247話
「アウトォ!」
球審は右手を力強く上げて、声を張り上げた。
山田高校の応援団から歓声が沸き起こる。その様子を見て俺は息を吐いた。
なんとか抑えた。これでスリーアウト。俺はふらふらになりながらマウンドを下りる。
ベンチに戻り、大輔から渡された紙コップに入ったスポーツ飲料を一気に飲み干す。
そうしてこの回の先頭バッターが四番の石村から始まる事に気づきバッティングの準備をする。
「英雄」
「なんですか?」
準備をしていると、佐和ちゃんに声をかけられた。
佐和ちゃんのほうを応対をするだけでもしんどい。かなり疲労がたまってるな。
「無理すんなよ」
「もちろん、無理はしないですよ」
嘘をついた。きっと佐和ちゃんも嘘だと見抜いているだろう。だが何も言ってこない。
ここからはもう意地と執念だ。ここまで追いつめられたんだ。俺もおいそれと簡単に負けるわけにはいかない。
絶対にこの試合には勝つ。絶対に俺は最後までマウンドに居座ってやる。今日の試合だけは絶対に負けたくない。
十三回の表の山田高校の攻撃が始まった。
石村の打席を見ながら、俺は呼吸を整えていた。
マウンド上の岩成はこの回も力投を演じる。石村はあっという間に追い込まれ、最後はサードゴロに倒れた。
ワンアウトとなり、打席に向かうのは俺。
左打席に入り、ゆっくりとバットを構える。
マウンド上の岩成を睨みつける。
まずは初球はストレートがアウトコースに決まった。
二年生だが良いボールを投げる。これなら横浜翔星は来年の春夏にまた甲子園に来るだろう。
だが岩成、お前はまだまだだ。どこかピッチングがあっさりとしていて、執念というものが感じられない。
意識を集中させる。じっと岩成を見据えてバットを構えた。
二球目、投じられたのはストレート。
体は無意識に反応していた。疲れた体に鞭を打ち、歯をくいしばって、力一杯、バットを振りぬく。
フルスイングで打ち抜いた打球は一気にセカンド頭上を越して、ライト前へと飛んでいく。
大歓声の中、俺は一塁ベースまで走り、軽くオーバーランをする。
岩成、これが追いつめられた人間の執念って奴だ。
続く六番中村っちもレフト前へとはじき返すヒットで出塁し、ワンアウト一二塁のチャンスを作る。
そうしてバッターは、秀平を迎える。
「秀平! 気楽に打てよぉ!」
二塁ベース上から俺は秀平に声をかける。
打席へと入る秀平の表情から鬼気迫るものを感じた。
十三回の表、石村の打席から山田高校の攻撃が始まった。
七番バッターの俺はこの回に回ってくるから分からないけど、気持ちの準備をしておく。
石村があっという間にアウトになり、石村と入れ替わる形で打席には英雄先輩が入る。
英雄先輩が打席に入る姿を見て、なんとも言えない辛い感情が沸く。
中学一年生の時の県大会決勝戦で打てなかった事を思い出す。あの時も俺は英雄先輩の援護が出来なかった。そんな過去を思い出したからだろう。
俺はまた同じことをしてしまうのだろうか? そう思うと悔しくて、歯を食いしばり、こぶしを握り締める。
「新座!」
ここで佐和監督に呼ばれた。
大きく返事をしてから監督のもとへと向かう。
「新座。今のうちに準備しとけ。お前にも回るぞ」
「えっ?」
監督の言葉を一瞬理解できなかった。
監督の顔を見る。冗談で言っているようには見えない。本気で言っているようだ。
だけど、誰か一人出塁しないと俺まで回ってこない。
「えっ? じゃない。さっさと準備しろ。英雄と修一なら必ず出塁する。そしてお前の打席でチャンスを迎える」
まるで見えているかのように佐和監督が指示を送ってくる。
俺にチャンスが回ってくる? 一体この人は、どこまで見えているんだ?
「良いか、狙うのは初球だ。確実にストレートが来る。それを思いっきり叩け」
「は、はい!」
口元に右手を当て、グラウンドをジッと見ながら、佐和監督が俺にアドバイスを送る。
一度佐和監督の横顔を見てから、グラウンドに顔を向けた。
その時、ちょうど英雄先輩がボールを打ちぬいた瞬間だった。
打球はライト前へと飛んでいく。あんなに疲れ切っていたはずなのに、まだあんな打球を打てるのか。
ベンチにいる選手たちから歓声が沸いた。
「しっかりと先輩たちのバッティングと横浜翔星連中のバッティングを見ておけ。あぁいう執念深いバッティングはきっとお前のいい経験になるはずだ」
「…はい!」
佐和監督の言葉に俺は先ほどよりも強く返事を返した。
六番の中村先輩が打席に入る。
俺はネクストバッターサークルに腰を下ろしながらそれを見守る。
右手に持つグリップを握りしめる。唇を噛みしめ、覚悟を決める。
中村先輩はツーボールツーストライクになってからの五球目のボールを強く打ち抜いた。
打球は三遊間をあっという間に抜いてレフト前へと転がっていくヒットとなった。
こうしてワンアウト一三塁で俺に打席が回ってくる。
≪七番ファースト新座君≫
場内アナウンスが、打席に入る俺の名前を告げた。
打席に入り、足場を固めながら、乱れる呼吸を整える。
「秀平! 気楽に打てよぉ!」
二塁ベース上から英雄先輩が声を張り上げて、俺に声をかけてくれる。
俺でもわかるぐらい疲れているのに、まだそんなに大きな声を出せるのか。本当に無茶ばかりしているな、あの人。
だけど、そんな英雄先輩だからこそ、俺は彼を尊敬したし、一緒にまた野球をしたいと思った。こうして今俺が山田高校で野球をやっているのは英雄先輩のおかげだ。
だから恩返しをしたい。こうして一年生の最初の大会で甲子園の頂まで連れてきてくれた恩をここで残したい。
「しゃあぁ!」
無意識に俺はマウンドにいる岩成さんを威嚇するように吠えていた。
いつも以上に集中できていて、だけど無駄な力が入っていない。
佐和監督の言葉を思い出す。狙いは初球、それを迷わず叩く。
「秀平! 一本決めろ!」
ベンチの方から大輔先輩の声が聞こえた。
俺が尊敬する最強のバッター。俺は先輩のようなバッターになれるだろうか?
大輔先輩ならきっとこの打席で打ち損じるようなことはしない。確実に決めてくるだろう。先輩を目指すならば、ここで打ち損じるわけにはいかない。
視野は広く気持ちは楽に。
来た球を打てばいい。前に大輔先輩から聞いたバッティングのアドバイスだ。
頬が緩む。俺には到底出来ないバッティングだ。だけど今はごちゃごちゃ頭で考える必要はない。それこそ大輔先輩の言う通り、来た球を打つぐらいの考えで、初球をたたくことに専念する。
マウンド上の岩成が投球動作に入った。余分な力を抜き必要な力をこめていく。
体は自然と動き、タイミングを合わせている。
右腕が回り、指先から放たれるボール。体は無意識のうちに動き、ボールを捉えるためにバットを振りだしていた。
白球を捉えた衝撃が両手を通って体全体に走っていく。
最後まで力を抜かないよう力いっぱい、バットを振りぬいた。
金属バットの高音が、ヘルメットの中で反響し、ボールは弾けたように飛んでいく。両手に残ったのは確かな手応え。
打ち抜かれたボールを目で追っていきながら走り出す。
セカンドの頭は悠々と越した。どんどんと打ちあがっていく打球は勢い衰える事なくライトの頭上も越した。
歓声が大きくなっていくと同時に、俺の中の興奮も高まっていく。
そうして一塁ベースを蹴飛ばした辺りで、打球はフェンスの向こう側まで飛んで行った。それを見て、俺は興奮のあまり右手を突き上げていた。
秀平が初球のボールを捉えたのを二塁ベース近くで確認する。
打ちあがるボールを目で追っていく。打球は勢いがある。あれならライト頭上は越えるはずだ。長打コースはほぼ確定か。そう判断して、俺はホーム目指して走り出す。
三塁ベースまで到達し、ホームベースを目指して蹴飛ばしたころ、歓声が大きくなっていくのを感じた。
思わず打球を見る。青空と緑を基調としたライトスタンド。秀平が打った白球はすぐ見つかった。そうして見つけたすぐあと、ライトスタンドに飛び込んだ。
ここでドッと歓声と喝采がひときわ大きくなった。
「わーお…」
。驚きと喜びが入り混じり、出てきた言葉がこれだった。
秀平には期待はしていたが、ここでホームラン打つとは思ってもいなかった。あいつマジか。
ホームベースを踏みしめ、八番バッターの哲也と軽くハイタッチをする。
マウンド上の岩成はひざまずき、キャッチャーの長塚はうなだれている。ファーストの園田も腕を組んで天を仰ぐ。相手チームの観察をしていると、一塁ランナーの中村っちがホームインしてきた。
「やったな!」
「あぁ!」
「うん!」
哲也と中村っちを迎え入れる。
そうして最後、この打席のヒーローを迎え入れる。
まだまだ幼さを残した笑顔を浮かべてこっちへと走ってくる男。新座秀平。俺と哲也の中学の頃からの後輩。まったくこんな大舞台で決めてくるか。こいつは将来大物確定だ。秀平がいれば、とりあえずあと二年は山田高校も安泰だな
最後に秀平がホームベースを力強く踏みしめる。
「ナイスバーッチ」
「ありがとうございます!」
先輩三人が手厚く秀平を迎え入れる。
はにかみながら秀平は俺達の言葉に喜んだ。
チーム唯一のスタメン入りしている一年生がここにきて一番の活躍をしてくれた。
9対6。ここまで追いすがってきた横浜翔星もこの点は難しいだろう。いやこれ以上、同点にされる展開なんて作ってたまるものか。
「英雄先輩、あとはよろしく頼みます」
「…あぁ」
秀平の言葉に俺は力強くうなずいた。
疲れが限界だ。だが闘志はきっと今日一番の状態だろう。
十三回の表の攻撃が終わる。
「行こう英雄」
「おぉ!」
キャッチャー装備を付けた哲也の言葉に俺は返事を返し、ベンチを出ていく。
「お前ら! いい加減これで終わらせろよ!」
佐和ちゃんからも檄が飛ぶ。
あぁ、これ以上の失点はさせない。
「英雄! 哲也!」
と、ここで聞きなれた女子の声に呼び止められた。
この声は…。視線を声の方へと向ける。そこには案の定、沙希が立っていて、隣には鵡川もいた。
「沙希…」
俺の近くにいた哲也がぽつりとつぶやく。
フェンスを挟んで、彼女たちを見つめる。
沙希の奴、今日は見に来てくれたのか。という事は鵡川がやってくれたのか。ありがとう鵡川。この借りは大会が終わった後にきっちりと返すぞ。
「頑張って!」
「ファイトォ!」
沙希と鵡川からの応援。あぁ、なんだか疲れが吹っ飛んだような気がする。
頬が緩む。彼女達の声援に応えて、俺は左手をあげた。
「任せろ!」
「任せて!」
今度は俺と哲也の返答。
そうして俺達はそれぞれのポジションへと走り出した。




