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怪物は一日にして成らず  作者: ランナー
7章 聖地、怪物立つ
223/324

222話

 英雄は今頃、試合をしているのだろうか?

 私、山口沙希はテレビを見る事はなく、自室の机の前に座り、下書きした絵に色を塗っていく。

 結局、今日も応援に行けなかった。それどころかテレビで応援する事すらためらってしまう。


 まだ私の中で気持ちの整理はついていない。それどころかなんであんなことを言ってしまったのかとひたすら自分を自分で責めてしまう。

 外からはセミの鳴き声が聞こえる。私もセミみたいに一週間という儚い命の中で全力で生きたい。なんてネガティブな感情すらも湧いてしまう。


 「…うーん、ダメだ…」

 最近は描く絵の色合いすらも納得いかなくなっている。

 どんなに絵を描いても、色をぬっても満足しない。自分には絵の才能がないんじゃないかと不安になっていく。絵の才能すらもなくなってしまえば、私に残るのはなんなんだと余計に気持ちが落ち込んでいく。


 「…ダメだ」

 落ち込んだ気持ちをこれ以上落とすわけにはいかない。

 気持ちを切り替えるために、家事をこなそう。

 そう思い立ち、スタッと立ち上がって自室を後にした。



 山田高校が夏休みに入ったように、健太や大智が通う小学校も夏休みに入った。

 二人とも私の言いつけて七月下旬のうちには夏休みの宿題を終わらせ、あとは自由研究のみだ。その自由研究もあと少しで終わる。

 そのせいか、最近はだらけきっているし、友達と遊びに出かけてしまっている。

 今日は父も母も少し遅い盆休みをとっている。という事で麗子のお世話は二人にまかせてしまっている。


 「あら沙希? 絵を描くじゃなかったの?」

 リビングではテレビを見ながら麗子を抱く母とキッチンで料理を作っている父。


 「今気分が乗らないから…。それよりなんかやっておいたほうが良い事ある?」

 「今日は私もお父さんも休みだから、沙希は自分のやりたいことをやりなさい」

 気分転換のために家事をやろうと思ったが、どうやらやらせてもらえなさそうだ。

 ここで気分が落ちていることを言うわけにもいかないし、どうしたものか。


 ≪六回の裏、郁栄学院の攻撃が始まりました。バッターは一番の門馬。ここまで佐倉に連続三振を奪われており、そろそろヒットを打ちたいところ≫

 っと、テレビから流れる男性アナウンサーの声に肩がびくりとはねた。

 自然と視線はテレビに向けられた。


 英雄の顔がテレビに映っていて、動悸が酷くなった。


 「そういえば沙希。今日試合なのに応援行かなかったんだな。英雄君が泣くぞ」

 父がそんな事を言っていた。

 今の感情を両親には見せないよう、平静を装いながら顔を上げる。


 「うん…今度のコンクールに出す絵が間に合ってないから仕方なく」

 「…そうか。それなら仕方ないな」

 私の様子を見て、父は何かを悟ったのか、話題を打ち切った。

 もう一度、私はテレビへと視線を向けた。

 甲子園で躍動する英雄のピッチング。今の彼の中には私という存在はいないのだろう。そう思うと、なんだか悲しくなって、何も言わずリビングを後にした。



 六回の裏、郁栄学院の攻撃。

 ノーアウト、ランナー無し。打席には一番の門馬。今日三度目の対決だ。

 だがすでにカウントはワンボールツーストライクと追い込んでいる。哲也が最後の一球を指示する。


 最後の一球はインハイへのストレート。

 小さくうなずいてから、ゆっくりと投球動作に入る。

 そして左腕を力強く振るい、哲也のミットへと投じた。


 釣り球の高めへのストレート。これに門馬のバットが出ていた。

 門馬も途中でボールと判断したのか、中途半端なスイングとなった。スイングの判定が出て空振り三振。安打製造機らしくない情けないスイングだった。

 これで彼は三打席連続三振となる。自身初の経験なのか、門馬の表情に焦りが見えている。悔しげに顔をゆがませながら俺を睨んできたが無視だ。哲也からの返球を受け取りひょうひょうとロージンバッグに指先を触れた。


 この後、続く二番三番も三振に打ち取りマウンドを駆け下りる。

 ここまで2本のヒットと1個のフォアボールのみ。奪三振は13個とハイペースだ。今日は思いのほか三振が取れる。調子は悪くないな。


 そうしてベンチ前まで来たところで、一度振り返りセンターにあるバックスクリーンへと視線を向ける。

 試合は現在、六回の裏までで2対0で俺達がリードしている。

 1点は二回の大輔のホームラン。そしてもう1点は、これまた大輔だ。


 四回の表でも大輔のバットが火を吹いたのだ。

 今度は畑中の投じる甘い変化球だった。

 初球のストレートをファールにし、二球目のスライダーもファールにして、三球目、四球目とインコースのストレートを見送った後、五球目の外へのカーブをすくい上げたのだ。

 打たれたボールは当たった瞬間から分かるほどの特大アーチとなり、左中間へと飛び込んだ。

 二打席連続ホームランにはさすがに俺達ですら呆れて笑うしかなかった。あの時の畑中の唖然とした表情は今思い出しても同情が沸くレベルだ。


 それにしても大輔は今日調子が良いようだ。

 あの様子だと、もう一本ホームランを期待できる。


 …一試合で三本のホームラン。

 それは甲子園という長い歴史の中で春夏通じて二人の高校球児しか達成していない偉業。

 大輔なら簡単にやってのけてしまいそうな気がする。案外、あっという間に決めてしまいそうではある。

 だがしかし、大輔以外は沈黙している。ここまで大輔を除いてヒットは0本。完璧に畑中に抑え込まれている。大輔は簡単に打っているが、畑中のボールは二回り目でも合わせられなかった。

 そろそろ大輔以外のバッターからヒットが出てほしいものだ。まぁ俺も打ててないんだがな。


 「さぁて七回だ! 畑中の球数も70球を越えた。初回に比べればだいぶス球威も落ちてきている。そろそろ攻略するぞ。甘く入ったボールは初球でも良いから打っていけ!」

 「はい!」

 攻撃前の円陣で佐和ちゃんが選手たちに指示を飛ばす。

 この回の先頭バッター龍ヶ崎を除いた選手たちが声をそろえて返事をする。


 「それから大輔。どかんと一発頼むぞ」

 「俺は来た球を打つだけですから」

 にやりと笑う佐和ちゃんに対し、大輔はいたっていつも通り。

 偉業を前にしていると思えないほどの落ち着きぶりだ。ホームランを狙っている様子もない。


 「ホームランになるかヒットになるかは打ってみないとなんとも。まぁもう1点あれば英雄も楽に投げれると思うし、全力で行きます」

 そういってヘルメットをかぶる大輔。

 なんとも頼りになる一言だ。こいつが味方で本当良かった。


 「あぁ頼むぞ。そしてお前らも大輔に続けよ!」

 「はい!」

 これで七回の攻撃前の円陣は終わりだ。

 俺は円陣が終わると大輔にすぐさま声をかけた。


 「大輔」

 「うん? どうした?」

 表情は変わらずいつも通り。やはり気負っている様子も緊張している様子もない。

 いつも通りの大輔がここにいる。この状況で一切動じないのはさすが大輔と言わざるを得ない。


 「ここでホームランが出れば、高校野球の歴史に残るぜ?」

 にやりと笑いながら俺は大輔に告げる。こんな質問して大輔が力むだけなのに、なんで質問しているんだ俺は?

 まるで大輔が打ち損じる事を期待しているようにも見える。でも、あえて大輔には言っておきたかった。

 だって見ているこっちが緊張しているのに、当の本人が一切気にしていないのはなんだか嫌だった。意地が悪いなと我ながら思ってしまう。

 ここでホームランが出れば過去に一試合三本塁打の偉業を果たした二人に並ぶと同時に、三打席連続は前人未到の快挙となる。

 それは高校野球の歴史に残る偉業だ。


 「なにを言ってるんだ英雄? 優勝しちまえばどっちにしろ記録に残るだろう? ここで個人の記録を目指す必要なんてないだろ?」

 だが大輔はまったく気にしていない様子だ。

 そうだよな。お前はいつだってそうだ。自身の記録なんて気にしない。大事なのはチームの勝利。ホームランを打てるパワーを持ちながら、チームが勝つためなら、指示さえあればバントだろうと進塁打だろうと打つ。

 あぁ、先ほどの質問は愚問だった。こいつに記録をこだわる思考はない。


 「でもまぁ、畑中の心を折るのはもう一発決める必要がありそうだ。だから、この打席も狙うぜホームラン」

 ちょっと大輔の精神力の強さと自分の精神力のもろさを比べて嘆いていると、大輔がさらに言葉を続けてきてにやりと笑う。

 …やっぱりこいつには勝てないな。俺もにやりと笑い、彼の肩を軽くたたいた。


 ここで金属バットの鈍い音が響いた。

 一同の視線はグラウンドに集まる。三番龍ヶ崎はボールに当ててレフトまで打球を運んだようだが、勢いが足りない。レフトもすでに落下地点に到着しており、グラブを天へと掲げている。


 「じゃあ、行ってくる」

 「あぁ、彼女に良い所見せて来いよ」

 大輔の言葉に俺はそんなエールを送る。

 このような言葉であいつにプレッシャーはかけられない。むしろその言葉に大輔はやる気を出すだろう。

 打席へと歩いていく大輔の背中。何度も見てきた背中だが、これほどまで頼りになる背中はないなと改めて思わされた。

 三打席連続ホームラン。嫌でも期待してしまうな。

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