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怪物は一日にして成らず  作者: ランナー
7章 聖地、怪物立つ
246/324

245話

 十一回の裏、横浜翔星の攻撃。 

 先頭バッターは六番三島に代わりピンチヒッター西田。総力戦の様相を呈してきたな。あちらも控えの選手も出し惜しみしていられないようだ。

 三島は守備固めで出場しており、バッティング成績は今大会はまだない。一方、今打席に入っている西田は県大会で数度スタメン出場経験もあり打率は3割を越えている選手だ。油断はできないだろう。


 俺の考えは案の定当たった。西田は控えながら油断ならないバッターだった。

 ツーストライクに追い込んでからの粘りが凄い。トルコアイスより粘り強く凄く厄介だ。二球で追い込んだのにそこから十球以上投げさせられた。

 そうして気づけばカウントはフルカウントとなり、次に西田に投げるボールは十四球目となる。呼吸を乱しながらもバットを構える西田。同じく俺も荒い呼吸を整えながら、グラブに左手を入れた。

 いい加減にしろ。さっさと諦めろ。


 十四球目、投じたのはスライダー。だが投じた瞬間、指先にすっぽ抜けた感覚が残る。

 ボールは高めに浮き、哲也が腰を上がらないと捕れないほどにストライクゾーンから外れた。

 フォアボールの宣告に意気揚々と一塁へと走っていく西田。ちくしょう。あんだけ投げさせられてフォアボールで出塁させてしまうとはな。


 ノーアウト一塁。打席に入るのは先ほど箕輪に代わってマウンドを任された清水。左打席へと入った清水はバントの構えをしてきた。

 ランナーは依然、西田。ここは盗塁をしかけてくるか? いや、左ピッチャーの上に哲也は肩も良いのは知られているはず。ここで賭けはしてこないだろう。手堅く送りバントといった所か。

 ここは無理せずアウト一つ取るべきだろう。哲也のサインにうなずき投じる。

 清水は初球、二球目とバットを引いて見送る。

 カウントがワンボールワンストライクとなった三球目、ボールを転がしてきた。控えピッチャーだが悪くないバントだ。これでは二塁フォースアウトは無理だろう。確実に取れるファーストにボールを投げてアウトを取る。


 ワンアウト二塁。打席には七番山田に代わって代打の笠井が入る。

 今日の山田は4打数無安打と不調でしかも左バッター。対する笠井は右バッターで代打経験もある。ここで1点を取らないと負ける横浜翔星は可能性の高いほうを選んできたか。

 こいつを抑えればツーアウト。次の八番長塚は守備専念のキャッチャーだ。今日の試合も一個フォアボールがあったくらいでそれ以外は全て三振に仕留めている。

 横浜翔星とて、そうポンポンと打てる代打を出せるはずがない。このバッターさえ抑えれば、勝ちはほぼ確定だ。


 もうすぐで終わりだと疲れきった腕を振りかぶる。

 残り二つのアウトで余力を使い切るつもりでボールを投じた。



 快音がけたたましく鳴り響いたのはそのすぐ後だった。

 眼前に打球が飛んできてとっさに避けていた。マウンドで尻もちをつき、ボケッとした顔を浮かべる。


 「耕平! 四つ!!」

 哲也の指示を出す声に我に返る。慌てて振り返る。

 打球は二遊間を抜けてセンター前に落ちるヒットになっていた。

 耕平君が打球を処理してホームへと投げ返す。二塁ランナーの西田は、すでに三塁を蹴飛ばしてホームへとひた走る。

 まずい、ここからどかないと耕平君のスローイングの邪魔だ。重くなった体に鞭を打ち、ホームベース後ろのカバーへと向かう。


 耕平君は足こそ速いが、肩はそれほど強くないしスローイングもまだまだ未熟だ。

 ボールはキャッチャーボックスから逸れ、哲也がボールの方へと向かう。そうして空いたホームベースに西田が滑り込んだ。

 哲也が飛び込んで西田をタッチするが遅い。すぐさま球審は両手を左右に広げた。


 「セーフ!」

 今日何度目かの大歓声が起きた。

 俺はホームベースそばで呆然と立ち尽くす。

 先ほどの我が校の攻撃の時の耕平君みたいに西田はベンチに向かって高々とガッツポーズをしながらベンチへと凱旋する。二塁まで進んだ笠井も味方に向けて大きく右手を突き上げている。

 左手を見る。今日の試合使いすぎた。そろそろ限界に近い。…それでも、この場面でおいそれと亮輔や松見に任せられない。

 俺達は横浜翔星のように選手層が厚いわけじゃないんだ。亮輔と松見ではやがて逆転負けする。俺達はあと1点取られたら、その時点で負けなのだから。


 「哲也悪い」

 「英雄…」

 謝りながらグラブを構える俺。

 ホームベースそばで正座をしていた哲也は苦い表情を浮かべている。

 また同点に追いつかれてしまったな…。



 同点となり、なおもワンアウト二塁。塁上のランナーがホームに帰ればその時点で試合終了だ。

 先ほどまで横浜翔星を追いつめていたはずの俺達が、またも追いつめられる形となった。

 打席には八番の長塚が入る。


 「はぁ…はぁ…」

 体全体が疲れがたまって重く感じる。特に左腕が重い。少しでも上げるのもおっくうだ。…それでも、投げなきゃいけない。

 ここまで頑張ってきて、勝利を目前にして負けるわけにはいかない。そんな負け方絶対に嫌だ。

 体はもう死に体だが、気持ちはまだ死んでいない。闘志は燃え続けている。ここから先は気合いで投げぬいてやる。


 左腕を振るいボールを投じる。

 体は疲れ切っているが、未だにコーナー一杯に140キロ台のストレートを投じられている。普通に投じる分には問題ない。一番の問題はたまにボールがすっぽ抜ける事だ。

 先ほどの笠井に打たれたボールも失投だった。これさえなんとかすれば、十五回まで投げぬける自信はある。


 二球目、今度はインコースへのストレート。

 長塚は打ちに来るがファールとなった。

 変化球はあまり多投したくない。スライダーは先ほどすっぽ抜けているし、こんだけ疲れているとフォークも投げれるか怪しい。カットボールはもってのほかだ。チェンジアップとストレート。この組み合わせでなんとかやりくりしたいところだが…。


 三球目、またも快音が響いた。

 長塚に甘く入ったストレートを打たれた。

 打ちあがった方向へと視線を向ける。打球はレフト…石村か。

 先ほど鉄平に代わって代打で出た西岡に代わり、レフトの守備を任されたのは一年の石村。普段はセカンドを守っていて、外野の守備は中学一年生の頃以来のはず。

 たどたどしい足取りで落下点へと向かう石村。


 「いっしむらー! 風を読め! ライトからレフトに吹いてるぞ!」

 恭平が石村にアドバイスを送る。

 甲子園特有の浜風は今日も強く吹いている。それだけに落下地点を読むのは、経験が少ない一年の石村には難しい。

 頼む…頼む…!


 落下地点がわずかにズレた。石村は体勢を崩しながらもボールにグラブを伸ばす。そうして芝生に倒れ込む石村。

 捕ったか…捕ってないか…。

 もうまもなく石村は左手にはめたグラブを突き上げながら立ち上がる。彼のグラブには白球が収まっており、審判よりアウトの宣告がされた。

 ホッと肩の緊張がほぐれた。

 これでツーアウト二塁。バッターは九番鴨志田。


 鴨志田は初球で決まった。低めへのストレートをすくい上げたのだ。

 打球はショート頭上。恭平は危なげもなく落ちてくるボールをキャッチしスリーアウト。

 なんとかサヨナラのピンチは避けた。だが同点にされてしまった。

 深いため息をついてからベンチへと戻る。



 「佐和ちゃん、俺を代えるなよ」

 ベンチに戻って早々、佐和ちゃんが何か言いかけたところで、先に口を開いた。

 佐和ちゃんは何かを言いかけた口をつぐんだ。

 荒い呼吸をしながら、しっかりと佐和ちゃんに思いを伝える。


 「勝つつもりで戦っているが、もし負けるならベンチより、マウンドで負けたい」

 もしこれが高校最後の試合になるのならば、その最後の瞬間をマウンドで過ごしたいと思うのはピッチャーの性だ。これだけは譲れない。

 もちろん負けるつもりなんてない。勝つつもりだ。だけどもしもの場合がある。

 この回は下位打線だったから、なんとか1点で切り抜けられた。だが次のイニングからは一番に戻る。つまり失点の可能性は高まる。

 認めたくないが、今の俺では横浜翔星を無失点で抑えきるのは難しい。だからといって、亮輔や松見が無失点で抑えられるかといわれれば難しい。


 「俺は言ったはずだ。お前に最後まで任せると」

 佐和ちゃんの回答は先ほどと変わらなかった。


 「勝つにはお前が投げぬいてもらわないと困る。負けるにしてもお前がマウンドにいたほうが綺麗に終われる。無理を言っている自覚はあるからこそ言わせてくれ。英雄、チームの為に無理をしてくれ」

 無表情の佐和ちゃんが俺へと頼んできた。

 そんなこと言われたら、余計にやる気になるでしょうに。


 「分かりました」

 そう俺は笑うことなく小さくうなずいた。

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