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怪物は一日にして成らず  作者: ランナー
7章 聖地、怪物立つ
252/324

251話

 決戦の朝、俺はいつもより早く目を覚ました。

 緊張からなのか、疲れからなのか分からないが、あまり眠れず、若干睡眠不足の感じが否めない。

 身体は重い。やはり昨日の横浜翔星との延長十三回の攻防が大きかったか。


 上体を起き上がらせて、背伸びをする。

 背中から小気味の良い「パキパキ」という音を聞きながら、眠気をかき消していく。


 「おはよう、英雄」

 隣のベッドで資料を片手に哲也が挨拶をしてきた。

 手に持っている資料は、隆誠大平安のデータがまとめられた奴か。


 「おはよう、早いな」

 「そっちこそ」

 ベッドから起き上がり、冷蔵庫の中からペットボトルを取り出して喉を潤す。

 体はまだ重いが、軽く走ってくるか。


 「ちょっと走ってくる」

 「うん、気をつけて」

 哲也に一言伝えて、俺は部屋を後にした。



 ホテルの外へと出た。外は夜が明けたばかりで、澄んだ冷気が、肺を浄化させていく。

 昼間はあんなに騒がしい町並みも、今は静かで近くの駅に到着する電車の音だけが耳に入る。

 大きく深呼吸。冷気が体中を駆け巡り清らかになっていく気分だ。

 決戦の朝。泣こうが笑おうが、今日で決まる。

 まだ実感は沸かないが、数時間後には試合が始まり、さらにその数時間後には結果が出る。優勝が決まるその瞬間、俺は泣いているのか笑っているのか、一体、どうなるのだろうか。


 ふとホテルの出入口となっている自動ドアが開く音が聞こえて振り返る。


 「おぉ英雄か」

 そこには大輔が立っていた。


 「おはよう」

 「おぉおはよう」

 一言挨拶を交わす。

 彼の手には素振り用のバット。これから素振りに行くらしい。


 「英雄も朝練か」

 「そんなところだ。そっちも?」

 「もちろん」

 短いやり取りを交わしながら、一緒に歩いていく。

 向かった先は宿舎としているビジネスホテルから徒歩10分ほどの河川敷。

 そうして何気なく、大輔の素振りを見つめる。 

 相変わらずの荒々しいスイングだ。このスイングも、もう後数える程度しか見れないと思うと、神々しくすら思えた。


 「さっきから俺の素振りを見て、どうした英雄?」

 素振りをしながら大輔は、俺に声をかける。

 思わず返答がワンテンポ遅れる。我に返る時間があったせいだ。


 「いいや。いつも通りえげつないスイングだなって、思っただけさ」

 「そうか、自分ではいつもよりも気合を入れてるつもりだったんだがな」

 落ち着いた口調で淡々と話す大輔。

 一振りした所で、大輔は素振りをする手を止め、ゆっくりと俺と向き合う。


 「昨日、恭平に言った事覚えてるか?」

 大輔の額、流れる汗が、朝の光に当たり反射をしている。

 青春の結晶とでも言って誰かが喜びそう光だ。高校野球を愛し、尊び、感動する人たちが見ればさぞや涙がこぼれそうなほど綺麗なんだろう。


 「あぁもちろん」

 「あの時俺は、どんな結末でも最後は笑顔で締めようと言った。だけど今日の試合。負けたら一生後悔すると思う。だから今日はなんとしても勝ちたい。英雄、頼む」

 大輔がゆっくりと頭を下げた。

 思わず噴き出してしまう。その俺の態度に不機嫌な顔で見てくる大輔。だって、こいつの言っている事が当たり前すぎて笑ってしまったんだったんだ。俺は悪くない。


 「負けたら一生後悔するなんて当たり前だろう。それに大輔に頼まれなくても、俺は最初から勝つ事しか考えてねーよ」

 緩んだ顔のままで俺は大輔へと言う。

 大輔は一度微笑むと「あぁ…そうだな」と力強く呟いたのだった。


 「むしろ俺から頼むぜ大輔。今日の試合、一本打ってくれよ」

 一本ホームランを打てば、大輔は大会本塁打の記録更新だ。

 もうすでに四打席連続ホームランという前人未到の偉業を果たしているが、せっかくならば誰もが大輔という化け物に畏怖し、立ち向かおうとすら思わないレベルの偉業を打ち立てて欲しい。


 「分かった。任せろ」

 そういって冗談ぽく笑う大輔だが、こいつが言うと本当にホームラン打ちそうで頼もしい。

 頼むぜ四番。結局のところ、山田高校はお前頼みだからな。



 朝食前にはホテルへと戻り、最後のホテルでの朝食を食べる。

 これまで二十日以上、毎日美味しい朝食を作ってくれたホテルの人達に感謝をしつつ、がっつりと食べる。

 決戦前だが選手たちに緊張の色は見られない。いつも通りの朝がここにあった。


 食後、いつもの練習場へと向かう前にミーティングルームを借りて、隆誠大平安の情報を共有する。

 隆誠大平安は京都の野球名門校だ。春夏合わせて70回を越す甲子園出場回数は全国最多の記録だ。夏の甲子園初出場が中等学校大会時代だというのだから時代を感じる。

 春の甲子園優勝はこれまで無かったが、今年の選抜で無事初優勝を飾った。まさしく高校野球における生き字引きともいえる。

 そんな実績を誇る学校でまず一番最初に警戒すべきはエースの楠木。おそらくこれまで戦ってきたピッチャーの中で一番の難敵だろう。


 「昨日の日帝大三との試合で楠木は完投しているが、今日の試合間違いなく先発するだろう。攻略は難しいかもしれないが、頑張って攻略してほしい」

 隆誠大平安は楠木以外まともなピッチャーがいない。

 選抜優勝を果たしているが、総合戦力ならばこれまで戦った横浜翔星や阪南学園のほうが強い。

 打線に関しても、横浜翔星や阪南学園、弁天学園紀州のほうが選手がそろっている。投げる分にはこれまでの相手よりかは楽だろう。


 「ただし、打線で警戒すべきバッターが一人いる。奈川英雄だ」

 そう佐和ちゃんは言った。

 奈川英雄。この夏一年生ながら隆誠大平安高校の四番を任された男。

 そのうえで、これまでの試合で結果を残し続けている。すでに2本のホームランを打っており、この記録は一年生の一大会本塁打記録に並ぶ偉業だ。

 一年生だからと油断すべき相手ではないだろう。


 「園田や吉井、中村に比べれば劣るが、それでも甘く見てれば痛い目を見る。英雄、哲也、決して油断はするなよ」

 「はい!」「もちろん」

 俺と哲也が返事を返した。

 一年生だろうと容赦はしない。むしろ高校野球の厳しさというのを教えてやる。


 奈川以外のバッターは大した事が無い。

 しかし選抜優勝を果たしているだけあり、小技が光る選手が多い。連携もすぐれており、スモールボールという野球スタイルが一番しっくりくるチームだ。

 楠木が最少失点に抑え、野手陣が最少得点で勝利をものにする。地味ながらも堅実なチームともいえる。 



 情報を共有した後は、いつもの練習場へと向かい。そこで軽く練習を行う。

 俺も試合前最後の投げ込みを済ませる。

 弁天学園紀州からの疲れは蓄積し体は重い。今日ばかりは良い球を投げれないと思ったが、いざ投じてみれば、予想以上に良いストレートを投じれた。


 「悪くないな」

 「ですね」

 ボールの状態を一緒に確認していた佐和ちゃんも納得のピッチングが出来ている。

 哲也も「ナイスボール!」と元気な声でほめてくれている。

 今日の試合、楠木がマウンドにいる以上投手戦になるはずだから、ボールの状態が酷かったら困っていたので、良いボールを投げれてとりあえず安心だ。


 体は疲れ切っているが、気持ちがまだ折れていない。

 ボールに力があるのもきっと気持ちのおかげだろう。

 結局最後は根性になってしまうのが、なんだか悔しい。もっとスマートに優勝を果たしたかったものだ。


 この夏、最後の試合に向けてそれぞれが最後の調整をこなす。

 やっていることはバラバラだが、気持ちは一つになっている事だろう。

 空を見上げる。本日も滲むほどの青空で、太陽の熱がじりじりと肌を焼く。まごうことなき夏空だ。今日もあつくなりそうだ。



 練習を終えて、グラウンド整備も終える。

 そうしてこっちに来てから最後のグラウンドへの一礼を終えて、俺達はバスへと乗り込んだ。

 バスの車内では全員が口を閉じ、決戦の地甲子園球場へと向かう。緊張からくる無言なのか、これで終わってしまう悲しさから来る無言なのかは、俺にはわからない。

 俺としてみたら、どんな試合でも和やかなムードで臨みたいのだがな。

 ふと後ろの座席からいびきが聞こえた。後ろには大輔と恭平がいる。腰を浮かせて後ろの様子を見る。いびきの主は大輔だ。大口開けて寝てやがる。


 「緊張感の欠片もない奴だな」

 恭平が珍しくまともな事を言っている。お前、こんな真面目な事いうキャラじゃねーだろ。

 しかも手には朝のミーティングで手渡された相手チームの情報が書かれた資料。お前はもうちょい緊張感をなくせ。そっちのほうがお前らしい。


 「恭平、この試合終わって地元に帰ったら何したい?」

 「はぁ? 決まってんだろ! 厳選したエロビデオを見る!」

 心底真面目な顔をして恭平が答える。良かった、さすがにそこだけはブレてないな。すっげぇ安心した。


 「英雄のほうこそ何やるんだ? あぁ、ナニ…だったな!」

 そういって笑顔を浮かべる恭平。

 なんだその意味ありげな言い方は。言っとくが俺は帰ったらまず家の風呂で長湯しながら帰ってきたと実感するつもりだ。


 「まぁ何にせよ。とりあえず今日の試合頑張ろうぜ!」

 そうして大真面目な事を口にする恭平。

 その言葉には俺も笑みを浮かべながら「あぁ!」と答える。



 甲子園球場へと到着した。

 バスの中からでも感じる外の雰囲気。カーテンの隙間から外の様子を確認する。昨日以上にファンが詰めかけており、凄く黄色い声援が飛び交う予感。

 案の定、佐和ちゃんが出ると同時に、ドッと外が沸いた。


 「気づけば僕たちもスターだね」

 そう言ってどこか嬉しそうに笑う哲也。

 この夏、全国を騒がした俺達。俺のノーヒットノーランから始まり、名だたる強豪を破り続けた俺達は、今日もまた山田高校が起こすミラクルを期待されている。

 戦後の高校野球において、春夏通じて初の甲子園で優勝を果たした学校は、夏の大会だとこれまで3校しかない。最後の優勝校も30年ほど前の出来事。

 もし今日俺達が優勝を決めれば30年ぶりの快挙となり、史上4校目の記録となる。


 今日は隆誠大平安と山田、どちらが優勝しても甲子園の歴史にその名前を刻むことになる。

 春夏連覇か、春夏通じて初出場初優勝か。


 バスを降りて通用口までの道を歩く。

 相変わらず両方からファンの黄色い声援が飛んで騒がしい。



 選手通用口を通り、決戦の地へと出た。

 相変わらず通用口から出たところに広がる甲子園球場は美しい。

 空には雄大な雲と青空が広がり、夏を実感させる。

 アルプススタンドには大勢の観客が訪れている。今日も満員御礼は確実。今大会はすでに歴代観客動員数一位の記録を塗り替えている。それだけ今年の高校野球は誰もが注目をするほどにレベルの高い選手が豊富だったという事だ。


 最後の甲子園球場にてアップを始める。

 今日の俺達は三塁側ベンチを陣取り、レフトでしっかりと準備をこなす。

 先攻は我が校で、後攻が隆誠大平安。先取点をとって相手の出鼻をくじきたいところだな。

 打順は特に変更はない。

 一番ショート恭平、二番センター耕平君、三番ライト龍ヶ崎、四番レフト大輔、五番ピッチャー俺、六番サード中村っち、七番ファースト秀平、八番キャッチャー哲也、九番セカンド誉。

 これまで勝ちづけたオーダーで最後の戦いに挑む。


 一方、相手チームのオーダーもこれまでと変更はない。

 四番は奈川だし、先発ピッチャーも楠木だ。あちらも全力のメンバーで優勝を狙いに来ている。



 両者の試合前のノックもあっという間に終わり、試合前の準備はすべて完了した。

 三塁側ベンチ前に並ぶ俺達。決勝戦がもうまもなく始まろうとしている。


 凍り付いていくように、どんどんと球場内の空気が張り詰めていく。まるで心臓すら凍りついたように息苦しい。

 最高の緊張感だ。気分が高揚していく。俺が今まで味わったことのない緊張感。誰もが息をのみ、試合開始を待ち望む。

 わずかな間の沈黙。これが高校野球の頂点を決める決戦前の空気。

 最高だ。最高すぎる。俺達はたった二校しか味わえない空気を吸っているんだ。興奮のあまり体が震えてきた。これは間違いなく武者震いという奴だろう。

 グラウンドを挟んで、一塁側ベンチ前に整列する隆誠大平安の選手たち。俺達よりも幾分落ち着いているように見える。全国の頂を春に見た事があるだけあって、そこまで緊張していないようだ。

 審判団がグラウンドに姿を現した。緊張感は最高潮に達し、今にもこの空気に切り裂かれそうだ。


 「集合!!」

 「行くぞォ!」「しゃあ!!」

 「行くぞ!」「おぉ!!」

 球審の力強い声が甲子園のグラウンドに響き、そして続くように両軍のキャプテンの声がグラウンドに響き、最後にキャプテンに呼応するように発せられた選手達の掛け声が、球場にこだまする。

 スタンドから拍手が起きる中、俺達は走り出す。


 全国高等学校野球選手権大会決勝戦。

 山田高校と隆誠大平安高校の試合が始まった。

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