4話 風の剣
ナイフの先端が直近に来て、私は堅く目を瞑った。
しかし予期していた痛みはなく、金属のぶつかり合う音に目を開くと、そこには見慣れた背中があった。人形は壮馬の剣に弾かれて少女の元に返っていた。
「そう……ま……?」
「立てるか?」
そう言われて、自分がその場にへたり込んでいることに気付いた。立とうとしても足に力が入らず、膝がかくんと折れ曲がる。どうやら腰が抜けてしまったようだ。
「あはは……ごめん、ちょっと難しいみたい」
苦笑いしながら、壮馬と上手く視線が合わせられなかった。
「なあ茉莉愛、昨日俺の願いが何なのかって聞いたよな」
「う、うん……」
「その願い、叶いそうだわ」
再び少女の手元を離れた人形は、今度は自走して私達に近づく。
「今度こそ、やっちゃいなさいエリスちゃん!」
少女は人形を高くジャンプさせると、はるか頭上から人形を急降下させる。壮馬は不敵な笑みを浮かべながら、剣を両手で握った。心なしか、その剣が薄緑色のオーラを纏っているように見えた。
「甘えんだよ!!」
壮馬が剣を振りかざすと、樹がしなるほどの強めの風が吹きすさんだ。人形は風にその軽い体が耐え切れず、少女の元に再び返った。
「茉莉愛、俺はお前を守り抜く。何があっても誰にも傷つけさせねえ。それが俺の願いだ」
「壮馬……」
ようやく合わせられた壮馬の目は真っ直ぐに私を見ていて、私の中で何かが音を立てて変わっていくのが感じられた。
「ふふ……ふふふ、あははははははっ! 面白いじゃない、何それ風の剣? そんなので勝ったつもりになって、あまつさえ女の子を口説くなんて余裕ね!!」
少女は狂ったように高笑いしながら、スカートの中から更に人形を取り出した。
「十枚目の鏡--『一心動体』--」
「さあ、今度は防ぎきれないでしょ!」
少女は人形を五つ中空に放り投げると、それらは自在に空を飛びまわった。
「くそっ……そんなのアリかよ」
「あら、不満があるならあなたも鏡を解放すれば良いじゃない!」
鏡の解放。柊先輩が言っていた。普段無意識に抑えている鏡の力を解放することで、鏡本来の能力を発揮することができるのだと。
人形は死角から強襲するが、壮馬はそれを見切って斬り返す。私を狙った攻撃も壮馬が対処してくれていた。私は加勢するどころか、腰が抜けたまま立つことすらできなかった。
鏡の解放には強い願いが必要だと聞いた。願いが弱ければ、鏡の力に耐え切れずに精神が壊れてしまうそうだ。だからきっと、解放してしまえば私の精神は壊れるだろう。でも、解放すればきっと、壮馬は満足に戦える。
「やめろ茉莉愛!!」
私のしようとしたことに感づいたのか、壮馬は叫んだ。しかし、私は止まらなかった。私が死のうとも壮馬が無事ならそれで……と思って、胸が苦しくなった。今度はそう大きくない痛みで、胸に針が刺さったような痛みだった。私は鏡の解放をし逃した。
壮馬は迫り来る人形をことごとく吹き飛ばし、時には斬り捨てた。胴体が真っ二つに裂かれた人形は動かなくなり、同時に少女は次の人形を飛ばした。人形は一体いくつあるのか、道端に壊れ落ちた人形を含めて優に十体を超えていた。
「何体来ても一緒なんだよ!!」
壮馬は同時に来た二体の人形を吹き飛ばすと、叫んだ。
「あらそう、だったらこれはどうかな!」
人形が一体、正面から壮馬に向かった。壮馬は剣を構えて、人形の軌跡をよく見据えていた。
「こんな単純な攻撃でやられるかよ!!」
人形が剣に捉えられ、斬り落とされる瞬間のことだった。痛いほどの轟音と共に熱風が私に飛来した。
「ごめんね言い忘れて。この人形、爆発するの」
「壮馬っ!?」
壮馬がいた位置は煙が立ち上っていて、私はようやく動いた足でその中に駆け行った。アスファルトは黒く焦げていて、壮馬は両手に酷い火傷を負っていた。
「そうま、壮馬っ!!」
「茉莉愛……逃げろ……」
壮馬は皮膚のただれた手で、私の手のひらに触れた。
「今壊れちゃったシャルロットちゃんの分まで、ゆっくり死になさい!」
少女は五体の人形を飛来させた。一体でも瀕死の重傷を負わせるそれが同時に五体も襲ってきたのだ。私は今度こそ死を覚悟した。
突然、私達を目指していた人形が皆地面に落下した。どれも、真っ白な矢に胴を射抜かれていた。
「危なかったわね、涼風さん、青柳くん」
「ちっ……次から次へと何なのよ!」
少女の問いかけに対し、もっと幼く見える少女は応えた。
「柊えりん、立派な高校三年生よ」




