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怪物は一日にして成らず  作者: ランナー
7章 聖地、怪物立つ
213/324

212話

 西日の甲子園。

 大会七日目第四試合、山田高校と阪南学園の試合は五回の裏、山田の攻撃を迎えている。


 「誉! 打て!」

 「いい加減打てやぁ!」

 ベンチの選手たちが打席に立つ誉へと激を飛ばす。

 ツーアウト一塁。一塁ランナーは秀平。ワンアウトからフォアボールで出塁している。

 我が校のここまでのヒットは四回に恭平のバットから出た一本のみ。その出塁も後続が続けず無得点で終わっている。

 夕方五時を過ぎた甲子園球場だが、依然熱気は冷めやらず、両陣営のサポーターからの熱い応援合戦がおこなわれている。


 「誉! 気負うな! 練習通りだ!」

 俺も声を張り上げて応援をする。汗はこめかみから頬を通りあごへと垂れていく。日中に比べて暑さは和らいだが、それでも夏本番。いやでも汗が流れ落ちてくる。

 袖口で汗をぬぐい、マウンド上の松井を睨み付ける。


 今日の松井は調子が良い。四隅に良いストレートを投げ込んでくる。

 曲がりなりにも選抜準優勝のピッチャーだけある。

 佐和ちゃんも攻略法を探しているようだが、今日の調子を見る限り良い攻略法は見つからないだろう。


 九番誉へと投じる六球目はアウトコースへのストレート。それを誉は弾き返す。打球はライナーで一塁線右へと切れていき、ファールゾーンを転がっていく。

 相変わらずヒットは出ないくせにボールに合わせる技術は高いんだな誉は。本当、なんであいつはヒットを打てないんだろうか。そんな疑問が頭を駆け回る。


 七球目、八球目とボールを弾き返す誉。マウンドの松井はベンチから見ても分かるぐらいに不快感をにじみだしている。

 迎えた九球目を見送りボール。気づけばカウントはフルカウントを迎えていた。


 「いいぞ誉! その調子だ!」

 球数を投げさせるのは好投手を崩す常套手段だ。ここで誉が粘ってくれるのは大きい。

 マウンドの松井は帽子の位置が気になるのか何度も着脱を繰り返している。あれはもしかすると松井なりの気持ちの落ち着かせ方法なのかもしれない。

 そうして何度目かの着脱を繰り返したところで、松井は帽子から手を放し、ゆっくりとプレートを踏んだ。

 一塁上の秀平は一歩、二歩とリードを広げていく。スタンドからの声援に支配されるグラウンドで、松井は第十球目を投じた。


 インハイへのストレート。厳しいコースへと投じられた一球に誉のバットは何とか当てるも、白球は打ち上げられた。

 あの打球では外野まで飛ばない。すでにショート芝本が落下地点へと到達し、両手を大きく広げ、まもなく彼のグラブへと白球は収まった。

 スリーアウト。誉のバットからヒットは期待していなかったとはいえ、落胆の声がベンチから漏れた。



 五回が終わり、グラウンド整備がおこなわれる。

 その間、両ベンチはこれから始まる後半戦へ向けての作戦会議がおこなわれる。


 「松井の調子はすこぶる良いが、相変わらずフォアボールが多い。前の回のようにフォアボールを絡めての得点を狙う方法もあるし、カウントが悪くなければストライクを取りに来るだろう。そのボールを確実に狙っていけ」

 佐和ちゃんこれまでの試合の流れからの一番最善策を選手たちへと告げる。


 「そして英雄。お前が失点しない限りは絶対勝てるから点取られるなよ」

 で俺へと無茶ぶりをしてくる。

 そりゃあ無失点に抑える自信はあるが、相手は選抜準優勝校のチームだ。あんまり無茶ぶりされると困るんだが?


 「守りの野球って奴ですか? 点取れる算段がなきゃ守りの野球なんてじり貧っすよ?」

 「安心しろ。粘り強く行けば必ず松井から点を取れるさ」

 「その根拠は?」

 自信満々な佐和ちゃんにその根拠を聞いてみる。


 「今日の松井はボール先行のピッチングだ。球数はすでに70球を越えてる。いくら松井が好調といっても、球数が増えれば増えるほどの球威と制球力は落ちる。そうすればうちの打線なら十分攻略できるさ」

 雄弁に語る佐和ちゃん。その言葉信じるぞ? 信じていいんだな?

 なんにせよ試合を決定づけるのは俺のピッチングにかかっているわけだな。


 ここまで阪南学園をヒット2本に抑えてはいる。

 1本は吉井のツーベースヒット。もう1本は五回に五番石原に打たれたライト前ヒットだ。

 どちらも後続はしっかりと抑えたし、選抜準優勝校を相手にここまで危なげなくピッチングできている。その事実は確かに俺の自信となっていた。



 グラウンド整備を終えた六回の表の阪南学園の攻撃は、さっそく三者凡退に切って落とした。

 九番川上を三振。一番田村をセカンドゴロ、二番芝本をサードゴロとテンポ良く抑えてマウンドを駆け下りる。

 グラウンド整備を挟んでの最初の攻撃だ。ここで三者凡退に仕留められたのは大きい。さっそく相手の出鼻をくじくことに成功した。


 ≪六回の裏、山田高校の攻撃は、一番ショート嘉村君。背番号6≫

 そしてその裏、この回は一番恭平から始まる好打順。

 1打席目はアウトになるも鋭い打球を放ち、2打席目はチーム初となるヒットを放っている。どうやら松井との相性は良いらしい。

 松井も警戒しているのか、初球はボールから入った。


 「へいへいへい! ピッチャービビってる!」

 そして恭平はベンチにも届くくらいの大声で打席からピッチャーをあおる。馬鹿かあいつは。案の定球審から注意を受けている。

 思わず苦笑い。隣で見ていた哲也はいつものようにため息をつき、大輔と誉は恭平を指さして笑っている。


 そうして二球目、松井と三好のバッテリーは変化球を選択した。それを恭平は容赦なく打ち抜いた。上手くボールに合わせて打ち抜いた打球は三遊間を抜けていく。

 二打席連続となるレフト前ヒットに、スタンドもベンチも大いに沸いた。相変わらずの初球ヒッティング。

 これでノーアウト一塁。四回の裏の攻撃と同じ状況となった。


 続く二番の耕平君が打席へと入る。

 佐和ちゃんのサインはバスターエンドラン。先ほどは耕平君に送りバントをさせて、ワンアウト二塁のチャンスにしたが、後続三人が打てなかった。

 龍ヶ崎はセカンドゴロの進塁打、四番大輔はフォアボール、五番俺はライトフライ。

 その反省を踏まえたのか、この回は別の攻め方で得点を狙う。


 先ほど手堅く送りバントを決めた耕平君は、この打席もバントの構えをする。

 相手バッテリーも警戒していないのか、バントシフトを敷いた。


 一度松井は一塁へとけん制を入れてから、クイックモーションへと入る。

 そうしてボールを投げ放つ瞬間、耕平君はバットを引く。

 バスターエンドラン。バントシフトを敷いていた阪南学園の内野陣の動きが一瞬止まった。狙いは広く空いた三遊間。だが松井は狙っていたかのようにインハイの厳しいコースへとストレートを放つ。

 耕平君はなんとか三遊間に打とうとするが、松井の球威に押し負けた。

 バットからは鈍い音が響き、打球はセカンド右側へと転がる打球。セカンド川上は打球を処理して、二塁へと転送。二塁ベースに入ったショート芝本は受け取ると二塁ベースを踏み一塁へ。

 耕平君はなんとかボールが到達する前に一塁ベースを踏んだが、結果は微妙なものとなった。


 「まー仕方ない」

 佐和ちゃんは一言それだけ言うとてきぱきサインを送る。次は盗塁。阪南学園のキャッチャー三好の肩を考えれば、耕平君の足なら余裕に二塁を陥れるだろう。

 案の定、相手バッテリーに警戒される中、初球から盗塁を敢行し悠々と二塁へと到達する耕平君。

 ワンアウト二塁。場面は先ほど四回の裏と同じ状況となった。

 打席には三番の龍ヶ崎。ネクストバッターサークルには四番大輔。その後ろには五番の俺がいる。


 「英雄、次打ち損じたら次の試合からクリーンナップ降格だからな」

 佐和ちゃんから脅された。うるせぇ、俺だってさっきの打席で結果を残せなかったことふがいなく思ってるんだよちくしょう。

 ツーアウト一塁三塁。あの場面で打ち損じたライトフライを打ってしまった。佐和ちゃんのいう通り、ここで打てなきゃ、クリーンナップ降格となっても文句は言えない。


 三番龍ヶ崎はセンターへとボールを打ち上げてしまい、センターフライ。だがその間に耕平君は三塁まで進塁。この打席も及第点ともいえる進塁打に終わる。

 続く四番大輔。キャッチャーは立ち上がりこそしなかったが、配球がどう見ても逃げの配球だ。この打席も間違いなく大輔は歩かされるだろう。

 そうなるとまたしてもツーアウト一三塁で俺の打席だ。

 ここで恭平が近づいてきた。


 「なんだ?」

 「松井から2本のヒットを打ってる俺様からのアドバイスだ」

 そういってにやりと笑う恭平。いやいい、お前のアドバイスとかどうせろくでもないものだからいいです。


 「いらない」

 「そういうなって。親友が二打席連続チャンスを潰す姿なんか俺見たくねぇもん」

 なんだその俺は次も打ち損じるみたいな言い方は?

 言っとくけど、俺はお前よりも野球経験豊富なんだぞ?


 「…まぁ聞くだけは聞こう」

 「よしきた! それでこそ英雄だ!」

 どうせこいつの言う言葉は想像ついている。


 「英雄、狙うなら初球だ」

 だと思った。ってかこいつ、これしかやってねぇじゃねぇか。


 「英雄はさ、思いっきりが足りねぇ。いつも考えてばかりの頭でっかちだ。男は考えるより行動だ! 頭ばっかりデカくしても動けなくなるぞ! あっお前は下のほうもでっかくしてるか」

 アドバイス中に下ネタを挟むな。

 …でも、悔しいがこいつの発言は的を射ている。めっちゃ悔しいが。

 確かに俺は考えすぎていたのかもしれないな。男は考えるより行動。初球から狙ってみるのも悪くないかもしれない。


 ここで大輔がフォアボールで出塁となった。状況は先ほどと同じツーアウト一三塁。


 「よし! 行ってくる!」

 「おぅ! 英ちゃん一本頼むぞ!」

 打席へと向かう俺に恭平がエールを送ってくる。 

 あのバカみたいに初球で決められる気がしないが、ここは積極的に打っていこう。


 ≪五番ピッチャー佐倉君。背番号1≫

 左打席へと踏み入れる。

 足場をならしながら、バットの先でホームベースを小突いてから、ピッチャー松井を見ながら上体を起こしバットを構える。

 まったく同じ場面。先ほど流れたチャンステーマはここでも高らかに流れる。


 この打席、初球を狙う。

 ストレートだろうと変化球だろうとバットは振るう。ヒット狙いじゃない。長打狙いだ。


 松井は小さくうなずき、セットポジションに入った。

 わずかの間合いのあと、クイックモーションへと入る。グリップを握りしめる力をわずかに強める。

 松井の右腕が回り、右手からボールが投げ放たれる。


 ストレート。意識がそう判断するより先に体が動いた。

 ヒット狙いの合わせるバッティングはしない。ここは精一杯の力で打ち抜く!

 体は独楽のように鋭く回る。両腕には気持ちの良い感触。そして聴覚は金属バットから鳴り響く快音を耳にした。


 大歓声が山田高校のサポーターが集まる一塁側スタンドより起きた。

 打ち抜かれた白球は、思いのほか低い軌道で右中間へと飛んでいく。センター田村、ライト広瀬が追っていくが間に合わない。もうまもなく、打球は外野の芝生へと落ちて跳ね上がった。

 右中間へのヒット。三塁ランナー耕平君は確実に帰塁できるだろう。一塁ランナー大輔は二塁を蹴飛ばして三塁を向かうが、すでにセンター田村が打球を処理しており、ホームまで戻るのは無理だろう。

 俺も一塁ベースを蹴飛ばし、少し進んだところで一塁へと戻った。


 歓声と拍手に包まれるグラウンドで俺はエルボーガードを外していく。

 長打コースになると思ったのだが、センター田村が思った以上に足が速かったな。あのまま抜けていれば、大輔もホームインできたのだが…。

 ともあれ、これで先制点。あとはこの1点を守れば我が校の勝利か。


 …難しいな。そんな感情が俺の中で沸き上がった。

 視線は三塁ベースへと向いた。視界にはホーム辺りからマウンドへと戻ってきた松井とサードを守る吉井を収める。

 抑える自信はある。だがそれ以上にあの二人のバッターへの警戒心が上回った。

 選抜準優勝、十数年ぶりに甲子園を決めてきた今の阪南学園ナインがそう簡単に勝利を渡してはくれないだろう。

 先制点こそあげたが、どこか素直に喜べない俺がいた。

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