231話
7点のビハインドから始まった七回の裏の我が校の攻撃。
先頭バッターは四番の大輔。
点差に余裕ができたからか、それとも先頭バッターだったからか。これまで三打席連続フォアボールにしてきた大輔とこの打席では勝負を選んだようだ。
丹羽は球数150近くまで投げている。それでも未だ疲れた様子はない。驚異のスタミナだな。その上、ピッチングも四割ぐらいの力で投じているようだし、200球以上投げてもケロッとしてそうだ。
カウントはツーボールツーストライクとなった。
迎えた五球目、大輔のバットが火を吹いた。
打ち抜かれたボールは目にもとまらぬ速さでレフト前へと転がっていった。強烈なヒットに、大差をつけられて冷めきっていた山田高校応援団から歓声が上がった。
早速ランナーが出た。そして打席に入るのは俺だ。
左打席へと入る。丹羽のボールは打ち頃。守備の正面を突くような不運な当たりにならないよう祈りつつもバットを構える。
7点差を逆転するにはこの回最低でも2点か3点は欲しい。ここで俺が流れを止めるわけにはいかない。
絶好球を求めて初球、二球目と見逃す。
ツーボールノーストライクで迎えた三球目、打ち頃の絶好球。迷わずバットを振り切った。
手には確かな手応えがあった。バットの芯で捉えた打球はライト前へとライナーで飛んでいく当たり。シングルヒットか。まぁいい。次の中村っちに期待しよう。
ノーアウト一二塁。打席には六番中村っちが入る。
一打得点のチャンスにお通夜モードだった山田高校の応援団に熱が入る。
注目集める中村っちの打席。そして彼は初球から勝負を決めに来た。
鳴り響く金属音。どっと歓声があがった。打ち上げられた打球は勢いよく内野手のはるか頭上を越えていき、さらに外野手の頭上まで越えた。ホームラン性の当たり。だが打球は最後の最後で浜風に押し流された。フェンス越えには至らず、フェンスに打球が直撃する鈍い音だけが響いた。
わずかにホームランにはならず、だが長打コースなのは確実だ。
二塁ランナーの大輔は楽々ホームに帰れるだろう。一塁ランナーの俺はホーム突入は難しい。下手にクロスプレーしてケガするのもつまらない幕切れだし、ここは無理せず三塁ストップで。
結果、大輔がホームインするタイムリーツーベースヒット。二塁ベース上の中村っちは、山田ナインが陣取る一塁側ベンチに大きくガッツポーズをしてみせた。
1点返して6点差。さらにノーアウト二三塁。依然チャンスは続く。そして打席には先ほどの守備から出場をしている七番秀平。
相手チームが一度マウンドに集まる。ここは秀平を敬遠してノーアウト満塁で八番哲也、九番誉と対峙するか、それとも失点覚悟で秀平と勝負するか。こっちとしては秀平を敬遠されると困る。正直、哲也と誉でこの場面得点をとれる気がしない。
まもなく相手の内野手がマウンドから散らばっていく。相手チームが選んだのは秀平と勝負。こっちとしてはありがたい展開だ。
その秀平はカウントノーボールワンストライクから変化球を打ち抜いた。
打球はライトまで飛んだが、ライトの増金はすでに落下地点に入っている。あの距離なら十分タッチアップできる。三塁ベースを左足で踏みながら、増金の動きを注視する。
「ゴォ!」
そうして増金のグラブにボールが収まった瞬間、三塁コーチャーの鉄平が声を張り上げた。それに合わせて俺はホームへと走り出した。
増金は肩が強かったと思うが、あの距離なら楽にホームインできる。それでも最後は滑り込みつつベースに触れた。この試合2点目。点差も5点に縮まった。
中村っちはスタートが悪かったのか結局三塁には進めず、ワンアウト二塁で哲也と誉の打席を迎える。中村っちが三塁まで進んでいたら攻め方はあったが、この場面であの二人では佐和ちゃんもろくな指示を送れないだろう。
結局、哲也はサードフライ。誉はショートライナーに終わり、この回の得点は2点のみ。だが悪くない結果だ。
あとは、俺が打たれなきゃ問題ない。
八回の表も俺は全力で相手打線をねじ伏せる。
相手が力で押し潰してくるのなら、俺はそれ以上の力をもって押さえつけるのみ。なんとも原始的な戦い方だが、弁天紀州のような野球スタイルのチームには、これが一番与えるダメージがデカい。
相手打線が得意とするストレートで空振りを奪い、ストライクを取り、三振に仕留める。力の差というものを見せつける。
七番増金を三振に仕留める。八番丹羽も三振に仕留める。
一つ三振を取るごとに球場のボルテージは高まっていく。七回の表まであった弁天学園紀州の勢いはすでに削がれ、流れは山田高校が完全に掌握している。
点差は5点差、8対13で弁天学園紀州がリードしているゲームなのに、まるで山田高校がリードしているかのような熱狂に包まれる。
九番度会。弁天紀州の恐怖の九番と呼ばれている彼も、この試合の空気と俺の全力投球に完全に飲まれてしまっている。
最強のエースとは、そいつがマウンドにいるだけで、球場の空気を変え、試合の流れを掴み、相手打線の戦意を無くす。
俺が目指した極致はここにある。甲子園にきて色んな強いチームと戦って、俺は確かな経験を積んできた。やっとここまで来たかと自画自賛できるほどのピッチングが今出来ている。
このピッチングが続けられる限り、俺に敗北という二文字はない。
それこそ甲子園優勝なんて夢じゃない。プロで活躍するのだって、メジャーで活躍するのだって夢物語じゃない。
「…怪物は一日にして成らず」
だが慢心はしない。まだ高みを目指せるはずだ。
怪物ピッチャーと世間から畏怖されるその時まで、俺自身が「俺は怪物だ」と認められるまで、慢心はしない。
どうした弁天学園紀州? お前らの打線を見せてみろ? こんなのが今大会ナンバー1打線ってわけじゃないだろう? お前らの本気を見せろ。じゃないと…負けるぞ。
投球モーションへと移り、そうして最後に左腕をうならせる。
またもバットは空を切った。カウントはノーボールツーストライク。
度会の様子を見るに遊び球は不要。明日は準決勝だ。球数は少ないに越したことはない。
ラストボールはスライダー。鋭く変化するボールに度会は対応できず空振り三振。これで五者連続三振。だが俺はまだ納得していない。
三番の西川を抑えるまでは満足しないだろう。あいつが弁天学園紀州で一番のバッターなんだからな。次の回、あいつと対決できる。四番の細田とも戦うが、次の回誰か一人出塁させない限り対決は無理か。さすがにわざと出塁させるわけにはいかないしなぁ。
八回の裏の攻撃に入った。試合の流れは完全に我が校が掌握している。
それは相手チームも悟っているはずだ。そして同時にこれ以上の追加点は無理だと判断しているだろう。そうなると今の点差で逃げ切らないといけない。それは今まで乱打戦で勝ち上がってきた弁天学園紀州にはさぞ難しい事だろう。
この回の先頭バッター恭平は打ち取られたものの、続く耕平君をフォアボールで出塁。さらに三番龍ヶ崎、四番大輔と続けてフォアボールで出塁した。
ワンアウト満塁で打席には俺が入る。
マウンド上の丹羽は先ほどのイニングとは打って変わって、だいぶ疲れの色が見えている。
失点してはいけないという不安から、だいぶ精神的な疲れを感じているのだろう。
相手のブルペンを一瞥する。…? エースが投げ込みを始めていた。
なるほど、もう頼れるのはエースのみか。確かに丹羽のピッチングでは逃げ切りは不可能だろう。それでも怪我をしているエースを登板させるとは、弁天学園紀州、万策尽きたといった所か。
丹羽は打たれる不安からか、慎重なピッチングになっている。
だが制球が定まらない。三者連続フォアボールにさせてるし、ここは様子見か。
ボール、ボール、ストライク、ボールとカウントを重ね、迎えた五球目。
投じられたボールは外への甘い球。それを見送った。
「ボール!」
球審の判定に山田高校のスタンドが歓声をあげる。
フォアボールで押し出し。三塁ランナーの耕平君は駆け足気味でホームへと走ってくる。俺もバットの回収に来たバットボーイの岸田にバットとエルボーガード、フットガードなどを手渡し、一塁へと走っていく。
これで4点差。そして弁天学園紀州が動く。
ピッチャー交代。丹羽が引っ込み、代わりにマウンドに上がったのはエースの前久保だ。
夏の県大会後の練習中に左足首を骨折して今大会の出場は絶望的と聞いていたが、チーム事情的にそうも言ってられないようだ。
プロ注目右腕とは聞いてたが、大事な大会で目立った活躍は残していない。今回みたいに直前で怪我したり病気になっているからだろう。勝負弱いともいえる。
まだ完治していないからか、投じるボールも弱々しい。それでも試合経験、修羅場を乗り越えてきた場数なら丹羽よりも十分ある。何よりエースとしてのプライドもあるし、丹羽のようにピンチで簡単に崩れる事もないだろう。
怪我人を登板させるとか、勝負を捨てたように見えるかもしれないが、少なくとも丹羽よりかは厄介なピッチャーな事は間違いないだろう。
エースがチームの窮地で怪我をおしての出場。こんな状況、相手のサポーターが盛り上がらないわけがない。
こっちに確かにあった勢いと流れが相手に引き戻された。このまま相手ペースに戻されないよう、ここは何としても追加点が欲しい。
打席に入るのは六番中村っち。ワンアウト満塁。まだ十分点を取れる場面だ。
だが、エースの前久保は出来る限りのピッチングで躍動する。
最高球速は145キロのストレートも、ケガしてる今は120キロ後半まで落ちている。しかし、制球を意識して、しっかりとゾーンの内外を投げ分け、コーナーを突くピッチングをする。
さすがは和歌山の野球の名門弁天学園紀州のエースピッチャーだ。怪我をしてもなおそのピッチングは精彩を欠いていない。
フルカウントから外一杯のストレート。中村っちのバットは出ず、判定はストライクで見逃し三振となった。
続く秀平もコースギリギリのボールで攻めていき、こちらもフルカウントからのコース一杯のストレート。秀平は手を出すも、打球を打ち上げてしまいセカンドフライ。
相手スタンドの歓声が徐々に大きくなっていき、最後にピッチャーの前久保が落ちてきたボールをキャッチした瞬間、今日一番の歓声と賞賛が送られた。
さすがはエース。この局面で勢いも流れも引き戻してきたか。
「やられたなー」
ワンアウト満塁。ホームランにでもなれば同点にされるようなピンチ。その場面で怪我人のエースを登板させるという大胆な作戦。そしてその作戦を遂行するエース。
見事にやられた。こんな作戦決められちゃ、流れも勢いも相手チームに持っていかれても文句は言えない。
怪我人を登板させるとは、相手監督も思いっきりが良いというものだ。うちの佐和ちゃんならまずやらないだろう。これが常勝チームの監督と、甲子園初出場の監督の差か。
でもまぁ、負けるつもりはない。
勢いも流れもまた取り戻せばいい。怪我人の前久保にあそこまでのピッチングをされたんだ。無傷の俺はあれ以上のピッチングをしないとな。
9対14で迎える最終回。
史上まれにみる乱打戦となった今日の試合、最後の攻防へと移っていく。




