1話 佐倉英雄の日常
俺はガキの頃から白球を追い続けて生きてきた。
いつだって周りからは馬鹿にされた。そんなことしても将来役に立たない。野球なんかより勉強を頑張りなさい。プロ野球選手なんかなれっこない。そんな言葉はもう聞き飽きた。
役に立つ、立たないじゃない。プロ野球選手になれる、なれないじゃない。
俺は、野球が大好きなんだ。だから、ずっと野球をやり続ける。
ただの馬鹿と笑われてもいい。愚か者だと罵られてもいい。俺は、俺が選んだこの生き方を曲げる気はない。むしろ誇らしいとさえ思ってる。
世界中の人間が否定したとしても、俺は諦めたりしない!! 誰にも負けないくらい白球を追い続けて……これからもずっと……甲子園に辿り着くまで……いやプロと言う大きな目標をつかむんだ!! 完
「……今時の野球漫画ですら、こんな馬鹿みたいな事言う奴いねーぞ。時代遅れにも程があるな」
数日前に友人から借りた書籍を読み終えて、思わずボヤいた。
本を閉じ一度表紙を確認する。球場のマウンドにナインが集まっているシーンを水彩画で描き、右上には「野球空」と達筆な文字で書かれている。数年前、携帯小説から書籍化された作品だ。
っとここで目の前でむっとした表情を浮かべる友人と目があった。この書籍を俺に押し付けてきた張本人だ。
「ラストのシーンは感動するから絶対に最後まで読んで! きっと野球やりたくはず!」
数日前、そう自信満々の顔して言っていたのを思い出す。
だが残念。今の俺は感動一つしてないし、野球をやりたいとも思っていない。
結論から言うと、俺には合わない本だった。
「あぁ悪い悪い。哲也もこんな馬鹿だったな」
机に置いた野球空を指さしながら、俺はにやりと笑う。
俺の回答を聞いて野上哲也は、さらに表情を不機嫌そうに歪める。
幼稚園どころか、生まれた頃から仲良くしている年季の入った幼馴染。ギャルゲーなら世話焼きの女の子という展開だが、現実は非情だ。目の前にいる幼馴染は顔立ちこそ中性的だが、髪は坊主頭に丸め、体格はがっちりとしている男だ。
「ごめん。英雄にだけは馬鹿呼ばわりされたくない。僕が今まで定期テストで学年10位以下になった事が無いの知ってるでしょ?」
ドヤ顔かましながら哲也が自慢する。あぁ嫌という程知ってる。お前は高校球児のデフォルトみたいな、日に焼けた肌と丸刈り頭の風貌からは想像つかないほど頭いいよな。
勉強だけは哲也に一度も勝ったことがない。それぐらいこいつは頭いい。
「おいおい俺を馬鹿呼ばわりするとは良い度胸だな哲也? 定期テストでいつも学年10位以下になったことが無い? はっ! 俺は下から学年5位以下になったことは無いぜ」
哲也のドヤ顔に負けじと、俺もドヤ顔一つかまして誇らしげに声にすると、哲也は深刻そうな表情を浮かべながら溜め息を吐いた。
そうして可哀相な人を見るような目で俺を見つめてくる。やめろ、さすがに今の発言は俺もどうかと思ってるから、そんな目で俺を見るな。
結局、哲也の同情の視線に敗れ、逃げるように俺は窓の向こうへと視線をそらした。
6月14日。昨日までは雨模様だった空も今日は爽やかな青が広がっている。いわゆる梅雨晴れと言う奴だろう。
この梅雨が明けた7月11日に待ち構えるのが、甲子園を目指す高校球児たちの熱い夏の県大会。県内57校の野球部が県の頂を目指して争う。目指すは県内1枠しかない甲子園への切符だ。
だが俺には関係ない話だ。俺は高校球児ではない。この県立山田高校の帰宅部員、どこにも所属していない一学生に過ぎない。
ちなみに俺の目の前に居る哲也は見た目通り野球部員で、ポジションはキャッチャーを務めている。二年目の今年は一桁の背番号がほぼ確実らしい。
さすが俺の幼馴染だ。頑張れ! っと言っても、山田高校野球部は8人しか部員が居ないがな。出場するらしいが野球は9人いないと出来ない。他の部活から助っ人を呼ぶとか前に言っていたのを思い出した。
「だいたい英雄は野球ぐらいしか…「んじゃ席着けぇ~帰りのホームルームを始めるぞー!」
哲也が話を続けようとしたところで、我がクラスの担任熊殺しが教室に入ってきた。
話を遮られた哲也は一度溜め息を吐いてから自分の席に戻っていく。良いぞ熊殺し! 哲也の説教タイム、別名スーパー哲也タイムに入るところだった。
スーパー哲也タイムに入ると、とにかく口うるさくあれこれと俺の欠点を指摘してくる。反論してもそれを論破する正論をすぐ飛ばしてくるから嫌いだ。最終的には俺の稚拙な反論に哲也が呆れるまでが、俺と哲也のテンプレになっている。
ちなみに熊殺しの本名は蔵田大造で、熊と言う字も殺しと言う字も含まれていない。
このあだ名は一年生の初めに彼を見た生徒たちが「熊を素手で殺せるのではないか?」と話題となり、後日彼の口から「元格闘家」だったとか「山篭りも経験した」と言う発言がされ、ますます真実を帯びてきた為、熊殺しというあだ名が定着したのだった。
当然ながらこのあだ名は非公式だ。前に蔵田先生本人に熊殺しと言った奴はみっちりと生徒指導されている。うちの学校の中でも屈指の恐ろしく厳しい先生だろう。
なんて事を思い出しながら、くだらない帰りのホームルームを聞き流した。
「佐倉英雄! お前は今日掃除当番だからな! 忘れるなよ!」
と思ったら俺の名前が呼ばれた。クラスの視線が一気に集まる。
佐倉英雄、これが俺の名前だ。いかした名前だろう? 結構自分の名前気に入ってるんだぜ。
「うっす!」
さて熊殺しへの返事だけはしっかりしておく。ここで間延びした返事とかすると変に絡まれそうだし。
「それじゃあまた明日!」
そうして最後に熊殺しのドでかい声と共に生徒の安堵の息が漏れた。俺も椅子にへ垂れ込んだ。
ふぅ、今日の業務は終了。ここから華の放課後ライフが待っている。
「じゃあ英雄。また明日」
「おぅ哲也、またな」
哲也が俺に別れの挨拶をしてきた。
俺は短く返事を返しつつ、彼の左肩にかかっているエナメルバッグへと視線を向けた。「山田高校野球部」と金色の刺繍が施された野球部特注のエナメルバッグだ。
去年の春、ぴかぴかと輝いていた哲也のエナメルバッグも、この一年でだいぶ薄汚れてきており、時の流れを実感した。
そうか、もう一年経ったのか。
俺は人生で三年間しかない高校生活のうち、三分の一を消費してしまったわけか。そう考えるとなんだか感慨深いものがあるな。
まぁ良い。俺は今の生活を気に入っている。惰性で生きていくのも一つの学生生活というものだ。
「さてと……」
哲也が教室を立ち去った後、椅子に座った状態で一度両腕を天へと突き上げて伸びをする。
待ちに待った放課後のゴールデンタイム。さてどうしようか? 本屋で立ち読みか、自宅近くのビデオ屋でアクション映画でも借りて鑑賞するか、それとも駅前のレトロなゲームセンターでレトロなゲーム三昧をするか。
一年生の頃、主につるんでいた友人二人が揃いも揃って野球部に入部してしまい、ここ最近はだいぶ暇を持て余している。まぁその分、別の奴とつるんでいるんだがな。その別の奴がもうまもなくクラスにやってくる。
「英雄! 今日は来るのか?」
そろそろ来そうと思ったら、タイミングよく登場した。我が友人、大村誉だ。
ここ最近の俺のトレンドは誉が所属している合唱部の活動場所に行っては惰眠を貪りまくる事だ。
「あったりめぇだろう! 一人でトボトボ家帰るのは寂しいからな!」
「あはは」
俺の回答を聞いて誉は穏やかに笑う。合唱部の女子からは「男の子なのに和める笑顔」と好評らしい。だがこれは猫かぶりに過ぎない。
男どもと遊んでる際はとにかく騒がしい。騒がしい友人トップ10に入るほどやかましい。だけど合唱部に好きな人がいるからだろうか、合唱部の練習前後はこんな感じで穏やかな微笑を浮かべている。猫かぶりもいい所だし、このギャップは時々俺を驚かせる。
「一人で帰るの寂しいなら野球部に入ればいいじゃん。恭平や大輔もいるんだろう?」
「馬鹿言うな。スポーツなんて面倒くせぇよ。さらに野球だと? 無理無理カタツムリだ」
誉の問いに俺は即答する。ちなみに恭平と大輔ってのは、先ほどの友人二人のことだ。
「誉のほうこそ、合唱部じゃなくて運動部入れば良いじゃん。お前の運動神経が泣いてるぞ」
「あはは、どうだろうな」
俺の返答に誉は穏やかな笑顔を浮かべてごまかす。
こいつは運動神経抜群のスポーツマンタイプだ。だが俺と似て体を動かすのがダルい性格で、元は茶道部に入部していた。だが鵡川梓と言う女子生徒に恋してから、彼女のいる合唱部に転部している。
「それより来るんだったら、さっさと行こうぜ。鵡川が待ってる」
さわやかな笑顔を浮かべる誉。今から鵡川さんに会えるからってそう急かすな。鵡川は逃げないぞ。そして鵡川はお前を待ってないと思うぞ。
「どんだけ鵡川好きなんだよお前」
「どんだけと聞かれたら困るな。この世の好きを意味する言葉を重ねてもこの想いを伝えられるか分からない」
なんてウザい例え方だ誉。これが恋の病という奴なのだろうか?
「英雄も恋しろよ。恋がお前を変えるぜ?」
「そうだなーそのうちな」
そうだな、俺もそろそろ恋という奴に本気になるのも良いかもしれない。
夏が明けたら修学旅行に文化祭と学生生活の一大イベント目白押しだ。ここは一つ、恋愛で本気を見せちゃうか?
「んじゃまー、行きますか!」
「おぅ」
短く相槌を打ちながら、鞄を持って立ち上がり、そしらぬ顔で誉と教室の出口へ歩いていく。
周りの生徒は俺や誉を気にする様子もなく、友人たちと談笑にいそしんでいる。
さぁもうすぐで教室脱出だ。そうすれば俺は晴れて自由の身に…。
「英雄!! 今日あんた掃除当番でしょ!」
と思ったところで、後ろからやかましい女子の声が耳に入った。