14話 怪物が生まれた日
夏の高校野球県大会は俺たち山田高校が敗れた後も順調に日程を消化していった。
山田を破った城東は、三回戦でノーシードの理科大学付属高校と当たり敗北した。
その理大付属は、準決勝で斎京学館高校に敗れた。勝った斎京学館は四年連続の決勝戦へと進出した。
と言うわけで、本日は我が県の代表を決める試合が行われる。
今日勝てば三年連続の夏の甲子園出場を果たす斎京学館と、今年の選抜に出場しており春夏連続甲子園出場を目指す酒敷商業の勝負となる。
そんな決勝戦に、俺は顔を出していた。
ちなみに俺はまだ野球部に入部していない。
佐和の奴に謎の座右の銘を授与されたが、やはりまだ野球に戻れる気分じゃなかった。
というより、今更感があるのだ。
確かにあの夏の大会での登板で、今まで眠っていたピッチャーとしての本能が覚醒し、今すぐにでもマウンドに上がりたいのだが、一年間棒に振っている俺が、今から野球をやり始めて、来年の夏に良い成績を収められるのかも不安だった。
まぁ一年遊んでいた奴が、いきなり高校野球に通用したらしたで、今まで野球を頑張ってきていた奴らを愚弄してしまいそうだしな。
なによりも、俺は今の生活が嫌いじゃない。
野球ばかりだった日々とは違うこの長い休みは俺の肌に合った。
そんな本能や理性などが入り混じり、結局あと一歩が踏み出せなかった。
と言うわけでやってきたのは、県大会決勝戦の会場である丘城スタジアム。
夏の開会式が行われた場所だ。もちろん、決勝戦を見るためだ。決してチアガールとか応援に来ている可愛い他校の女子高生をメインで見に来たわけではない。
ちなみに今日は一人だ。
いつもなら笑顔で来てくれる哲也だが、城東高校との試合後、野球部の新キャプテンに任命され、毎日練習なので今日は来ていない。
別にぼっちだと何もできないわけではないけど、喋る相手がいるだけでも、野球観戦の楽しさは二倍三倍に膨れ上がるものだ。
「あれ? 佐倉君?」
いざ入場、と言うところで俺の名前が呼ばれた。
佐倉なんて名字は、ここらへんでは比較的珍しい。なのですぐ俺を呼ぶ声だと気づいた。
声の方へと振り返る。そこには意外な人物が立っていた。
鵡川梓だ。
「やっぱり佐倉君だ……」
「鵡川か。こんなところで会うなんて珍しいな」
「そ、そうだね……」
ぎこちなく返事を返す鵡川。
表情からは戸惑いの色が見え見えだ。そら遊びに来た先で知り合いと出会ったら、ちょびっと動揺するよな。
「なんでまたこんな所に? 鵡川って野球好きなの?」
「いや、うん……好きだけど……今日は良平の応援に来たの」
「良平? 彼氏?」
鵡川のぎこちなく返された返答をすぐさま返す。
「え!? いや彼氏じゃなくて、弟の良平。ほら、この前会った……」
「あぁ! 良ちんか! 良ちん今日の試合出るんだ」
「うん。良平、斎京学館で四番やってるから」
そういってほんのり微笑む鵡川。
ちょっと弟の活躍が誇らしい様子だ。
ってか良ちん、斎京学館の四番だったのか。斎京学館って県内で一番強いって噂の野球強豪校だよな。毎年他県から優秀な中学生を入学させているっていう強豪校だよな。
そこで四番を打ってるのか、そら凄いわ。鵡川が誇らしげに思うのも無理はないだろう。
「へぇ、良ちんスゲェな」
「うん! 良平は凄いよ!」
あ、今のドヤ顔ちょっと可愛かった。
「あ、あと……わたし……えっとその……彼氏とかいないから……」
ここで気づいたように言葉を継ぎ足す鵡川。
何故その宣言をした。まるで狙ってくださいと言わんばかりじゃないか。
残念だが、俺は年上属性なんだ。許せ鵡川。まったく女を泣かせるのは辛いぜ。
とか格好つけていたら、なんかあれよあれよと話が進んでいき、いつの間にか鵡川と並んで野球観戦をすることとなった。
いや、緊張してるわけじゃないんですけど、鵡川とは話した事があまりないんですよね。
隣に座る鵡川は何も話しかけてこない。俺も特に話す話題がないので話はしない。
こんなつまらない男なのに、席を外さない鵡川。凄い気まずい。
なんか話すべきだろうか? だが変に話題が盛り上がったら、せっかく野球観戦に来た意味ないしな。
仕方ない。こっちからは話題は出さん。鵡川から話題を出したら、それを答える感じで行こう。
そんなこんなで、決勝戦プレイボール。
斎京学館、酒敷商業、双方共に場数を踏んだチームだけある。白熱した投手戦が繰り広げられていた。
酒商の三年エース戸村は打たせて取るピッチングをするのに対し、斎京学館の二年エース、俺と同い年の川端は三振を奪うピッチングで応戦する。
両者ともに、序盤中盤とピンチを迎えるも、持ち前のピッチングを最大限に生かし、ピンチを切り抜けていく。
良いなぁ。羨ましいなぁ。
試合を見ながら、グラウンドを駆ける選手たちを見て、そんな思いが募る。
特にマウンドで投げるピッチャーを見ると、その思いはさらに膨れる。
俺もあのマウンドで、両チームのバッターと対戦したい。川端のピッチングみたいにバッタバッタと相手打線から三振を取りたいし、戸村のピッチングのように意図的に打たせて取って優越感に浸りたい。
投げたい欲が募り、ウズウズとしてしまう。
なんで俺は、スタンドなんかで野球観戦をしているんだろうなぁ。
試合は0対0で八回の斎京学館の攻撃を迎える。
バッターは今日3三振と良い所がない四番の良ちん事、鵡川良平。
「すげぇなあいつ」
スタンドから見てても伝わるぐらい、良ちんは集中している。
それを見て、思わず俺がマウンドに居たらどう抑えるだろうかと考えていた。
「佐倉君、良平はこの回打てるかな?」
ふと隣で座るあずにゃん事、鵡川梓が質問してくる。
お姉ちゃん的には弟ちゃんに打ってもらいたいだろうけど……。
「おそらく打ち上げるな」
彼女に希望を与える発言はしない。
これは俺が導き出した答えだ。
今までずっと三振している良ちん。下手すりゃ今日の試合最後になるかもしれないこの打席に懸ける思いは、相当なものだろう。
間違いなく打つ気満々で行くだろう。それが体に力みを生み出すだろう。
そんな状態で自分の得意コースにボールが来たら、迷いなく振るはずだ。そこでストレートと同じ振りのスライダーを投じて、詰まらせれば……。
「そっか……」
残念そうな声をあげる鵡川。
まぁ落ち込むな。良ちんがここで敗れたところで来年の夏があるさ。
酒敷商業のバッテリーはサインを決めたようだ。
そうして投球モーションにはいる。
ピッチャーが投じたのは、俺が予想していた通り良ちんが得意としているであろうアウトローへのスライダー。
やっぱり。終わったな良ちん。
と思った瞬間だった。
爆発音にも似た金属の音が球場に木霊した。途端沸き起こる大歓声。
一瞬、打球を見失うが、音からして長打コースなのは間違いないだろう。
俺が打球を再び見つけたとき、打球は青空を切り裂くように強烈なライナーでスタンドへと向かっていた。
外野手が打球を追っているが、もうまもなく緑色のフェンスが行く手を阻んだ。
打球は勢いが衰えることなく、スタンドに入った。突き刺さるという言葉が一番しっくりくるような当たりだった。
勝ち越しのソロアーチ。ダイヤモンドを悠々と駆ける鵡川良平。
俺の予測はことごとく破壊された。同時に俺の腹の中にあった色んなモヤモヤもぶっ壊された。
思わず立ち上がっていた。そうして自然と頬が緩んでいく。
俺は大歓声の中で、ジッと三塁ベースを踏み、ホームへと走る鵡川良平を見つめる。
「ははっ……ははは……」
「佐倉君?」
隣で鵡川が不思議そうに見ているだろう。
そりゃそうだ。急に立ち上がり、目を見開き、口元を綻ばして、笑い始める同級生が隣にいるんだ。
不気味がられて当然だ。
「おもしれぇ……あれをスタンドに運ぶのかよ……」
だが鵡川を気にすることなく、独り言を口にした。
俺や哲也でも、間違いなく選んでいただろうコースを、さも当然と言わんばかりにスタンドに叩き込んだ鵡川良平。
俺が勝手に思い込んでいた力みはなく、はなっから狙っていたというような一撃。
こんなバッターが同い年で、しかも同じ地区にいるだと?
高校野球、面白すぎんだろ。
ホームベースを踏み、仲間と小さくハイタッチをする鵡川良平の姿が、堪らなく俺のピッチャーとしての心を動かした。
徐々にくすぶり始めていたピッチャーとしての本能に、新たな燃焼材が投下され、見る見るうちに加熱していく。
今まであった理性や躊躇が、一気にその炎に燃え尽くされていく。
あいつを三振に打ち取りたい。
力で力をねじ伏せる。慣れ親しんでいた感情が溢れ出てくる。
後遺症がなんだ。マウンドへの恐怖がなんだ。
ピッチャーとしての闘争心が、鵡川良平を含めた全国に居る強打者を、力でねじ伏せたいと吠える。
もう一人のピッチャーとしての俺が俺自身に叫ぶ。早く試合がしたいと、早くあのマウンドで投げたいと。
今の生活が一気に不満足な物へと化していく。ここに来て一年間棒に振ったのを後悔し始めた。
もう一度、もう一度だけ、野球をやってみようか。
口元が綻び、笑いが止まらない。
笑顔を隠すように俯きながら座る。左手を額に当てながら上目づかいで試合を確認する。
なんだこれは、楽しすぎる。こんなに楽しかったか野球は?
鵡川を一瞥する。不思議そうな顔で俺を見ている。
「鵡川の弟……凄いな」
「えっ……うん! 良平は凄いよ」
戸惑いながらも、鵡川は弟自慢をした。
「佐倉君、なんか楽しそうだね」
「おぅ分かるか? 今の俺、ここ数年で一番最高の出来だ」
どっかのワインのキャッチコピーみたいな事を言ってしまったが、それぐらい今日は気分がいい。
試合は鵡川良平の一打が決め手となった。
酒敷商業の戸村は後続を抑えたが、この1点が重くのしかかる。川端が残りのイニングを抑えぬき、1対0と言う僅差で斎京学館が勝利した。
斎京学館は三年連続となる夏の甲子園出場。
鵡川良平はこの夏、どう甲子園で暴れるのだろうか? 少々楽しみだ。
「そんじゃあ俺はもう帰るわ」
閉会式が始まる前に、俺は椅子から立ち上がった。
「鵡川はどうすんだ?」
「私は今から良平のところいって、一言挨拶してくる」
「そっか。じゃあ、またな」
「うん、また学校で」
小さく手を振る鵡川に手を振り返して、俺は球場を後にする。
帰り道、先日の佐和ちゃんの言葉を思い出した。
「怪物は一日にして成らず」
小さく誰にも聞き取れないような声で呟いた。
怪物への一歩は、きっと今日踏み出したんだろう。
怪物か……悪くねぇな。いっちょ目指してみるか!!




