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怪物は一日にして成らず  作者: ランナー
5章 春眠、怪物は目覚める
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99話

 丘城商大付属との試合後の翌日の月曜。

 毎朝のことだが、登校するのが面倒くさい。眠気にさいなまれながら教室へと到着した。


 「英雄! 待ってたぞ!」

 そして朝からハイテンションの恭平。

 はっきり言うと面倒くさい。マジで朝ぐらいはテンションを落としてくれ。


 「おぉ恭平か。なんだ?」

 「ふっふっふっ…。前した約束を忘れたか?」

 前した約束? なんかあったか?

 大体朝は眠くて頭が回っていない。過去のことなど思い出せん。


 「なんかしたっけ? 悪い、忘れた」

 「なんだと!? お前と約束しただろうが!」

 だから何を約束したんだよ…。

 カバンを机の傍に置き、肩紐を机横にあるフックにかけてから椅子に座り、俺は大あくびを一つ掻いた。


 「俺に千春ちゃんの部屋の匂いを嗅がる代わりに、ナース物のエロビデオを三作品渡すという約束だよ!! 寝ぼけてんのか英雄!!」

 机をバンッと叩き、ここぞとばかりに大声をあげる恭平。頭が一気に覚醒した。

 こいつ! 教室でなんてことを!

 咄嗟に恭平の頬を平手打ちしていた。


 「うるせぇ! 朝っぱらから騒ぐな!」

 しかもその交渉内容を大声で叫ぶな!!

 思わずキョロキョロ視線を確認する。男女ともに軽蔑した視線を向けている。

 鵡川と視線があった。失望したかのような顔をしていて、そして視線をそらされた。

 沙希へと視線を向ける。視線があった。瞬間そらされた。


 なんだろう。登校したばっかなのに…帰りたい。家に…帰りたい。


 「これで思い出したか英雄! 俺とお前だからこそできる約束だ! ちゃんと約束のブツは持ってきた。お前が好きそうなフェチがこんもり入った作品だから安心していいぞ!」

 爽やかな笑顔を浮かべて、俺の右肩をポンポンと叩く恭平。

 机の上には、恭平が持ってきた三作品が置かれる。

 あはは…、確かに俺の好物な感じのパッケージだ。なんだろう…死にたい…。今すごくそう思った。


 「これで約束は成立だ! 今日、英雄の家に寄らせてもらうぜ!」

 「そうか…ははは…」

 もう笑うしかない。

 せっかく女子からの評価を高めていたはずなのに、一気に地の底に落ちた気分だ。

 マジで恭平、お前は疫病神だな。最高すぎるぜクソ野郎。



 昼休み。

 俺は飯を食い終え、背もたれに体を預けて天井を見つめる。


 「英雄どうしたの? なんか元気ないけど?」

 哲也が不思議そうに聞いてくる。


 「そうか? 俺、元気ないように見えるか?」

 「うん。せっかく丘城商大に勝ったってのに、エースがそんなんだとチームの士気も上がらないよ」

 哲也の意見を聞いて、俺は小さく鼻で笑い、そして深い溜息をついた。


 「俺は今、株が大暴落した時の投資家の気持ちを味わってるんだ」

 「英雄、何を言ってるの?」

 すごく可哀想な人を見るような目で見てくる哲也。

 もう良いさ。その程度で視線で落ち込むほどの佐倉君じゃない。

 俺は今、地を這う虫よりもさらに地に伏しているのだからな。


 「哲也の言うとおりだぜ英雄! 元気出せよ! せっかくお前の気に入りそうなの選んだのに、そんなんじゃ嬉しくねぇぜ!」

 一方、恭平はめっちゃ元気だ。

 そんな恭平を見て、俺は再びため息を吐いた。


 なんでこいつは、ここまで人前でエロについて熱く語れるのだろうか?

 そして周囲の目はまったく気にならないのだろうか?

 なんて言うか、恭平お前強いな。


 「恭平」

 「なんだ?」

 「俺は、お前みたいに強くなりたいよ」

 恭平のエロに向ける情熱と、周囲の目を気にしない心の強さを俺も見習わないとな。



 放課後、練習が始まる。

 やっと周囲の視線を気にしないで済む。今日一日、なんか冷ややかな目で見られていた気がする。被害妄想だろうか…いや、被害妄想じゃなかった…!


 朝の一件でテンションを下げていた俺だが、いざ野球の練習が始まるとテンションが上がる。

 次の相手、丸野高校のエース岡野は県内屈指の好投手と評判だ。そんなピッチャーと投げ合えるとあらば、自然とテンションも上がってしまうものだ。

 ついつい投げ込みでも、佐和ちゃんから指示されていた投球数をオーバーして投げ込んでしまう。


 「英雄! いくら楽しみだからって、オーバーヒートするなよ」

 ブルペンからベンチに戻ってきた俺に、佐和ちゃんが釘を刺してきた。


 「悪い悪い。秋以来の公式戦登板だからな。楽しみで仕方がない」

 しかも秋の大会の終わり方が、今思い出しても悲惨なものだったから、余計に楽しみだ。


 「気合入ってるのは分かるが、無理はするな。無理して怪我されると困るからな。本番はあくまで夏だということを忘れるなよ」

 確かに佐和ちゃんの言うとおりだ。

 だが、それをおいそれと頷けるほど、俺は素直な性格じゃない。


 このチームで野球をするのも、あと半月も無い。

 早くて今年の七月、長くても九月には、俺たち三年生は引退する。

 もう時間はないし、試合数も限られている。だからこそ、一試合を無駄にしたくないし、一試合でも多くこのチームで野球がしたい。


 「…本当、遅すぎた」

 野球に復帰した遅すぎたな。

 もうちょっと早く、せめて二年生に始まった頃に復帰していたら、どうなっていただろうか?


 …たら、ればの話は勝負事では御法度だ。

 あくまで想像、そして結果論の話に過ぎない。

 だからこそ、こんな妄想は無意味だ。

 今はまだ野球ができる。ならば、今に意識を向けるべきだ。

 直近の目標は、丸野高校に勝って準決勝進出だな。



 そうして部活も終わり、選手一同で帰宅する。

 そして鉄道通学組が山田駅まで続く道で別れる。


 「あれ? 恭平来ないの?」

 普段鉄道通学組の恭平が一緒に来ないことに首をかしげる哲也。


 「あぁ! 今日は英雄の家でお楽しみだからな!」

 そういう誤解を生みそうな発言やめてくれ恭平。

 しかも、それ聞いた選手たちが察したような表情を浮かべている。なにを察したんだお前ら。


 「そっか。じゃあ、またね!」

 哲也は何も言わず、別れを告げた。

 という事で、恭平とともに自宅へと帰った。



 岡倉たちとも別れ、恭平と俺の家へと到着した。


 「はぁはぁ! ついに千春ちゃんに部屋とご対面かぁ!」

 鼻息荒くさせる恭平。最高にキモイ。

 マジで今更ながら、こいつを千春の部屋に入れるの嫌になってきた。


 「臭い嗅ぐだけだからな。物に触ったり、部屋に入ろうとしたら、問答無用で関節技決めるぞ」

 「大丈夫だって! 部屋はいらなくても大丈夫だから!」

 何が大丈夫なのだろうか?

 あぁ、俺は今スゲェ不安だ。だけど約束した手前、男として約束を破るわけにはいかない。


 覚悟を決めて、俺は玄関ドアを開いた。


 「ただいま!」

 「お邪魔しまーす!」

 俺と恭平が玄関で挨拶をする。

 そしてリビングから顔を出したのは母上。


 「おかえり英雄! あれ? 嘉村君だっけ?」

 「はい! お久しぶりです!」

 母上が恭平に気づいた。

 ちなみに恭平は母上と面識がある。一昨年、俺の家に良く来ていたからな。


 「いらっしゃい。急にどうしたの?」

 「いや、ちょっと恭平から相談があってな。自室でゆっくり話そうかと」

 適当に嘘をついて、自室へとまずは向かう。

 さすがに「今から恭平に千春の部屋の臭いを嗅がせるんだ」なんて言えない。下手すりゃ警察呼ばれるレベルだ。


 「そういや千春っている?」

 「え? 千春なら今、優子ちゃんの家に行ってるけど?」

 一応、千春の所在を確認しとく。

 万が一、部屋の臭いを嗅がせている時に千春に発見されたら、兄妹の関係を絶縁されるレベルの事案だしな。

 ちなみに優子ちゃんとは、我が家から自転車で10分ほどのところにあるマンションに暮らす千春の中学の友人。この子の兄が中学時代の野球部の先輩だった。

 なんにせよ、今千春がいないか。ならとっとと済ませて、恭平を追い返そう。

 まずは自室へと向かう。



 「相変わらず、英雄の部屋は殺風景だな」

 「余計なお世話だ」

 自室へと入り、カバンを部屋の隅に置いた。

 恭平は俺の部屋を見渡して一言。


 「そんじゃあ、早速行くか」

 「おしきた! 行くぞ!」

 という事で、千春の部屋へ。


 「ちはる」と可愛らしい丸文字で書かれたドアプレートが掛けられたドアの前に到着した。


 「俺が見張ってるから、さっさと臭いをかげ」

 「おぅ!」

 俺が周囲を警戒しながら、恭平に促す。

 そうして恭平がドアを開けて、千春の部屋を覗き、思いっきり深呼吸をしている。


 このまま、誰に見つかることなく、恭平を嗅ぎ終えて、俺の部屋へと戻った。



 「どうだった?」

 俺は椅子に座り、恭平は床の上にあぐらを掻いて座る。

 まずは感想を聞こう。


 「…英雄、俺って千春ちゃんのこと好きなのかな…?」

 「は? どうして?」

 なんだその感想は。

 もしかして、部屋の臭いが合わなくて冷めたのか? ならば、それはそれで悪くない結果だ。


 「いやさ、普通ならさ、好きな女の子の部屋の臭い嗅いだらさ、性的に興奮するだろ?」

 いや、それは普通ではないと思う。

 確かに興奮するかもしれんが、性的に興奮するかは人によるだろう。


 「少なくとも今までの俺だったらそうだ。間違いなく俺は暴走している」

 冷静に自己分析している恭平。

 お前、そういうところ分かってるなら直せよ。いや直したら恭平の良さ半減するけどさぁ!


 「だけど、千春ちゃんの部屋を見たとき、そういう感情は起きなかったんだ。確かにここが千春ちゃんの部屋かー! と気分は高まった。だけど、性的な興奮は無かったんだ」

 なるほど、それで先ほどの答えか。


 「それにさ、普通ならさ、好きな女の子ができたら、ラブホに行きたいって最初に思うだろ?」

 いや、思わない。

 確かにこれも人によるかもだが、少なくとも最初に行きたい場所がラブホなのは、滅多にいないと思う。


 「だけど、千春ちゃんにはそういう感情が無いんだ。なんつうか、普通に遊園地とかに行きたいんだ。わかるか?」

 …こいつ、もしかして…。


 「恭平、千春とどうしたいんだ?」

 「え? …そうだな。デートがしたいな。遊園地とかカラオケとか、シオンガーデンに行くのもいいな! そんな感じのことしたい!」

 …嘘だろ。恭平がエロいことを一切口にしなかった!!

 やっぱりか。今の恭平の発言で確信した。

 恭平のやつ、千春に普通の恋愛感情を抱いてやがる…!


 「意外だ。お前のことだからエッチなことしたいとかいうと思った」

 「そりゃしたいさ。だけど、千春ちゃんとは、なんていうの? ちゃんと段階を踏んでからしたいな。しっかりと遊んで、彼女のことを知ってからって感じ」

 なんだこいつ、恭平の偽物かな?

 いや、マジでそう思っちゃうぐらい、恭平が恭平していない。


 「お前…マジかよ…」

 俺はこんな恭平が見たいんじゃない…!

 もっとこう…千春のパンツの臭いを嗅ぎたいとかさ! 千春のブラジャーをメガネのようにかけて一日過ごしたい! とかさ! そういうの言ってくれよ恭平!

 お前が普通に恋愛話してると、スゲェ違和感ある。なんなんだこれ…。


 「お前、前に千春のパンツ欲しいとか言ってなかったか?」

 「あーそれなんだけど、なんて言うか、千春ちゃんに対してはそういう欲求が出ないんだよね。無理してパンツ欲しいとか口にしたけど、いざ考えてみると、やっぱりいらないっていうか。興奮しないんだよね。やっぱり好きじゃないのかな…」

 うわ…恭平がめっちゃ普通な恋してる。

 こんなの恭平じゃない。


 「まぁとりあえず、約束は果たしてもらった! そんじゃあ俺はもう帰るわ! また明日な!」

 って事で恭平が俺の部屋を後にする。


 残された俺は、何とも言えないモヤモヤに頭を悩ませるのだった。

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