254話
三回の表の山田高校の攻撃は三者凡退に終わった。
誉はサードゴロ、恭平は三振、耕平君はセカンドゴロといった具合だ。
一方で三回の裏の隆誠大平安の攻撃。
この回の先頭は七番の楠木だったが、さっそく三振に打ち取った。
確かに隆誠大平安の打線は決勝戦に駒を進めているだけあり、どのバッターもスイングに迷いがなく、一球でも油断をすれば痛打されてもおかしくないバッターだ。
だが、これまで戦ってきたチームよりかははるかに劣る。
城南、阪南学園、郁栄学院、弁天学園紀州、横浜翔星。これまで戦ってきたチームはどこも優れた打線を有していた。だからだろうか、隆誠大平安の打線が霞んで見える。
今打席で構える八番バッターの加地。お前なんかより凄いバッターはたくさんいた。お前のバッティングは横浜翔星の控えバッターにも劣る。
そんなバッターに打たれる気は全くない。
左腕が唸り、加地を三球三振に仕留めた。
ツーアウト。打席には九番の丸岡が入る。このバッターも覇気が感じられない。この回もノーヒットでマウンドを下りられそうだ。
丸岡はボールを打ち上げた。打球は俺の頭上へと飛びあがった。
「オッケー!」
声を張り上げながら両手を大きく広げた。
もうまもなく落ちてきたボールをグラブで掴み、スリーアウトだ。
マウンドからベンチへと戻り、帽子を脱いで汗をぬぐう。
「ナイスピッチ英雄。良い感じじゃないか」
佐和ちゃんが不敵に笑いながら俺のピッチング内容を褒める。
「どうもです」
「今日は状態も悪くないし、隆誠大平安の打線もそこまでだ。完全試合狙ってみるか?」
どこか楽しげに聞いてくる佐和ちゃんの声にタオルで汗をぬぐう手が止まった。
完全試合、パーフェクトゲーム。その名の通りヒット、四死球、エラー、ありとあらゆる手段での出塁を許すことなく、27人のバッターで終わらせる最高の投球内容だ。
選抜甲子園では過去に二度、その快挙を成し遂げている者がいるが、夏の甲子園では未だこの高みに至った者はいない。
だが、今の俺にはこんな記録は興味はなかった。
「狙うつもりはないです。完全試合をしても1失点完投をしても、勝ちは勝ちですから」
佐和ちゃんの顔を見ながら笑顔で答える。
昨日の試合があったせいか、それとも今日は疲れがたまっているからか、自分でも驚くほどに無欲だ。今日は調子は良いが、正直完全試合できるとは思えない。
「そうか」
そういって嬉しそうに笑う佐和ちゃん。
「英雄、やっと貫禄が出てきたな」
そして一言、佐和ちゃんは俺を褒めた。
その言葉に俺は返答することなく、一言微笑みを浮かべるだけにとどまった。まだだよ佐和ちゃん、俺はまだ、怪物の域には至っていない。
大輔という怪物に並ぶまでは、俺は自分を怪物だとは認められない。楠木という怪物に投げ勝つまでは、自分を怪物だと口になんてできない。
前に自分を怪物だと口にすることはあったが、この甲子園で俺はそんな域には至ってないと思い知らされた。何度も俺は仲間に助けられてきた。これじゃあ好投手だと自称しても怪物と自称にするにはいかない。
俺はまだまだ。まだ怪物にはなっていない。
「…怪物は一日にして成らず」
まだこの言葉は俺の胸に刻まれ続けている。
この言葉を言わなくなるのはいつになるのだろうか? きっとその時俺は、野球界の怪物だと胸を張って言えるのだろう。
四回の表の山田高校の攻撃は、龍ヶ崎のライトフライから始まった。
ワンアウトから打席に入るのは大輔。楠木と二打席目の対決だ。
先ほどのホームランも大輔のバッティングには注目が集まる中で、この打席でも大輔は結果を残してきた。
初球、投じられた変化球に上手く対応する。
打ち抜かれた打球はセカンドの頭上を越してライト前へと転がっていく。鮮やかなライト前ヒットにスタンドからは拍手が起きる。
二打席連続ヒットに楠木も苦い表情。
あんなボールをさも簡単に当てられては、楠木も投げるところが無いだろう。
「まったく凄すぎるんだよあいつは」
打席へと近づきながら、俺はぼやいた。
あいつがいるせいで、俺はいつまでたっても立ち止まれない。まだ先にゴールがあるのだと思い知らされる。
さて、俺と楠木の二度目の対決だ。
先ほどのようにはいかない。バッティングは本職ではないが一矢報いてやらねば…。
そう思っていたがあっという間に追い込まれて、最後はストレートを打てず空振り三振に終わった。
うん、ダメだ。今日はピッチングに専念しよう。なんだよ大輔、なんでこんなスゲェボールを簡単に打てるんだ?
マウンド上の楠木は俺を三振に打ち取っても不満足な様子。やはり大輔を抑えきれていないのが納得いかないのだろう。
続く中村っちをショートフライに打ち取りあっという間にスリーアウト。山田高校はこの回も無得点で終わった。
四回の裏、隆誠大平安の攻撃。こちらもこの回から二回り目に突入する。
そして早速一番バッターの大河原が打席へと入った。
二回り目に突入したし、この回からさらに厳しく正確なピッチングが要求される。力だけで押すようなピッチングだけでは抑えきれないだろう。
疲れはあるが、未だボールは走っている。体も投げれないほどに重いわけではない。大丈夫、まだ十分に投げれる。
左腕をうならせてストライクゾーンへとボールを投げ込んでいく。
大河原にバットは振らせない。厳しく力のあるボールを投げ込んでいき、ツーボールツーストライクからの五球目、スライダーで空振りを奪った。
まず一個目のアウトだ。だが油断はできない。
続く二番の柿本は粘ってくる。
ストレート、スライダー、カットボール、チェンジアップと上手くボールをカットする。
上手いバッティングだ。どんなボールにも当ててくるのもさすがと言わざるを得ない。だが、粘られるとさすがに鬱陶しい。
カウントはツーボールツーストライク。哲也のサインはフォークボール。俺は小さくうなずいた。
両腕を振り上げ投球動作へと移る。これで見送られたら最悪歩かせても良い。今日の試合は無理をしない。そうして左腕を振るい、六球目を投じた。
低めへと向かうボール。柿本が打ちに来た。打たせはしない。バットを避けるようにストンと落ちるフォークボール。柿本のバットが空を切った。
空振り三振。二者連続の三振に俺はホッと安堵の息を吐いた。
よしよしエンジンがかかってきた。テンポも出てきたし、良い波に乗ってきた。
三番バッターの梅垣が打席へと入った。
油断できない相手が続く。気を引き締め治してプレートを踏みしめた。息を吐き一点を睨む。体から自然と余分な力が抜けていく。そうして動かされているかのように体は無意識のうちに投球動作へと移った。
何一つ余分な動きはなく、研ぎ澄まされた投球フォームから、洗練された一球を投げ放つ。
インコース一杯に決まるストレート。
梅垣のバットは出てこない。いや出す事ができなかったというべきか。
体は無意識のうちに動いてく。この感覚は初めてだ。忘れちゃいけない。しっかりと覚えておくべき感覚。この感覚は間違いなく怪物という一つの極致に達する糸口だ。
三球三振。最後は低めに決まるスライダーで空振りを奪った。
打席で悔しげに顔を歪ませてからベンチへと駆け足で戻っていく梅垣。その様子を一瞥してから俺はベンチへと走っていく。
足取りは心なしか初回に比べて軽く感じる。疲れで重く感じていた体はなんだか軽くなっている気がする。気のせいなのか、それともランナーズハイのような状態に陥っているのかは分からない。
でも、この状態が続けられれば、今日の試合は勝てる…!
「英雄、ナイスピッチ」
「あざっす!」
ベンチに戻り佐和ちゃんからのお褒めの言葉に帽子を脱いで一礼しておく。
「今日の感覚は忘れるなよ」
「はい!」
俺が思っていたことを佐和ちゃんに言われた。
やはり今日の感覚はしっかりと体に刻み込んでおこう。これがきっと怪物と呼ばれる程のピッチャーに到達する道のりの一つなのだろうから。
試合は気づけばすでに五回の表に突入していた。
両者ともにランナーが出ていないから試合の進みが早く感じる。
楠木は依然好投を続け、俺達山田高校打線に立ちはだかる。
七番秀平はさっそく空振り三振に終わった。
八番哲也が打席に入っているが、あの様子じゃあいつも打てないだろう。
「大輔先輩、楠木さんのボールどうやって打ったんですか?」
「簡単に説明すると楠木がボワッとなったらストレートが来るから、それを意識しつつグッと行くわけだ」
「…大輔先輩、ボケで言ってるわけないですよね?」
秀平と大輔のやり取りを盗み聞きする。
呆れるな秀平、大輔は説明下手ではなくマジでそう思ってる可能性が高い。感覚で野球をやっているというよりかは、人と感覚がズレているんだ。今の言葉も大輔の中ではきっと一つの理論として成り立っているのだろう。
「大輔! こういう時はお前の好きな食い物で説明すべきだ!」
「そうだな。変化球投げる時の楠木がチーズバーガーだとすると、ストレート投げる時の楠木はダブルチーズバーガーって感じだな」
「すいません…ボケじゃないんですよね?」
そんな秀平と大輔に割って入るように恭平がアホな提案をしている。
そうして案の定アホみたいな解答をする大輔。それに困惑する秀平。
呆れ笑いが出てくる。マジでこれコントでやってるわけじゃねぇよな。
チームの雰囲気は悪くない。いやむしろ良い状態だ。
大輔も恭平もいつも通りのテンションだし、それがチーム全体に伝わって、チーム雰囲気もどこか和やかで程よい緊張感もあるいつも通りの状態だ。
決勝戦だからとか、これで最後の試合だとか、そういう空気はない。
こういう空気感だから、俺も気持ちよく投げれているのかもしれないな。
この回、結局哲也がショートフライ、九番誉がセカンドゴロに終わり無得点。
でもチームの雰囲気は良い状態のまま、五回の裏へと突入する。




