211話
開けた窓の外から聞こえる蝉の音と、近くの児童公園ではしゃぐ子供たちの声、そして時折吹く風が鳴らす風鈴の音色を耳にしながら、私はリビングに置かれてテレビを見つめる。
≪七番広瀬三振! 三者連続三振! 山田高校佐倉! 先頭の吉井にツーベースヒットを許しましたが、後続のバッターは三者三振で抑えました!≫
実況のアナウンサーが興奮気味に試合の速報を伝える。そのアナウンサーの声をかき消すぐらいの大観衆の歓声がテレビから流れる。
毎年、夏に甲子園球場でおこなわれる高校生の野球の全国大会。それを私は今見守っている。
今、無失点で切り抜けた山田高校は私の母校。そして山田高校のエース佐倉は私の…。
≪手塚さん! 佐倉のピッチング素晴らしいですね!≫
≪そうですね! 高校生とは思えない堂々としたピッチングです!≫
解説も実況も手放しで彼を褒める。
テレビ越しに見つめる彼の表情は、まるでアイドルやアスリートのように別世界の住人に見える。
だけど、私は昨日彼と電話をしていた。そして…。
思い出しただけでも恥ずかしい。
近くにあったクッションを胸に抱き、そこに口を当てて抑えきれない感情を叫ぶ。言葉にもなっていないその叫び声をあげて、だいぶ落ち着いた。
それでもまだ胸の鼓動は収まらないし、顔の熱は一向に引かない。
「…なんであんな事言っちゃったんだろう」
そうして生まれるのは後悔だけだ。
誰もいないリビングでうなだれる。
今日は家に誰もいない。両親と弟妹達は両親の盆休みを使って県北にある母の実家へと帰っている。私だけは、今日甲子園でおこなわれている山田高校の試合の応援に行くために帰らなかった。
けど、今私はこうして自宅で応援をしている。
昨夜、彼…佐倉英雄との電話のせいで、行けなくなった。
こんなことを考えているうちに、どんどんと昨夜の忘れたい記憶がよみがえって、誰もいないリビングで一人ジタバタとする。
分かっていた。昨日、あんな事を言ったところでどうなるとは思ってもいなかった。
彼なら間違いなく断る事だって分かっていたし、拒絶されるも理解していた。
だけどどうしても言いたかった。
今こうして、彼を遠い存在に感じているように、昨夜も彼が遠くに行ってしまうと不安になっていてもたってもいられず電話してしまった。そして思わず言ってしまった。
覚悟はしていたけど、いざ彼から言われると、やはり落ち込んでしまう。
「しょうがないよね…英雄は今、野球で忙しいし…」
電話を切った後も、何度も自分に言った言葉をまたも口にする。
そう自分に言い聞かせているのに、まだ気分が上がらない。
今日応援に行かなかったのも、この状態ではろくな応援ができないと判断したからだ。
≪二回の裏、四番の三村大輔は三振で終わりました≫
≪良いスイングだったんですけどね。松井君のピッチングが一枚上手でしたね≫
気づけば山田高校の二回の裏の攻撃が始まっていた。
先頭バッターの四番三村君は三振。そして迎えるは五番の…英雄。
映像は左打席で構える英雄の横顔が映る。
その横顔に私はときめいていた。
やはり英雄は野球をしている時が一番格好いい。
中学で初めて知り合って、恋に落ちてから、彼のいろいろな表情を見てきたが、野球をやっている時が一番格好いい顔をしている。
きっと彼のこの表情を見て、私以外の女の子も間違いなく気になっているはずだ。
だから私は、今でも複雑な感情を胸に秘めている。
彼が頑張っているものだし、全国優勝して欲しいと言う思いがある反面、これ以上勝ち進んで人気にならないで欲しいと言う思いもある。
そんな思いが交錯して、私は素直に応援できずにいた。
「…英雄」
遠く甲子園にいる彼の名前を呼ぶ。
誰もいないリビングに、その言葉がむなしく響いた。
「ボール!」
夏の太陽光はだいぶ落ち着いた。だけど球場全体にある熱気は、太陽光よりも熱い。
その中心にいる阪南学園エースの松井と、左打席に立つ俺。
「…たまらねぇな」
誰にも聞こえないぐらいの声でつぶやき、口元を歪ませる。
そうして松井に威嚇するようにバットの先をむけて、再度構える。
カウントはツーボールツーストライク。
先ほど四番の大輔が追い込まれてからフォークボールで三振しているし、俺も頭の片隅にフォークが来ることを意識しておく。
狙い球はもちろんストレート。
だが、ここまで三球ストレートを投げ込まれたが、コースいっぱいに決まる良いストレートだった。
これからもあんなの投げ続けられたら、ストレートの狙い打ちは難しくなりそうだ。
五球目、松井が投球モーションに入る。
さぁどのボールが来る。
右腕からボールが放たれる。
「っ!」
タイミングは取ったのにバットが出なかった。
アウトローいっぱいのストレート。
「ストライク!」
球審が力強い声を上げる。
歓声と拍手。俺も苦笑いを浮かべて松井を見る。
今のストレートはさすがに打てねーって。佐和の野郎、なにが福永以下だ。余裕で福永よりも好投手だぞこいつ。
だてに選抜準優勝ピッチャーやってねぇな。バッティングの方が評価高いから、ピッチングの方は中々評価されていないが、十分すぎるピッチングだ。
「英雄、どんまい!」
ベンチに戻ると笑顔を浮かべて迎え入れてくれる大輔の姿。
てめぇも三振してるくせに何言ってんだ。
「英雄、どうだった?」
「あいつ福永以上っすよ。なにが福永よりも確実に劣るですか」
聞いてくる佐和ちゃんに悪態をつく。
「まぁ日によって調子は変わるからな。今日の松井は特別に好調ってことだろう」
まるで責任逃れするように佐和ちゃんは笑ってごまかす。
その姿に俺はため息をついた。
「監督に向かってため息とはいい度胸だな」
「そんなこと言う暇あったら松井の攻略法考えてくださいよ」
笑う佐和ちゃん。相手ピッチャーの侮っていたくせにまだ余裕があるらしい。
それだけ俺たちを信じている証なのかもしれない。
「まだ俺が出しゃばるレベルじゃねーよ。お前らなら攻略できんだろ」
相手、選抜準優勝校なんですけど?
俺達を信用してくれるのはありがたいけど、正直打てる気がしない。
六番の中村っちはすでに追い込まれている。
俺よりもストレートへの対応力は高いが、変化球打ちは苦手としている。ここで変化球を投げられたら終わりだろう。
そうして最後の一球。
なんとかボールに当てたが、打球はショート正面のゴロ。
ショートの芝本は的確にさばいてスリーアウト。この回も山田高校は三者凡退で終わった。
「厄介だな」
思わず愚痴をもらしつつ、俺はマウンドへと向かった。
三回の表、阪南学園の攻撃。
八番三好、九番川上を内野ゴロに抑えてあっという間にツーアウト。
阪南学園はこの回からふた回り目に突入する。
打席には一番の田村。前の打席は抑えた。この回も抑えるのみ。
ストレート、ストレート、ストレートと三球続けてストレートを投じる。
前の回で吉井にツーベースヒットを打たれてから、俺の心にあった薄いもやは一気に晴れた。
おかげで初回に比べて良いストレートを投げれている気がする。
ストレートを迎え撃つ田村もどこか打ちづらそうに悔しげに表情を歪めている。
カウントはワンボールツーストライク。
迎える四球目、俺と哲也が選んだのはスライダー。
左腕を唸らせてボールを投擲する。
城南打線からことごとく空振りを奪った魔球は、今日の試合で発揮した。
調子がいい時だと、ストレートに近いスピードから鋭く手元で急に曲がる俺のスライダーに田村のバットは空を切った。
空振り三振。
俺はため息を一つついてマウンドを駆け下りる。
大丈夫、ピッチングの方は問題ない。だからあとは、松井を攻略するのみだ。




