16話 山田高校野球部の目覚め
数球、哲也と投球練習をする。
可動部分はしっかりと動く。足腰も鈍ってない。指先の感覚も確かだ。
「ラスト!」
佐和先生の声にあわせて、最後の一球を投じた。
これで投球練習は終了。本番開始だ。
「ふぅ……」
緊張のあまり息を吐いていた。
投球練習でここまで緊張したのは、いつ以来だろう?
あぁそうだ。中学の地区大会の決勝の最終回、あそこでの投球練習以来かもしれない。
「んじゃ俺が球審やるぞぉ。まず一番打ちたい奴」
佐和ちゃんが、審判道具を身につけて哲也の後ろに立つ。
最初、バッターボックスに来たのは、案の定恭平だった。
「英雄! てめぇの球は、俺が打ち崩してやるぜ!!」
満面の笑みでえげつない事を言う恭平。
それを聞いて、思わず口元を緩めてしまう。
「来たな恭平! やっぱり最初は、お前の豪快な空振り見ないと気分も乗らねぇぜ!」
そう一言言い返す。恭平はさらに嬉しそうに笑う。
そして彼は力一杯、打席の地面を掘り、足場を固めた。
「しゃあ! 来いやぁ!」
バットの先を俺に向けて吠える恭平。
さぁ、ゲーム開始だ。
まず大事な初球だ。
さっきは変態魔神とだけで終わらせたが、恭平は比較的器用なバッターだ。
ぶんぶん振ってくるし、イケイケの選手ではあるが、どんな球でも対応しようと思えば対応できる器用さを持ち合わせている。おそらくストレートやスライダーを投げても、初見で当ててくる可能性は高い。
普段の試合ならそれでもいいのだが、今日は全打者三振という条件付き。
前に飛ばされたら終わりのこのゲーム。恭平を抑える一球は、この後の他の選手と対峙するうえでも大事となるだろう。
初球。哲也はチェンジアップを要求してくる。
当然のリードだ。恭平の勢いを沈めるにはチェンジアップしかない。
ゆっくりと腕を振り上げ、投球モーションに入る。
すでに視界には、恭平も、ベンチで見守る奴らも、審判の佐和ちゃんも見えない。
視界にはただ、哲也のミットだけが映される。
ストレートと同じ腕の振りで放つ事を意識する。球威よりもリリース。スピードよりもコントロールを意識して……振るう!
投じられたボールは、哲也のミットへと向かう。
放たれた瞬間から恭平はタイミングを崩している。
そしてそのまま、ボールはミットへと収まった。
あとには恭平のバットが空を切る音だけが聞こえた。そんでもって恭平が尻もちついた。どんだけ態勢崩されてんだよ。
「……っ! 英雄てめぇ! 初球、変化球なんか投げんなよ! 卑怯者! だからナース物が好きなんだお前は!」
あーだーこーだー文句を言う恭平を無視して、哲也からの返球を受け取る。
改めて自分の投げれる球種を思い出す。ストレート、スライダー、カットボール、チェンジアップの四つ。
あとは哲也に料理してもらえば良い。まぁ俺が投げたい球と違ったら、首を振る場合もあるがな。
基本的には哲也にリードを任せている。哲也のリードは強気なものが多くて、俺との相性がいい。だから哲也のリードに首を左右に振ることは少ない。
さて二球目、今度も低めにチェンジアップ。
確かに恭平の奴は、徹底してストレート狙いだろう。
ここで打ち気を外せれば、なんとかなる。
二度目の投球モーションへと移る。
さっきと同じように、球威よりもリリースポイントを意識する。できる限り、ストレートと同じ腕の振りで投じる。
今度も恭平のタイミングを外す……が、恭平は腕だけで打ち抜いた。
快音と共に打球は三塁線少し左を転がっていく。
ファールだがまさか打たれるとは思わなかった。完璧にタイミングを外したと言うのに。
「あぶねぇ! もうすぐで空振る所だった!」
恭平は焦った声をあげながら驚いている。俺は冷や汗を掻いていた。あいつ、思った以上器用だな。
「二度も変化球投げやがって! もうAV貸さねぇぞオラァ! 最近入った極上のOL物も課さねぇからなぁ!」
キャンキャン吠える恭平は無視だ。
佐和ちゃんから哲也経由の返球を受け取り、ピッチャープレートを軽く踏む。
さて三球目、哲也はすぐさまストレートを要求する。コースはインコース高め。
釣り球か。うん、有効な一球だ。
俺は頷いてから、一度息を吐き、投球モーションへと移る。
今度はチェンジアップと違い、コントロールよりも球威を意識する。多少高めに外れても、球威でバットを振らせる。
鋭い腕の振りから力一杯、哲也のミットへと投げ込んだ。
放たれた白球に、恭平は案の定振りにきて、見事に空振りした。
グラウンドに乾いたキャッチャーミットの音が響いた。
「だぁぁぁぁぁ!! ちくしょぉぉぉぉ!」
恭平が空を見上げながら吠えている。
佐和ちゃんが「早く戻れ」と促したところで、やっとベンチへと戻っていく。入れ替えで左打席に入るのは、大輔の弟である耕平君。
まず恭平を空振り三振に打ち取った。
次は耕平君か。足がクソ速いから、一見打撃は見落とされがちだが、実際は結構ミートが上手かったりする。大輔もそうだけど、三村兄弟は本当に中学まで野球やってなかったのか? とんでもない素質だぞこいつら。
ともかく耕平君は当てる技術は高いのだが、力が無い。
どんなにミートしたところで、前に飛ばされなければ良い。
初球はチェンジアップでファールにさせ、二球目はボールになるチェンジアップを打たせてファール、そして最後にインコースにストレートをズバッと決めて、空振り三振に打ち取る。
これで二人目。だいぶ体も緊張からほぐれてきた。
体から緊張もなくなり始め、ストレートが走り始めた。
続く亮輔をストレートとチェンジアップの組み合わせで空振り三振に打ち取り、次の龍ヶ崎もあっという間に追い込んでいく。
そうしてツーストライクからのストレート。
「くそが!!」
龍ヶ崎がそう怒鳴りながら、振りに行くが当たらない。むしろ当たるはずがない。
頭に血が上りすぎてのぼせてるんじゃないかあいつ? 熱中症にならないかちょっと心配だ。
ともあれ、これで四者連続三振。
ここまではアップに近い。本当の戦いが今始まる。
「んじゃ最後は大輔だな」
佐和ちゃんの声。と同時に打席に入ってくるバッター。
三村大輔。足場を固めているだけなのに、威圧されそうになる。あいつのパワーを知っているからだろうか。
おそらく大輔は、俺と同じ天才と言われる部類の存在だろう。本気で野球に取り組めば、来年の夏にはどれほど化けるのか、期待反面恐ろしさもある。
こんな奴が、今まで野球はおろかスポーツを何一つやっていなかったのが不思議だ。
「英雄。俺は本気で行くべきか?」
大輔が一度、こちらを見て聞いてくる。
確かに大輔が手を抜いてくれれば、危なげもなく俺は簡単に野球部に入部を果たせるだろう。
答えはすでに決まっている。俺はジッと大輔を見ながら……。
「当然だ。お前の本気を抑えられないようじゃ、プロにも、メジャーリーガーにも、怪物にもなれねぇよ」
俺の答えに満足したのか、大輔は軽く口元を綻ばして、ゆっくりと構えた。
……予想以上だった。
大輔の本気。「打つ」というオーラは既に「破壊する」と言うオーラに変わっていた。
球界の四番とか、メジャーリーグのプレイヤーってのは、こんなオーラを出すのだろうか?
どう抑えようか、どう抑えるべきか、そもそもこいつを抑えられるのか?
様々な思考が駆け巡る。哲也のサインに集中できない。
抑え込めるイメージが、まったく湧いてこない。ただ投じたボールが上空に運ばれるイメージだけ。
「ふぅぅぅぅ」
一度息を吐いて、プレートから足を離した。そしてロジンバックに手を付けた。
集中出来てなかった。あれじゃあ、初球から打たれて終わりだ。
中学の頃、鵡川良平と戦ったときは、ここまで弱気にならなかったはずだ。
やはり三振を奪えと言う条件が付いているからだろうか?
それもあるのかもしれないが、やはり大輔の発する良く分からん威圧感が原因だろう。奴は別格だ。鵡川良平ですら比べものにならない存在と化してる。
マジで大輔バケモンかよ。
少し気持ちを落ち着かせ、再びプレートを踏んだ。
サインはアウトコース低めへのチェンジアップ。
俺は頷き、大きく息を吐いた。大丈夫、いつも通りだ。いつも通り投げれば抑えられる。
肩の力を抜いてから投球モーションに入り、投げた。
緊張していたとはいえ、なかなか良いコースへと向かうボール。
それを大輔は平然と振りぬいた。
「なっ!?」
金属バットから鳴る爆音と同時に、打球はレフト方向へ向かう。
慌てて振り向くと、打球は大きく左に逸れ、ファールゾーンへと切れていく。そうしてそのまま、ファールゾーンに落ちた。
ファールだったと言う安堵と共に、簡単にチェンジアップを打たれたという不安が交錯する。
息を吐いて佐和先生から哲也を通して渡った新しいボールを受け取る。
一度袖口で汗をぬぐってから、再びプレートを踏みしめた。
二球目はインコース低めのストレート。
大輔にインコースを投げ込むなどと言う強気なリードを、哲也は臆せず要求する。
俺は今にも飲み込まれそうなのに、なんてリードをしやがるんだ。
首を左右に振ろうと思う事無く、無意識に頷いてしまった。
呼吸が乱れているのに、俺はすでに投球モーションに入っていた。
意識が散漫しているのに、哲也のミットを見ていた。
大輔を恐れているのに、投げた。
甘い球がアウトコース低めへと向かう。完全な逆球だ。
打たれたと思った瞬間、案の定大輔はボールを捉えた。
金属音が校舎のほうまで木霊する。
打球は今度ライト方向へと向かう。これもファールになったが、推定飛距離100mはゆうに越しているだろう。
打球の行方を追っていた俺は自然と笑いがこみ上げてきた。
「ははは、マジでバケモンかよあいつ」
夏の県大会決勝戦、鵡川良平の打席を思い出した。あの時感じた自分という存在の小ささをここでも痛感した。
なんで俺、こんな対決で緊張して、気負ってたんだ?
打たれようが、抑えようが、大輔と真剣勝負出来るのは、これが最後になるだろう。 チームメイトになったら、こんな打たれたら負けみたいな展開にはならないだろうしな。
どっちにしろ最後になるなら、楽しむしかないだろうが俺。
哲也からの新しいボールを受け取る。
俺は最後にもう一度大きく息を吐いて、プレートを踏みしめた。
もう俺の脳裏から、大輔に対する恐怖心は消えていた。むしろ楽しさが湧いてきていた。
相手は今まで戦ってきた敵の中でトップクラスのバッター。最高に楽しい状況じゃないか。
哲也のサインは、相変わらず強気のインコースへのストレート。
俺はゆっくりと頷き、間を少し取る。
マウンドから見る哲也のミットが、普段よりも大きく感じる。それが一番安心させてくれる。
「行くぞ……」
小さく呟いて気持ちを整えた。
ゆっくりと投球モーションに入り、大きく振りかぶる。
俺のフォームはスタンダードなオーバースローだ。おそらくお手本にすべきフォームであることは間違いないだろう。
何一つ我流が混じっていない、純粋な基本。
確かに我流のような荒々しさや特化された力はないかもしれない。だが、基本を極めた俺のフォームもまた、我流といっても間違いではないだろう。
投球フォームは何一つ不具合を起こすことなく、順調に工程をこなしていく、そして最後、右足が大地を穿つ。
左腕がむちのようにしなる。
腰が竜巻のように力強く回転する。
そして全ての力をボールにねじ込むように、左指でボールを押し込んだ。
全ての工程が完璧に終わる。
自身の力全てを込めた球を大輔の胸元へと放った。
ボールには予想以上に強烈なスピンがかかり、速く真っ直ぐに哲也のミットへと向かう。
大輔は打ちに来ようとして、バットを出さなかった。
乾いたミット音が鳴り響いた時、俺は確信していた。
たとえこれがボールと判定されても、絶対にこの後抑えられると……。
「ストライク!!」
佐和ちゃんの声が耳に入る。
大輔が見送り三振。悔しそうに天を仰ぐ。
まさか土壇場でクロスファイヤー成功させちゃうとはな。中学時代、一度しか成功しなかったんだが。やっぱり俺、天才かもしれん。
「試験終了だ。英雄、ナイスピッチング!」
佐和ちゃんが審判用のマスクを外して、笑顔で俺のピッチングを褒めた。
その笑顔を見て、俺も自然と微笑みを浮かべた。
「これからよろしく頼むぞエース!」
「はい! 任せてください!」
こうして俺は、晴れて野球部への入部が決まったわけだが……。
今の大輔との一戦で、俺は少なくとも成長したと思う。
きっと大輔にもいい経験になったとも思う。
これからは甲子園を目指して、一心不乱に努力を始めよう。
俺の二年目の夏は、こうして過ぎていく……。




