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怪物は一日にして成らず  作者: ランナー
7章 聖地、怪物立つ
241/324

240話

 時刻は14時を過ぎ、もっと暑い時間を迎えた。

 グラウンドは今地獄のような熱気に包まれている。立っているだけでクラクラしてしまいそうな程暑く、発汗機能が故障したかのように汗はとりとめなく流れ落ちる。

 七回の裏、横浜翔星の攻撃。

 ツーアウト一塁で打席に入るのは吉沢。カウントはフルカウント。最後のサインは低めへのストレート。


 熱気がうっとうしい。流れ出る汗が邪魔くさい。

 空気を吸う。生ぬるい空気が肺を満たし、余計に気分が悪くなった。

 一度、一塁ランナーの八番長塚を一瞥してから、クイックモーションでボールを投じる。

 低めいっぱいに決まったストレートに吉沢のバットは鈍い音を立てるしかなかった。


 「おしゃ! 任せろぉ!」

 吉沢のバットから出た打球の向かった場所は、恭平の守備範囲。

 こんなうだるような暑さでも元気がなくならない恭平。大声をあげつつ打球を処理して、そのまま二塁ベースを踏んでスリーアウト。

 それを見てから、俺はマウンドからベンチへとゆっくりと走っていく。


 「あっつぅ…」

 夏の間、ずっと試合をしてきたが、今日が一番だと思うほどに暑い。

 替えのアンダーシャツを四枚ほど持ってきたが、すでに三枚消費しており、残り一枚しかない。だが今着ているアンダーシャツも汗を吸ってだいぶ重く感じる。そろそろ替えるか。


 「ナイスピッチ英雄。大丈夫か?」

 「プリーズドリンク」

 佐和ちゃんが心配そうに迎え入れてきた。

 そんな佐和ちゃんに俺はアメリカンな感じの応対をする。

 まもなく片井が紙コップに入れたスポーツ飲料を持ってきてくれた。それをもらい一気に飲み干す。ほんのり冷えたスポーツ飲料は喉を潤し、体を駆け巡っていくのを感じる。


 「まだ大丈夫っすよ」

 「そうか、だが無理は…」

 言いかけて佐和ちゃんは咳払いをした。

 佐和ちゃんだって分かっている。今日の試合、俺を無理させないと勝てないと。


 試合は依然3対3のままだ。

 両者ともヒットは出るが、そこからチャンスを作れずにいた。

 これから八回の攻防。そろそろ1点が欲しいところだが…。



 この回の先頭バッターは九番の誉。

 前の打席で高校初ヒットとなるスリーベースヒットを放ち、同点の口火を切った。この打席も期待したところだが…。

 マウンド上の箕輪はこの回も安定感のあるピッチングを続ける。あちらもこれまで戦ってきて疲れがだいぶ溜まっているはずだが、それをまったく感じさせない。同点で迎える終盤の攻防であの安定したピッチングはさぞ野手に安心感と鼓舞するだろう。

 誉はワンボールツーストライクからのボールを打ち抜くも、打球はサード正面のゴロ。サード吉沢は丁寧に打球を処理してアウトとなった。

 なんとかこの回1点欲しい所だが、難しいか。


 続くバッターは恭平。


 「しゃあおらぁ! こいやおらぁ!」

 お疲れの俺と打った変わって、凄く元気な恭平。

 そんな恭平を見ていると、疲れ切って出ていなかったベンチからの応援する声は大きくなっていく。あいつが打席に入るだけで何かをしてくれそうな感じがあるからだろう。

 俺も応援する声が自然と大きくなった。


 そして初球、いつも通りボールに手を出してきた。

 難しいコース、難しいボールだろうと恭平は初球を必ず打つ。あいつのポリシーの一つなのだろう。そしてその初球打ちを高い確率で成功させてくる。

 打ち抜かれたボールは三遊間へ。サード吉沢は捕れず、ショートの山田(やまだ)が逆シングルでボールを掴み、素早い動作でファーストへと投げるも、恭平が頭から滑り込む。


 「セーフ!」

 内野安打での出塁に思わず歓声をあげた。

 やはりあいつがいるだけでベンチは一気に明るくなる。あいつがいてくれて、本当助かってる。


 「ちはぁぁぁるぅぅぅちゃぁぁぁぁぁん!!!!」

 一塁側スタンドに高々と右手を上げながら何か奇声をあげている。

 その言葉の意味をすぐに俺は理解した。


 「馬鹿野郎! 妹の名前叫ぶんじゃねぇタコ!」

 疲れてるのに怒号が口から出た。あいつに助けられているとはいえ、妹は絶対にやらんからな。絶対にやらんからな。

 俺と恭平のやり取りを部員たちが笑う。お前らは面白いのかもしれないが、俺には笑いごとじゃないんだよ! でもチームの雰囲気は悪くなっていない。

 ちなみにこの後、恭平は審判から注意を受けた。あいつこれで何度目だ。今日の試合二度目だぞ。サッカーだったら退場確定だったな。命拾いしたな恭平。


 続く耕平君は送りバントを決めた。

 これでツーアウトながら二塁、得点圏にランナーを進め、バッターは三番龍ヶ崎。

 龍ヶ崎はあっという間に追い込まれたが、そこからとにかく粘る。

 コースが予測できない箕輪の荒れ球に必死に食らいつき、ノーボールツーストライクからフルカウントまでもちこんでからの八球目。

 低めのボールを捉えた。


 「おぉ!」

 思わず声が上がった。

 芯でとらえた打球はライトへと飛んでいく。

 だがまもなくライトの児玉が落下地点へと入り、危なげもなくボールをキャッチし、スリーアウトになった。

 得点圏までランナーは進められたが、得点には持っていけなかったか。…仕方ない。


 「行くぞ哲也」

 「うん!」

 この回、相手チームは二番岡から始まり、クリーンナップを迎える。

 相手にとってみれば最大の得点チャンスともいえるし、ここで無得点ならば、以降は下位打線へと向かっていく。一方こちらは次の回四番の大輔から始まる。

 ここを無失点で乗り越えれば、こっちが勝つ可能性はぐっと高まる。気合いを入れて抑えるぞ。


 ベンチを飛び出したところで太陽からくる熱さに、頭がクラッとした。

 暑いんだよちくしょう。



 イニング前の投球練習を行い、八回の裏の攻防が始まった。

 打席に入るのは二番岡。

 このバッターは出塁させてはいけない。いつも以上に警戒しないとな。

 横浜翔星の応援が始まる。

 初球、二球目とストレートをコーナーに決めてあっという間に追い込んだ。疲れはだいぶ溜まっているが、ストレートは140キロ中盤をキープし続けている。まだ戦える。

 一度外してからの四球目、インコースへのストレート。

 右バッターの胸元に食い込むようなストレートに岡は打ちに行く。そして窮屈なスイングは何とかボールを捉えるも、打球はショート正面のぼてぼてのゴロになった。


 「任せろ!」

 恭平の声が響く。慌てて走り出す岡。

 ぼてぼてのゴロに突っ込んだ恭平は、スピードを落とすことなくグラブで弱々しく転がるボールを掴み、そこから一瞬のうちに送球体勢になりファーストへ。

 必死に走る岡は一塁ベースに頭から滑り込んだ。

 土埃が舞い、秀平のファーストミットがボールを掴んだ音が響いた。

 ボールト岡が一塁に到達したのはほぼ同時。きわどい判定だ。


 「セーフ!」

 そうして軍配は横浜翔星に上がった。

 内野安打。大歓声に包まれる横浜翔星の応援団が陣取る三塁側スタンド。

 汗が零れ落ちる。呼吸を整えながら、状況を脳が理解する。

 一番出しちゃいけないバッターを出塁させてしまった。息を吐く。そのまま、どんどん体がしぼんでいくような錯覚を起こした。

 緊張の糸が切れそうになって、とっさに我に返り首を左右に振るう。頭がクラクラするほどに強く振って我を取り戻す。

 まだ試合は終わってない。まだ負けてない。ここはまだ心を折る場所じゃない。


 「悪い英雄ぉ!」

 脱帽し、大声で謝る恭平に俺は左手を軽く挙げて応える。

 今のは不運なヒットだし、恭平の守備に悪い所一切なかった。打球への反応も、打球に向かうスピードも、捕ってから投げる動作も、投じたボールのコースも、何一つ悪くなかった。

 むしろあの打球でよくセーフになったと、相手バッターの岡を褒めるべきだ。


 ノーアウト一塁。そしてここからクリーンナップ突入していく。

 三番バッターの児玉が入る。今日は3打数1安打。1本の犠牲フライと1本のツーベースヒットを放つ。二年生だが十分優れたバッターだ。来年のドラフトで上位指名は確実だろう。

 そしてこの打席もどういうバッティングをしてくる。そう思っていると、児玉はバントの構えをしてきた。


 「はぁ?」

 呆れて言葉が出なかった。クリーンナップに送りバントだと…。

 なるほど、相手ももうなりふり構っていられないらしい。普通に打たせるよりも、確実に送りバントで進ませる。クリーンナップを、児玉を信用していないのではない。俺から正攻法で点を取るのは難しいと判断したのだろう。むしろそう判断しててくれ、そっちのほうが嬉しい。

 だが、認めてくれたとしても簡単に送りバントなんかはさせない。こっちも負けられないからな。


 呼吸を整える。クソ駄目だ。暑すぎて立っているだけで呼吸が乱れる。

 ほつれそうな緊張を研ぎ澄まし、意識を一点に集中させた。今俺が持てる全力の一球で一番バントがしづらいコースにボールを決める。

 一塁ランナーを目で牽制してからクイックモーションに入る。哲也のミットに向かってボールを投じる。いつも通りのことをいつも以上の出来でこなすまでだ!

 力強く左腕を振るう。クソ、コースはわずかに甘くなった。それでもバントにするには難しいコースなのは変わりない。

 急いでマウンドを駆け下りる。児玉は上手くバットに当てて転がしてきた。クリーンナップのくせに上手いバント決めやがるじゃねぇかちくしょう。

 転がるボールをグラブで捕る。狙いはセカンド! 


 「ピッチひとつ!」

 「っ!」

 ベースを背にしている俺に哲也からファーストに投げろと指示が飛んだ。

 セカンドのフォースアウトは無理か。ここは無理せず確実に一つか。ファーストへと振り返りボールを投じる。ファーストは楽々とアウトになった。

 だが岡は二塁に進んだ。


 ワンアウト二塁。迎えるのは…。


 バッターが打席へと近づいてくる。その男と目があった。


 「園田ぁ…」

 野球の神様のめぐりあわせか。

 この勝負を決するかもしれない場面で四番との対決とはな。

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