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怪物は一日にして成らず  作者: ランナー
7章 聖地、怪物立つ
234/324

233話

 一番恭平が打席へと入る。表情に緊張はない。

 一方、マウンドに上がる前久保にも余裕の表情はない。怪我をおしての緊急登板、だいぶ疲れや痛みも来ているだろう。勝利を前にしても彼に余裕はないのは当然だ。


 初球、正確無比のコントロールからコーナーギリギリのボールを投じる。

 それを恭平は打ち抜いた。


 その一打で勝負が決するかもしれない場面でまさか初球から打ってくるとは思わなかった。

 いや、これこそが恭平だ。むしろここで初球打ちしてくれなきゃ、出塁しても後続が続かなかっただろう。

 大事な局面でいつも通りのプレーで決めてくれるのは、チームを元気づけるには良い。


 しんみりムードのベンチに鳴り響く金属バットの快音。

 俯いていた奴らも顔をあげて、グラウンドへと視線を向けた。

 打ち抜かれた打球は三遊間を抜いた。レフト前ヒット。まだまだ試合は終わっていない。ここからだ。



 二番耕平君はフルカウントになってからとにかく粘る。

 クサいコースは全てカットし、甘いコースには珍しくフルスイングで打ち抜いてファールにする。

 怪我をしていてあまり球数を放りたくない前久保には、あまりにも嫌なバッティングだ。マウンドでの挙動から焦りや苛立ちを感じ取る。

 そうして迎えた十球目。耕平君のバットが芯でとらえてボールを打ち返した。


 快音を残して打球はライナーで二遊間を貫いた。そうしてセンター前でワンバウンドする当たり。

 センター前ヒット。二者連続ヒットに、消沈していた山田高校応援団を盛り上がり、弁天学園紀州高校応援団を焦らせる。

 ツーアウトながら一二塁。そして迎えるはクリーンナップ。


 「龍ヶ崎! 行けぇ!」

 「頼むぞぉ!」 

 さっきまで沈んでいたのが嘘だと思うぐらいにベンチの応援も熱が入る。

 相手の内野手がマウンドに集まった。相手のブルペンを見る。投球練習しているピッチャーはいない。前久保のピッチングを信じているわけか。



 試合が再開した。バットを構える龍ヶ崎。

 初球は高めに大きく外れるボールから入った。だいぶ前久保のコントロールが荒れてきているな。

 むしろ怪我をしながらよくここまで気丈に投げぬいたと褒めるべきか。

 前久保はマウンドで自身の胸元を軽くたたきながら口元を動かしている。もう少し耐えろと自分に言い聞かせているのかもしれない。


 続く二球目、今度はインコースにズバッと決まるストレート。

 投げ終えた前久保は再び胸元を軽くたたきながら、口元をぼそぼそと動かしている。声は当然聞き取れないが、自分に言い聞かせているのは確かだろう。

 そのエースの行動によって、本来中立であるべきはずのバックネット裏の高校野球ファンからも前久保を応援する声が聞こえた。

 怪我をしながらも気丈に投げる姿は球場を味方につけようとしている。こちらがアウェーのような雰囲気になるのは避けたい。


 三球目、今度もインコースへのストレート。

 龍ヶ崎は打ちに行くも打球はバックネットに直撃するファールボールとなった。

 怪我をしている左足首を引きずるような動作を見せつつ、またも口元をぼそぼそと動かす前久保。顔はだいぶ青ざめている。相当痛いのだろう。そしてその中で力投する姿は高校野球ファンの心を掴み、「まっえくぼ! まっえくぼ!」というコールがスタンドから起きた。


 やべぇな。完全こちらが球場の敵になっている。異様な空気、龍ヶ崎がこの空気に飲まれなきゃいいんだがな。

 龍ヶ崎を見る。球場の雰囲気に飲まれている様子はない。いつも通り、鋭い眼光で相手ピッチャーを睨みつけている。

 球場にいるファンがどっちに勝ってほしいかなんて知っちゃこっちゃない。こっちにも負けられない事情というものがあるんだ。

 空気に飲まれて負けるなんて負け方はしたくない。そんな負け方、今まで破ってきた学校に申し訳が立たない。


 四球目、龍ヶ崎のバットから快音が響いた。

 打ち抜かれた打球は右中間へと飛んだ。ライトとセンターが打球を追うが絶対に間に合わない。

 二塁ランナー恭平、一塁ランナー耕平君は走り出す。三塁コーチャー鉄平は大きく右腕を振りまわす。

 歓声と悲鳴が入り混じる中で、恭平はホームベースへと滑り込み、耕平君は三塁に止まり、龍ヶ崎は一塁を蹴ったところで立ち止まり、一塁ベースに戻る。


 一塁側スタンドより歓声が起きた。バックネット裏の席と三塁側スタンドからは落胆の声とため息が漏れた。

 タイムリーヒット。まず1点。それにしてもこの得点で10対13か。高校野球史に刻まれそうな乱打戦になってるな。


 マウンド上の前久保は天を仰ぐ。そんな怪我するエースにキャプテン西川が声をかけにいく。そうして汗まみれの笑顔を浮かべつつ、こぶしをぶつけう二人。

 感動ストーリーの完成だ。スタンドからは二人へと惜しみない拍手と歓声、声援が送られる。どうやら今日は最後の最後まで俺達は悪役に徹する必要があるらしい。

 未だ球場の雰囲気は弁天学園紀州に傾いている。


 ツーアウト一三塁。このチャンスで打席に入るのは、四番大輔だ。

 弁天学園紀州はここまで五回あった大輔の打席のうち四回は歩かせている。それだけ大輔を警戒している。

 そしてこの打席もキャッチャーが立ち上がった。

 大輔を敬遠するのは悪くない作戦だ。相当なピッチャーでないかぎり大輔を抑えるのは困難だしな。

 だが、後ろに俺がいる限り、この作戦は失敗と化す。


 大輔は敬遠となりツーアウト満塁。

 迎えるは五番の俺だ。



 ≪五番ピッチャー佐倉君≫

 場内アナウンスが俺の名前を告げた。

 スコアは10対13。長打が出れば同点に追いつけるかもしれない点差であり、ホームランが出ればサヨナラだ。

 ここはヒーロー目指して一発ホームランを狙っても良い気がするが、無理はしない。今の前久保なら後ろの中村っちと秀平でも攻略できるはずだ。

 俺は俺の出来る事をこなすまでだ。


 「お願いします」

 一礼しながら打席に入り、足場を固める。そうして一度息を吐いてから、バットをゆっくりと構えた。

 打席に入ってみると、球場の異様な空気感に包まれているのを感じる。

 前久保コールがやけに鬱陶しい。哲也辺りはこの空気の中では萎縮してろくなバッティングもできないだろう。

 だが俺は萎縮しない。視野も狭まっていない。身体も頭も落ち着いている。


 初球、アウトロー一杯にストレートが決まる。

 球速は121キロ。怪我している足首の痛みが原因だろう。だがその状態でも力のあるボールは投げ込んできているし、コーナー一杯に決めてくるだけの実力はある。

 だから残念だ。良いコンディションの前久保と投げ合いたかった。


 二球目、インコースへのスライダーを打ち抜く。

 打球は一塁線の右を力強く転がっていくゴロ。ファーストは飛び込んで捕球しているが、これはファールだ。今のボールも打ち頃だった。

 早くもツーストライクだが追い込まれてる気分しない。むしろ追い込んでいる気分だ。


 前久保を見る。肩は大きく上下しており、顔も青ざめ汗まみれだ。それでもまだ目は死んでいない。

 その姿に後押しされてスタンドからは猛烈な応援が前久保に送られる。

 あの表情はテレビを介して全国に流れ、人々を感動させているのだろうか。


 …やっぱり中村っちや秀平につなげるバッティングをするのは止めた。俺が勝負を決める。

 前久保、もう怪我してる足首の痛みは限界点を越しているだろう? だが安心しろ、あと少しで終わる。俺が終わらせてやる。


 息を吐いて、肩に入っていた力を抜く。

 力みはない。泰然自若とした構えで最後の一球を待ちわびる。


 三球目、高めにボールが外れた。

 変化球を投げようとしてすっぽ抜けた感じか。キャッチャーが慌てて立ち上がりボールをキャッチする。

 マウンド上で腕を振りぬいたままの前久保。酷い表情だ。

 骨折した左足首は完治どころかまともに治っていないだろう。その状態で何十球と投げ込んでいるんだ。右投げのピッチャーにとって投じる瞬間一番体重がかかるのは左足だ。その足首がまだ完治してないとなりゃ、一球投じるだけで凄い激痛だろう。


 よくまぁここまで気丈に投げぬいた。

 だからもう無理はするな。ストレートを投げ込んで来い。そしたら俺が決めてやる。

 マウンド上の前久保は大きく肩を上下させる。

 次こそ最後の一球だ。意識を集中させてバットを構え直す。


 四球目、前久保が投じたのはストレート。

 体は無意識に反応していた。この一発で決めるつもりでフルスイングをする。

 両腕に感じる一瞬の重みはすぐさま無くなり、心地よい感覚が両腕に伝わる。

 最後までバットを振り切った。鼓膜に反響する金属バットの音。


 打ち上げられた打球はライト方向に上がった。そしてグングンと青空へと伸びていく。

 腕には確かな手応えがあった。

 内野手の頭上を悠々と越して、外野手の頭上すらも越した。


 そして白球は右中間のフェンスすらも越して、ライトスタンドに飛び込んだ。

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