9-1
一年ぶりに訪れたエスト村は、まるで時が止まっていたかのように、何もかもあの時のままだった。
古びた木の門を恐る恐るくぐり、土埃の立つ道を進めば、広場では祭の準備が着々と進んでいる。
中央には木の台。その周辺には簡素な屋台が組まれ、一足先に設置された天幕では村人達が何やら話し合っていた。
そっと耳を澄ませると、「これじゃ祭にならないぞ」だの「どうするんだよ、一体」といった会話が聞こえてくる。
また何か問題でも生じているのかと眉根を寄せた瞬間、ふとこちらを向いたトニーと目が合った。
「お?」
目を細め、無遠慮にじろじろとこちらを見つめたかと思いきや、彼は物凄い勢いで天幕から飛び出てくると、広場中に響き渡るような声でこう叫んだ。
「お前、ヒューじゃないか!」
その大音声に、その場に居合わせた村人達がわらわらと集まってくる。
「ヒュー、帰ってきたのか!」
「一年もどこ行ってたんだよ!?」
そう、一年も経ったのだ。すっかり忘れられていると高を括っていたのに、この歓迎ぶりは予想外だった。
「何にも言わずにいなくなりやがって!」
「みんな心配してたんだからな、この野郎!」
口々に言いながら、背中を叩かれたり脇を小突かれたりと、実に手荒な歓迎を受け、いやあすいませんと頭を掻けば、変わらないなあと笑いが起こる。
変わらないのはどちらだ、と突っ込みたかったが、それより先に聞いておかなければならなかった。
「あの、何か深刻な話をしていたようですが、何かあったんですか?」
「それがなあ……」
顔を見合わせる男達。これはまた、重大事件が起こっているのかと思いきや、トニーの口から飛び出たのは意外な台詞だった。
「村長とカリーナが揉めてて、もう十日も籠城戦が続いてるんだな、これが」
「籠城戦!?」
のどかな村には似つかわしくない単語に、思わず目を瞬かせる。
「カリーナの奴、よりによって鐘つき堂に立てこもるもんだから、時の鐘が鳴らせなくて、ルファスの神官さんもみんなも困ってるんだよ」
困っているという割には、彼らの物言いは妙にのんびりしている。思わず小首を傾げてみせると、男達はだってなあ、と肩をすくめてみせた。
「村長には悪いが、カリーナの言い分ももっともだし」
「彼女は一度言い出したら聞かないからな。それも父親譲りなんだけど」
「頑固者同士の対決だから、こりゃあ長引くぜ」
いっそ賭けでもしようか、などと不謹慎なことを言い出す男達に、おずおずと問いかける。
「あの……一体、何が原因なんです?」
その言葉に、うーんと頬を掻くトニー。
「そうだなあ、まあ色々あったんだが、突き詰めると――お前だな」
「はい?」
ますますもって訳が分からない。
「いいから行って来いよ。直接聞けばすぐ分かるだろ」
ほらほら、と寄ってたかって背中を押され、戸惑いながらも鐘つき堂へと向かえば、そこには扉をガンガン叩いて怒鳴っている村長と、その様子をおろおろと見守っているルファス神官の姿があった。
「カリーナ! いい加減に出てきなさい! このままでは祭が始められないじゃないか!」
「嫌よ! 祭にかこつけてお見合いなんて冗談じゃないんだから!」
一年ぶりに聞くカリーナの声は、相変わらず怒っていた。そのことが可笑しくて、つい噴き出してしまったが、彼らの耳には届かなかったようだ。
「お見合いなんて言っていないだろうが! ただ、気に入る男がいるかもしれないから、少しは考えてみろと言っただけで……」
「いるわけないでしょ! どいつもこいつも私のことをろくに知りもしないで、ただ父さんの後釜を狙ってるだけじゃない!」
「そうじゃない奴だっているかもしれないだろうが! 知りもしないで勝手に思い込むのはよくないぞ!」
「……本当に、似た者同士ですね」
打てば響くような怒鳴り声の応酬に、思わずそう呟いてしまったら、ちょうど怒声の合間に挟まって、殊のほか大きく響いてしまった。
「ヒュー! 戻ってきたのか!」
その声に振り返って、仰天する村長。同じく、扉の向こうからも驚きの声が上がる。
「ヒュー!?」
彼女にそう呼ばれて、ようやく自分が『ヒュー』に戻れた、そんな気がした。
「本当に……帰ってきたの!?」
「はい」
どこか嬉しそうなカリーナの声にむむっと眉根を寄せた村長は、困った様子で扉と村長とを見比べているヒューをぎろりと睨みつけて、そしておもむろに口を開いた。
「一年ぶりだな。元気そうで何よりだ。急に出ていってしまうから、長いことカリーナの機嫌が悪くて大変だったよ」
「父さん! 余計なこと言わないでいいの!」
扉の向こうから抗議の声が上がるが、村長はそれを無視して話を続ける。
「去年の祭は野盗騒ぎでろくに楽しめなかっただろう。今年はゆっくり楽しんでいくといい」
「はい。ありがとうございます」
一通りの挨拶を済ませたところで、再び扉へと向き直り、腹の底から声を張る村長。
「カリーナ! いい加減、意地を張るのは大概にしなさい。お前のわがままで、どれだけの人に迷惑をかけてると思ってるんだ」
「私のわがまま? 父さんのわがままでしょ! 私はもう成人してるんだから、父さんの言いなりになんかならないわよ!」
取りつく島もないとはこのことだ。娘の剣幕に深く溜息を吐き、村長はやれやれとヒューを振り返った。
「すまんが、君からも言ってやってくれないか」
こんなやり取りが以前にもあった気がする。内心で苦笑しつつ、おずおずと声をかける。
「カリーナさん、事情はよく分かりませんが、こんなやり方はいけませんよ。ちゃんとお父上と面と向かって話し合わなければ――」
「何度も話し合ったわよ! でもそこの頑固親父が人の話を聞かないんだもの!」
「話を聞かないのはどっちだ!」
見事な平行線を辿る親子の言い分に、困ったように頬を掻くヒュー。仕方ない、と切り口を変えてみる。
「カリーナさん。お願いですから出てきてください。折角戻ってきたのに、あなたの顔を見られないのは寂しいです」
「いやよ!」
情に訴えれば少しは、と思ったのだが、駄目だったらしい。逆に村長が苦虫を噛み潰したような顔になって、何か言いたげにこちらを睨みつけてくる。
これはどうしたものか、と思案していると、これ以上は時間の無駄だと判断したらしいカリーナが叩きつけるように告げた。
「帰って! 誰が何と言おうと、私は夏祭には出ませんからね!」
言い終わると同時に、何やらどかどかと扉の前に積んでいる音が響く。どうやら椅子やら机やらを使って扉や窓を塞いでいるらしい。なるほど、実に見事な籠城ぶりだ。
がっくりと肩を落とし、やれやれと扉から離れた村長は、疲れた顔でヒューの肩を叩いた。
「……積もる話もあるだろう、家はちょっと散らかっているんでな。酒場へ行こうか」




