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怪物は一日にして成らず  作者: ランナー
7章 聖地、怪物立つ
202/324

201話

 外野でアップをする。

 内野グラウンドではスプリンクラーから水がまかれ、内野の黒土をさらに黒くさせていく。

 今日の俺の調子だが、問題ない。むしろ怖いぐらいの絶好調だ。


 今日の試合、先攻は城南、後攻が我が山田となっている。

 スタメンは県大会の時と代わっていない。

 一番ショート恭平、二番センター耕平君、三番ライト龍ヶ崎、四番レフト大輔、五番ピッチャー俺、六番サード中村っち、七番ファースト秀平、八番キャッチャー哲也、九番セカンド誉。

 誉は甲子園から背番号4に返り咲いた。やはり一年坊主の石村には背番号4は重かったようだ。


 選手達の表情はどこかぎこちない。やはりみんな初めての甲子園に緊張しているようだ。もちろん俺もだ。

 一塁側スタンドには、我が校の応援団。無事甲子園に着いたようで、早速応援の準備を始めている。

 県大会初戦に比べて応援団の規模は大きくなっている。当初は一部有志の生徒のみだったのが、今では全校生徒プラス山田市の有志の方々も集まってかなりの規模になっている。

 そこらの学校には負けないぐらいの大応援団だ。是非とも選手たちを鼓舞する応援をしていただきたいものだ。


 一方で三塁側スタンドに陣取るのは城南高校応援団。

 さすがは甲子園慣れしてるだけあって、準備段階で山田高校とどこか差を感じる。規模的には我が校応援団よりも小さいが、もしかしたら応援はあっちが優るかもしれんな。

 まぁ良い。俺はやることをやるだけさ。


 相手のスタメンは一番から九番まで鹿児島大会決勝戦のスタメンと同じだ。

 四番はファーストの中村。先発ピッチャーは福永と、ガチメンバーで挑んでくるようだ。

 良いね! そうなくてはな!



 アップも終わり、それぞれシートノックも終わり、あっという間に試合開始の時刻を迎える。

 両校がベンチ前で整列する。

 県大会で何度もやってきた事なのに、県大会に比べて緊張具合が半端ない。手汗もやべぇし、脇汗もやばいかもしれん。


 「やべぇ…ションベン行きてぇ…」

 後ろから中村っちの声が聞こえてきた。どんだけ緊張してんだお前は。

 こっちは後攻めなんだけど?

 まぁいい。中村っちのところに打球が飛ばないようなピッチングをしてあげよう。さすがに全国中継されてる中、グラウンドで失禁なんかしたら、ある意味、高校野球史の歴史に残ってしまう。主に不名誉な歴史としてな。

 まったく甲子園初戦直前だというのに、なんとも締まらないチームだ。だがそれがいい。さすが我が山田高校だ。


 「集合!」

 球審の声が耳に入る。


 「行くぞぉ!」

 「おぉ!」

 哲也の号令に続くように選手たちが声を張り上げ、グラウンドへと駆けていく。


 妙に緊張感が無い中、山田高校と城南高校の試合が始まった。



 ≪一回の表、守ります山田高校のピッチャーは佐倉君。ピッチャー佐倉君。背番号1≫

 アナウンス嬢の紹介を耳にしながら、俺はマウンドで投球練習を始める。

 相変わらず甲子園の土は良い。なんというか足にフィットする。分かりづらいか。うーん、こればかりは感覚なのでなんとも表現しづらいが、丘城スタジアムの土よりも質が良いのは確かだ。


 投じるボールは普段よりも走ってる気がする。

 指先の感覚も確か、筋肉の動きもしっかりと把握できた。

 調子は万全だ。



 「ふぅ…」

 規定投球数投げ終え、投球練習も終わったところで一息吐いた。

 決勝戦の疲れはとうに取れているし、フォームも崩れていない。

 大丈夫だ。あとは変に意識しなければ大丈夫。


 ≪一回の表、城南高校の攻撃は、一番ショート伊地知(いぢち)君≫

 アナウンスが右打席に入るバッターの名前を告げる。

 情報通りだと両打ちだったはずだ。今回の打席は左ピッチャーの俺に合わせて右打席というわけだ。

 まさか右になったからって、俺の球が打てるとか思ってんのか?


 残念だが、右の方が打ちづらいぞ。

 哲也のサインを確認する。インコース。当然だ。

 右に入れば打てるなんて楽観的な考えをしてる奴には、一発胸ぐらにボール決め込んで腰抜かせてやる。


 さぁ試合開始だ。

 県大会優勝した時からずっと胸にあった甲子園への渇望感から今解き放たれる。


 試合開始のサイレンがけたたましく鳴り響くと同時に相手校応援団が陣取るのスタンドから熱のこもった応援が始まる。


 そんな中で、俺は大きく腕を振り上げた。


 記念すべき甲子園第一投。

 バシっと決めてやる!


 左腕を振るう。

 放たれる白球、1秒も経たずにミットに収まるコンマの世界。

 打者はタイミングを取ることすら許されず、ストライクになるだろう。



 記念すべき甲子園の第一投。

 乾いたミット音は鳴り響かなかった。

 正確には、鈍い音。主に人の体に硬球が当たった時の音だ。


 視界は、一番バッター伊地知の左太ももにボールが当たる瞬間を捉えた。


 「…あっ」

 気の抜けた声を出してしまった。

 バッターは苦しそうな顔を精一杯笑顔にして一塁へとぎこちなく走っていく。俺は機械的に帽子を取って頭を下げた。


 初球デッドボール。

 待て待て? 俺、緊張してるのか?

 いや、でも意識ははっきりとしているんだが…。

 あれ? あれぇ?



 ≪二番セカンド江口(えぐち)君。セカンド江口君≫

 続くバッターである江口は打席に入るなり、バントの構え。

 手堅く送りバントか。

 哲也も初回という事で、簡単にアウトをくれてやるようだ。

 インコース低めへのストレート。俺は小さく頷いた。


 俺は頷いて、一呼吸間を置いた。一度ファーストにいる一塁ランナーを目で牽制してから、クイックモーションへと入り球を投じる。

 今度は哲也の要求通りのコースへとストレートが走っていく。

 バントするには難しいコースへのストレートを、江口は当ててきた。


 だが打球の勢いは死んでおらず、俺の正面。


 「ピッチ! 2つ!」

 哲也の声。分かってる。

 この打球なら二塁もアウトにできる。

 俺は素早く捕球し、二塁へと向いてスローイングした。


 その瞬間、油断したのか、投げ急いだのかは知らないが、ボールは二塁のベースカバーに入った恭平の頭上を大きく越す大暴投を投げてしまう。

 一塁ランナーの松倉は三塁へ進もうとするも、センター耕平君が前に出ていたおかげで進めなかった。


 しかし俺にエラーが付いて、無死一二塁のピンチ。


 やっちまった。またミスった。

 やべぇ、俺緊張してるのか?

 やばい、そう思ってきたから体が強ばってきた。

 落ち着け、大丈夫だ。落ち着け俺…。


 思考を落ち着かせようとする。しかし城南高校の応援がやかましすぎて落ち着かない。

 どうしよう。調子は万全なのに上手くできていない。

 もしかしてこれが甲子園の魔物って奴なのか!?



 三番の中間(なかま)が右打席に入る。

 プレートを踏みしめながら、俺は深くため息を吐いた。


 初球、ボール。


 二球目、ボール。


 三球目、ボール。


 四球目、ボールでフォアボール。


 最後の一投を投げたところで、俺は呆れ笑いを浮かべてしまった。

 どうしよう。意識は緊張していないのに、体の方は緊張しているようだ。上手くピッチングができていない。

 なんだよこれ? 投球練習の時は緊張してなかっただろ。

 あーマジかよ。


 ここで哲也がタイムをかけてマウンドに内野手を集めた。



 「英雄、大丈夫?」

 スゲェ心配そうに哲也が聞いてくる。

 一応俺、去年の秋の県大会でこういう前例あるから心配されてもしょうがないか。


 「分からん」

 「はぁ?」

 「本当分からん。調子は良いはずなのに、ボールが思い通りにいかん」

 そういって渋い表情を浮かべる俺。


 「悪いな中村っち。しょんべん行きたいのに長引かせて」

 「え? いや…別に良いけど」

 急に話題を振られて戸惑う中村っち。

 さて、どうしたものか。


 「なんか今日の英雄、いつもの英雄っぽいな」

 ここで恭平が意味分かんねぇ事を言ってきた。


 「なんだよいつもの英雄って、俺はいつもこんな感じだが?」

 「いや、確かに普段の英雄はこんな感じでバカっぽいけどさ、野球の時だけはスゲェ集中してんじゃん?」

 恭平の発言にちょっとイラッとしたが、すぐさま彼の言葉にハッとなった。

 確かにそうだ。野球をやってる時の俺は、こんな軽い調子じゃなかった気がする。いや軽い調子ではあったが締めるところでは締めていたしな。


 「あー確かにそれあるわ。もしかして英雄、浮ついてるのか?」

 恭平の言葉に続くように言ってニヤニヤ笑う誉。

 …もしかするとそうなのかもしれない。

 俺はどこかで浮ついた気持ちを持っていて、それがピッチングに表れているのかもしれない。


 ここで伝令係の鉄平がベンチから走ってきた。


 「監督からの伝言。もうちょっと英雄は気を引き締めろだって」

 うわ、佐和ちゃんに見透かされてやがる。

 一度ベンチを見る。ニヤニヤ笑って腕を組む佐和ちゃんが見えた。


 「…了解した」

 帽子を目深にかぶり、恥ずかしそうに俯く俺。

 その様子を見て、笑い声をあげる恭平と誉。


 「よっし! じゃあもう一度ここから気を引き締めてこう!」

 「おぅ!」

 「うぃっす…」

 哲也が気合を入れ直すように選手たちに号令をかけ、それに続く仲間たち。俺は若干遅れながら元気のない返事で答える。


 「あと分かってると思うけど、監督に言えって言われたから言うけど、次のバッター中村だから」

 鉄平が思い出したように口にする。

 そこでゾクリと体の奥底から湧き出るように、ピッチャーの本能が体を包み込んだ。


 今の一言でスイッチが入った気がした。


 「…そうだった。そうだったな。次は中村か」

 にやりと口元が歪んだ。

 ゾクゾクと闘争心が体を駆け巡る。


 「よっしゃ! 英雄! 俺の前に打たせろよぉ!」

 「いやいやセカンドに頼むぜ英雄!」

 「ションベン我慢してやるから、ぱぱっと抑えてくれよ!」

 「英雄先輩! 俺もビビってますけど、楽しみましょう!」

 それぞれがそれぞれのエールを俺に送って各ポジションへと戻っていく。


 「英雄、甲子園楽しもう!」

 「…あぁ、そうだな」

 最後に哲也が笑顔で俺に言って戻っていく。


 マウンドに一人残った俺は両手を大きく広げて数度深呼吸をする。

 夏の熱気を、黒土の匂いを、天然芝の匂いを吸い込むように、大きく大きく深呼吸を繰り返す。

 呼吸をするたびに意識はどんどん定まっていく。


 最後に天を仰ぐ。

 空は気持ちいいぐらいの夏空で、日差しはウザったいぐらいに暑い。

 俺は今、高校野球の中心にいる。


 「…最高だ」

 最後に浮ついていた感情を捨て去り、意識は一つに研ぎ澄まされた。



 ≪四番ファースト中村君。ファースト中村君≫

 無死満塁。

 そしてバッターは薩摩の怪童、中村浩太。

 スタンドは必然的に熱が高まり、鳴り響く応援歌も一際大きくなった。


 帽子をかぶり直し、プレートを踏みしめる。

 哲也のサインを確認する。インコースへのストレート。

 昨日、あんなに逃げの姿勢だったくせに、一度決めちまったらとことん強気に攻めるな哲也の奴。最高だ。さすが俺の女房。これぐらい肝っ玉じゃなきゃつまらねぇ。


 ゆっくりと振りかぶる。

 クイックモーションよりもワインドアップモーションのほうが、俺も気合が入るものだ。


 意識が一点に集中する。

 投げるという一瞬の挙動に、聴覚も味覚も嗅覚も必要ない。視界も哲也のミットのみを見る。

 最高の一球をここに、全身全霊の一球をもってして、薩摩の怪童をねじ伏せる!!


 右足が大地を突き刺し、左足は力強く回り、右腕は壁のように体の勢いをおさえ、左腕は足先から溜まった勢いを放つ。

 どの部位を見ても完璧と言って申し分ないパーフェクトなフォームから白球が投げられる。


 マウンドからキャッチャーボックスまでの18.44mを一瞬にして走り抜けた白球は、今日一番のミットの音を響かせた。

 球審の右手が上がると同時に、スタンドがどよめく。

 バックネット裏のスタンドにある球速表示をに自然と目がいった。


 153km/h


 自己最速記録更新だ。

 だがそんなのはどうでも良い。今はあのバッターを抑えるのみ。


 中村の表情が変わった。

 スゲェごつい体とスゲェ実績を持ってるバッターなのに、怖くない。

 これなら、鵡川良平のほうが凄かった。



 二球目、アウトロー一杯に決まるストレート。

 これに中村は打ちに来た。

 金属バットから爆発音のような音が響かせてボールを弾き返す。打球は一塁側のフェンスにライナーで直撃する。

 スゲェ打球だ。さすがは今大会屈指のスラッガー。

 だけどやっぱり、鵡川良平のほうが怖かった。


 三球目を外に外してボールになり、カウントはワンボールツーストライク。

 哲也のサインはインコース低めへのストレート。

 俺は小さく頷く。


 これで終わりだ。



 四球目のストレート。

 それに中村のバットは出なかった。


 「ストライク! バッターアウトォ!」

 ここぞとばかりに球審が声を張り上げて、三振を宣告する。

 思わずバックネット裏のスタンドから拍手が起きた。

 もう一度、球速表示を見る。またも153キロを記録していた。


 中村は悔しそうに天を仰いでから、ベンチへと戻っていく。

 一方の俺は、ため息をついて、次のバッターと対峙する。

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