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怪物は一日にして成らず  作者: ランナー
7章 聖地、怪物立つ
221/324

220話

 8月16日。大会十一日目。郁栄学院戦当日。

 朝食をとり終えた後は、あわただしくバスに乗車し甲子園球場まで向かう。

 今日は第一試合。試合開始時刻が8時30分だからそれよりも最低1時間前にはつかないといけないから、どうしても第一試合の朝は慌ただしくなってしまう。

 甲子園へと向かう車内では佐和ちゃんが改めて郁栄学院の要点をまとめている。


 郁栄学院は宮城の野球名門校。

 今年は特に東北最強と呼ばれるぐらい強い。昨秋の東北大会、今年の春の東北大会両方で圧勝している。

 エース畑中は調子の波が激しいが、調子さえ良ければノーヒットノーランや完全試合も簡単にやってのけてしまう。現に昨秋と今春の東北大会でノーヒットノーランを1回、今夏の県予選でも準々決勝で完全試合を達成している。

 反面、調子が悪いと簡単に崩れる面もあり、選抜甲子園でも二回戦が絶不調で打ち込まれて敗れている。

 控えピッチャーは平均的。投手力に関しては城南や阪南学園に劣っているように見える。


 一方で打線のほうは凄い。

 一番から九番まで皆高い能力を有している。その中でも特に一番の門馬がずば抜けている。

 守備も固い。門馬はセンターを任されているが、こいつがまた俊足を生かした広い守備範囲とレーザービームのような送球をする肩、公式戦で一度もエラーやミスをしたことがない守備能力の高さ。こいつがセンターにいるだけで、こっちの打線へのプレッシャーは半端ない。

 彼のみならず、他の選手も守備能力が高い。投手力が他よりも劣っている分、この守備で取り返している感じか。


 この後も郁栄学院の情報や畑中攻略への作戦などの話をしていると、なんか後ろの座席からいびきが聞こえた。このいびきは…。

 思わず佐和ちゃんも説明を中断し、いびきの主へと視線を向ける。

 俺も腰を上げて、後ろの座席を見る。大輔だ。せっかく佐和ちゃんが要点まとめて郁栄学院の説明しているのにいびき掻いて寝てやがる。しかも隣の恭平も寝てる。

 なんなんだこいつら、さすがに佐和ちゃんをナメすぎだろ。いつかシバかれるぞ。


 「なにやってるんだ本当…」

 さすがに呆れて何も言えない佐和ちゃん。

 頼むぜ大輔。うちの打線はお前頼りなんだからな。俺も呆れつつも大口開けて寝ている大輔の寝顔を見るのだった。



 作戦会議も終わり、球場まであと少し。

 大輔は起きたようで、佐和ちゃんのもとに謝りに向かっている。なお隣で寝ていた恭平はさも起きていましたとばかりに、大輔に「作戦会議中に寝るとかマズいだろ。さすがに謝ったほうが良い」とか言っておいて、自分は謝りには行っていない。

 ふと携帯電話を開く。メールが何件か来ていたが、その中には沙希からのメールもある。

 思い出すのは阪南学園前日の出来事。思い出すだけで気が重くなる。阪南学園の時みたいに試合に入れば忘れるぐらい集中できるんだがな…。

 メールの内容は他愛のない文章。試合の勝利を祝い次の試合を応援するというありきたいなものだ。文章も普段と何一つ変わりない。文末の顔文字や行と行の間に空けられているスペースも、何一つ変わっていない。

 だからか、余計に気が重くなる。俺は彼女に気を使わせてしまっているのが申し訳がたたない。だが今の俺には野球がある。とにかく甲子園大会が終わるまでは極力忘れるようつとめなければ…。


 なんて感じで気が重くなっていると、新たにメールが届いた。

 送り主は鵡川だ。彼女の名前を見た瞬間が頬が緩むのを感じた。

 彼女からのメールで無意識に笑顔になるぐらいには、俺は彼女のことが好きらしい。先ほどまであった重い気分は晴れた。

  

 


 甲子園球場に到着し、試合の準備へと移る。

 球場は朝早いが、すでに多くの観客が来ている。特に畑中は選抜で甲子園最速タイ記録の154キロを計測しただけあり、今大会は甲子園最速を出すのではと開幕前から期待されていただけあり、今日も朝から大勢の観客に囲まれながら試合する事になりそうだ。

 甲子園での最速は先ほども言った通り154キロだ。これまでに畑中を含めた四人のピッチャーが計測している。

 俺も初戦の城南戦で153キロの記録を計測して以来、甲子園最速を期待されていたりする。まぁ俺は三振さえ取れれば良いんですけどね。


 ライトでアップを開始する。

 スタンドにはぞくぞくと観客が詰めかけている。

 朝っぱらから甲子園球場は熱気を帯びてきた。太陽も日照りが強くなり始めた。今日も暑い一日になりそうだ。

 甲子園の名物でもある浜風はそこまで強くない。緩い風がライトからレフト方向にかけて吹いている。これぐらいの風なら、あまり打球に影響はないだろう。


 この後、試合前のシートノックも終えた。

 今日の試合は、先攻が山田高校、後攻が郁栄学院となる。

 相手のオーダー表を確認する。打順はこれまで二試合と変わったところはなく、一番バッターは相変わらずのセンターの門馬。畑中は前の試合不調ではあったが今日の試合も先発を任されている。

 ちなみに俺達山田高校のスタメンは変化はない。お互い今出せる全力のオーダーで挑む。


 この後、整列し一礼。三回戦、郁栄学院との試合が始まった。



 「さて、初回だ! 先発は畑中。不調か好調か…状態次第で今後の攻略パターンが変わるからな。初回は畑中の調子を見極めるぞ」

 「はい!」

 ベンチ前で円陣を組む俺らに佐和ちゃんが意気揚々と語る。

 力強く返事を返す一同だが、打席付近にいる恭平には見極めるなんてテクニックはできないだろう。あいつはどんな相手だろうと初球を打ちに行く。雑な攻め方だよ本当。


 マウンドで投球練習をする畑中は力強いボールを投じる。

 見た限り、調子は悪そうには見えない。キャッチャーのミットからも軽快な音を響かせている。

 そうして投球練習も終わり、ついに試合が始まる。


 朝一番の応援が始まった。

 山田高校の応援団もだいぶ場数をこなしてまとまりあるものになってきている。49代表一番の応援団とはいえないが、ベンチにいる選手たちを鼓舞するのはしっかりと出来ている。


 右打席へと入る恭平。

 さて初球。畑中はノーワインドアップモーションから恭平に放ったのは…。


 一瞬のうちにミットの音が響いた。

 思わず目を見開き硬直していた。言葉を失うとはこの事を言うのか。

 打席に立つ恭平ですら身動き一つつけず硬直している。顔は呆気にとられ畑中を見つめている。

 ボールに目が追いつけなかった。動体視力にはそこそこ自信があったのだが、畑中の投じたボールはミットに収まってから、彼がボールを投じた事に気づいたほどだ。


 応援は一時中断しかけた。それぐらいインパクトのある一球だった。

 バックネット裏に陣取る高校野球ファンを始め球場は騒然としている。

 視線は自然とバックスクリーンにある球速表示へと目を向けた。


 156km/h


 「ははは…マジかよ…」

 呆れて笑うしかない。

 今まで153キロが最速だった高校野球の甲子園球場において、2キロも記録更新するとか狂気の沙汰にも程がある。

 なるほど、あれが甲子園最速のストレートか。よもや我が校で記録更新せんでも良いのに。


 恭平がこっちを見てきた。とても情けない顔を浮かべて小刻みに首を左右に振っている。どうした腰が引けてるぞ?


 「恭平! 打てるぞ!」

 「何ビビってんだよ! 打てやぁ!」

 恭平が畑中のストレートに飲まれてるのを良い事に誉や大輔が野次を飛ばす。さすがは恭平、ストレートに飲まれてもなお、我が校のベンチを盛り上げるとはな。お前は最強のムードメーカーだ。


 続く二球目はアウトローへの緩い変化球。

 恭平のバットは出るが、あの腰が引けたスイングではろくな打球を打てないだろう。結局空振りとなる。

 迎えた三球目もアウトロー。今度は早いストレート。

 球速は145キロと先ほど比べれば幾分落ちているが、それでも十分早い。恭平のバットは空を切り三球三振で戻ってきた。



 続く耕平君にも初球150キロオーバーのストレートを投じてくる。

 恭平のように情けない顔をすることはなかったが、続く二球目も強烈なストレートで押してくる。


 「やべぇよ…マジであいつやべぇよ…!」

 ベンチに戻ってから「やべぇよ」しか言っていない恭平をゲラゲラ笑う大輔と誉。

 耕平君の打席も見る限り、畑中の調子はハイパー絶好調といった所か。厄介だな。佐和ちゃんも険しい表情を浮かべている。


 さて耕平君も空振り三振に終わった。彼に投じた四球、全て150キロオーバー。畑中、お前本当高校球児か?


 「どうだった耕平?」

 「凄いです。あんな速い球をコース一杯に投げられちゃ手を出せないです」

 戻ってきた耕平君に険しい表情のまま聞く佐和ちゃんと、渋い表情を浮かべながら答える耕平君。

 コーナー一杯に150キロオーバーのストレートか。そら打てませんわ。


 「…どんなに球が速くても、あの馬力を最終回まで保てるピッチャーなんていない。いずれ燃料切れになるはずだ。…それまでこっちは守りに徹していればいい。そうだろ英雄?」

 ここで佐和ちゃんは一つの答えを導き出し、俺へと話を振ってきた。

 その答えから俺に話を振るとか、何が言いたいんだ? まったく。


 「お任せください監督。畑中のガソリンが切れるまで俺が相手打線を抑えますよ」

 「あぁ任せた」

 あんなピッチャーと投げ合えるんだ。楽しまなくちゃな。

 三番龍ヶ崎も早々に追い込まれている。あの調子じゃこの回ヒットは望めないだろう。

 そうして最後は外一杯に決まる153キロのストレートを見送り、三振に終わる。


 150キロ台のストレートを連発し三者連続三振に切って落とした畑中にスタンドの観客は惜しみない拍手で迎える。

 畑中靖、高校野球の歴史に新たな名を刻んだピッチャー。面白れぇ、そんなピッチャーと投げ合いを演じれるとか最高すぎだろ俺。


 「さぁ、こっちも怪物らしいピッチングしましょうか」

 帽子をかぶり直し、マウンドへと走り出す。

 一回の裏、郁栄学院の攻撃が始まる。

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