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怪物は一日にして成らず  作者: ランナー
7章 聖地、怪物立つ
242/324

241話

 っと、ここで哲也がタイムをかけた。

 そうして一人マウンドに駆け寄ってくる。


 「どうした? 今、一番最高の場面なのに水差すなよ」

 「英雄、園田とは勝負を避けるべきだと思う」

 哲也の提案に俺は口を閉じる。

 分かってる。それが最善の策だ。今日の園田は3打数2安打。ツーベースヒットとスリーベースヒットをそれぞれ1本づつ打っている。先ほどの打席こそレフトフライに打ち取ったが、今の俺の状態で抑えられるか怪しい。

 だが勝負を避ける事には抵抗があった。今まで俺は強打者と勝負を避ける事はなかった。真っ向から勝負する事を選択し、常にその選択を勝ち取ってきた。


 「あ」

 ベンチから伝令がやってきた。走ってくるのは鉄平。

 マウンドには俺と哲也の他に、鉄平がやってきて三人となった。


 「監督からの伝令。英雄、哲也。園田は敬遠しろっとの事」

 表情がゆがむ。俺がバッターに恐れて逃げる…?

 佐和ちゃんは今の俺では抑えられないと判断したのか。…本当、人の事をよく見てるぜ佐和ちゃん。


 「あと、これは教育者ではなく監督としての指示だとも」

 「ははは…マジかー」

 昨日あんなこと言った以上、断れないじゃんかよ。

 あぁそうか逃げるのか俺は。


 「英雄、今は勝つことを最優先にしよう」

 「あぁ、そうだな」

 哲也の言葉に俺はすんなりとうなずいた。

 胸の内ではまだ悩んでいる。いや、勝つ為なら悩む必要なんてないのにな。

 まだ負けていないのに、まだ同点だというのに、なんだか心は負けてしまった気がした。



 試合が再開する。哲也はゆっくりと立ち上がり、大きく左打席のほうに向かう。

 敬遠。一塁も空いているし、四番と勝負を避けるのは常套手段だ。ワンアウト二塁よりもワンアウト一二塁のほうがゲッツーにする事できるし、アウトにできる場所が増えるから守りやすい。


 初球、ストライクゾーンから大きく外れるボール球。

 右打席でバットを構えていた園田は構えを緩めて、俺を見つめる。


 ――逃げるのか


 そう言われているような侮蔑のこもった目で見られている。

 そんな目で見ないでくれ。俺はお前を認めたんだ。認めたから勝負を避けているんだ。お前と勝負したら打たれると思ってるから逃げているんだ。


 二球目も外す。依然、園田は俺を睨みつけている。

 球場には白けた空気が流れる。みんなも期待していたはずだ。試合を決めるかもしれないという場面でのエースと四番の対決を。

 俺は今まで、その期待に応え続けた。逃げる事無く、臆する事無く、相手の強打者と対峙し、そして勝ってきた。だからこそこの敬遠は球場にいる高校野球ファンを白けさせている。


 …何を落ち込んでいるんだ俺は、これは試合だ。

 今日の試合、何度も思っただろう。横浜翔星はなりふり構わないと勝てないと。


 三球目も外す。息を吐き、次のバッターからまた気持ちを切り替えられるよう準備をする。

 相手のネクストバッターサークルにはすでに代打が入っている。次の五番唐澤は二年生。おそらく代打のスペシャリストをここで投入するだろう。

 ワンアウト一二塁。内野ゴロに仕留めれば併殺打にするチャンスは広がる。三振ではなく打たせて取るピッチングで切り抜けよう。

 このピンチを切り抜けられれば、きっとこっちにチャンスがやってくる。


 そうして四球目、最後の一球を投じたところで、園田がバットを振ってきた。

 当然バットが絶対届かない位置にボールを投じているし、園田も当てる気はなさそうだ。球審は戸惑いながらもストライクの宣告をした。

 球場も騒然となる。今ここでスイングするなんて、何考えてんだお前。楽して一塁に歩くより俺と一騎打ちしたいってか。

 ゆっくりと園田はバットの先を俺へと向けた。


 「来い!!」

 今まで聞いてきたバッターの威嚇の中で、一番ダメージのデカい威嚇をもらった。

 覇気のこもった目で俺を捉える園田。今の一連の動作は逃げる俺への煽りか。あぁ顔面に右ストレートを食らった気分だ。園田はもしかしたら俺が納得せずに敬遠しているのを察したのかもしれない。


 「ははは…」

 笑ってしまった。最高だろ園田。マジでさ、お前とはもっと体調が万全な時に対決したかったよ。

 高校生になってから色んなバッターと対峙してきた。だけど今まで大輔を越えるバッターは一人としていなかった。だけどさ、園田。お前は双璧を為せる。

 高校通算66ホーマー、今大会ナンバー1スラッガーという肩書は伊達じゃないな。お前は間違いなく大輔と双璧、あるいは一歩上を行くバッターだ。

 今の煽りで確信した。今の俺ではお前には勝てないと。



 四球目、最後に投じたのもアウトコース高めに大きく外れるボール球。

 ボールを宣告を受けて、園田は打席から離れ、バッティング装備一式をバットボーイに手渡し、俺を一瞥してから一塁ベースへと走っていく。

 まさか勝負せず、ここまで俺が追いつめられるとはな。

 阪南学園の吉井と戦った時もスゲェバッターだと思ったけど、やはり上には上がいる。

 園田良太。完敗だ。



 四番園田を敬遠しワンアウト一二塁となった。

 未だ気を抜けない状況だ。そして打席には代打の原山(はらやま)。記憶通りなら、あいつは代打のスペシャリスト。今年の春までは外野のレギュラーだったはず。今年の夏は代打としてベンチに入り、県大会では5打数5安打の活躍でチームの優勝に貢献している。甲子園でも2打数1安打。

 代打でのチャンスをものにする力は確かだ。


 「はぁぁぁ…」

 ため息をつく。吐く息が震える。

 勝負を逃げたからって弱気になりすぎだろう。肝心なところで弱気になるな俺は。…まだ何も変わってないという事か。

 中学三年生の頃から、いやもっと前から俺は打たれ弱かった。そして怪物を目指している今も打たれ弱いままだ。

 情けない。情けないのだが目をそらしてはいけない。自分の弱さと向き合う。

 自分の心の弱さと向き合うと、自然と震えは収まり意識は定まった。

 大丈夫だ。俺はまだ負けてない。


 初球は低めへのチェンジアップ。小さくうなずく。


 一呼吸置いてからクイックモーションに入る。

 勝負の一球を俺は完璧なリリースで投じることに成功した。

 低めにスピードをしっかりと抑えたチェンジアップが向かう。

 これをバッターは狙いすましていたかのように打ちに来た。

 タイミングは崩れる事無く、力強いスイングがボールを捉える。


 嫌な音が反響した。顔は自然と歪む。

 俺のすぐ横をとてつもない早さで通り抜けていく。慌てて振り返り打球の行方を追った。

 打球は二塁ベースの左側への強烈なゴロ。まずい! あれを抜かれたら二塁ランナーは帰ってこれる!?

 心臓がこれでもかと早い鼓動を刻む。外野に抜けると覚悟した瞬間、打球の前にグラブが現れた。


 恭平だ。恭平が打球に目がけて横っ飛びしたのだ。

 土埃が舞う中で、グラブがボールを掴む音を確かに耳にした。


 「誉ぇ!」

 そうして恭平の声。恭平は起き上がるより先にグラブをはめた左手首を思いっきり振るい、ボールを二塁ベースに入ってきた誉にトスした。


 「OK! 任せろぉ!」

 誉の声。恭平から誉へとボールが渡される。

 二塁はまずアウト。誉はすぐさま一塁へと向く。

 慌てて一塁へと視線をむける。打った原山はホームから一塁までの塁間27mを全速力で駆ける。必死に走っているのが目に見えた。

 誉からファースト秀平へとスローイング。ベース手前で頭から滑り込む原山。乾いたミットの音が響き、同時に土埃が一塁付近を舞った。

 その結果を見てから、今度は俺は三塁へと視線を向ける。三塁まで到達した二塁ランナー岡と目が合う。ベースを蹴飛ばしオーバーランしたところで、岡は慌てて三塁へと戻る。ホームには行かせねぇよ。お前はそこから動くな。


 「セーフ!」

 そうしていると後ろから一塁審判の声が聞こえた。

 ゲッツーはならず、だがアウトは一つ取った。これでツーアウトだ。

 恭平の執念のダイビングキャッチ、そして原山の執念のヘッドスライディング。両者の胸を熱くさせる全力のプレーに高校野球ファンからは惜しみない拍手が起きた。

 その中で、俺は袖口で汗をぬぐう。


 「恭平! サンキュー!」

 「おぅ! 後ろは任せろぉ!」

 俺は声を張り上げて恭平に感謝をする。

 一方恭平は、ユニフォームについた黒土を払うことなく、土まみれの顔をこれでもかと破顔して笑うと、大きく右手を挙げた。

 本当頼りになる男だ。あいつが同じチームで本当助かった。


 恭平の活躍でツーアウトにはなった。

 だが依然ピンチは続く。一塁と三塁にランナーを置く状態。そして迎えるは六番の箕輪。

 右打席に入る箕輪。ピッチャーとしても優秀だが、バッターとしても悪くない成績を収めている。決して油断できる相手じゃない。

 俺の園田敬遠で白けかけた球場も、恭平と原山の執念のプレーで盛り上がり、そして次はエース対決だ。熱気が球場にたまり、球場がどんどん膨らんで最後には破裂してしまいそうだ。


 バットを構える箕輪。プレートを踏みしめ荒れた呼吸を整える俺。

 ここを乗り越えて俺達は勝つ。絶対に決勝戦に行く。

 魂は震えている。闘志は枯れていない。闘争心は失っていない。


 初球はインコースに真っすぐ。最速149キロ、今日最速がここで出た。

 アドレナリンがドバドバ出ているのを実感する。


 二球目もインコースへの真っすぐ。箕輪は打ちに来るが詰まらせる。

 打ちあがった打球は風に流され、まもなく三塁のファールゾーン、フェンスに直撃する。

 球数は100球をゆうに越している。だが、ここにきて俺は今日一番のピッチングが出来ている。

 今日一番の興奮が俺を包んでいる。


 迎えた三球目、アウトロー一杯へのストレート。

 自身も納得のいく一球を投じ、箕輪もバットが出ない。乾いたミットの音が響き俺は前のめりなりかけながら、判定を待つ。


 「ボォォォル!」

 だがここはボールの判定。舌打ちをしてしまう。

 きわどいコースだったから仕方ないとはいえ、今のは入っていてほしかった。


 哲也からの返球を受け取る。

 だが、今の箕輪は俺のストレートに対応しきれていない。ここは力押しするべきか。


 四球目、今度もインコースへのストレート。

 箕輪は打ちに来るが詰まらせて打球はバックネット方向への緩いフライ。哲也が慌ててマスクを外し、落下地点へと飛び込むも間に合わず、打球はグラウンドに落ちた。

 悔しそうに顔を歪める哲也。俺も苦しい顔をしているだろう。

 ここで粘るか箕輪。

 箕輪の目を見る。あちらもアドレナリンがドバドバ分泌しているらしい。肩を上下に揺らしながら、瞳孔開いた瞳が俺を捉える。お互いもう満身創痍だな。そろそろ諦めろよ箕輪。


 五球目、今度もインコース、先ほどよりも厳しいコースにストレート。

 五球連続ストレート。箕輪はまたも打ちに来た。打球は三塁線左へと転がっていくゴロ。ファールだ。まだ粘るか。

 俺も箕輪も肩を上下に揺らしている。ただでさえ太陽からの熱とグラウンドにたまった熱気で暑苦しいってのに、クソ熱い戦いしてんだ。嫌でも呼吸が乱れるさ。


 六球目、高めへのストレート。これも箕輪は打ちに来た。

 快音が球場にこだました。力強く振りぬかれたバットは確実にボールを捉えた。

 打ちあがった打球はすぐさま左へと切れていき、もうまもなくファールのレフトスタンドに飛び込んだ。

 一瞬肝を冷やした。箕輪の奴、ストレートに合ってきてるな。そりゃ六球続けて投げりゃそうなるわな。チェンジアップを投じるなら今か。

 哲也もチェンジアップを要求する。低め。先ほどは原山に打たれたが、今度は打たせない。


 息を吐き神経を研ぎ澄ませる。

 疲労し切った体から投じる一球。


 クイックモーションへと入る。 

 素早く右足を前へと踏み出す。マウンドから哲也のミットを狙い黒土で汚れた硬球を投擲する。

 ストレートと同じ腕の振りで、だがスピードは乗せず、このわずかなズレで箕輪を打ち取る。


 左腕を力強く振るう。だが放たれたボールはストレートよりも10キロ、20キロも遅いチェンジアップ。

 放った瞬間、箕輪はタイミングを外した。

 確かに俺と哲也は相手バッターのタイミングを外すボールを選んだ。だが箕輪はボールに食らいつくかのように体勢を崩しながらもボールを打ち抜いた。


 ふわっと打ちあがった打球。

 ショートの恭平が捕るには高い。だが落下地点は前すぎる。大輔が必死に走る。恭平も必死に走り、最後は大きく跳躍した。必死に体を伸ばし、左腕を伸ばす恭平。だがグラブはボールを掴むことはなかった。

 打球はショート恭平のグラブの上を無情にも通り越して、必死に走る大輔の前に落ちた。

 地響きのような歓声が起きた。

 芝生に落ちた打球を掴んだ大輔。だがもう遅い。三塁ランナー岡が右手を高々とあげながらホームベースを踏みしめた。


 「あぁ…」

 やられた。あそこまで食らいついてくるとは…。


 「強すぎだろう…」

 不意に出た言葉だった。

 天を仰ぎ、俺はため息を吐いた。


 電光掲示板の八回の裏のところに「1」という数字が点灯する。

 3対4。終盤戦、横浜翔星に絶対に与えてはいけない得点を与えてしまった。

 負けたわけじゃない。まだ負けたわけじゃない。だけど…勝つのはとても難しくなった。


 打席に七番の山田が入る。あぁ、まだ相手の攻撃は終わってなかったな。

 そうだよ。そうだよな。


 「まだ試合は終わってないんだ」

 冷めかけた闘争心が熱をまとう。まだ試合は続いているんだ。

 なら、まだ負けてはいない。

 打たれたが心は折れていなかった。むしろ余計に強固になった。


 一塁ベース上の箕輪を見つめる。肩を上下に揺らしながら俺を見つめる箕輪。

 勝ち越したのに表情に余裕がないな。俺がまだ負けてないと思っているように、あいつもまだ勝っていないと思っている。

 そうだ勝負はここからだ。ツーアウト一二塁。まだピンチは続いている。だがお前らの得点はこれで終わりだ。

 ピシャッと抑えて、もう一人の怪物にバトンタッチだ。

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