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怪物は一日にして成らず  作者: ランナー
6章 怪腕夏に唸る
155/324

154話

 「英雄ー!」

 柔軟運動を終えて立ち上がった所で、俺の名前を呼ぶ女子の声が聞こえた。

 この声は…。

 視線を向ける。そこにはチアガール姿の百合と鵡川とそのお友達の川島の姿があった。


 「おっす」

 「お疲れ! ってか凄い記録出したんでしょ!? 凄いじゃん!」

 完全試合のことをよくわかっていないのか、百合は凄い凄いと連呼している。

 ここまで凄いと言われると逆に白々しさを通り越して、素直に嬉しい。


 「だろ?」

 「うん! 凄い! さすが英雄!」

 褒め方が雑だが、チアガール姿の同級生の女子に褒められて、喜ばない男はいない。

 現に俺は喜んでいる。なんて事だ。去年願望した事がまさか一年越しに叶うとはな。


 「野球部集合!」

 ここで哲也の号令が聞こえた。


 「じゃあ俺もう行くから」

 「うん! 次も頑張ってね!」

 百合が手を振る。

 それに釣られて、俺も小さく手を振り返し、哲也のもとへと向かった。



 「英雄ちょーカッコよかったぁ…」

 佐倉君がいなくなった瞬間、百合はそう呟いてその場でうずくまった。

 その様子を見て帆波は呆れて笑う。

 私も笑いながらも、先ほどの百合と佐倉君の会話を思い出す。


 下の名前で呼び合う二人を改めて見たが、凄く羨ましい。

 そして同時に、こんな事を考える自分が恥ずかしい。

 …私も下の名前で呼び合いたい。そんな感情に駆られた。



 鵡川達と別れて、哲也のもとへと向かうと佐和ちゃんがいた。


 「よし集まったな! この後、丘城と山田東の試合を観戦するから、みんなでスタンドに行くぞ」

 「はい!」

 佐和ちゃんの指示に俺達は返事を返した。

 まだまだ俺たちの夏は続く。そう考えると嬉しくなって頬が緩んでしまう。

 ってことで、俺達はスタンドに上がる。そして一足早く昼飯をとる。


 「みんな! どうぞー!」

 岡倉と志田が選手たちに弁当を手渡していく。

 どうやら岡倉と志田で手分けして弁当を作ったらしい。

 ここはなんとしても志田の弁当が欲しい…!


 「志田! お前の手作り弁当が食いたい!」

 そういって志田の前に手を伸ばす。


 「はい! 英ちゃん!」

 そして渡してきたのは岡倉。


 「ありえん」

 そして俺の手元には岡倉の弁当箱。

 なんで志田に手を差し出したのに、岡倉の弁当箱が手元にあるのか?


 「英ちゃん! 頑張って作ったから、全部食べてね!」

 岡倉は笑顔を浮かべ、凄い期待した眼差しを俺に向けながら、死の宣告をしてくる。

 ふざけるな。この弁当全部食ったら、俺の夏が終わるわ。

 だがしかし、岡倉の期待に満ちた表情と、我が家の家訓である「飯は残すな」が俺を縛り付ける。大丈夫、俺は過去に岡倉の弁当を食べ抜いている…! 大丈夫だ。…きっと大丈夫。

 無理はしない。まずいからと言って一気に食えば、その時点で死ぬ。長期戦で食べるしかない。


 「うわっ…岡倉のもらっちった」

 鉄平がボソリと呟いた。

 お前、前まで岡倉好きだったろ? なんで嫌そうにつぶやいてんだよ。


 「青木、なんなら俺のと交換するか?」

 そして鉄平の隣に座る龍ヶ崎が、鉄平の持つ岡倉の弁当を交換を求めている。

 さすが岡倉ガチ勢、そこらの岡倉好きとはレベルが違うぜ龍ヶ崎!


 「おっ! 龍ヶ崎! 俺のも食べるか?」

 「…さすがに二つは無理だ」

 鉄平と交換した龍ヶ崎に、俺のも誘ってみるが断られた。

 やはり岡倉ガチ勢龍ヶ崎でも二つは無理だったか。しゃーない、これは俺の手で処理するしかないのか…。

 弁当箱を見る。なんだろう? 普通の弁当箱なのに禍々しい何かが弁当の隙間から溢れ出ているように見えてしまう。


 「…南無三。…いただきます」

 手を合わせてそう呟く。

 早速蓋を開く。


 黒い。相変わらず黒い…。

 前食べた岡倉の弁当も黒かったが、前以上に黒の割合が高い。ご飯の方まで黒くなっている。

 だがご飯が黒いのは上にのりが乗ってるからっぽい。良かった。

 弁当の臭いを嗅ぐ。酢の臭いはない。…行ける! これなら行ける! とりあえず一番安全そうなご飯を食べてみよう。


 のりごはんをつまみ、一度ご飯を確認する。うん? おかしい? 白米が…黒い…?

 もう一度鼻先を黒くなった白米に近づけて臭いを嗅ぐ。

 …この臭いは…醤油?


 「嘘だろ」

 ありえねぇ。白米が真っ黒になるぐらい醤油かけたのか岡倉の奴。

 やばい、割とマジで、今日で俺の夏が終わるかも知れない。いや、俺の人生が終わるかも知れない。


 神は俺を見放したとでも言うのだろうか…?



 岡倉の弁当に悪戦苦闘しながら、グラウンドへと視線を向ける。

 次の試合は、現在シートノック中の丘城高校とベンチ前で円陣を組んでいる山田東高校の勝者だ。


 丘城高校はノーシード。二回戦でBシード関東学園を7対5で下している。

 元々、丘城高校は強い。県内中堅校レベルの実力と言っても過言ではない。ここ数年は毎年ベスト8ぐらいには顔を出している学校だ。


 対する山田東高校は無名校の快進撃と言う言葉が一番しっくり来る。

 初戦で秋春連続で県大会に出場した北部地区の雄、鶴山商業(つるやましょうぎょう)高校をサヨナラ勝ちでくだし、続く二回戦も春の県大会出場している相馬高校を破っている。

 快進撃の立役者はエースで四番を任されている村川享だ。そう、俺の中学時代の仲間の一人だ。

 これまで投打で結果を残しており、また俺の中学時代の仲間である浩哉、侑平も揃って結果を残している。

 どうやら三人とも今大会は打撃が好調のようで、開会式であった時は下位打線を任されていると言っていた浩哉と侑平は、今日の試合一番と三番で出場している。

 享は相変わらずエースで四番で出場しているようだ。


 「英雄、今日の試合どっちが勝つと思う?」

 哲也が真面目な顔で聞いてくる。彼の手元には志田の作った弁当。

 こっちは魂削って岡倉の殺人弁当を食しているのに、なんてやつだ。

 まぁいい。俺は少し悩んでから答えた。


 「丘城だろうな。山田東は初戦でサヨナラ勝ちして勢いこそあるが、戦力的に見れば丘城が圧倒的だ」

 贔屓目で見れば、山田東に勝ってほしいが、さすがに戦力が違う。

 丘城は打倒三強を目標に、私立であることを武器に県内外問わず優れた選手を集めている。新興勢力の星とも呼ばれ、現状、打倒三強に最も近い学校と高校野球ファンからは評されている。


 「…僕もそう思う。浩哉達には頑張って欲しいけど」

 哲也は呟く。確かにあいつらには頑張ってもらいたいが、今回ばかりは相手が違いすぎる。

 鶴山商業、相馬共に県大会出場を果たしているが、丘城はレベルが違う。普通にシード校になってもおかしくないぐらいの実力校だ。


 黒い卵焼きを口に放り入れる俺。やばい。甘い、甘すぎる。

 三度目の岡倉の弁当を食べてわかった。あいつはとりあえず調味料はたくさん入れておけばいいと言う考えに囚われている。

 どの料理も、明らか分量がおかしい。適当すぎんだろうあいつ。

 岡倉を睨む。岡倉は自分で購入したのであろうコンビニのサンドイッチを食べていた。クソが、なんでお前が美味そうなもの食ってんだよ。


 「まぁ丘城には、化け物が居るからなぁ、妥当な考えだ」

 「あぁ?」

 理不尽に打ち震える俺の後ろで佐和ちゃんが呟いた。

 振り返る。佐和ちゃんの手にはコンビニの弁当。確か佐和ちゃん、岡倉から弁当受け取ってたよな? なんでコンビニの弁当食ってんだ?


 「化け物ですか?」

 哲也が佐和ちゃんに聞いた。


 「あぁ、四番の伊良部竜平(いらぶりゅうへい)が化け物やってる。そいつの今大会の得点圏打率は10割なんだよ」

 「はぁ?」

 得点圏打率10割ってマジか。


 「一回戦、二回戦で4度の得点圏にランナーを置く場面で、全てヒットを放っている。奴のチャンスの場面での集中力は尋常じゃない」

 佐和ちゃんが少し真面目な表情を浮かべて話す。


 「しかも、こいつの面白い所は、得点圏にランナーが居ない場面では、全然ヒットを打ってないんだよ」

 「マジかよ」

 なんだそいつ? 凄いのか凄くないのか、よく分からない奴だな。

 しかし得点圏打率10割か。中々面白そうだ。



 そして試合が始まった。

 先攻山田東は、先頭バッターの侑平がヒットで出塁後、盗塁からの二番バッターの送りバントで、ワンアウト三塁のチャンスを作り三番浩哉。

 浩哉は結局内野フライに倒れるが、続く四番享がレフト前にヒットを放ち、早速先制点をあげた。


 迎えたその裏、初回から佐和ちゃん注目の伊良部の勝負強さを見ることができた。


 享は、早速ツーアウト三塁のピンチを招いた。

 二番バッターにツーベースヒットを許したあとに、三番が送りバントを決めて、三塁にランナーを進めたのだ。

 そして迎えるは四番伊良部竜平。


 途端、一塁側スタンド、丘城高校のスタンドからトランペットの音が鳴り響いた。

 そして流れ始めるのは応援歌必殺仕事人。得点圏打率10割の伊良部にベストマッチした応援歌だな。

 軽快な演奏に合わせて、丘城高校応援団が声を揃えて応援歌を叫ぶ。


 得点圏打率10割の男と言う噂は、享の耳にも届いているのか、リードが一気に慎重なものになった。

 ボール、ボール、ボールと三球ストライクゾーンから外れた。

 最悪歩かせるつもりか? そう思った四球目、伊良部のバットから快音が鳴った。


 応援歌を歌っていた一塁側スタンドの応援団が一気に大歓声をあげた。

 打球は三遊間を抜く強烈なゴロ。ショート浩哉が横っ飛びしたが、打球は無情にもレフトへと転がっていく。

 三塁ランナーは楽々とホームインをし、すぐさま同点に追いついた。



 試合はこの後シーソーゲームとなった。

 二回の裏に丘城が1点をあげると、三回の表に山田東が三番浩哉と四番享で1点を取り、同点に追いつく。

 五回の裏に丘城が、ツーアウト三塁で四番伊良部がヒットを放ち1点をあげると、六回の表に山田東が浩哉のツーベースヒットから1点をあげて同点に追いついた。


 前評判では丘城が圧倒すると予想されていたが、山田東が予想以上に粘り強い。

 もしかしたら山田東が勝つかもしれん。そう思ったが、七回の裏に2失点してしまった。

 ワンアウト一二塁から、四番伊良部に1点を取られ、さらに続く五番バッターにスクイズを決められて2失点。

 これが山田東に重くのしかかった。


 八回、四番享のヒットから、なんとか1点を返したが反撃はここまでだった。

 なんとか食らいついていた山田東だったが、最終回先頭の八番、九番と抑えられ、ツーアウトで迎えるのは一番の侑平。


 初球、二球目と打ち返すファールにした三球目、変化球を詰まらせたのか打球はセカンド正面のゴロ。

 侑平は必死に走り、最後は一塁ベースに頭から滑り込んだが、何も変わることはなく、ファーストは冷静にボールをキャッチしてスリーアウト。

 最後まで粘った山田東は一歩及ばず、5対4で丘城高校が準々決勝に駒を進めた。

 同時に、俺たちの次の相手が決まった。


 「…侑平」

 隣で哲也が呟いた。

 一塁ベースそばで力無く跪く侑平に、享と浩哉が駆け寄っている。

 スタンドからでは、これぐらいの情報しか分からない。彼らがどういう表情をしているかは分からない。

 だが、目元で袖口で拭っているのは確認できた。


 「次の相手は丘城だな」

 俺は中学の仲間の敗北に気にすることなく呟いた。

 いずれ彼らは負けていた。それが俺たちの手前だっただけの話だ。

 今俺がすべきは、仲間の敗北を見て感傷に浸る事じゃない。次の試合に向けた準備だ。


 伊良部は今日も三度の得点圏の場面でヒットを放った。依然得点圏打率は10割。

 目の前で伊良部の打席を見たが、噂通りの集中力の高さとも言える。チャンスの場面での強さは本物だろう。

 それにチーム全体で、伊良部の前でチャンスを作ろうと言うのが目に見えた。

 初回の送りバントはもちろんだが、五回の得点に至っては先頭の一番バッターがフォアボールの後、二番、三番が続けて送りバントをしている。

 確実に伊良部を信じた作戦だ。


 「伊良部の勝負強さが、チームの中心かぁ」

 前に座る鉄平が呟いた。

 またも相手はワンマンチームか。いや、正確には違うな。

 今日の試合を見て思ったが、どの選手も点を取れる力も持っている。さすがは県内外問わず優れた選手をかき集めている学校なだけはある。どの選手も優れた力を持ち合わせている。

 その上で伊良部を主体としたチームにしているんだ。

 それだけ伊良部は信頼されている。だが伊良部が打てなくなった所で、勢いがなくなるわけでもなさそうだな。


 「今度は一筋縄では行きそうにないな」

 試合終了のサイレント共に、佐和ちゃんが呟いたのだった。

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