきている。

 山田高校が歴史に名を刻む瞬間が、刻一刻と近づいている。

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