17話 佐倉英雄、二年目の夏
入部も無事済ませ、永遠のように感じられた補習も終わらせて、やっと野球に集中できる環境が整った。
目指すは秋の県大会地区予選勝利。ひいては県大会出場が直近の目標となった。
我が県の地区予選は、東部地区、西部地区、北部地区に分かれて地区予選を行い県大会を目指す。我が山田高校は西部地区に所属している。
地区予選は、西部地区内でさらにA~Eのグループ分けられ、そのグループ内で総当り戦を行う。そこで1位になったチームは県大会進出。さらに2位になっても、ほかのグループの2位の学校と勝ち残り戦を行い、そこから上位2校が県大会への出場切符をつかむ。
東部7校、西部7校、北部2校の合計16校で県大会を行う。
西部地区には、夏の県大会準優勝の酒敷商業を筆頭に、県内三強の一角丸野港南高校も居る。
山田高校を夏に虐殺した城東や、夏の王者斎京学館は東部地区に所属している。
酒敷商業と丸野港南と同じグループに入りたくないものだ。
さて我が校も秋の大会に出るのだが、部員がすくない。
部員は岡倉を含めて8名。松下先輩が去り、俺が入ったので、夏から部員数は変わっていない。なので助っ人を呼ばないと試合はできない。
佐和ちゃんは「なんとか助っ人を呼ぶ」と言っているが、大丈夫なのだろうか?
さてチームの状況だが、中々良い兆候を見せている。自分で言うのもなんだが、俺の入部がチームに大きな影響を与えたようだ。
まず大輔。前々から本気出せばやばくなると思っていたが、遂に本気を出し始めてそのやばさが見え始めた。
入部テストの際の俺との一戦で、何かに目覚めたらしく、毎日のように真面目に全力で練習に取り組んでいる。そのせいでティーゲージが壊れそうになっている。ってか一つ破壊した。ありえん。
次に龍ヶ崎。今までエース候補であった彼だが、俺という怪腕が入部したことにより、外野のノックに参加させられるようになった。
投げ込みも前よりも目に見えて減っている。そのせいだろうか、龍ヶ崎が少しイライラしている。
最後に佐和ちゃんが練習を厳しくし始めた。
俺という震撼させるピッチャーが現れたことで、ついに佐和ちゃんがベールを脱いだようだ。
一昨年、ダークホースとして県大会を騒がせたチームを作った名将としての佐和ちゃんをこれから見ることになるだろう。
練習は厳しくなったが、俺や哲也、亮輔は、中学の頃さらに厳しい練習をさせられていたのでまだまだ大丈夫。
体力オバケの三村ブラザーズも平気そうだし、恭平はついてこれて無さそうだが、持ち前のアホとエロスパワーで、なんとかなっている。
問題は龍ヶ崎だ。
ついて来れてない上に、本職じゃなかった外野を守らされるストレス、さらに馬鹿みたいにプライドが高いせいで、毎日機嫌が悪く、チームのムードを悪くしている。
それでも変態(恭平)のおかげで、自然と険悪な雰囲気にならなくて済んでる。
マジで恭平は場の空気を明るくする星の下に生まれたに違いない。あれは天然のムードメーカーだ。一種のセンスだろうな。
恭平、あの人並み外れた変態さえなければ、普通に女の子にモテてもおかしくないんだよなぁ。顔も悪くないし、スポーツ万能だし、テンション高くて場を盛り上げるの上手いし。
なんであいつ、あそこまで変態になったんだろう……?
佐和ちゃんは練習を厳しくするだけではなく、的確に俺達の欠点や問題点を指摘し、最適解の指導をする。
無論、俺は佐和ちゃんとの約束で「俺にはあまり指導しない。俺への指導は一日一時間」と言うルールを設けたので、悠々自適にやっている。
他人からの情報など、あくまで参考までに留めておくべきだ。
投球フォームやバッティングフォームなどは、特にそうだ。フォームは基礎さえ教えてもらえば、あとは自分にあったフォームへと変えていけば良い。
メジャー最多安打記録を放ち、日本最強のバッターと呼び声高い選手は、自身のフォームを幾度と無く指導者に変えろと言われても、変える事無く、自分の信念を貫いたおかげで、メジャーで活躍をしている。
メジャーでノーヒットノーランを二度達成し、メジャーにおける日本人投手最多勝記録を持つ選手も、プロ入り時に自身のフォームを変更させないと言う条項を契約書に加えさせた上で入団している。
結局最後は、自分にあったものを選ぶべきだと思う。
ただし、知識がない状態ならば、どんどん他人からの情報を受け入れるべきである。無知のくせに自己流にこだわるのはただの馬鹿でしかないからな。
練習は、空が茜色に染まっても続けられる。グラウンドに照明があるせいか、日が落ちても照明をつけて行われる。
そうして残りの30分、地獄の佐和ちゃんノックが待っている。さすがの俺もこれには付いていくのには集中力と気合が必要だ。
バックネットの前に立ち、10mぐらい離れた佐和ちゃんのノックを受ける。
20球捕ったらあがりだが、近距離の上に早いテンポで左右に打ち分けてくるので、予想以上に体力と集中力を消耗させられる。
静寂に包まれた校舎を目の前に、延々と続けられる地獄のノック。
哲也は哲也で、三塁ベースから一塁ベースと二塁ベースに置かれたネットに、キャッチングからのスローイングをしている。
みんなが終わる前に両方50球入れないと、哲也も佐和ちゃんのノックを受ける事となる。
休み無く打ち分ける佐和ちゃんの技量にも感服だが、そこまでこなす体力がある事にも驚いた。佐和ちゃんの見た目って、あんまがっちりしていないし、どちらかというと細身だったから予想外だった。
俺を怪物にするとか言っていたが、所詮口だけと思っていた。
まさか、ここまでできる監督とは思いもよらなかった。
順番に終わっていき、続いて龍ヶ崎の番。
龍ヶ崎は明らか体力の限界を迎えており、まったく打球に反応できていなかった。
そんな龍ヶ崎に佐和ちゃんから厳しい言葉が向けられる。
「そんなんだから途中入部の佐倉にピッチャーの座奪われるんだぞ! 最後なんだから集中しろ!」
佐和ちゃんの叱咤は龍ヶ崎に向けられているが、まったく龍ヶ崎はそれに応えようとしない。
肩で大きく呼吸しながらも、なんとか打球を捕ろうとするが、動きがどこか緩慢で、はなっから捕れないと諦めていると取られてもおかしくない動きだった。
「龍ヶ崎! 足が動いてないぞ。ついて来れないなら、明日からお前だけは10球捕ったらにしてやる。感謝しろよ! 次大輔!」
佐和ちゃんは、疲れて動かない龍ヶ崎にそう言った。
龍ヶ崎は悔しそうな顔を浮かべながら、バックネット前から離れていった。
きっと龍ヶ崎は手を抜いていたわけじゃないだろう。全力でやってるのについて行けないのだろう。あの悔しそうな顔は、本当に悔しくないと作れない顔だ。
龍ヶ崎、普段は無口だし、部員とかあまり関わらない所があるが、根はきっと良いやつだし、野球には真摯な気持ちで望んでいるのだろう。
頑張れよ龍ヶ崎。俺が応援なんかしたら、あいつ絶対ブチギレるだろうけど。
地獄のノックも終わり、最後に学校の周りを3周して、練習を終える。
グラウンド整備も終わり、俺たちはベンチへと突っ伏した。
「はぁ……はぁ……終わった……」
最後の近距離ノックで7割ぐらい体力を奪われてる気がする。
夏休みの練習だから仕方ないが、一日練習は疲労がやばいな。
まぁその代わり日曜は確実に休みにしてくれるし、休みたいと言えばいつでも休ましてくれるから良いけど……。
「英ちゃん疲れてる?」
そんなお疲れモードの俺に絡んでくるのは岡倉のお嬢。さっきまでグラウンドから姿を消していた。
彼女が背中の後ろで手を組んでいる。そこから白い袋が垂れている。学校近くのスーパーマーケットの袋だ。おそらく姿を消していたのは、買い物に行った為だろう。
正直めっちゃ疲れてる中、岡倉の相手とかダルすぎるのだが、それでも優しく対応する紳士的な英雄君なのである。
「ベリーベリーお疲れモードだよ」
「そんな英ちゃんに朗報です! なんとアイスを買ってきましたぁ!」
そう言って「じゃじゃーん」という言葉を続けて、勢いよく背に隠していたスーパーの袋を見せた岡倉。
その時、脳裏に嫌な予感がよぎった。
おい、まさかあのアイスじゃないだろうな?
やめろ、やめろよ。
袋からゆっくりとアイスの袋を取り出す岡倉の動きを見ながら、そんな言葉が頭の中に駆け巡る。
「じゃっじゃーん! 疲れてる時はやっぱり甘いものだよね!!」
うわっ……やりやがったこいつ。マジかよ。
彼女の手にあったアイスの商品名は「キャラメルアイス リッチWトリプルキャラメル味」
アイスというよりキャラメルを食べさせられている気分になると評判の伝説のアイスだ。
おいおい、疲れて今にも吐きそうなのに、なんて物を差し入れしやがるんだ!
もしかして岡倉はドSなのだろうか? プチデビルなのか?
「みんなの分もあるから、食べて食べて!」
笑顔の岡倉から大輔、恭平、哲也と、どんどん取っていく。
大輔を除いて、どいつもこいつも作り笑いを浮かべている。きっと彼らは「岡倉に悲しい顔をさせてはいけない」という感情のもとに動いているのだろう。
まぁここまで健気でピュアで純粋な子だし、アイス食わないって言ったら、絶対悲しい顔をするだろうな。
「さぁ英ちゃんもお食べ!」
「……あぁ」
俺も彼女からアイスをもらい。ゆっくりと封を切る。モワッとキャラメルの臭いが鼻腔をかすめる。
おいおい、食べる前から吐きそうになったんだが。
「どうしたの英ちゃん? もしかして、甘いの苦手?」
残念そうな顔をする岡倉。あぁ甘いものは苦手だよ。
だけどさ、そんな顔されたら食べないといけなくなるじゃん。乙女に悲しい顔をさせないのが真の男というものさ。
「いや、ありがとな岡倉」
「うん!」
俺が一つ感謝をすると岡倉は満面の笑顔を浮かべた。
やっぱり彼女の笑顔は可愛いと思う。この笑顔で恋に落ちた野郎どもの気持ちも理解できる。
さて、実食。ぱくりと一口食べる。
アイスとは思えない粘っこい甘みが口の中に広がる。あまりの甘ったるさに吐き気を催したが、さすがにトイレに駆け込んだら、岡倉が可哀想だ。
今日だけ、俺は英国貴族もびっくりの紳士でいよう。そう心に決めて、このアイスっぽいキャラメルと格闘するのだった。




