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 草原を走る細道を辿れば、やがて見えてくる粗末な木の門。

 ちょうど農作業に出かける村人達とすれ違い、挨拶を交わしながら門をくぐったヒューは、そこで待ち構えていた人物に目を瞠り、そしてにっこりと笑いかけた。

「やあ、おはようございます、カリーナさん」

 昨夜は眠れなかったのだろうか、目の下にばっちり隈を作ったカリーナは、目を吊り上げて叫ぶ。

「ヒュー! どうしたのよ、その恰好!?」

「いやあ、夜道を急いだもので、何度も転んでしまいまして。あっ、でもほら、頂いた上着は汚してませんから、ご心配なく」

 荷物の中からいそいそと上着を出して広げてみせると、周囲からどよめきが起こった。

 ぎょっと辺りを見回せば、こちらを遠巻きに見つめる村人達の姿。好奇の目に顔を赤らめたカリーナが、馬鹿! と声を荒げる。

「いいからしまいなさいよ!」

「はあ、すいません」

 すごすごと上着をしまい込むヒューに、カリーナは心配げに問いかけた。

「それで? 他の村は大丈夫だった?」

「ええ。やはり夏祭ということでエストが狙われたようでしたから。警備隊の方々もこちらに人を割いてくれるそうですから、もう安心ですよ」

 にっこり笑うヒューの腹がぐう、と鳴る。その、あまりの緊張感のなさに思わず噴き出したカリーナは、ひとしきり笑い転げたあと、ほら、と手を伸ばしてきた。

「行きましょ!」

「え? どこにですか?」

「朝ご飯、まだ食べてないんでしょ? 食べさせてあげるから来なさい!」

 腕を掴まれて、そのままずるずると引っ張られる。手が汚れてしまうのに、と思ったが、そんなことを気にするような彼女ではないことも知っているから、黙ってされるがままになっていたら、すれ違う人々から口々にからかわれる羽目になった。

「おっ、もう尻に敷いてるのかい、カリーナ?」

「ヒューさんも大変だねえ」

 反論する気も失せたのか、ひたすら無視して歩き続けるカリーナだったが、どんどん不機嫌になっていくのが分かったので、わざとおどけた声を出す。

「いやあ、それにしても、カリーナさんの手料理にありつけるとは、苦労した甲斐がありました」

「もうっ、おだてても何も出ないんだから!」

「ええっ、何も出ないんですか?」

「……パンのお代わりくらいなら、させてあげるわ」

 他愛もない会話を交わしながら、通い慣れた道を行く。

 何気ない日常。ごくありふれた――眩しいくらいに当たり前の光景。

 それを自覚した瞬間、世界が崩れていく。

 陽の当たる場所で、当たり前に笑って暮らす。そんな日々はそう――泡沫の夢だ。触れたら消えてしまうような、実に脆くてあやふやな夢。

『闇の深さを知る者は光の眩さを知る』

 先代が遺した言葉が、唐突に思い出された。

 夢から醒めてしまった彼の瞳に、世界はますます輝いてみえる。道端に揺れる花も、草を食む牛達も、古びた鐘つき堂も、目の前を弾むような足取りで歩く彼女も――何もかもが眩しすぎて、涙が滲んだ。

「……潮時、ですか」

「え? 何か言った?」

 きょとんと振り向く彼女に、いいえと首を振る。

「今日も暑いですねえ」

 額の汗を拭うふりをして目尻をこすり、ぐいと空を見上げれば、抜けるような空の青さが目に沁みた。

「ほら、もう少しよ!」

 足の鈍ったヒューを励ますように、明るい声を上げるカリーナ。村長宅は、もうすぐそこまで迫っている。

 きっとあの扉の向こうでは、朝食と共に取り残された村長が、やきもきしながら娘の帰りを待っているのだろう。そこにヒューがひょっこり顔を出せば、何を言われるかは分かり切っているが、それは甘んじて受けよう。

 そのくらいの餞別はもらっても、罰は当たるまい。

「カリーナ!! 朝っぱらからどこに行って――ヒュー!? もう戻ってきたのか? 一体どうしたんだその恰好は!」

「もうっ、邪魔よ父さん! いいからさっさとそこをどいて! ああっ、折角用意した朝ご飯、全然食べてないじゃない!」

 賑やかなやり取りを眺めつつ、しきりと空腹を訴える腹をぐっと押さえる。この調子では、朝食にありつけるまでに、相当な時間がかかりそうだ。

 それもいいと思った。

 少しでも長く、この幸せな時間に浸っていたかった。


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