3話 住宅街
その日の夕暮れは穏やかな日差しに包まれて、私と壮馬の足取りはいつもより重かった。魔法という未知の感覚を取得するのに多大な精神力を使ってしまったからだ。
私達は二人で一つの鏡を手にしているらしく、それに伴ってか、魔法が全く使えなかった。壮馬は小一時間の練習の末に一本の剣、西洋式のものとは違く、刀からみねをなくしたような両刃のものを創り出した。一方私はと言うと、その小一時間空気を掴み続けただけだった。鏡の共有割合は9:1くらいなのではないかと思ったくらいだ。
「ねえ壮馬、壮馬の願いって何?」
私は今日一日中気になっていたことを尋ねた。
「教えねえよ、教えられるかバーカ」
「バカとは何よ、ただ気になっただけじゃんか」
「気にする時点でバカなんだよ、バーカ」
「あははっ、何それ」
壮馬が珍しく小学生みたいな返答をしているのがおかしくて、つい笑ってしまった。壮馬も壮馬で最初から笑わせるつもりだったのか、満足そうに微笑んでいる。こういう態度は、ずるい、と思う。夕日に隠れているだろうが、私は頬が赤くなるのを感じていた。
「私にも願い……あるのかな」
私は足元を見たまま話す。間違っても目なんて合わせられなかった。
「ないのか? 話だと、強い願いがないと鏡に選ばれないとか言ってたが」
「うん……気づいてないだけかもしれないけど」
「そうか、それも明日柊先輩に話しておくか」
突如、胸が内側から抉られるような痛みが走った。耐え難い痛みだった。両手でぎゅっと胸を押さえつけるが、あまりの痛みに涙さえ出てきてしまった。
「茉莉愛……? おい、どうした、何か痛いのか?」
「ううん……違うの、何でもないから……」
慌てて涙を拭うが何故か痛みも涙も止まらない、それどころか次々に涙が溢れてきた。
「何でもないはずないだろ、ほら見せてみろ」
「やめてっ!!」
壮馬が私の両手に触れてきて、私は思わずその手を払ってしまった。謝ろうと顔を上げると、涙で滲んだ視界に壮馬が映った。壮馬がどんな表情をしていたのか分からないままに、私はその場を走り去った。走り去ってしまった。
家に帰りつくと、母に心配された。胸の痛みは消え去っていたのだが、きっと涙で酷い顔をしていたのだろう。明日壮馬にどんな顔をすれば良いのか分からず、その日の晩は上手く寝つけなかった。霞んだ月が神々しく空に映える夜だった。
朝、鏡に映った私の顔は随分と酷いものだった。壮馬に会うのが億劫だった。会えばどんな顔をされるか分からないし、何よりこんな顔を見せたくなかった。私はせめて朝だけでも壮馬に会わないように、迂回した通学路で登校することにした。
その挙句に、私は道を見失った。見知らぬ街に迷い込んだと言うべきかもしれない。地面のアスファルトに罅の入った寂れた住宅街を、右も左も分からずに漂っていた。道行く人は全くおらず、大きく欠けたブロック塀が手入れを施されていないところを見ると、もしかしたらここは無法地帯で、人が寄り付かなくなったのではないかだなんて、そんなことまで考えてしまう。
学校は幸い丘の上にあるので、家々の隙間からそれを探しているのだが、道が入り組んでいて開いた視界が確保できなかった。しかも、似たような造りの家が並んでいてまるで迷路だ。
「こんなことなら大人しく壮馬に……」
そう呟いて、その次の言葉に迷った。私は壮馬に会って何をしたいのだろうか。謝りたいわけでも、いつも通りの顔をして会いたいということとも違った。
「そこのおじょうさん、お悩み事かな!」
女の子の幼い声がして、振り返ると木造の屋根の上に人形のような少女が仁王立ちしていた。西洋人形のような、白一色のフリルスカートに暗めの紺色リボンが映えている、確か甘ロリと呼ばれる部類の服だ。子供だから良いものの、大人が同じものを着たらコスプレか何かと勘違いされることだろう。
「こら、そんなところに登ったら危ないでしょ」
元気なのは良い事だが、私を心配する前に自分の身の心配をしてほしい。私は足場の安全を確保すると、少女に手を差し伸べた。
「あ……あのねえ……」
「どうしたの? ほら、降りて大丈夫だから」
少女はわなわなと怒りを表している。子供扱いされたのが気に食わなかったのだろうか、それとも(ないとは思うが)柊先輩のように実は年上だったりするのだろうか。
「もう怒った! この間壊されたマリーちゃんの分まで怒ったんだから!」
「えっ……」
目の前にバレーボール大の人形が迫った。少女はどう隠していたのかスカートの中から人形を取り出し、私に目がけて振り投げたのだ。
その人形の手には、鋭く光る純銀のナイフが握られていた。




