237話
先攻は山田高校。さっそくこちらの攻撃が始まった。
マウンドに上がるのはエースの箕輪大助。去年の春の大会からエースナンバーをつけており、ずっと注目され続けているピッチャー。去年の夏こそ県大会四回戦で敗れているが、秋は関東大会優勝し神宮大会に出場し準優勝。選抜甲子園ではベスト4も記録している。
最速145キロのストレートを軸にした速球派右腕。畑中に比べるとスピードは大きく劣るが、箕輪は畑中以上に安定感がある。コントロールは悪いが程よく荒れている為、バッターに的を絞らせない。球の質も重い球といった感じで、打球が思いのほか伸びないそうだ。
大柄でずっしりとした体型は見るからに重い球を投げてきそうだ。
一番バッターの恭平が打席に入る。
さて今日の箕輪と恭平の状態はどうだ?
勝負は案の定、サイレンが鳴り響く中で決まった。初球のストレートを捉えた恭平だが、打球はショート前のゴロとなり、あっという間にアウトになった。
続く耕平君もツーストライクから粘ろうとしたが、打ち上げてしまいキャッチャーへのファールフライに終わる。
早くもツーアウトになり打席には三番の龍ヶ崎。
「恭平、箕輪のどうだった?」
ベンチに戻ってきた恭平に聞いてみる。
「優しい顔してるし、あいつに惚れる女は一人か二人はいるな」
そういう事聞いてるんじゃねぇよ。ボケるな。
っと思ったけど、恭平にボケてる様子はない。素で思っているのかお前は。もうちょい状況を理解しろよお前。
「でも夜はネチネチしてそうだな。それに下手そうだし、そういう事で女から避けられそうだ」
「そういう事じゃなくてボールだボール」
この後も終始下ネタに持っていく恭平の話に呆れつつも、話題を戻すよう務める。
こっちが今日の試合の違和感を拭えてないのに、こいつはもういつも通り平常運転しやがって。…なんだか違和感に苦しめられているのが馬鹿馬鹿しくなってきた。
結局、耕平君のほうから箕輪にピッチングについて聞いてみる。
「ボールが荒れてるから、予測したコースにボールが来なくて対応が難しいです。失投という程甘いボールでもないですし」
俺が求めていた解答を聞いてやっと満足する。
とにかく箕輪は噂通りのピッチャーという事だ。セオリー通りでは通用しない。
今打席に入っている龍ヶ崎もどこか打ちづらそうにしている。
そうして最後は龍ヶ崎のバットが出ず見逃し三振に終わった。三者凡退。まぁ初回は仕方ない。気持ちを入れ替えて、俺はマウンドへと走り出すのだった。
さて一回の裏、横浜翔星の攻撃。こっちの守りが始まる。
打席には一番バッターの吉沢がバットを構える。
高らかに鳴り響くラッパの音、横浜翔星応援団の演奏が始まった。
試合前、あんなに試合に集中できるか不安だったのに、いざマウンドに上がったら、スッと意識が集中できた。徐々に意識から鵡川と沙希の姿が消えていく。見つめるのは哲也のミットのみ。
まずは初球、外へのストレート。
軽快な音を立ててミットに収まるボール。投げ終えたところで、嫌な感覚を覚えた。
なんだ? 今の違和感。凄い嫌な違和感だ。
何に違和感を覚えているのかは分からない。だけどこれまでの試合とは違う。何とも言えない空気が漂っている。
嫌な感じだ。
吉沢をセカンドゴロにして、二番の岡をサードフライに仕留めた。
違和感は未だぬぐえない。なんだか今日の試合は変だ。
前日の一件が尾を引いているのだろうか? 分からない。でもなんだか今日は嫌な感じだ。
「ナイスピッチ英雄!」
だが哲也は気づいていない様子。
他の選手も違和感を覚えている様子もない。
俺だけか? やはり勘違いか? それとも尾を引いているだけなのか?
ツーアウトになって迎えたのは三番の児玉。二年生ながらその打撃力を期待されて、園田の前を任されたバッター。右打席でバットを構える姿も二年生ながら様になっている。
普段なら大喜びで彼と対峙するのだろうが、今日はどうしても気分が乗らない。頭の片隅に沙希と鵡川のことがちらついてきた。意識が散漫してきている。
なんだ今日の試合? なんだ今日の俺?
「くそ…」
メンタルの弱い自分に苛立つ。
こんな精神力じゃ、怪物なんて程遠い。甲子園準決勝まで来たが、俺はまだまだだ。これじゃあ…楠木には勝てない。
左腕を振るい、まず初球を投じる。違和感はぬぐえない。
二球目、今度はインコース。またも違和感はぬぐえない。
バットを構える児玉は落ち着いた表情でバットを構えなおす。立ち振る舞いは二年生とは思えないぐらいどっしりとしていて、強打者の雰囲気をまとっている。実際強打者であることは間違いないのだが。
深くため息をついて気持ちを切り替えようとするが、視線は一塁側ベンチへと向いてしまう。駄目だ。一度考えたら思考がぬぐえない。
プレートから一度足を離し、ロジンバッグに触れたりして気持ちを切り替える。
再度プレートを踏みしめて児玉と対峙する。
三球目はアウトコースへのストレート。小さくうなずき投球動作へと入る。
左腕を振るい投じる一球。それを児玉は完璧に合わせてきた。
打ち抜かれたボールは一気に右中間へと飛んで行った。
慌てて振り返った頃には、打球は右中間を真っ二つに割ってフェンスへと転がっていく。それを龍ヶ崎と耕平君が必死に追っている。
打たれた。見事にタイミングが合った一振りだった。
児玉は結局二塁まで進み、ツーアウト二塁となった。そしてこのチャンスで打席に入るのは四番園田。
高校通算66本塁打を誇る今大会ナンバー1スラッガー。
その肩書を聞くだけで、胸の内にある闘志がたぎるというものだ。
吉井も、中村も、門馬も、西川も、彼には勝てないといわれるレベルのバッター。今年の高校野球はレベルが高いと言わしめる象徴の一人。
もう打席での立ち振る舞いが最高にいい。彼の打席での一連の動作に何一つ無駄がない。洗練された動きから構えるバッティングフォームは、アレンジが一切加えられていないお手本にしたい構え。
鵡川良平のバッティングフォームも洗練されていたが、こいつはそれを大きく上回っている。バットを構える動作だけで気圧されるバッターはこれまでいただろうか? いや、大輔がいたか。
思い出すのは野球部入部する際のテストでの大輔との一騎打ち。
最高のバッターと対決できる。
なのになんだ? 違和感がまだある。
哲也は強気のリードをしてきた。インコースへのストレート。嫌な予感がした。
そして首を左右に振ろうとして、直前で動きを止める。
普段から哲也には強気のリードをしろと言っていた俺が逃げようとしてどうする?
そうだ。きっと昨日の一件のせいで、少し自分に自信が持ってなくなっているんだ。この違和感はそう、きっとそうだ。
そう自分に言い聞かせる。そうしていつも通り意識を集中させて、ゆっくりと投球動作に入った。
金属バットの快音が球場を支配したのは、この数秒後だった。
打たれたと脳が理解するのに時間がかかった。園田のヘッドスピードがあまりにも早くて見えなかったからからもしれない。
呆気にとられつつ、打球へと視線を向ける。振り返った先にはセンター耕平君の頭上を越してフェンスに直撃するところだった。
歓声の横浜翔星応援団。二塁ランナー児玉は悠々とホームベースを踏みしめた。打った園田も二塁まで進んだ。
先制タイムリーヒット。
「ははは、やられた」
乾いた笑いが出るほどの一発だった。むしろスタンドに入らなくて助かった。
でも、あんな簡単に打たれるとはな。昨日の試合の疲れがあるとはいえ、今日もボールは走っていると思ったんだがな。
二塁ベース上でやってきた選手にエルボーガードとフットガードを外して渡す園田を見る。その動きすらも洗練されている。やっぱりあいつはナンバー1スラッガーと言われるだけあるな。
続く五番の唐澤をレフトフライに打ち取ったところでスリーアウト。
俺はため息をついてからマウンドを降りた。
「英雄、大丈夫か?」
「大丈夫っす。ってか、なんか違和感ありません?」
ベンチに戻ったところで、佐和ちゃんに違和感について話す。
「怪我したのか?」
そして心配された。
「してませんけど、なんか空気が嫌な感じです」
「そうか。お前がそう言っている以上、今日の試合は何かがありそうだ」
そういって腕を組み唸る佐和ちゃん。
佐和ちゃんも気づいていない何か。わずかな違和感。本当今日の試合は嫌な感じだ。




