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5-1

「――さあ、これより夏が始まる。誰にも脅かされることのない新しい季節の始まりを、ここに宣言する!」

 ゲルク老の厳粛なる宣言により幕を開けた夏祭は、前評判に違わぬ盛況ぶりだった。

 広場では素人楽団が軽快な音楽を奏で、料理や揚げ菓子が並ぶ屋台の間を、子供達の笑い声が駆け抜けていく。  

 日除けを兼ねて設置された天幕には、この日ばかりはと昼間から酒を酌み交わす大人達の歓声が溢れ、広場の片隅では気の早い恋人達が音楽に合わせて体を揺らしている。

 広場中央では宣言に使われた木の台が撤去され、夜の篝火の用意が着々と整っていく。夕暮れと共に篝火を囲んでの踊りが始まり、夜更けまで続けられるという。

「本当に盛況ですねえ」

 普段は閑散としている広場が人で溢れ返っているというのは、なかなか新鮮な光景だ。近隣からもやってきているという見物客の大半は若者で、それぞれに着飾って広場を練り歩いている。

「あら、ヒューさん」

 屋台を冷やかして回っていると、背後から軽やかな声がした。振り返れば、華やかな衣装に身を包んだレオーナが手を振っている。一緒にいるのは、やはり思い思いに装った村の娘達。しかし、その中にカリーナの姿はなかった。

 頭の隅でちらりと残念に思っている自分に驚きつつ、何食わぬ顔で彼女らの装いを如才なく褒める。

「いやあ皆さん、実にお似合いです。夏の花々が色褪せるほどですよ」

「もう、ヒューさんたらお上手なんだから!」

「それじゃあまたね!」

「あとで踊りましょ!」

 彼女らが笑いさざめきながら去っていくのを見送って、さて何を食べようかと悩んでいると、ちょうど近くの天幕から顔を出したトニーが、獲物を見つけた狩人のような笑みを浮かべて話しかけてきた。

「よお、ヒュー! 楽しくやってるか?」

「お、出たな色男。どうだい、祭は」

 トニーの声につられて天幕から顔を覗かせたのは、かつてトニーと共に遺跡に潜っていたというマーティンだ。

「ええ、なかなか盛大な祭で驚きましたよ」

「そりゃそうだ。周辺の村の人間達も集まってくるくらいだからな」

「で、お前の好きな何とかちゃんは、ちゃんと来てたか?」

「うるさいな、放っとけよ! ヒュー、お前まだ飲んでないんだろ? 来いよ、一緒に飲もうぜ!」

 そうして天幕に引っ張り込まれ、席をあてがわれて、空の杯になみなみと酒を注がれる。

「今日は無礼講なんだから、お前もしっかり酔っぱらえ!」

「はあ、努力しましょうか」

 これだから底なしは、と大仰に天を仰ぐマーティン。酒の席で酔った姿を見せたことのないヒューを、一度は潰してやりたいと常日頃から豪語している男だ、今日は絶好の機会だと考えているのかもしれない。

「しかし、レオーナもどんどん美人になるよな。ありゃあ親父さんも気が気じゃないだろうよ」

 先ほどのやり取りを見ていたのだろう、ニヤニヤしながら話を振ってくるトニーは、一年前に結婚したばかりだ。

「ま、うちの奥さんの方が美人だけどな!」

「こいつ、堂々とのろけるなよ!」

「まったく、一年経ってもまだ新婚気分でいやがる」

 独身男達からのやっかみに、嬉しそうに笑うトニー。

「その奥さんは一緒じゃないんですか?」

「ああ、今の時間は屋台を手伝ってる。次の鐘で交代だって言ってたから、それまでは相手のいない奴らに付き合ってやろうと思ってね」

 途端に飛んでくる容赦のない野次を聞き流しつつ、あっという間に盃を空にしたトニーは、同じく空になったヒューの杯に酒を注いでやって、自らの杯にも酒を満たす。

「で、お前さんはカリーナをどう思ってるんだ?」

 それはあまりにも何気ない問いかけだったので、思わず本音が滑り出た。

「勿論、かわいい子だと思ってますよ」

 言ってしまってから、しまったと顔をしかめたが、トニーはまだ不服らしい。

「そんなの誰だって思ってるさ! お前さんが村に来て随分経つが、お前らの仲がちーっとも進展しないもんだから、みんな気が気じゃないんだよ!」

「はあ……そう言われましても」

 困惑するヒューの首にがしっと腕を絡ませ、声を潜めるトニー。

「腹を括るなら今日が最後の機会だ。彼女を狙ってる奴は山ほどいるんだからな」

「そうなんですか!?」

 思わず食いついてしまったら、得たりとばかりに笑われた。

「当たり前だろ。純粋に好意を持ってる奴もいるが、何といっても村長の一人娘だからな、そういう意味で彼女を狙ってる輩もいる。しかも彼女はもう十七歳、いつ結婚してもおかしくない歳だ。おかげで村長は半年も前から胃が痛いと呻いてる」

 どっと笑いが起こるが、村長にとっては笑い話では済まされないだろう。

「カリーナはいい子だ。そんなことはみんな分かってる。だけど、あの子の良さを丸ごと受け止められる男はそうそういない」

 トニーの言葉に、うんうんと頷く男達。

「よその連中は彼女の外面や肩書しか見てないからなあ」

「まして、カリーナは猫を被るのが上手だしな」

「前に視察に来た領主の息子だったか? 『いやあ、物静かで清楚なお嬢様で』なんて真顔で言ってて、もう大笑いだったよな」

 本人がここにいないのをいいことに、かなり言いたい放題言っている彼らだが、カリーナの将来を真剣に案じている気持ちは言葉の端々から伝わってくる。

 エストは小さい村だから、住人はみな家族のようなもの。かつてカリーナがどこか鬱陶しそうに言っていた言葉が不意に思い出された。言うなれば、ここにいる若者達はみなカリーナの兄のようなものだ。おてんばな妹の心配をする、少々おせっかいな兄貴達である。

「そんな上っ面しか知らない連中が大挙して押しかけてくるんだ、今日は荒れるはずだぜ」

 そう締めくくり、一同押し黙ってヒューの反応を窺っているようだったが、生憎と話の根幹が見えてこない。

「ですから皆さん、何のことを仰っているんです? 今日は何か特別な日なんですか?」

 途端、どっと倒れ込む男達。その顔に浮かんでいるのは呆れを通り越して、もはや憐みだ。

「お前……知らなかったのかよ?」

「だからそんなに余裕ぶっこいてたのか」

「おいおい、なんで誰も教えてやらないんだよ!?」

「お前が教えてやれよ、馬鹿」

 一通り騒いだあと、せえの、と口を揃える。

「今日は一年に一度の『大告白』の日だ!」

 揃ったのはそこまでで、寄ってたかって説明しようとする彼らの話をどうにか繋ぎ合わせて分かったことは、『夏祭の夜に、思いを寄せる相手に心のこもった贈り物をするのがこの辺りの風習』『相手が贈り物を受け取れば思いを受け止めた証』という二点。

「はぁ……なるほど」

 ようやく得心が行った顔のヒューに、やれやれと肩をすくめる男達。そして一人がヒューの肩をばんばんと叩いた。

「よしよし、今日は飲もう!」

「知らなかったんだからしょうがない! 相手がいない俺達もしょうがない!」

「これぞ神の思し召しってやつだ。そうと決まったら飲み明かそうぜ!」

 何か違う気がしたが、まあいい。ここはひとつ、気のいい彼らに付き合っておくとしよう。

 そうして酒を酌み交わしているうちに、段々と日が落ちていく。やれ交代だ、やれ誰かが呼んでいるだのと、櫛の歯が抜けるように一人、また一人といなくなっていった天幕には、抜け出す口実を見出だせないヒューと、今日はひたすら飲むつもりらしいマーティンだけが取り残された。

「それにしてもお前、本当に酔わないのな。今日こそ酔わせて色々喋らせようと思ったのに、つまんねーの!」

 そう言うマーティンの方は、もう大分出来上がっている。

「すいませんねえ。体質なもので」

 しれっと答えてはみたものの、さっきもうっかり本音が零れてしまったあたり、もしかしたら自分も酔っているのかもしれない。酒にではなく、夏祭の雰囲気そのものに。

「それで、マーティンさんはお目当ての彼女に何か贈らないんですか?」

 先手必勝とばかりに話を振ってみると、マーティンは心底情けない顔になって、大きな溜息を吐いた。

「それがさあ、彼女ってば祭に来てねえの! 具合でも悪いのかなー、それともどっかでいい人見つけちまったのかなー。今日こそ決める! と思ってたのになあ」

 なるほど、だからこそ飲まずにいられないのだろう。

「……なあ、やっぱり冒険者あがりじゃ、真っ当に働いてる奴には勝てないかなあ」

 ぼやくマーティンの杯にこっそり水を足しながら、何を言ってるんですか、と笑ってみせる。

「マーティンさんは鍛冶屋として立派に働いているじゃありませんか。風来坊の私に比べたら、よほど真っ当に生きていますよ」

 トニーの怪我をきっかけに引退し、二年前にエストの住民となった彼ら。トニーとヴァージニアは農家、リンドは粉ひき小屋、そしてマーティンは鍛冶屋で修業中だ。今ではすっかり村に溶け込んでいるように見える彼らだが、それでも苦労はあるのだろう。

「まあなー。でもさ、この村の連中は理解がある方だけど、よそに行ったらもう、それこそ例の野盗と同じような扱いだぜ。ここは居心地がいいから、つい忘れちまうんだよな。冒険者なんて世間から見ればゴロツキ同然なんだって」

 好きで選んだ道だから仕方ないけどさ、と力なく笑って、盃を飲み干すマーティン。そうして揺れる瞳で机の上を眺め、なんだと呟く。

「つまみがもうないな。なんか買ってくるか」

 ふらふらと立ち上がろうとするので、慌てて止めた。

「いえ、私が行きますよ」

 さっさと席を立ち、天幕から出ようとしたヒューの鼻先を掠めるようにして、鮮やかな南国の風が通り過ぎていく。

 目を瞬かせて、もう一度よく目を凝らすと、それは華やかな衣装に身を包んだカリーナの姿だった。髪を結い上げて花を散らし、薄い化粧を施したその横顔は、驚くほどに大人びている。

 目を奪われるとはこういうことかと、初めて知った。声をかけようにも体が動かず、そうこうしているうちに彼女の姿は人混みに紛れようとしている。

「行って来いよ!」

 物凄い力で背中を押されて、ぎょっと振り返れば、赤ら顔のマーティンがにっと親指を立てていた。

「えっ、いやでも」

「いいから行って来い! 骨は拾ってやるから」

 ほとんど追い出されるようにして天幕を後にし、カリーナの後を追う。

 彼女は誰かを探している様子で、きょろきょろと辺りを見回しながら、どんどん広場を離れていく。声をかければ立ち止まってくれるだろうが、こうも大勢の前で声をかければ、また周囲に余計な勘違いをされかねない。

 結局、人波を掻き分けるようにして彼女の後を追うことしか出来ず、なかなか縮まらない距離にもどかしさを覚えて地面を蹴る。

「おっと、ヒューじゃないか。いいところで会った」

 不意に横から声をかけられて足を止めれば、見知った村人が当番表らしきものを手に、困ったように拝んできた。

「悪い、どうしても明日の夜回りが一人足りなくてさ。手が空いてたら入ってもらえないか?」

「ええ、構いませんよ」

 そう答えつつ、辺りを見回せば、カリーナの後姿はもうどこにも見えなかった。しまった、と内心で舌打ちし、助かるよと笑顔を浮かべる村人に、すいませんと手を振る。

「急いでるので、詳しいことは明日!」

「お、おう! 分かった。頼んだぞ」

 最後まで聞かずに踵を返し、注意深く辺りを見回しながら進む。広場からはもう出てしまったようだから、向かうとすれば神殿の辺りか、それとも南門の方か。少し考えて、この時間でも比較的人の行き来がある南門側ではなく、人気のない神殿への道を選んで歩を進めた。

 広場を一歩出た途端、どっと押し寄せてくる青い闇。細い月が照らす道には複数の足跡が重なっており、ここから彼女のものを探すのは難しそうだ。

 立ち止まり、耳を澄ます。しばらくすると、夜風の唸り声の中に複数の話し声が混ざっていることに気づいた。鋭く辺りを見回せば、穀物倉庫の辺りに人の気配がする。

 足音を消し、闇を駆ける。近づくにつれて、何やら下卑た笑い声と、そして耳慣れた怒鳴り声が聞こえてきた。

「何よ、あんた達! そこをどきなさい!」

「おぉっと、ずいぶんと元気な姉ちゃんだなあ」

「折角の祭の夜だ、一緒に楽しもうぜ」

「そうそう、ちょっと俺達に付き合ってくれればいいのさ」

 三つ並んだ穀物倉庫の間、行き止まりになった路地から響いてくる複数の男声。酔って羽目を外している様子ではなく、明らかに素面で――獲物を品定めし、いたぶろうとしている輩の、欲にまみれた声だ。

 気配を断ってぎりぎりまで近づき、そっと路地を窺えば、数人の男達と対峙しているカリーナの姿が見えた。

 男達は簡素な服に身を包んでいるが、どこか物騒な雰囲気を放っている。しかしカリーナはまるで気づいていない様子で、威勢よく啖呵を切った。

「冗談じゃないわよ! 誰があんた達の相手なんかするもんですか! ほら、早くどいてったら!」

 抱えていた包みごと体当たりをするようにして、無理やり押し通ろうとするカリーナだが、何せ体格が違いすぎる。男達は微動だにしないどころか、にやにやと笑いながら包囲を狭めていき、気圧されて後ずさる彼女を路地の奥へと追いつめていった。

 とうとう行き止まりまで追い詰められて、それでも気丈に男達を睨みつけるカリーナ。

「何よ! こんなことして、ただで済むと思ってるの!?」

「おいおい、そう喚いてたら可愛い顔が台無しだぜ?」

 からかうように手を伸ばし、その細い頤をぐいと掴む男。その、怒りに満ちてなお美しい横顔を見た一人が、思い出したように声を上げる。

「おい、この娘、村長の一人娘じゃないか?」

「へぇ、こりゃあいい。楽しませてもらった上に、金までせしめられるって寸法だ」

「今日はついてるなあ。羊の一匹でもくすねられりゃ上等だと思ってたのによ」

 その言葉に、カリーナの顔がすう、と青ざめた。

「あんた達、もしかして例の野盗……!?」

「察しのいい姉ちゃんだが、その呼び名はいただけないな」

「そうそう。俺達はただのコソ泥じゃない。盗賊ギルド《笑う髑髏》の大幹部様だぜ」

 下品な笑い声を上げる男達に、眉をひそめるカリーナ。

「盗賊ギルド? あんた達が?」

「ああ、そうさ。なに、素直に言うことを聞けば、手荒な真似はしないさ」

「そうそう、あんたが相手してくれるなら、他の連中には手を出さないでおいてやるよ。どうだい、親切だろう?」

 勝手なことを言って笑いながら、手を伸ばす男達。その無骨な手が剥き出しの肩を掴むようにして、華奢な体を煉瓦の壁へと押しつける。

「いやっ! 離して! 離しなさいったら!!」

噛みつくような怒鳴り声に、怯えの色が混ざったことに気づくような男達ではない。

「うるさい女だな」

「おい、さっさと黙らせろ」

顔をしかめ、煩わしそうに口を塞ごうとする男。その手に思いっきり噛みついて、怯んだ隙に大きく息を吸い込む。

「誰か、誰か助けて――!!」


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