7話 茉莉愛
草木を芽吹かせるような力強い風が吹き抜けた。自分にどんな能力が宿ったのかは一瞬未満に理解していた。それこそ最初から知っていたような感覚だった。
「あーあ……成功したみたいね」
「……なの」
二人は半ば諦めた声を上げるが、その目は耽々と隙を窺っていた。放たれた人形は大半が布製の西洋人形だった。だが、一つだけ木製の人形があった。
「まだね……『拡散解除弾』」
柊先輩の力を借りて、二種類の弾を合成することができるようになった。それはもちろん壮馬の絵空事が現実になったということである。
私が撃った弾丸は中空で破裂し、10個の破片となって人形を撃ち抜く。破片だから刺さるという表現が適切かもしれない。それが刺さった人形は人形へと戻り、地面に落ちた。
「あーーーーーもうっ!! そればっかり卑怯よ、正々堂々攻撃しなさいよ!!」
「……なの!!」
「嫌よ、『拡散解除弾』」
地団太を踏んで不平を漏らしてばかりいる二人に、壮馬は慢心して笑っていた。新しく付随した能力に関して壮馬は知らないはずなのだが、どうやら私の考えはお見通しのようだ。
「あ、そっか。その銃リロードする時間は隙だらけだもんね。だったらその弾を撃ち果たすまで……!!」
「……なの」
自分が笑ったのが分かった。待っていた時が来たのだ。人形の飛来と共に私は銃を空高く投げた。
「『再装填』!!!!」
空に溶けるように先程の銃が消え去り、私の手には新しい銃が握られていた。新たな能力の二つ目、再装填の自動化だ。もうこの銃に隙なんてない。
「『重力水和弾』--静まりなさい」
戦場に静寂が訪れた。私が待ったのは、人形が全て布製である時だった。人形は水に包まれ、過剰な重力に従って落下、その制御は不可能になっていた。恐らく木製でも大丈夫だっただろうが、念には念を重ねた。
「操作は不能、水によって爆破も不能。もちろん傷一つ付いてないから操作下から外すことも不能--さあ、降参しなさい」
二人の少女は木造の屋根の上に崩れ落ちた。二人は一様に一筋の涙を流していた。
「私たちの負け……早く殺しなさいよ」
「…………なの……」
壮馬と目を交わすと、私たちは家屋の塀に上がり、そこから屋根に乗り移った。
「ねえ、顔を上げて、名前を教えて」
私は膝を立てて二人に視線を合わせた。二人はうつむいたままだったが、十秒もすると嫌々といった様相で顔を上げた。
「……シロよ」
「……クロ……なの」
白い服の明るい女の子がシロちゃん、黒い服のお人形さんみたいな大人しい女の子がクロちゃん。名は体を表すというか、服の趣味も名の通りなのかもしれない。
「じゃあシロちゃん、クロちゃん。お友達にならない?」
「は……? あんた何言ってんの、私達は敵同士だし、何よりあなた達の仲間を殺したのよ!? それをどうして」
「そうね、先輩のことは許せないよ。でもね、もう終わったことじゃない。それに、鏡なんてない状態で出会ってたら、私達きっと仲良くできてたと思うの」
「おう、茉莉愛の言う通りだ。昨日の敵は今日の友ってな」
そっと手を差し出すと、二人は目を交わしていた。
「うん……分かった。私達は--」
「……な……の……」
差し出した手に小さな手が触れようとしたとき、二人の胸を真っ黒な槍のようなものが貫いた。心臓を正確に刺され、血が屋根にぼたぼたと落ちていた。どんな処置も手遅れだ。それこそ柊先輩の魔法でもない限り。
「誰だっ!!」
壮馬は剣を引き抜き、次の襲撃に備える。二人の顔色は見る見るうちに青ざめて、がくがくと身を震わせている。
「私は……そうね、神の使いよ」
現れた少女はフードを深く被っていて顔が見えないが、酷く聞き覚えのある声だった。ついこの間初めて聞いたばかりの声だが、類を見ないほどの澄んだ綺麗な声だった。聞き間違えるはずがなかった。
「神田さん……? そうよね、俳句同好会の部室で会った神田さんだよね」
「あら、わざわざ変装したのに声で分かられるなんて……無駄だったかしら」
フード付きのパーカーを脱ぎ捨て、ブロンドの髪のウィッグを外すと、澄んだ柔らかな質の髪を水色のリボンで結った少女がそこにいた。
「茉莉愛、逃げろ!! 『かまいたち』!!」
「おっと危ない……青柳君だっけ、何するわけ?」
壮馬の剣が空気を切り裂くが、神田さんは軽快に屋根を飛び移り回避した。
「なんとなく分かるんだよ……てめえが俺らを殺す気なんだってな! 『かまいたち』!!」
神田さんの水色の髪リボンがさっくりと切れた。
「ふふ……やってくれるじゃない。状況次第では殺されずに済んだのに……いいわ、相手をしましょう。『かまいたち』」
神田さんの手中に先程の漆黒の槍が生まれた。いや、先程は見えなかったがよく見ると、穿突部の反対側は丸い球体がくっついていた。それはよく見慣れた、四分音符の形だった。
「あーあ、やっぱり弱いか……」
神田さんは四分音符の槍を手のひらで弄びながら呟くと、大きく振りかぶって壮馬に投げた。
「危ない、『重力水和弾』!!」
壮馬に刺さる前に命中し、槍は地面に落下してコンクリートに刺さっていた。
「面白いわねそれ『春の水』--あ、来た来た」
神田さんが持っていたのは、今度は槍ではなく鎌のような刃が付いていた。八分音符だ。私はこの上ない身の危険を察知して、神田さんに銃口を向けた。
「『重力水和弾』!!!!」
「悪いわね『加速』」
次々と撃てども、神田さんは人間離れした速度で左右に動き弾丸を躱す。
「『転移』--でもそれ、当たらなければ意味ないわね」
背中から声がした。比喩でも何でもなく、瞬前まで前方にいたはずの神田さんが真後ろにいたのだ。私は胸が凍るように冷たく、同時に熱くなる感覚を味わった。胸から黒い何かが生えていた。触れると冷たくて、そこに垂れる赤い液体は燃えるように熱かった。
「茉莉愛、まりああああ!!!!」
壮馬の叫び声がした。私は膝から力が消え去り、その場に倒れた。赤い液体によってずるずると滑って、屋根から落ちる。喉が渇いた。何か温かいものが飲みたかった。胸が痒くて仕方がなかった。しかし腕が石のように重かった。
壮馬、壮馬、声が出ない。助けて壮馬、頭が重くて仕方がないの。ねえ、私は死ぬの? まだやりたいこといっぱいあったのに、どうしてなの? ねえ寒いよ、春になったっていうのに冬みたい。ねえ、私悪いことしたかな。どうして、どうして……ねえ。
「だから言ったじゃない--叶わない願いにこそ鏡は宿るんだって」
世界が真っ暗になったあとで、そんな声が聞こえた。




