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E1-エスぺリオ・オリジェン-  作者: 心音
1章 鏡世界
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6話 感触

 一部始終の説明を聞いた私は、くるみちゃんに信じられないことを言われました。お兄ちゃんに会わせてくれるというのです。

 くるみちゃんはその温かな手で、私の手を包み込みます。


「目を閉じて、心を澄ませて。深呼吸。そして、できるだけ強くお兄さんのことを思い出して」


 息を吸って、息を吐く。その繰り返しを三回したところで、胸に残る思い出を漁ります。


 初めてお兄ちゃんに作った手料理は、ハンバーグでした。事前にレシピ本を何回も読み返していたというのに、いざ作るときにはそう一筋縄にはいきませんでした。確か、玉葱を刻む工程だけは、お兄ちゃんが手伝ってくれました。


 私が玉葱と悪戦苦闘しているときに、お兄ちゃんはこう言ったのです。


「目が痛くなる原因は玉葱中に含まれるカリウムだから、冷凍庫で二分くらい冷やすか、ぬるま湯に放り込んでおくと良いらしい。それと、切るときは押しつぶさないよう、スパッと切ることを心がけるんだ」


 その果てに、お兄ちゃんは目が痛いからと戦線離脱したのです。


 完成品は自分でも良い出来だと思えるものでした。お兄ちゃんも喜んでくれて、私はすごく胸が温かくなりました。


 他にはどんな思い出があったことかと色々と考えていると、体が綿のように軽くなるのを感じました。そっと目を開けると、体の周りに光のほわのようなものが浮かんでいます。真っ白な光が私を包み、まるで眠るように意識が遠のいていきました。



「アリス」


 はっと目を開いたとき、そこはどこか真っ白な空間でした。地面も天井もなく、私がどこに立っているのか、足元に透明な板でもあるかのような不思議な感覚がします。

 そして、目の前に立っていたのは、紛れもなく、私が焦がれていたその人で。


「お兄……ちゃん、お兄ちゃん、お兄ちゃああ……」


 私はお兄ちゃんの胸に飛び込みました。たった一日会えなかっただけで、私の心は凍えてしまったのでしょうか。お兄ちゃんの体がとても暖かいのです。


「暖かい……ずっとこうしていたいよ……」

「ごめんな、アリス」


 お兄ちゃんは私の体を強く抱き返します。


「アリス、これから手伝ってほしいことがあるんだ」

「鏡を……集めるんだね」


 お兄ちゃんがこくりと頷くと、空間が端の方から暗くなっていきます。


「お兄ちゃん、ちょっと良いかな」


 私はお兄ちゃんの腕を緩め、その顔を真っ直ぐ見上げます。


「ん、何だ……」


 ちゅ、と、唾液の触れる音がして、マシュマロを口に含んだときのような、甘く柔らかな感触を受け取ります。


「初めてだから……ね」


 私は耳の奥まで焼けるような熱さを感じながら、捨てるように言います。お兄ちゃんもまた、驚きを隠せないながらに、嬉しそうな優しい笑みを浮かべていました。


「絶対に、元の世界に戻ってやるから。そのときは頼んだぞ」


「うん。極上のハンバーグを用意して待ってるんだから」


 そんな約束をして、お兄ちゃんの姿が闇に消え入るのを、私は最後の一瞬まで見送りました。



 * * *



 あの空間が消えた後、俺は自宅の前に立っていた。唇に、ほのかにアリスの感触が残っている。


「成功したみたいね……」


 くるみは全力疾走したかのような汗を掻き、その顔からは血の気が見る見るうちに引いていった。


「おいくるみ、大丈夫か!?」

「心配しないで、少し疲れただけだから……それより、今から全速力で学校の、体育館裏に向かいなさい」


「どうしてそんなところに……」

「良いから早く向かいなさい……さもないと殺すわよ」


 くるみは死に絶えそうな声で言う。俺は庭の倉庫から自転車を引き出すと、サドルの高さを調整する。


「あ、待って……その自転車貸してくれる? 後で追いつかないといけないから……目が覚めたら……すぐ行くわ……」


 くるみは玄関に背中を預けると、すやすやと寝息を立て始めた。


 袖を捲って、走る準備をしたところで、一人の少女が視界に映り込んだ。俺が鏡アリスと呼んだ、その少女だった。


「一応……連れて行くか」


 力の入っていないその体は、とても走れるようには見えない。アリスと体重が同じなのだとすれば38kg程度だろうか。数値の割に軽いその体を背負い、俺は通学路を走り抜けた。


 背中の少女から、鈴の音が聞こえた。


『お兄ちゃん、聞こえる?』


 同時に、最愛の妹のそんな声も。

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