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怪物は一日にして成らず  作者: ランナー
7章 聖地、怪物立つ
214/324

213話

 俺のタイムリーヒットで先制点をもぎ取った山田高校。

 なおもツーアウト一三塁のチャンスだったが続く六番中村っちは三振に終わった。

 このまま一気に大量得点を期待したが、今日の中村っちは見事に松井のボールをとらえきれていない。あっという間に追い込まれ、最後はボールになる変化球に手を出し三振でスリーアウト。

 もともとストレートの対応力は高いが変化球は苦手という大味なバッターだったが、今日は普段以上に大味なバッターだ。

 ベンチに戻ると佐和ちゃんは苦い表情を浮かべていた。佐和ちゃん的にももう1点は欲しかったのかもしれない。


 「英雄、お前ここはもう1点欲しかったと思ってるだろう」

 もう1点欲しかったと思ってそうな顔をしている佐和ちゃんが言ってきた。

 確かに俺ももう1点欲しかった。別に打たれるつもりはないのだが、どうも嫌な感覚がぬぐえない。それはきっと吉井優磨という男を認めているということなのだろう。


 「お恥ずかしながら。でも、佐和ちゃんもそう思ってるでしょ?」

 「まぁな。お前でも阪南の打線を0点で抑えきるのは難しいだろう」

 佐和ちゃんの見解。悔しいがその通りだ。

 いや、打線自体は大したことない。確かに選抜準優勝になっただけあり、どのバッターもバットを振れているが、俺からしたら大して怖くはないのだ。

 問題は三番四番。松井と吉井のスラッガーコンビだ。特に吉井はどうにも油断できない。


 「…とにかく早くマウンドに行け英雄。この回は松井から始まるぞ」

 佐和ちゃんが一言告げた。その言葉に俺は小さくうなずいてベンチを飛び出しマウンドへと走る。

 相手ベンチへと視線を向ける。ベンチ前から並んで俺をにらみつける松井と吉井と目が合った。



 ≪七回の表、阪南学園高校の攻撃は、三番ピッチャー松井君≫

 場内アナウンスが左打席へと入るバッターの名前を告げる。

 三塁側、阪南学園のサポーターが陣取るアルプススタンドからは吹奏楽部による演奏と一糸乱れぬ応援が始まった。

 帽子のつばをつまみ、位置を微調整。普段より少しだけ深くかぶり、哲也のサインを確認する。初球はインコースへのカットボール。それを見て俺はゆっくりとうなずいた。

 この回を切り抜ければ、あとは残り2回、出塁をさせないよう気を付ければ、松井と吉井とはもう対決する必要はない。

 ここまで松井をノーヒットに抑えている。大丈夫だ。いつも通り投じれば抑えられる。


 嫌な予感はいまだぬぐえない。

 打席上でバットを構えにらみつける松井に小さく舌打ちをしてから、投球動作へと移った。


 左腕を振るい、ボールを投擲する。

 投じたのは小さく鋭く変化する球種、カットボール。松井は力強く踏み込み、ボールを打ち抜いた。

 バットの快音が球場に木霊する。打球は強烈なゴロとなり一塁線右へと切れていく。ファースト秀平がキャッチするが判定は当然ながらファール。

 まずはワンストライク。よしよし、あそこに投じればどんなに打ってもファールになりそうだ。

 それは哲也も察したらしい。続く二球目も同じコースへのカットボール。


 二球目、先ほどと同じく、されど前よりも厳しいコースを狙ってボールを投じる。

 胸元で鋭く小さく変化するボール。松井はバットを動かさず見送った。

 球審の判定はボール。やばいやばい、厳しいコースへ投じることを意識しすぎてボール球になってしまった。

 哲也からの返球を受け取り、俺はため息をついて力みをとる。


 今日の試合も完投したいが、この打席、そして次の吉井の打席に関してはいくらでもボールを投じるつもりだ。球数がかさんでも、この二人だけはしっかりと抑えたい。

 最低でも松井だけは抑える。ノーアウト一塁で吉井と対決よりも、ワンアウトランナーなしで吉井と対決したほうがどう考えたって気持ち的に楽だ。


 三球目、今度はアウトローへのストレート。

 今日一番、意識が集中している。イニングが始まった当初に聞こえていた球場の喧騒も気づけばシャットダウンし、哲也のミットのみを意識していた。

 大きく腕を振り上げる。ノーワインドアップモーションから左腕をうならせ、ストレートを投じた。


 完璧なポイントからリリースされたストレートは、アウトローいっぱいに決まった。哲也のミットが響き、まもなく球審の右手が上がる。松井はバットすら出せず見逃した。

 我ながら納得の一球だ。深く息を吐いて体に残った余分な力を抜いていく。哲也からの返球を受け取り、一度帽子を脱いで袖口で汗をぬぐう。

 すでに太陽は西に傾き、グラウンドにも内野席上部にある銀傘の陰が広がっており、昼間の暑さも和らいできた。それなのに熱い。球場に残る熱気と俺の胸から湧き上がってくる闘志が体を温めているとでも言うのだろうか?


 プレートを踏みしめ、四球目のサインを確認する。

 低めへのスライダー。俺は小さくうなずき、一拍間をおいてから投球動作へと移る。

 ワンボールツーストライク。これでバットを振ってくれたら儲けものだ。


 ストライクゾーンからボールゾーンへと逃げていくスライダー。

 それを松井はしっかりと見送った。判定は当然ながらボール。俺は舌打ちをしそうになって、ため息をついた。これでツーボールツーストライク。

 続く五球目は高めに外れるストレートを投じるも松井のバットは回らずボール。

 気づけばカウントはフルカウントになっていた。

 迎えた六球目のサインは、アウトローいっぱいのストレート。コース的にはストライクかボールか判断に悩むぎりぎりのコース。

 最悪フォアボールで歩かせてもかまわない。哲也と話したわけではないが、そう言われている気がした。


 ゆっくりと頷き息を吐く。意識を集中させて哲也のミットのみを見つめる。

 七回まで投げてきて疲れはわずかに感じるが、体の動作に異常はない。ボールになってもかまわないから、とにかく俺の全身全霊の一球を投じる。

 左腕からボールを投じる。まっすぐに向かうストレート。だが三球目に投じたストレートの時よりかは不満足。わずかにリリースポイントがずれた。思いのほかボールはストライクゾーン寄りへと向かっていく。そのボールを松井は打ち抜いた。


 バットの芯で打ち抜かれた音が鼓膜に響いた。

 打球はライナーで三塁側へ。慌てて振り返る。強烈なスピンのかかった打球は三遊間をライナーで切り裂いていく。ショート恭平が打球へと飛び込むもグラブは届かず、鋭いゴロとなってレフトへと転がっていく。

 レフト前ヒット。阪南学園のスタンドがベンチが歓声と喝さいを上げる。

 確かにストレートは真ん中寄りのコースになった。だが甘いコースと呼べるほど失投じゃなかった。正直あのコースをあんな綺麗に打ち返されるとは思わなかった。

 やはり松井は好打者だ。鵡川良平と負けず劣らず、下手すら一歩上を行くレベルのバッター。

 そして次のバッターも高いレベルの持ち主。こちらは確実に鵡川良平の一歩上を行くだろう。


 ≪四番サード吉井君≫

 さぁ佐倉二世。勝負だ。

 先ほどの嫌な気分はそれを上回るドキドキに塗りつぶされた。

 やっぱり俺は無類のピンチフェチで強い打者と対決することに興奮を覚える変態らしい。負ければ終わりのトーナメント戦なのが余計に俺の興奮させた。

 ホームランを打たれれば逆転の場面。いいぜ、最高だ。相手は春に全国の頂を間近で見た学校なんだ。こうじゃなきゃつまらない。


 マウンドのプレートを勇んで踏む。

 右打席に入った吉井は鋭い眼光で俺をにらみつける。ぞくりと背筋を何かが走る。これは悪寒じゃない、高揚だ。俺はいま間違いなく楽しんでいる。

 俺がにやけているからだろうか、前の打席よりも吉井の表情が鋭い。だが気にしない。俺の意識は哲也へと向けられた。


 初球のサインは低めへのストレート。

 俺は小さくうなずいた。最高の舞台。体の状態は最高じゃねぇけど、気分は最高。あとは最高のピッチングで吉井を抑えるのみだ。

 一度一塁ランナー松井ににらみを利かせてからクイックモーションへと移る。打席方面へと出された右足は地面を踏みしめ、左足は鋭く回転し、そこから一連の動作から体は回っていく。そうして蓄積されていった力は最後に左腕へと集まり、そして左手の人差し指と中指からボールが離れるその瞬間までボールに力を押し込んだ。

 左腕を力強く振るうが、視線は最後まで哲也のミットを見つめていた。投じられた白球は一矢となり哲也のミットという的へと向かう。

 指先に残る感触から、出てきた言葉は完璧の一言。

 我ながら納得した一球。それを…吉井のバットが粉砕した。


 金属バットの轟音が甲子園のアルプススタンドに反響した。

 その音が騒がしい球場を一瞬静かにし、次の瞬間地鳴りのような歓声と拍手を巻き起こした。

 俺はゆっくりと後ろへと振り返る。レフトとの大輔とセンター耕平君の三村ブラザーが打球を追っているが、大輔が先に追うのをあきらめ、もうまもなく耕平君も追うのをあきらめた。

 しばらくして打球はレフトスタンド中段へと飛び込んだ。

 打球がホームランと確定した瞬間、さらに阪南学園のスタンドが騒がしくなる。耳を覆いたくなるぐらいに騒がしいのに、どこか心地よい。


 「あーくっそ」

 悪態をついたが悔しさはなかった。むしろ口元はにやけていた。

 完璧な一球を、あそこまで完璧な一撃でホームランにされちゃったら素直に負けを認めるしかない。むしろ清々しささえあった。

 なるほど、あの一撃は往年の高校野球の大スター佐倉和樹を彷彿とさせる。佐倉二世などと呼ばれるだけはあるな。


 一塁ベース、二塁ベースを蹴飛ばした吉井へと視線を向ける。自然と目が合った。

 どこか不敵に笑っていた吉井だったが、俺の表情を見た瞬間、表情が変わった。そら逆転ホームランを打たれたピッチャーがにやけてたら不気味に思うよな。俺が吉井の立場だったら引くわ。

 でもさ、敵ながら拍手しちゃいたいぐらいにあの一発は凄かったんだ。いやぁ、完敗ですわ。本当。


 ぐるりと球場を見渡す。緑を基調とし、内野の黒土と外野の青々とした芝生が美しい。内野席を覆う銀傘。アルプススタンドという名前が冠するほどに広く高い大観客席。

 自分がいる場所が甲子園球場なのだと実感する。

 初戦の城南戦では意識していなかったが、ここは甲子園球場なんだ。高校球児が求め憧れる聖地。基本的に春三十二校、夏四十九校の学校しかグラウンドに入ることを許されない球場。

 改めて実感する。ここは甲子園。俺や大輔なんか比べ物になんねぇぐらいに強者が集まる場所。


 「英雄、大丈夫?」

 哲也がマウンドにやってきた。

 もうまもなく俺の表情を見て「英雄?」ともう一度名前を呼んだ。


 「なぁ哲也、甲子園っていいものだな」

 「え?」

 俺の言葉に哲也は首を傾げた。

 口元のにやけを隠すことなく俺は哲也へと向き合う。


 「松井や吉井のバッティングを見て確信した。ここは俺のボールを簡単に打ってくるバッターがゴロゴロいるみたいだ。次のバッターからも気を付けていこう」

 「え? う、うん」

 俺の様子を見て不思議そうにしながらも、慌ててうなずく哲也。


 「あとホームラン打たれてすまなかったな」

 「いや、僕も安易なリードをしちゃってごめん。…それでも、まさかあのストレートがホームランになるとは思わなかったよ」

 「あぁ同感だ。あのボールをホームランにされたらどうしようもない。切り替えていこうぜ」

 「うん!」

 思いのほか俺が落ち込んでいないことに哲也は安心したようだ。

 一つグラブタッチをしてから、哲也はキャッチャーボックスへと戻っていく。


 1対2。吉井のホームランで逆転。終盤七回の逆転。だというのに負ける気がしない。

 さぁノーアウトランナーなし、ここから仕切り直しだ。

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