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怪物は一日にして成らず  作者: ランナー
7章 聖地、怪物立つ
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249話

 宿舎に帰って、最初にやった事はシャワーを浴びた事だ。

 そうしてシャワーを浴びた後は、夕飯を食って、佐伯っちにマッサージをしてもらう。

 その合間に佐和ちゃんと軽く会話をする。


 「英雄、明日の試合行けるか?」

 「俺が登板しなくても勝てるんですか?」

 「…明日の試合も任せた」

 少し悩んだ後、佐和ちゃん告げた。

 悩むことでもないだろうに。楠木と投げ合えるピッチャーはうちには俺しかいない。


 「お任せください」

 「無理はするなと言いたいところだが、明日の試合はそうもいかないだろう」

 そういって佐和ちゃんは資料の一つに視線を落とした。


 「楠木将成。選抜でノーヒットノーラン達成して優勝ピッチャー。大会前のプロのスカウトの評判では今大会ナンバー1のピッチャー。そのピッチングの完成度の高さから、10年に1人の逸材と騒がれているとか」

 佐和ちゃんが見ている資料は楠木の情報か。

 聞けば聞くほどに楠木の評判の高さに呆れ笑いが出てしまう。

 そうして佐和ちゃんが次に情報を口にする前に、俺が楠木の情報を口にしていく。


 「最速は149キロ、変化球はスライダー、カーブ、フォーク。どの変化球も一級品で、もちろんストレートも高い評価を受けてる。スカウトは右の本格派で即戦力候補ってのがもっぱらの評判らしいね」

 「なんだ詳しいなお前」

 「そりゃあ…」

 大会が始まる前から一番敵視していた相手だ。調べていないほうがおかしい。

 奴の情報を知るほど、奴と投げ合えるのは俺しかいないと思ってしまう。 

 楠木は間違いなく今大会ナンバー1ピッチャーだろう。

 佐伯っちのマッサージが程よく気持ちが良い。眠気が伴い、うとうとと意識がもうろうとしてきた。


 「プロ野球球団の間では一位指名は楠木か園田かのどっちかに別れているという噂だ。それぐらいの実力者だ」

 佐和ちゃんの声がどんどんと遠ざかっていく。

 ゆっくりと俺は睡魔に飲まれていった。



 短い夢を見た。

 小学生の頃、リトルリーグの全国大会の決勝戦。

 俺や哲也が所属する山田リトルと、楠木が所属する滋賀湖北リトルの試合。

 今でも思い出すだけで腹が煮えくり返る。楠木の圧倒的なピッチングの前に抑え込まれる俺達。お互い1点すら譲らない接戦だったが、あの試合は終始俺達が押さえれていた。

 結局試合は、最終回に出た相手チームのエラーから1点をなんとかもぎ取った俺達が勝利し優勝を果たした。

 全国制覇の栄光に喜ぶ選手たちの中で、俺だけは素直に喜べなかった。

 俺はあの日、楠木に投げ負けていた。試合には勝ったが勝負には負けたとはまさにこの事を言うのだろう。

 小さい頃から才能を発揮して、常に一番だった俺が生まれて初めてこいつには勝てないと思わされた相手。結局のところ、俺が軟式野球のほうに逃げたのも楠木の存在が大きい。

 それぐらい、当時の楠木は年不相応のピッチングをしていた。そう、あれは怪物だ。その言葉が一番しっくりくる。

 …そうか、俺が自分のことを怪物と本心から口にできないのはこれが原因か。

 俺は俺以上の凄いピッチャーを知っていて、そいつこそが怪物だと思ってるから、俺は自分のことを怪物と認められない。


 ぼんやりとした夢はシーンが切り替わった。

 浮かぶのは山田高校の校舎とグラウンド。グラウンドの端っこに生えた一本のソメイヨシノの木の下。そばに立つ佐和ちゃんの姿。


 ――お前の今日からの座右の銘は「怪物は一日にして成らず」でどうだい?


 ふざけた面をしてふざけた言葉を放つ佐和ちゃんの姿が浮かんだ。

 あぁ、あの日も今日みたいに暑い夏だったな…。



 「…お。…ひ…お。ひでお!」

 ぼんやりと意識が覚醒していく。ペシペシと頬を叩かれている。

 ぼやけた視界が佐和ちゃんの顔を捉えた。


 「グッドモーニング佐和ちゃん…」

 「寝るなら自室に戻れ。佐伯先生のマッサージはもう終わってる」

 「えぇ…」

 体がだるい。部位全てが重く感じて一動作するだけでもしんどい。

 ゆっくりと上体を起こし、時刻を確認する。20時を過ぎている。もうこんな時間か。

 佐和ちゃんは資料を読み、佐伯っちもベッドの上で本を読んでいる。


 「分かりました。グッドナイト佐和ちゃん、佐伯っち」

 「おぅおやすみ」「あぁ、おやすみ。明日も頼むぞ」

 「はぁい」

 二人の挨拶に間延びした声で返事をして、俺は佐和ちゃんと佐伯っちの部屋を後にする



 眠気と疲れでフラフラだ。だが何とか自室まで戻りノックをする。

 まもなく哲也の声が聞こえてドアが開いた。


 「おかえり英雄。遅かったね」

 「あぁちょっとあっちの部屋で寝てた」

 「そっか、お疲れ様」

 「おぉ」

 短いやり取りをかわしながら部屋へと入る。

 っと部屋の向こうから聞きなれた笑い声が。

 なんだ、あいつら来ているのか。


 「おぉ英雄! やっと来たか!」

 「おせぇぞ英雄! 枕営業でもしてたのか!」

 最初に迎え入れてくれたのは大輔と恭平だった。

 続いて迎え入れてくれたのは誉と鉄平と中村っち、珍しく龍ヶ崎と岡倉も来ていた。


 「いや、多すぎだろ」

 思わず笑ってしまった。三年生全員集合とは恐れ入った。

 普段ならこんな一同を介する事なんてめったにないのにな。


 「明日でとりあえず最後の試合だからな。最後ぐらいはみんなで分かち合おうってなってな」

 大輔がコンビニの惣菜パンを片手に説明をする。

 …最後、そっか。明日で夏の大会は最後なんだよな。

 国体が九月に控えているが、それでもやっぱり明日の試合が一区切りになるのは間違いない。時刻も八時だし、全員集合しててもおかしくないか。


 「英雄、めっちゃ疲れた顔してるけど、明日は大丈夫なんか?」

 「もちのろんだ。うちには頼りになるバックがいるからな。明日も頼むぜみんな」

 そういって選手たちを見渡していく。 

 大輔、恭平、誉、中村っち、龍ヶ崎、あと控えの鉄平とマネ―ジャーの岡倉、そして哲也。

 俺の言葉に連中はどこか照れ臭そうにして、そうしてしんみりとした空気が流れた。


 「明日で終わりか」

 「まぁ国体もあるけどな」

 中村っちと誉のやり取りを耳にしつつ、俺は自分のベッドに腰を下ろした。

 テレビからは何気ないバラエティー番組が流れ、それぞれの雑談は心地よい音となって、俺の心を穏やかにさせた。


 「英雄…今までありがとな」

 っと、恭平のクソ真面目な声が聞こえて一同黙った。

 視線が恭平へと集まる。…いかん、恭平があまりにクソ真面目な口調で話し始めたから固まってしまった。


 「英雄が、俺を導いてくれなかったら、俺はこんな最高の仲間たちとも会えなかったし、こんな最高な経験も出来なかった。俺は今、最高に楽しい。最高にこの時間が楽しいんだ」

 なんか真面目な口調で恭平が感謝してきてるが、ごめん、笑っちゃう。ダメだ。恭平が真面目な顔して真面目な事話してるだけ面白い。

 現に周りの奴らもみんな笑いに堪えて肩をプルプルと震わせている。あの龍ヶ崎も珍しく見るからに笑いをこらえている。


 「でも、ありがとうとはまだ言わない。明日の試合が残ってるからな。この言葉は明日の為に取っておくよ。英雄、明日も頑張ろうぜ」

 そう言ってしたり顔を浮かべて右手の親指を立てる恭平。

 やばい、そろそろ限界だ。もう噴き出すわこれ。


 「アイアムドリーマー、俺は英雄を信じるぜ」

 英文を混ぜれば格好いいと思ったのだろうが、まるで意味が分からない。

 その言葉と恭平のしたり顔に我慢できなくなったのか、ついに大輔が「ぶっ」と噴き出し、誉も笑いながら近くにあった枕を手に取って、そのまま恭平の顔面に投げつけて大笑いをする。

 これを皮切りに一同笑いだした。


 「なにをしやがる! 俺がせっかく超格好いい素敵台詞を語ってたのに! 邪魔するな誉!」

 「うるせぇ! お前じゃそんな言葉合わねーよ」

 そういって笑う誉。しばらくはいつものような談笑が続く。

 ふざけて笑いあう、何気なくも尊い日々の欠片。

 決戦前夜はこうして経過していく。

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