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怪物は一日にして成らず  作者: ランナー
7章 聖地、怪物立つ
230/324

229話

 六回の表、弁天学園紀州の攻撃。

 先頭の八番丹羽を抑えた亮輔だったが、続く九番度会にツーベースヒットを打たれ、一番の忠岡にヒットを打たれてあっさりと1点を献上してしまった。これでスコアは6対4。まだ2点のリードがある。

 多少の失点は今日は仕方ない。大事なのはここから。1点取られた後の守りだ。目に見えて動揺している亮輔に対し、キャッチャーの哲也は落ち着いていた。さすがに場数を踏んでいるだけある。だいぶ哲也にも貫禄というものが出てきた気がする。

 続く二番田坪(たつぼ)、三番西川を抑えて、この回は1失点で終わった。


 なんとか亮輔と哲也のバッテリーが水際で粘っているな。

 でもこれもそう長くはもたない。だいたい弁天学園紀州の打線がこのまま打ちあぐねているはずがない。

 そろそろデカい火がつきそうで怖いな。


 「里田、ちょっと軽くキャッチボール付き合ってくれ」

 ベンチに戻り、暇していた里田に声をかける。 

 俺が登板するかどうかは分からない。だけど弁天紀州の打線を見ていたら投げずにはいられないんだ。

 本能がうずいているんだ。俺をピッチャーたらしめるのはこれだ。相手バッターと対決したい。マウンドの上で相手をねじ伏せたい。その思いは野手として出場していても消える事はない。


 哲也とキャッチボールしたかったが、あいつは今亮輔のリードで頭を悩ましているだろうし、無理はさせられない。

 ピッチャーの球種が1つ増えるだけでも、リードの配球パターンは一気に増える。ましてや亮輔は、ストレートも含めて7つの球種があるんだ。何百何千ってパターンになるはずだ。

 その中から正解の配球を選ばないといけない。今の哲也は相当頭を使っているはずだ。



 里田とキャッチボールをしつつ試合の行方を確認する。

 この回の先頭バッターである一番恭平はいきなりセカンドゴロに倒れた。続く二番耕平君が今打席に入って粘っている。

 丹羽の奴はすでに100球以上投じているはずなのにボールの勢いが落ちていない。

 結局耕平君もセカンドゴロに倒れ、三番龍ヶ崎もレフトフライに終わり、この回は無得点で終わった。

 まぁ無得点で終わったのは仕方ない。七回の守備に行くか。


 「英雄」

 ベンチから出ようとしていたところで佐和ちゃんに声をかけられた。


 「なんですか?」

 「いつでも投げれるよう気持ちの準備はしておいてくれ」

 一言、佐和ちゃんはそういうと俺から視線を離した。


 「何言ってるんですか。俺はいつだって準備万端ですよ」

 試合前から弁天学園紀州で登板するかもとは考えていた。

 正直、松見と亮輔の二人で抑えられるとは思ってもいないし、必ず俺にも登板機会があるだろうと内心思っている。

 いつでも準備OKだ佐和ちゃん。いつでも声をかけてくれ。


 「悪いな。お前ひとりに無理させて」

 「無理なんてみんなしてますよ。もう終わり間近ですから」

 そう言って俺はにやりと笑い、ファーストへと走っていく。

 佐和ちゃんがあんなことを言うとはな。という事はそろそろ弁天紀州の打線が爆発するというわけか。



 ≪七回の表、弁天学園紀州高校の攻撃は、四番キャッチャー細田君≫

 さて七回の弁天紀州の攻撃が始まった。

 先頭バッターは四番の細田。体格がまるで肉袋のようにごつい。

 空気の流れが変わるのを感じた。嫌な予感がする。この回は何かありそうだな。

 …そう思った初球だった。


 爆発音のような音が球場を震えさせた。


 「わーお」

 口からそんな言葉が無意識に出ていた。

 打ち上げられた打球はレフトへと飛んでいく。やがてフェンスに直撃し鈍い音を響かせた。

 わずかにスタンドまで届かなったが、バッターは二塁まで進むツーベースヒット。いきなりの長打に亮輔も唖然としている。


 弁天学園紀州の応援団の応援も熱を帯びてきた。

 ここぞとばかりに高らかな演奏と一糸乱れぬ声で応援歌を奏で選手たちを鼓舞している。

 打席には五番程野が入る。

 その程野も初球で決めてきた。


 これまた耳をつんざくような快音が響いた。

 弾けとんだ打球は、今度はフェンスをギリギリ飛び越えた。

 歓声が沸き起こった。程野は悠々と一塁ベースを蹴飛ばし二塁へと走っていく。


 同点となるツーランホームラン。

 応援歌は高らかに鳴り響く。ホームランを打った程野を祝福するように…まだまだ攻撃は終わらせないと言っているように…。



 このホームランが起爆剤となり、ついに弁天学園紀州の打線が爆発した。

 続く六番則藤は、カウントツーボールワンストライクからスライダーを打ち抜いた。

 打球は亮輔の股の下を抜いて二遊間を破るセンター前ヒットとなった。

 七番の増金(ますかね)もワンボールワンストライクから甘く入ったチェンジアップをレフト前へとはじき返して出塁した。

 八番丹羽はフォアボールで出塁し満塁。打席には九番の度会。

 亮輔は肩で大きく呼吸をしている。だが崩れる様子はなく、気高く投げている。投じているボールも思いが乗った良いボールだ。…だが、相手バッターはいともたやすく打ち抜いてくる。


 今日何度目かの金属バットの音が球場にこだました。

 鋭いスイングから打ち抜かれた打球は、面白いように飛んでいき、まもなくライトフェンスに直撃する。

 ガシャン! という大きな音を立てて、打球は地面へと落ちる。それを龍ヶ崎と耕平君が追い、俺は中継のために外野へと走っていく。

 この打球じゃ、二塁ランナーまでは確実に戻ってくる。


 龍ヶ崎からの中継をもらい、ホームへと振り返りボールを投じる。

 二塁ランナーは生還済み、一塁ランナーは三塁ストップ。打ったバッターも二塁まで進んだ。

 この回4失点目。スコアは6対8となり勝ちこされた。

 一度、一塁側ベンチを見る。佐和ちゃんは腕を組んだまま亮輔のほうを見ている。まだ俺の出番じゃないか? そろそろ出番でもいいんじゃないか? 

 だが亮輔は続投のようだ。まだ亮輔に粘らせるか。俺はいつでも行けるぞ佐和ちゃん。左肩をぐるぐる回してアピールするが、佐和ちゃんはこっちを見てこない。

 これぐらいの失点ならまだ勝てると佐和ちゃんは考えているのか?


 一番に戻り打席には忠岡。

 この忠岡も初球から打ってきた。打球は右中間に落ちるヒット。三塁ランナー、二塁ランナーともに生還する走者一掃のタイムリーヒット。これで10点目だ。弁天学園紀州はこれで四試合連続の二桁得点となった。凶悪だなまったく。

 どこに投げても面白いように打たれるな。これじゃ哲也もリードどころじゃないだろう。

 チラチラと一塁側ベンチにいる佐和ちゃんの動向をうかがう。ここでも動きはない。


 「なぁ」

 「あ?」

 ここで忠岡が声をかけてきた。


 「お前、登板しねーの?」

 「あいにく今日はオフだ」

 ニヤニヤ笑いながら話してくる忠岡にイラッとしつつも、それを表に出さないよう努める。


 「オフって、負けたら意味ねーだろ。もしかして俺らにぼこぼこに打たれたくないわけ?」

 思わず忠岡に膝蹴り入れるところだった。命拾いしたな忠岡、お前が恭平だったら間違いなく膝に一発蹴り入れてたからな。

 なんだよこの野郎、俺を煽ってんのか? 言っとくが俺はそんな挑発に乗らねーからな。


 「馬鹿かお前。俺が登板したら完全試合しちまうから、うちの監督が慈悲で控えピッチャー出してやってんだよ。感謝しろよ」

 ごめんなさい。やっぱり乗っちゃいました。

 忠岡がこっちを睨みつけている、それを不敵に笑ってみせた。


 「そうかよ。じゃあとっとと負けろ」

 「おぉ、お前らも今のうちに点取っとけよ。俺が登板したらヒットすら出なくなっちまうからな」

 最後まで煽りは忘れない。俺を煽るとどうなるか教えてやる。

 舌打ちして小声でぐちぐちなんか言っている忠岡。その一つ一つに煽り返ししてやろうかとも思ったが、これ以上の口論は審判から注意されそうだし、無視しておこう。


 打席にはこの回八人目となるバッター、二番の田坪が入る。まだ一つもアウトをとれずノーアウト一塁だ。

 まだ佐和ちゃんは動かない。まだ逆転できると踏んでいるのか? 4点差だぞ? そろそろ俺の出番だろう?

 さっきの気持ちの準備をしとけと言ったのはなんだったんだ? いや、佐和ちゃんも悩んでいるのか? もしそうなら出し惜しんでる場合じゃないだろう。このままだとマジで取り返しのつかないぐらいの点差になるぞ。

 ベンチをもう一度見る。腕を組む佐和ちゃんは、ちらりとこちらを見て目が合った。



 …どうする? どうする?

 組んだ腕、右指で左の二の腕を何度もたたきながら俺は悩む。

 ファーストを見る。今日ファーストで出場している英雄はまだかまだかとこちらを見つめている。その様子を見て俺は顔を歪めていた。

 キャッチャーの哲也も何度も俺を見てくる。…どうする?

 マウンド上の亮輔は大きく肩が上下に揺れている。

 ノーアウト一塁。6対10で4点ビハインド。これ以上の点差は…。だが…。

 

 「佐和先生。榛名じゃ抑えるのは無理なんじゃないですか?」

 隣で試合を見ていた佐伯先生でも分かるぐらいの状態。

 …今日の試合、英雄を温存して勝利したい。負ければ終わりだとは分かっている。だが、これ以上英雄を酷使していいものか…。

 英雄自身は気づいているか分からないが、あいつの体にはだいぶ疲労が蓄積されている。今日から三連投させれば壊れる恐れだってある。

 あいつには未来がある。高校野球で潰されるべきピッチャーじゃない。あいつの左腕には無限の可能性が秘めているんだ。プロ野球、いやメジャーリーグだってあいつのピッチングなら通用する。

 俺は高校野球の監督だが、同時に教育者だ。勝利は欲しいが、誰かを潰してまで勝ちたいとは思わない…!

 甲子園ならまた来れる。優勝だってまたいつかできる。松見と亮輔はこの試合、いい経験になったはずだ。彼らが三年生になる頃に、もっとチームを育て上げて甲子園優勝を狙えば良いのではないか?


 「佐和先生」

 佐伯先生の言葉に我に返る。

 彼の顔を見て、俺はため息を吐いた。

 ここで快音が鳴り響いた。慌ててグラウンドへと視線を向ける。打球はショート頭上、恭平が大きな声を上げて落下地点へと入り、まもなくグラブにボールを収めた。

 ワンアウト。やっと出たか。ホッと安堵の息を吐いた。


 大丈夫。まだ大丈夫なはずだ。亮輔ならきっとこの局面を乗り越えて抑えてくれる。

 …そんなわけがない。今のは偶然打ち上げただけだ。

 これからクリーンナップ。亮輔の実力で抑えられるはずがない。

 代えるなら今。もう一度英雄を見る。俺はいつでも行けるぞと言わんばかりに左肩を回している。それを見て、俺はすぐ視線を逸らした。

 目を瞑り悩む。大事な場面で優柔不断だ。俺はまだまだ経験が浅いようだ。修羅場を乗り越えてきた名将ならば、こんな事悩むことなく最善策を選ぶだろう。

 なんで初めての甲子園でベスト4かけて試合してるんだ俺は。もっと早いうちに負けるもんだと内心思っていたんだがな…。


 「佐和先生。榛名は…」

 「続投します。あと3点までなら、なんとかなるはずです」

 3点までなら7点差だ。残り3イニング。十分逆転できる。

 相手エースの状態、選手たちのバッティング、経験。そして英雄が登板した時の勢い。

 大丈夫だ。3点までならまだいける。

 粘ってくれ亮輔。お前ならきっと…。


 甲高い音が鳴り響いたのはその数秒後だった。

 音の主は三番西川の金属バット。歓声が大きくなる。打球の行方は追わずとも分かった。まもなく今日一番の大歓声が起きて、打った西川は悠々とダイヤモンドを回っていく。

 ツーランホームラン。

 唇をかみしめて、試合の行方を確認する。

 監督としての俺が早く英雄を出せと言っている。教育者としての俺が負けてもいいから英雄を壊すなと言っている。


 「佐和先生」

 「まだです。まだいけます…!」

 何故かたくなに英雄を登板させない? それはきっと英雄に期待しているからだろう。

 あのサウスポーが、あの怪物が、高校野球で壊れる事無くプロ入りしてくれることを期待しているんだ。あいつがプロで、メジャーで活躍することを期待しているからこそ、悩むんだ。

 亮輔を見る。あいつの心はまだ折れていない。あいつの目はまだ死んでいない。まだ戦える。だからまだ大丈夫。大丈夫なはずだ。

 深いため息を吐いた。もう一度深いため息を吐いた。そして唇を噛みしめ、組んでいた腕が震えるぐらいに力をこめる。


 打席には四番の細田が入った。6対12。まだあと1点は大丈夫。

 ランナーも消えてワンアウト。ここから切り替えて抑えてくれれば…。


 そんな俺の甘い考えは初球から消えうせた。

 初球の変化球を細田は確実にとらえた。打った瞬間分かる当たりを見て、組んでいた腕がだらんと垂れ下がった。


 「俺もまだまだだな」

 口からこぼれた思い。呆れ笑いが起きた。

 何故意固地になっていた? こうなることを予測で来ていたのに、なんで出し渋った。

 監督として、俺はまだまだ未熟なのだと思い知らされる。


 「佐和先生!」

 前よりも力強い佐伯先生の声。

 俺は血がにじむほどに唇を強く噛んだ。


 「えぇ…もう彼に頼みましょう」

 そう俺は力なく呟いた。

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