209話
8月14日。
甲子園でおこなわれている高校野球の全国大会は七日目へと入った。
二回戦も今日からは一回戦を勝ち上がった学校も登場する。
第一試合、秋田の羽後商業と静岡の駿河第一は5対1で駿河第一が、第二試合の栃木の宇都宮西工業と北北海道の武翔館の試合は4対3で武翔館が勝利した。
そうして第三試合は、二回戦から登場の徳島の鳴門東と、一回戦を12点の猛攻で勝ち上がった和歌山の弁天学園紀州との試合がおこなわれている。
第四試合から登場の俺達は現在バスで甲子園球場に向かっている。
バスの窓枠に頬杖をついて、車窓から見える外の景色を見ながら、俺はため息をついた。
「どうしたの英雄?」
隣で昨日佐和ちゃんからもらった資料を見返していた哲也が俺の名前を呼んだ。
「いいや、なんでもない」
そう口では言ったが、すぐさまため息をつく。
「…本当どうしたの? 大丈夫?」
そんな俺の様子を見て、心配そうにする哲也。
俺がため息をついているのは、昨日の沙希との一件。
試合が始まれば忘れると思うけど、頭の片隅ではついつい考えてしまう。
「哲也、阪南学園のチアガールってエロいのかな?」
「…英雄、何を言ってるの?」
話を逸らすように口にした言葉に、案の定哲也が呆れたように食いついてきた。
「実はな、それだけが気がかりなんだ。頭から離れん。これはもう恋に近い」
「…そっか、良かった英雄の調子は相変わらずで…」
そう言って哲也は話をするのをやめる。
なんか隣で深刻なため息をつかれているが無視だ。
俺は再び車窓へと目を向ける。ほんのり窓に反射した自分の顔は、どこか疲れているような顔になっていた。
甲子園球場へと到着し、そのまま選手通用口へと向かう。
球場からは歓声と応援、外にいるのに球場内の熱気をひしひしと感じる。
現在第三試合は六回の弁天学園紀州の攻撃を迎えている。
「試合、どうなってるんだ?」
「7対3で弁天学園紀州」
「マジかよ…」
前を歩く誉と哲也の会話が耳に入る。
やはり弁天学園紀州の打線は驚異だな。相手の鳴門東の宮崎は、春に練習試合をしたが、結構な好投手だった。そんなピッチャーから7点も取るのか。
試合は八回の裏を終えたところで、選手通用口の廊下で試合終了を待ち望む。
廊下を挟んで対面する形で阪南学園の選手たちがいる。
お互い何度か目は合うが会話はない。これから三回戦をかけて戦う相手だ。話し合う必要はない。
そして、第三試合が試合が終わった。
結果として試合は10対4で弁天学園紀州の勝利。
俺たちが入る一塁側ベンチは、鳴門東高校のベンチだ。
一回戦と同じく、ベンチに入るとベンチの外で土を集める選手とカメラマンたちが目に入った。
あそこには宮崎もいることだろう。
時刻は16時手前。
第二試合が延長戦に入ったのもあって、予定時刻より若干遅れている。
日はだいぶ西に傾き、一回戦の時に比べて心なしか涼しく感じる。
先日、プレー中に熱射病で倒れた選手がいたらしいし、今年の夏は例年よりも暑くなると気象庁も言っていたから、こう暑さが和らぐ中で野球ができるのは非常に嬉しい。
今日も観客の入りは良い。第四試合だというのにスタンドは超満員だ。
それもまぁ仕方がないこと、かたや一回戦で21世紀最初のノーノーを達成したピッチャーがエース。かたや、十数年ぶりの夏の甲子園に出場を決めた昭和時代の野球名門校。その二校の対決だ。今日一番の観客になってもおかしくないだろう。
一塁側スタンドでは応援団が準備を進める。
先日の一回戦よりも応援団の規模が大きくなっている気がする。
一回戦の活躍を見て、応援する気になった奴らも多いだろう。あるいは俺の人気のおかげで増えたのかもしれない。
まぁどちらにせよ。一回戦の時よりも大声援になることは確実か。
あの応援団のどこかに沙希もいるのだろうか?
「…って何考えてるんだ」
もう試合間近だというのに、頭の片隅には沙希の昨日の言葉が残る。
やけに色気のある声を思い出しては、ため息をつく。
せっかくの阪南学園戦だというのに、どこか気分が乗らない。
試合は先攻阪南、後攻我が校でおこなわれる。
哲也は二試合連続でキャプテン同士のじゃんけんに勝利し、後攻を勝ち取っている。
オーダーも初戦と変わらず、一番恭平、二番耕平君、三番龍ヶ崎、四番大輔、五番俺、六番中村っち、七番秀平、八番哲也、九番誉。
阪南もオーダーは初戦と変わっていない。三番は松井で四番は吉井。
三塁側スタンドを見る。あちらも超満員だ。
選抜準優勝、そして十数年ぶりの夏の甲子園、かつて全国の高校球児から打倒阪南学園と掲げられた名門校の甲子園帰還に喜ぶファンの方々が大多数だろう。
両校のシートノックを終えて、ベンチ前に整列する。
「集合!」
主審の声。
両者がグラウンドへと飛び出した。
第二回戦が始まる。
投球練習をしながら、神経を研ぎ澄ませていく。
一球投じる事に集中が高まっていく。頭の片隅にあった沙希への意識は徐々に薄れていく。
そうして最後の一球を投じる頃には、臨戦モードに突入していた。
「一回! 声出してしまってこぉ!」
哲也が腹の底から声を上げてグラウンドにいるナインに檄を飛ばす。
それに返事をする選手達。
俺はゆっくりとロジンバックに触れる。一度目をつぶり大きく息を吐いた。
≪一回の表、阪南学園高校の攻撃は、一番センター田村君≫
左打席へと入る一番バッター。
府大会では打率4割を記録した阪南学園のリードオフマン。インコースを得意とする反面、アウトコースの見極めが甘い。左ピッチャーが苦手なのか、府大会では左ピッチャーへの打率は低い。
佐和ちゃんがまとめた資料を思い返す。
哲也もしっかりと資料を参考するように、初球はアウトコースへのストレートを要求する。
阪南学園の一糸乱れぬ応援歌を耳にしながら、ゆっくりと腕を振り上げる。
この腕を振り上げる動作はスイッチ。一気に意識は一点に集中し、哲也のミットをめがけて、投球動作をこなしていき、左腕を振るった。
乾いたミットの音が響き、球審がストライクの判定をする。
まずはワンストライク。バックネットの向こうの電光掲示板は150キロを記録した。
今日も調子がいい。相手が阪南とはいえ、打たれる気がしない。
続く二球目、今度は田村の得意とするインコースへのストレート。
左腕を振るって白球を投げ放つ。
これを田村が打ちに来た。
金属バットの快音が響き、打球は一二塁間へと向かう。
慌てて振り返り、打球の行方を確認する。一二塁間への強烈なゴロ。
「オッケー!」
誉の声が聞こえた。
打球の正面に入れなかったが、グラブをはめた左腕を伸ばして転がる打球を捕球し、すぐさま体勢を立て直してファーストへ。
これを秀平がキャッチしアウト。
まずはワンアウト。
悔しげにベンチへと戻る田村。あいつのスイング、無駄のないスイングだった。
打球も鋭かったし、石村がセカンドだったらもしかしたら外野に抜けていたかもしれない。
先ほど阪南に打たれる気がしないと言ったが、あれは訂正だ。油断はできない。気を引き締め直して、プレートをふむ。
続く二番の芝本が打席へとはいる。
チームのキャプテン。府大会の打率は3割を越している。
バントをしない二番バッター。府大会ではわずか1本しかバントを決めていない。二番だが積極的なバッターで、初球打ちもしてくる。
資料を思い返して、哲也にサインを委ねる。初球は低めへのカットボール。
初球、資料通り芝本は打ちに来た。
快音響き、打球はショート正面への痛烈なゴロ。
つまらせたと思ったが、思いのほか強い打球になった。
だがショートには恭平。的確に打球をさばいてツーアウト。
やはり阪南学園のバッターはスイングに迷いがない。
しっかりとバットを振り切っているし、さすがは選抜準優勝校。
松井、吉井の二人がクローズアップされているが、他の選手も十分高い実力を持っている。
≪三番ピッチャー松井君≫
そして迎えるは三番松井。
左打席へと入る松井に阪南学園応援団がこれでもかと声援を送る。
よしきた。楽しませてくれよ。帽子をかぶり直し、俺は気合を入れ直す。
初球はアウトコースへのストレート。
俺は頷き、一連の投球動作の後、ボールを投じた。
アウトコースいっぱいへのストレート。これを松井は打ちに来た。
快音響かせて打球は三塁線左へと切れていくライナー。
今のは140キロ後半のストレート。それをさも簡単に打ってきやがる。
それに流し打ちだったのに打球がとてつもなく鋭かった。評判通りのバッターだな。
二球目、今度はインコースへのストレート。
これを松井は見逃してボール。
三球目は低めへのチェンジアップ。
今度は打ちに来た。
快音を残して打球はライトへと飛んだ。
振り返る。ライト龍ヶ崎は落下点へと走り、もうまもなく落下点に到着し、危なげもなく打球を捕球してスリーアウト。
俺はホッと安堵の息を漏らしてマウンドを降りる。
まずは三人アウトにとった。
さてこちらの攻撃だ。城南戦の時みたいに先制してくれると個人的に嬉しいんだがな…。




