18話 入部後、初休日は……
いつものように青く美しく晴れた夏の日曜日。
あと数日すれば8月を迎え、学生特権の夏休み本番へと入るわけだ。
今日は日曜日ということで練習が休み。野球部に入部して初めての日曜休みだ。
だいぶ疲れも溜まっていたし、家でのんびりしようと思っていた。
なのに、なのになぜ、俺はこんな所にいるのか。
目の前に広がる、女性用の水着を見ながら、ふとそんな事を考えた。
俺が住む山田市の中心とも言える山田駅前の大型デパートにある女性服などを販売するコーナー。
決してやましい気持ちで来たわけではない。そこだけは言わせて欲しい。決して恭平とは違う。そこだけは分かって欲しいんだ。
俺は、妹千春とその友人の美咲ちゃんの付き添いという名の荷物持ちとして来ていた。
事の発端は、今日の朝に遡る。
「お兄ちゃん、今日暇?」
のんびりと朝飯を食っていると、リビングに入ってきた千春がいきなり話しかけてきた。
「暇じゃない。寝ないといけないし、昼寝もしないといけない。あと睡眠もとらないと……そういえば惰眠も貪らないといけない。だから忙しい。悪いな」
「それ、暇ってことでしょ?」
神妙な顔をして断る俺に千春は呆れた表情を浮かべた。
「待て千春。そもそも暇という言葉の定義はなんなんだ? 俺にとって睡眠とはやらないといけない事だ。すなわち、俺は暇じゃない」
「面倒くさいなぁ……」
ボソリと千春が呟いた。残念、全て聞こえている。できることならラノベの鈍感な主人公みたいに聞き取れなかったほうが良かった。お兄ちゃん悲しい。
「どーせ休みで暇でしょ? だったら買い物に付き合ってよ!」
「嫌だ。なんで妹の買い物のために貴重な休みを使わないといけないんだ。恵那を連れてけ恵那を」
もう一人の妹である恵那の名前をあげて、俺は食パンをかじる。
リビングのテレビからは他愛もないニュースが流れている。できることならそっちのほうに意識を向けたいところだ。
「恵那は今日友達と遊びに行く用事があるの」
「俺だって夢の中にいる彼女と遊ぶ用事があるんだが?」
どうしても行きたがらない俺に千春は面倒くさそうな顔を浮かべている。
そこまでして俺を誘いたい理由はなんだ? お兄ちゃんと並んで歩きたいのか? それならそうと言えばいいのに。そう一言潤んだ目で言ってくれれば、お兄ちゃん食事中でも一緒に出かけてやるぞ?
「これあんま言いたくなかったんだけど、お兄ちゃんの事気になってる女の子がいて、その子も来るから一緒に来て欲しいんだけど」
「それを先に言え。どんな子だ? 先に言っておくが、年下は俺のストライク範囲外だぜ」
そういって俳優ばりのすました表情を浮かべる。
そんな俺の顔を見て舌打ちをする千春。
「この前あった美咲ちゃん覚えてる?」
「美咲……あぁ、昇降口であったあの可愛い子か。え? まさかあの子が?」
「うん。可哀想だけどお兄ちゃんのこと気になってるみたいなの」
可哀想とかつけないで欲しいんだけど。
「うーん……年下属性は持ち合わせてないんだがなぁ」
「一度くらい遊んでくれない? それできっと目を覚ましてくれるからさ」
なんだ? その俺のこと好きになるやつは夢遊病にでもかかってるとでも言いたげな発言は。
まぁ千春のメンツもあるし、ここは一つ行ってやるか。
「分かったよ。行くよ」
「じゃあ、それ食べ終わったら早速出発するから」
いや、それは早すぎだろう。
こうして、俺は千春と美咲ちゃんと三人でここまで来たわけだ。
千春、何故お兄ちゃんを女性用の水着売り場に連れてきた? 怒らないからその真意を言ってごらん?
俺はため息をつきながら、彼女達の会話を聞いている。この水着は可愛いとか大胆すぎとか、キャーキャー言いながら物色しているようだ。
さすがにこの会話に入るのはまずいので、適当に水着を見ている。
周囲の女性から不審者を見るような視線を向けられているような気がしないでもないが、この程度ならまだまだだ。恭平のそばにいるときのほうが、もっと強烈な視線を向けられているからな。
水着を真剣な眼差しで睨む。正直、今警察が来たら言い逃れが聞かないレベルの目力で睨んでいる。自身の好きな女性を思い浮かべて、この水着を来ているイメージを描く。
……悪くない。だが、この水着では少々胸の部分が大きすぎる気がするな。
「お兄ちゃん! この水着、美咲ちゃんに似合ってるよね?」
っと千春が俺に絡んできた。視線を彼女たちに向ける。
千春は美咲ちゃんの背中から手をまわし、商品の水着を彼女の体に合わせるようにしている。
百合的な光景。これはこれで、悪くないな。そしてそれを見せられる俺。僥倖というものだな。
美咲ちゃんはどこか恥ずかしそうに顔を俯かせている。可愛い後輩だなぁ。
「うん、悪くないと思うよ。まぁ美咲ちゃんは可愛いし、どんな色の水着でも似合うんじゃないか?」
千春の良き兄としてふるまう為に、美咲ちゃんをべた褒めしておく。相手が俺を気になっているという情報を聞いているからこそのべた褒めだ。普段はここまでべた褒めするつもりは一切ない。
美咲ちゃんは余計に恥ずかしそうにしていて、耳まで真っ赤だ。可愛らしい後輩だな。
一方千春は普段の俺を見ているからか、どこか冷めた目で見ている。なんだお前。お前のことを思って良き兄を演じているんだからな?
「じゃあさお兄ちゃん、この水着なんてどう?」
と思ったら、今度は千春が同じように自分の体に商品の水着を合わせながら聞いてくる。
正直面倒くさい。いい加減、、ビキニを見てエロい妄想を捗らせる作業に戻りたいんだが?
「良いんじゃないか? 千春もどんな色の水着でも似合うと思うよ」
「キモッ」
なんでそんな反応になるのか、理解に苦しむね。
「大体、俺に感想を求めるな。そう言うのはモテる男性に聞きなさいよ」
「あぁ、確かにお兄ちゃんはモテてないもんね」
否定はできず、非常に悔しい。
だが、これでも中学時代は少しの間だけだったが彼女だっていたんだぞ? 大体、お前のすぐ隣にいる子が俺のこと気になってるって言ってたじゃないか。なめてんのかこいつは。
「そう言うお前はモテとるのか?」
「まぁね。この前も同じ部の男子に告白されたし」
自慢げに語る千春。
なんだと? なんてクソ野郎だ。人の妹に了承も得ずに手を出そうとは。許せん。今すぐ関節技を決めてやりたい。
「でも私は須田先輩が好きだから、断ったけどね」
須田の本性知らないせいか、あのガチ男色須田にぞっこんの様子。
兄としてここは、こいつの目を覚ましてやる一言を放たねばな。
「千春、言っておくがな。須田は同性あい「やぁ佐倉君!」
俺の言葉を邪魔するようにものくっそ爽やかな声が遠くから聞こえた。
この声は……。ぞわりと鳥肌が立った。声の方へと振り返る。
「げっ……須田!」「きゃあ! 須田先輩!」
俺と千春が同時に反応する。苦い表情を浮かべる俺に対し、乙女の顔をする千春。
視線の先には、爽やかな笑顔を振りまくミスターパーフェクトこと、須田柊が近づいてきていた。思わず身構えそうになった。
「佐倉君、こんな所でどうしたんだい?」
「お前のほうこそ、どうしてこんな所に?」
ここは女性用水着を販売しているところだ。
女の子と一緒に居る俺ならまだしも、一人身の須田が居たら、明らかおかしい。
なのに何故だろう。一人身の須田に向けられる視線は、俺に向けられていたものとは明らかに違う視線だった。
こっちを見て欲しいと言わんばかりの熱視線をぶつけている。
いくらなんでも理不尽である。なんで女子と一緒にいる俺が不審そうに見られ、須田には憧れを抱く視線を向けるのか。
イケメン無罪とはこの事を言うのだろう。
「あぁなるほどね。買い物に来たら佐倉君が居たから声をかけたんだよ。……えっと……この子達は?」
「あっ! 佐倉英雄の妹の千春です! よろしくお願いします!」
そう笑顔で話す妹の千春。
あぁ妹よ、そいつは危険だ。これ以上関わるな。止めておけ。
「へぇ佐倉君の妹さんかぁ。可愛らしいじゃないか」
いま「可愛らしい」の前に「佐倉君に似て」という声が、ぼそりと聞こえた気がした。
だが、千春と美咲ちゃんは気づいていないようだ。うん、俺の空耳だろう。空耳であってほしい。きっと、あまりにも須田を警戒してるせいで、こんな被害妄想をしてしまったのだろう。
「か、可愛い……!?」
須田の反応に、顔を真っ赤にする千春。
茹でダコ状態とはまさにこの事。そうしてニコッと白い歯を見せて笑う須田を見て、千春は撃沈した。
「えっと、もう一人の女の子は?」
「え、あぁ! 友達の倉崎美咲ちゃんです」
「初めまして……」
ペコッと一礼する美咲ちゃん。
そんな美咲ちゃんにも、イケメンスマイルをする須田。
「それじゃあ佐倉君、僕は用事があるからもう行くよ。今度遊びに誘ってね」
「えぇー! 須田先輩も一緒に買い物しませんか?」
千春が須田を引きとめようと粘る。
しかし須田は爽やかな笑顔を浮かべたまま、俺の横を通り過ぎる。
「今度は二人きりで遊ぼうね」
通り過ぎる直前、ささやき声でつぶやかれた。
いや、これも空耳だろう。空耳だ。空耳であってくれ。
マジで怖い。怖いよ須田。
「キャー! 休みの日に須田先輩に会っちゃった! 私服姿もカッコよかったー!」
須田がいなくなった後、乙女のような振る舞いをする千春。
できることなら妹のこんな姿を見たくはなかった。
「美咲ちゃんも須田先輩格好いいと思うよね!」
千春が美咲ちゃんに同意を求めている。
急に話題を振られているから、彼女はどこか戸惑っているように見えた。
「うん、格好いいと思う。だけど私は……」
そういって彼女は一瞬俺を一瞥したように見えた。
なんだよその挙動。可愛いじゃねぇか。今のはかなりポイントが高かったぞ美咲ちゃん。
「あ、美咲ちゃん! この水着とかいいんじゃない!」
千春も今の挙動で何かを察したのか、露骨に話題を逸らしてきた。
どうやら千春的には俺と美咲ちゃんがくっつくのは快く思っていないようだ。まぁ別にいいけどさ、今は恋愛事にうつつを抜かしている暇はないしな。
千春はこの後も終始ニコニコしていた。結局二人はこのあと一時間ほどかけて水着を選び購入する。
その後、軽く駅前のファーストフード店で雑談をして帰る。
帰り道。
「お兄ちゃん、美咲ちゃんはどうだった?」
「可愛い後輩だったな。妹にしたいぐらいだ」
「なにそれ、私だってこんなお兄ちゃんじゃなくて、須田先輩がお兄ちゃんのほうが良かったけど?」
どこか俺の回答に不満そうにする千春。
「冗談だよ。千春は自慢の妹さ。お兄ちゃん、こんな妹をもって嬉しいよ」
「キモッ。そういうのお兄ちゃんが言ってもキモイだけだから」
かなり拒絶させられた。冗談で言ったのに。
深い溜息を吐く俺だったが、心の中ではシクシクと涙を流す。
「話し戻すけど、美咲ちゃんはお兄ちゃん的にあり? なし?」
「なんだその問い。俺はどんな子でもありだけど?」
「キモッ」
だからいちいち悪態をつくんじゃない妹よ。
「でもまぁ、今は野球に戻って忙しいからな。そういう気分じゃない」
「なにそれ、それじゃあ美咲ちゃんとプールに行ってくれないの?」
「何の話だ?」
「え? 今日の水着選び、今度プールに行く為の水着だったんだけど」
初耳だ。
「お兄ちゃんも来るでしょ?」
「美咲ちゃんの水着姿か。悪くないな」
「キモッ」
神妙な顔を浮かべて呟く俺に千春は再び悪態をついた。
「でも今年の夏は無理だ。野球やりたいからさ」
正直嬉しい誘いではあったが断る。
野球に戻った今、一番にやりたいのは野球だ。やっぱり俺は根っからの野球選手で、野球一筋の大馬鹿野郎なんだと思う。
千春はどこか不満げではあったが、「分かった」とだけ言ってそれ以上は誘ってこなかった。大事な場面での気遣いができるのが千春の良さなんだろうな。
そんなことを考えながら帰路につくのだった。




