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人食い森のネネとルル  作者: 月宮永遠
1章:底なし沼の珍事と共生のはじまり
2/47

1

 天まで届くルーンガット山脈に囲まれた、暗くて、深いミゼルフォールの森――通称「人食い森」。

 怖い怖い人食いの樹海、命が惜しければ決して踏み入るな――。


 カタルカナユ・サンタ・ガブリールに暮らす領民なら、誰でも知っている常識である。


 「人食い森」の噂話は数え上げればきりが無い。


 立入禁止区域の鳴子を鳴らしてはいけない……。死霊が目を覚まし、迷い人を底なし沼に引きずりこむと言われている。


 森に流れる、白い霧に捕まってはいけない……。吸い込めば、たちまち魂を奪われるという説もあれば、森に棲む恐ろしい死霊遣いの手下にされるという説もある。


 森の樹木を傷つければ、時に幹から血が流れ、その者は呪われるという……。真偽の程は定かではないが、この街の領主、ガブール教会の大司教は「森の掟」を定め、無断で木を取った者、木を取り去ってひどい状態にした者に厳罰を課していた。森の保護をうた法度はっとにも聞こえるが、ガブリール信仰の強いこの地で、大聖堂カテドラルの権威が、厳重に森を取り締まることに、領民達は森への畏怖を掻きたてられていた。


 本当に恐ろしいのは、これらの噂話を、完全には否定できないことである。

 実際に、いるのだ。森の傍で、不気味な女の嘆き声を聞いた者、死霊を見た者、森で行方不明になった者……。


 「人食い森」の不可解な怪奇は、カタルカナユ・サンタ・ガブリールの領民にとって、日々の暮らしと隣り合わせの恐怖であった――。





+





 ヒィィ――……ッ!

 昼でも陽の射さない、暗い森の奥深く。どこからか、不気味な叫び声が聞こえてきた。

 ネネは、ふと顔を上げた。

 爪先から頭のてっぺんまで茶色づくめの中、鋭い琥珀の瞳だけが光っている。

 黒に近い焦茶色の狩猟ローブに、編み上げブーツ、手には大型クロスボウを持った勇ましい出で立ちの少女は、頭をすっぽりと覆うフードを下げて顔を露にした。

 焦茶色の髪、鋭い琥珀の眼差し。褐色の肌。歳はまだ十五だが「人食い森」で密かに狩猟生活を営むネネは、年よりもずっと大人びて見えた。一六五センチの体躯には、大型クロスボウを操るしなやかな筋力がついている。

 少女と呼ぶには甘さのない顔立ちに、警戒の色を浮かべて、周囲の様子を油断なく探る。


 ――人間? それとも死霊……?


 物言わぬ死霊なら構わない。だけど人間なら、姿を見られるわけにはいかない……。

 これから睡蓮沼――通称、黒沼と呼ばれる底なし沼――を抜けて、仕掛けた罠の回収に行くところであったが、声は睡蓮沼の方から聞こえてきた。さて、どうしたものか……。


 ――ようやく長雨も上がったし……、引き返すのはもったいないか。よし……、慎重に行こう。


 ネネはしばらく身を潜めた後、獣道を通って睡蓮沼へ向かうことに決めた。

 睡蓮沼は、生者を引き込む底なし沼、黒沼と呼ばれているが、沼自体はとても美しい景観をしている。睡蓮沼と呼ばれる通り、沼一面に仄かに色づく睡蓮が広がり、木漏れ日の差し込む姿は神秘的ですらある。沼をとりまく可憐な野花も目の保養だ。

 例えば、薄い花弁が露に濡れて、まるで硝子細工のように透き通るサンカヨウの白い花。ほっそり慎ましい三日月草ミカヅキグサ、可憐な青色の勿忘草わすれなぐさ、ふわふわの合歓木ネムノキ……、美しいものはたくさんある。

 怪奇の類は本当だが……、この森が美しい秘境であることもまた真実だ。

 獣道を抜けて睡蓮沼に出ると、周囲を警戒しながら沼に近付いた。睡蓮沼は「人食い森」の奥深くにある。普段から此処を歩く生きた人間は、ネネくらいのものだ。どうやら先程の悲鳴も、生きた人間のものではなかったらしい……。

 睡蓮沼が、底なし沼であることは本当だ。この沼に一度沈めたものは、どんなものでも、二度と浮かび上がらない。

 やましい隠し事は沼の底へ――。

 立入禁止の警告を無視して、人知れず秘密を破棄する不届き者が後を絶たない。

 時々、睡蓮の葉や枝に、思わぬ落し物が引っかかっていることがある。この間も、この沼で壊れた硝子と、血のついた矢じりを手に入れた。どちらも狩猟に役立つ貴重な道具になる。

 水面に掘り出し物を求めて睡蓮沼を散策するのは、ネネの日課であり、密かな楽しみでもあった。


 コポリ……。


 ふと、微かに水泡の弾ける音が聞こえた。

 ネネは足を止めると、注意深く水面を見つめた。


 コポ、コポ、コポ……。


 続け様に水泡が弾ける。まるで何かが、浮き上がってくる前触れのようだ。一度沈めたものは、どんなものでも、二度と浮かび上がらないはずなのに……。

 ネネは茂みに身を隠すと、固唾を呑んで、ぼこぼこと泡立つ水面を見つめた。


 ザザァ――ッ!


 水面を割り、飛沫をあげて現れたのは、分厚い鎖の絡まる鋼鉄の檻だった。檻の中には、一人の少年が囚われていた。

 茂みに隠れていたのに、檻の中の少年はいともあっさりネネを見つけた。印象的な青い瞳と視線がぶつかる。

 今までに見た、どの勿忘草わすれなぐさよりも鮮やかな青色の瞳――。





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