1話 地下
風鈴のような涼しげな音に目を覚ますと、俺に覆い被さるように四つん這いになっているテレスと目が合った。少し視線を下げようものなら、薄紫色のベビードールから二つの柔らかな膨らみが見えてしまいそうだ。
「おはよう、お兄ちゃん。アリスから連絡みたい」
テレスは手首を左右に振ってチリンチリンと鈴を鳴らしている。もう何枚の鏡を集めたことか、テレスはすっかり一人の人間としての人格を形成しているようだ。
「アリスから? まさか何か分かったのか」
そう言えばしばらく音信がなかった。凛人との一件で何が起こったのか、くるみはどこにいるのか、知りたいことばかりだった。
『お兄ちゃん、聞こえる?』
「ああ、聞こえるぞ」
『良かったあ、最近うまく繋げられなかったから……それでね、キョウさんの居場所が分かったの』
久しぶりの会話は、そんな突発な物語の幕開けだった。
「なあアリス、テレス、キョウの能力は推測できるか?」
朝食のサンドイッチを食みながらさりげなく尋ねた。
「『…………闇?』」
二人は声を揃えて言う。状況判断に長けたくるみがいない今、無計画に乗り込むのは危険だろう。唯一の頼みのテレスの魔法さえ、何回使えるか分からない。下手に使わせてしまえば手詰まりだ。
「そういえば、キョウは結局どこにいるんだ?」
『学校だって。それと----いや、何でもない』
アリスが何かを言いかけて止める。こういうときは大抵大した案件ではないので聞かずにいる。
「学校か……校舎は壊れてるし場所は限られるが……灯台元暗しってやつか」
「多分、私が以前感じた変な感じ、あれはキョウさんのものだったのかも」
「以前っていうと、凛人のときか」
凛人は鏡を失って以降、こちらの世界での意思を失った。もし共闘できれば頼もしかっただろうが。
「それじゃあ、行くか」
「『うんっ』」
パソコンの電源を落とすと、部屋の扉を勢いよく開いた。
散乱した校舎の欠片は、その上を歩く度に砂利に似た音を立てる。窓の大半は割れ、一部の窓は火災によって溶け固まった痕跡が見られる。教室棟は入ることさえ敵わなかった。体育館は壁が焦げているが、内部は無事なようだ。
「テレス、何か感じるか」
「うーん、ここではないみたい」
テレスは居心地が悪そうに眉間に皺を寄せていた。
次に図書館に向かった。教室棟からは距離があり、利便性に欠ける立地だったが、今回はそれが幸いして無傷にそびえ立っている。
「ここも違うみたい」
『お兄ちゃん、多分……』
「ああ、あそこだろうな……」
少しばかり歩いて理科棟に向かった。以前一階の家庭科室を爆破してしまったためか、その上の階が潰さんばかりに崩れ落ちていた。だというのに、地下一階のその部屋は傷一つなく、その代わりとばかりに妖しげな空気が漂っていた。
「お兄ちゃ……ここ、何か……ある」
テレスは身を震わせながら訴える。その顔はやや蒼白になっており、リンっという鈴と共にアリスとの交信が途絶えた。アリスが疲れたのか、それとも他の何かなのかは分からない。
「開けるぞ、テレス」
「----うん」
意を決してオカルト研究会と書かれたその古びた扉を開くと、室内から冷たい風が踊り逃げた。そこには真っ暗な空間が広がっていて、俺達が入ると共に扉は消え去った。
「お兄ちゃん、頭が……痛い」
光源は見当たらないが視覚に不自由はなく、テレスのますます青白くなった顔が目に入る。その額からは汗が垂れており、明らかに異常をきたしていた。
「ひひっ、ようやく来たんだねえ」
「テレス、しばらく下がってろ」
「ううん、大丈夫……大丈夫だから」
闇の向こうからぼんやりと無機質な輪郭が浮かび来る。
「きひっ、ニィちゃん、それに妹ちゃん。ようこそ--僕の城へ」
そこに現れたのは、背丈の三倍ほどの大きな椅子に足を組んでふんぞり返るキョウの姿と、鎖の手錠に拘束された、よく見慣れた水色の髪リボンの少女だった。




