140話
7月17日、朝4時半。
いつも以上に早く目を覚ました俺は、まだ寝ている奴らを起こさないようにして、就寝場所の大部屋から出て、そのまま階段を下りて、合宿所から出た。
朝の澄んだ空気を肺に一杯溜め込むように、大きく息を吸って、そして音が出るくらいに息を吐いた。
「…良い朝だ」
空はまだ青みがかっているが、今日は見事な晴天。野球日和である。
今日は城東との試合。そして同時に、俺の熱い夏が始まる。
さらに言えば、今日が俺の最後の夏になるかもしれない。不安は確かにある。負けたら終わりのトーナメント。今日で俺の全てが終わってしまうかもしれない。
この不安は、夏の大会が終わるまでは拭えないだろう。
5時半起床、6時に飯を食って、その後会議室で軽いミーティング。
6時半にはバスに乗って、7時半前には会場の丘城スタジアムに到着する。
8時半までにアップを行い、その後球場に入って、9時に試合開始。
今日の日程を思い出しながら、軽く背伸びをした。
今日から全てが始まる。
一つの打つ、一つの投げる、一つの捕る、全てが甲子園へと繋がっている…。
負けたら終わり。だからこそ負けられないし、負けたくない。
初戦敗退なんて自称怪物の名が廃るぜ。最低でも甲子園優勝まで行かなきゃ、今までの大口発言認めてもらえねぇぜ。
「あぁそう言えば」
俺はふと思い出し、ポケットからお守りを取り出した。
鵡川の手作りのお守り。それを見ただけで元気が出てきた。
ちなみに美咲ちゃんと百合のお守りはカバンに入れている。
俺を応援してくれてる人たちがいる。一人でも応援してくれる人がいるのなら、負けられるわけがないだろう。
手の中にあるお守りを見つめながら、決意を固める。
いや、彼女達だけじゃない。常に野球部のバックアップをしてくれた校長先生や、俺を支えてくれた家族、なんだかんだ仲良くしてくれていた沙希や、いつも馬鹿騒ぎしていたクラスの仲間、俺の知らない生徒も、かなりの奴らが俺らを応援している。
「無様に負けられねぇなぁ…」
お守りを握り締めて、気合を入れる。
負けられない、負けたくないんじゃない。負ける訳には行かないんだ。
遠くで鶏の鳴き声が聞こえた。
どうやら、鶏も朝を迎えたようだ。
勝負の一日が始まった。
朝の食堂。
みなが黙々と箸を進めて…
「おい大輔! 俺のトンカツを盗むんじゃねぇ!」
いるわけもなく、恭平が率先して騒いでいる。
相変わらず恭平が騒ぐと、チームの雰囲気がよくなる。本当良く分からん男だ恭平。
天然のムードメーカーと言った所か。あいつ自身、ムードメーカーになってると自覚してないだろうな。
だが、それでも秀平や石村などの一年メンバーは、初めての夏の大会に緊張している模様。
もしかしたら、そんな一年生の姿を見て、恭平が騒いでいるのかも、奴なりのリラックスのさせ方なのかもしれない。だが残念、彼らには通じていない。
いや、恭平と大輔の様子を見る辺り、奴らは素の様子だ。少しは後輩を気遣え。
「おいお前ら。食事をしっかり食わないと、試合で力が出ないぞ」
箸の進まない2人に、龍ヶ崎がそんな事を言った。
普段は無口で喋らない龍ヶ崎だが、実は後輩思いの良い奴だ。
「は、はい…。でも龍ヶ崎先輩。やっぱり緊張しますよ…」
石村が龍ヶ崎に言う。秀平も「そうそう、春の時とは別の緊張があるよな」と付け足す
龍ヶ崎は味噌汁を一口すすると、味噌汁をテーブルに置いて、ジッと石村を見る。
「緊張してんなら、好きなだけ後ろに逸らせば良い。俺なら逸れたボールでもアウトにしてやるから」
などと格好良く言う龍ヶ崎。やべっ今の一言は惚れるって。
まぁ龍ヶ崎の肩なら、二塁ランナーが居る場面で、一二塁間が逸らした打球をホームに返球して、アウトに出来る気がする。
奴の投げるボールには過去何度も助けられている俺が言うんだから間違いない。
なんて会話をしながら、朝飯を食う。
哲也は亮輔と松見君と、3人で食事しながら試合のサインなどの確認をしている。
食後、食堂から広間へと向かう。試合前のミーティング。
マネージャーを含めて全22名の部員と、佐和ちゃん、佐伯っちの2名。
野球部全員が勢ぞろいした中で、正座する者、あぐらを掻く者、座り方は人それぞれだが、誰もが佐和ちゃんの言葉に耳を傾けていた。
「城東は例年通り高い打撃力を有している。今年の春は酒敷商業に敗れているが、十分力はある。油断はするな」
「はい!」
佐和ちゃんの言葉に選手たちが強く返事を返した。
「相手の打球は、左中間、右中間など間を抜くような長打が多い。外野は左中間、右中間に落ちる時の声掛けをしっかりするように。くれぐれもお見合いなんてするなよ。お前らはまだその歳じゃないからな」
「はい!!」
ちょくちょく冗談を混ぜる佐和ちゃん。変に緊張させない佐和ちゃんの考えかもしれんな。
外野陣が力強く返事をする中、俺はあくびを掻きそうになった。やばい、緊張感がなくなってきてしまった。
ちなみにお見合いとは、フライの打球を処理する際、選手同士が譲り合い落球してしまうことだ。そういう事を無くすために声掛けが必要となる。
「相手の攻撃パターンは、スクイズや送りバントなどは少ない代わりに、バスターエンドランや、ヒットエンドランを多用してくる。内野はランナーが走っても浮き足立たず、来た打球をしっかりとさばき、投げる塁を間違えない事。進塁されても良いから、アウトを確実に取れるように」
「はい!」
続いて内野陣の選手達が声を出す。
「相手は積極的に盗塁をしてくる。また盗塁する真似などをして、揺さぶりをかけてくるが、キャッチャーは惑わされないように。走られても良いから牽制は少なくしろ。ピッチングのテンポは崩されないようにな」
「はい!」
松見と亮輔、哲也と里崎君が声を出した。
俺は思わずあくびを掻いていた。
「それから、緊張感はほどほどに持てよ。くれぐれも今のミーティング中にあくびなんか掻かないように。分かったな英雄?」
最後に俺を名指しで指名してくる佐和ちゃん。
あくびを掻いていた途中だった俺はハッとなる。部員たちが俺を見ている。
「あ、はい」
少々しおらしくしつつ返事をする俺。
恭平がクスクス笑っている。あの野郎、試合が終わったら容赦しねぇからな。
「はぁ…エースがこんなんで俺達は勝てるのかぁ。まぁ良い。ミーティングは終了だ。バスに乗り込むぞ。忘れ物をするなよぉ」
佐和ちゃんに呆れられつつも、ミーティングは終了し、俺達は次々とバスへと乗り込む。
いざ決戦の地へと向かう。




