159話
「頼むぞ大輔!」
ネクストバッターサークルから叫ぶ英雄の声が聞こえてくる。
スタンドからも俺の名前を叫ぶ声が聞こえてくる。
先ほどベンチに戻る龍ヶ崎と目があった。龍ヶ崎は何も言わなかったが、彼の目から確かに彼の気持ちは受け取った。
分かってる。ここで結果を残すのが四番の仕事だ。
≪四番レフト三村大輔君…≫
場内アナウンスが俺の名前を告げた。
スタンドが大いに沸く。それだけ俺は期待されているということだ。
監督からのサインはただ一つ。
打て
右腕のみバッティングするようなジェスチャーを送る監督に応えるように、俺はヘルメットのつばをつまんだ。
「…お願いします」
球審に一礼してから、打席へと入る。
足場を固めながら、左手でユニフォームの右胸部分を掴んだ。
「…決める」
ここで必ず得点に結びつける。
期待されている以上、結果を残す。
チームの四番として、一人の選手として、一人の男として。
ゆっくりとバットを構える。マウンドに居る左腕、斯波をジッと睨みながら、相手の持ち球を確認する。
スライダー、カーブ、チェンジアップ…そして決め球のカットボール。どの球種も曲がりは少ないし、甘いコースに来ている。何よりフォームも分かりやすい。
ストレートも普通以下だ。球速もかなり速いわけじゃない。
さっきのイニングでは、カウントを稼ぎに来たスライダーを引っ叩いて、ツーベースにしたが、この打席で狙う球は1つ…カットボールのみ。
相手の決め球であるカットボール。それをこの場面で打ち砕いてこそ四番だ。
四番を託された以上、結果は必ず残す。
斯波がカットボールを使う場面は3つ。
1つ目は、追い込んだのに粘られているとき。
2つ目は、ピンチで打たれたくないとき。
3つ目はフルカウントのとき。
2つ目が現在進行形で当てはまっている。
だから、初球からカットボールを投げてくる事もあるだろう。
ここで詰まらせたら、四番失格だ。
四番ならこの場面、必ずヒットを打たなければな。
初球はインコース低めに落ちるカーブ。見た時点で外れるとわかるぐらいのボール球。
前の打席ツーベースを打たれから、慎重な配球をしているのだろうか?
二球目、今度もカーブ。アウトコースから内に来る球。ぴくりと体が反応したが見送りストライク。
コースが甘いな。今のボールは狙おうと思えば狙えた。むしろカットボールよりも確実にヒットになっただろう。
だがこの場面は、カットボールを狙うと決めた。だからカットボールを待つ。
続く三球目、インコースへ向かってくるスライダー。これは見送ってボール。
四球目、投じられたのはストレート。
無意識に体が反応してしまった。
打球はライト方向へと飛んでいくファールボール。
やはり待っているだけではカットボールはきそうにないな。
カウントツーボールツーストライクからの五球目、今度はスライダー。
違う。こんなのは目当てじゃない。
フルスイングで引っ張りファールにする。鋭い打球はライナーで三塁側フェンスに直撃するファール。フェンス傍の相手校の生徒から悲鳴がもれた。
そして六球目のストレートが外れた。
相手ピッチャーは緊張しているのか、投げた後も不審な挙動をしながらキャッチャーの返球を受け取っている。
だがカウントはフルカウントとなった。
この場面、斯波は絶対にカットボールを使ってくる。
さっき言った、使う条件の全てが揃っている。
自然と力みが取れていく。
視野は広く、筋肉のわずかな動きにも気を配れるほどに神経は研ぎ澄まされている。
そして何より、俺の体は集中している。
この体の状態は、打てる時の状態だ。
「大輔ー! ファイトー!」
空耳か、それとも研ぎ澄まされた聴覚が捉えたのか、喧騒とする一塁側スタンドから、里奈の応援が聞こえた気がした。
…あのスタンドであいつが見ている。ならば、打つしかない。
腕に力がこもる。
七球目、斯波の左腕からボールが放たれた。
世界が静止したように、スローモーションへとなっていく。
放たれたボールの縫い目が確認できるまでに俺の視覚は研ぎ澄まされる。
何千、何万、何億と数え切れないまでにこなしてきたスイングは、意識するよりも先に必要な動きを各筋肉へと指令を出していく。
足、腰、背、腹、腕、体全体の筋肉が必要な動きをこなしていく。
鋭く、そして右打者の胸もとへと食い込んでいくカットボール。
予想以上に深く変化をしてきた。
だが、たとえ詰まらされようと力で運んでやる…!
最悪、犠牲フライでもいい。今はとにかく打つ!
両腕に鈍痛が走った。
バットの芯を外した時に走る痛みだ。
それでも体の動きで溜まった力を抜くことなく、最後まで自分の持てる全ての力を使いバットを振り切った。
鈍い音がグラウンドに響いた。
バットを置き、走り始めながら打球の行方を追う。
完璧に芯を外されたが、打球は思いのほか伸びた。
レフトとセンターの間へと飛んでいく。
「落ちろぉ!」
俺は思わず叫んでいた。
レフトの選手、センターの選手が必死に走る中、打球は…。
…落ちた。
左中間の芝生にワンバウンドした打球を確認して、俺はスピードをあげる。
同時に、三塁ランナーの耕平もホームへと走り出した。
芝生に落ちた打球はフェンスに向かって転がっていく。勢い的にフェンスまでは届かないだろうが、あの打球なら俺も二塁に行ける。
「回れ回れ!」
一塁コーチャーの鉄平が腕を大きく回している。
それを横目に一塁ベースを蹴飛ばして二塁へと走る。
一度ホームベースへと視線を向けた。
ちょうど、耕平がホームに滑り込み、打席近くにいた英雄とハイタッチをしている。
それだけを確認して、俺は二塁へと走り、そのままのスピードでベースに滑り込んだ。
二塁ベース上で、俺は小さくガッツポーズを浮かべた。
山田高校応援団が陣取る一塁側スタンドの大歓声を耳にしながら、俺は切れた息を整える。
これで2対1、試合はまだまだこれからだ。打席に入る英雄にエールを送りながら、俺は一歩づつリードを広げる。
っとここで、相手ベンチからタイムがかかり、マウンドに相手校の内野手が集まっていく。
まもなく、相手のブルペンで投げ込んでいたピッチャーがマウンドに向かい始めた。
途端、場内アナウンスが流れ始めた。
≪丘城高校、選手の交代をお知らせします。ピッチャー斯波君に代わりまして、吉兼君。ピッチャー吉兼君。背番号18≫
「来たか…」
大輔のタイムリーヒットからのピッチャー交代。
場内アナウンスが選手の名前を告げたところで、俺はそんな事を口にしていた。
吉兼栄一郎。
昨日の作戦会議で佐和ちゃんから聞いていたピッチャーだ。
昨夜の作戦会議での出来事を俺は思い出した。
「…エースの斯波については以上だ。次はベンチ入りしているもう一人のピッチャー。背番号18の吉兼栄一郎についてだ。吉兼は徳島県勝浦町出身。中津峰山中学時代はエースを務めており、スポーツ推薦で丘城高校に入学している。右投げ右打ちの二年生」
テレビ画面に映し出される吉兼の投げているところ。
「一年生の夏からベンチしており、今年の夏はリリーフエースとして活躍している」
「リリーフエース?」
誰かが佐和ちゃんの言葉に反応した。
「あぁ、初戦の商大付属との試合では、九回の裏から登板。3人を凡打で抑えている。また二回戦の関東学園、三回戦の山田東では点を取られ、なおもピンチの場面で登板。両方とも無失点で切り抜けている」
映像の吉兼はどんどん凡打の山を築いている。
しかし、ストレートしか投げてないんじゃないか? 変化球という変化球を投げているように見えない。
「最速143キロ。二年生にしては速い球を投げてくる。制球も悪くも無い。球種はカットボールやシュートなど、手元で小さく変化するものを持っている」
典型的な速球派ピッチャーか。
「投球スタイルとしては、低めにボールを集めて、手元で変化するボールで打たせて取るタイプだ。ここまで一度も三振を奪っていないところを見るに、打たせて取るタイプのピッチャーであることは間違いないだろう」
佐和ちゃんの説明に一同が静かに耳を傾ける。
「攻略法としては、とにかくフルスイングだな。バットをしっかり振り切ること。金属バットは木製のバットと違って、しっかりと振り切れば、多少つまらされても打球は伸びる」
確かに佐和ちゃんの言うとおりだ。
正直、金属バットが主流の高校野球で詰まらせるピッチングをするのはどうかと思う。いや、俺もカットボール投げるんだけどさ。
「よって中途半端なスイングはするな! しっかりと振り切れ!」
「はい!」
最後に選手たちが強く返事を返した。
昨日の出来事を思い出し、俺は小さくため息を吐いた。
エース斯波、リリーフエース吉兼といい、丘城高校のピッチャーは打たせて取る球がお好きなようで…。
「…四回で早くもリリーフエースか」
相手が焦っているのが目に見える。
これ以上の得点が狙えないと思ったのだろうか? それなら頑張って投げた甲斐がある。
打席そばで吉兼の投球練習を見守る。
最速143キロ。一年の夏から登板経験あるみたいだし、マウンドの立ち振る舞いも悪くない。
正直、斯波よりもエースの貫禄を感じる。
投球練習が終わったのを確認し、俺は左打席へと入る。
吉兼はロジンバックに指先を触れている。
リリーフエースの吉兼にとってみれば、こんな早いイニングからの登板は、まさに緊急登板と言っても差し支えないだろう。
下手すりゃ、頭も混乱してるだろうし、気持ちの準備も出来ていない場合もあるだろう。
初球だ。初球で決めてやる。
さて初球はどこに来る? まぁどこだろうと打つのみだけどさ。
しっかりとバットを振り切れば、多少詰まっても打球は伸びる。先ほど大輔がそれを証明してくれた。
俺は大輔のようなパワーがないから、詰まらせてツーベースヒットなんか出来ないが、ポテンヒットにでもなれば、チャンスは広がる。
吉兼が一球目を投じるために、クイックモーションから初球を投じた。
行ける!
右足を前へと踏み出し、左足を回転させて打ちに行く。
「うぇ…?」
その瞬間、俺は変な声がもれた。
バットに当たる瞬間、ギュッと鋭利に変化するボール。
鈍痛が両腕に響く。痛みに顔を歪めた。
打球はピッチャー正面のゴロ。
慌てて走り出すが間に合わない。ピッチャー吉兼は打球を丁寧に処理してファーストへ。
それをファーストがキャッチして、アウト。
「なんだあの野郎」
とんでもないカットボール投げやがった。
正直、俺の投げるカットボールよりも完成度が高かった。当たる直前に変化するとか、どんだけ切れあるんだよ。
この様子だと中村っちも打てないだろうな。
「見事にやられたな」
「何がバットを振り切れば打球が伸びるだよ。ダメだったんですけど?」
ベンチに戻ると佐和ちゃんがにやりと笑いながら俺を迎え入れた。
一方、俺は佐和ちゃんに悪態をつく。
「それはお前が痛みで力を抜いたからだろう? 大輔ならあのままバットを振り抜いていたぞ」
「…ぐぬぬ」
何も言い返せないので、変な声で唸っておく。
続く中村っちはサードフライに倒れた。
結局、二塁ランナーの大輔はホームまで戻れなかった。
「まぁ1点返したし、切り替えていこう!」
佐和ちゃんが手を叩いて選手たちを鼓舞する。
その明るい佐和ちゃんの声に、選手たちは明るく返事を返して各守備位置へと走っていく。
「英雄、頼んだぞ」
「おぅ!」
俺も佐和ちゃんに返事を返して、マウンドへと走る。
大丈夫、丘城高校で怖いのは伊良部だけだ。奴の前にランナーをおかなきゃ問題ねぇ。




