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そっか。なんかもういろいろムツカシイね。

 まだねむいけど、キァハにたたき起こされたらどうしようもない。

 キァハが市庁舎にいかなきゃいけないっていうから、ボクは安眠を中断して、彼女の直衛につく。朝からまったくたいへんだよ。ボクもたいへんだけどキァハも仕事なんだねぇ。市庁舎ってこのまえの戦闘でけっこう壊れちゃったからだいじょうぶかなぁ。


「ねえ、ニック。あたしのタイ曲がってない?」


 キァハがボクにきいてくる。


「まがってる。いまなおしてあげるね」


 ボクは彼女の礼装用タイをなおしてあげる。常装用のタイとちがって階級に応じてだんだん金色の刺しゅうが増えてくんだ、これ。

 タイはととのったから、彼女と大隊司令部(そういうとかっこいいよね。だけどあるのはキァハの家と司令小屋。そしてボクの天幕と倉庫だけだ)出て、町の中にむかう。




 街の建物の被害はそんなに大きくない。だって、人と人がお互いに火をつけあったりする戦いじゃなかったから。

 だけど、あきらかに人通りがへってる。だってやつらが爪とあごで、人を殺しすぎたから。

 自警団はそれなりに活躍……しなかったし、ボクらなんてこてんぱんにやられちゃったからね。


「ねね、なんで市庁舎に行くの?」


 キァハはちゃんと手入れされた制服をきてる。それ、ボクが一昨日洗ったばかりのやつだね。


「査問会」


 キァハは頭でも痛いのかな? すごく眉間にしわよりすぎ。


「なにそれ?」

「上手な言い訳ができて、えらい人が用意した落としどころにうまく飛び込めたら勝ち。そういう言葉の格闘技よ」

「へー、訓練みたいなもんだね」

「ま、あんたにはあんまり関係ないわ」


 そっか。ボクには関係ないのか。でも、ボクはずっと気になってることがあるんだよね。

 まず、城門のとこで撃たれて死んでたスリトバル戦技長のこと。あの人の分隊が門を開けてればもうすこし犠牲を減らせたかもしれない。

 だけど、正規軍だって工兵とかいるから、城壁をよじ登って城門をあけることだってできたとおもうんだよ。いちいちボクがあけにいく必要もなかったはずなんだ。


「キァハ。なんで正規軍は城門をあけなかったのかな? あとさ、戦技長はぜったい殺されてたよ? ちゃんと遺体を回収したのかなぁ」

「だから、そういうのが査問会なの」


 キァハの返事はそっけない。


「じゃ、そこでホントのことがあきらかになるの?」


 ボクはだんだん歩調がはやくなるキァハの背中をおいかける。


「そうね。真実がつくられるわ」


 ふーん。真実ってポロって出てくるもんじゃないんだね。知らなかったなぁ。


「じゃ、いまからキァハは真実をつくりに行くの?」

「ちょっと違うわね。真実はもう用意されてるの。あとは形を与えるだけ」

「キァハってむつかしいことばっかりやってるんだね」

「そうかしら。大人の遊びに付き合ってる子どもにすぎないんだけど」

 キァハはふっとかるく笑った。うん、もういつものキァハだ。








 戦いが終わった直後は、キァハをみてるのがつらかった。

 遺体集めがね、かなり彼女の心を凍らせたみたい。遺体を集めて、城壁の外に墓地を造成して……つまり、そういう苦しい作業。

 一つ一つの遺体をキァが確認して、戦死者表を作ったんだ。遺族がいる人には、遺族宛の手紙を書いたりしてた。彼女は死者を忘れない。死者の列の見送るのも隊長の仕事だから、彼女はしっかりと皆を記憶してた。忘れられるのが一番悲しいからって。

 手紙の文末には必ずこう書く。


『運命を受け入れた者に祝福を。運命に抗うものに栄光を。ご遺族の方々に心からお悔やみ申し上げます』


 そして、一枚書くごとに、天井を見上げて涙をこらえるんだ。


「空々しい言葉ばっかり並べてる。浮ついた手紙……」


 彼女はふるえた声で事実をつげる。ボクはそれをきいてどうしたらいいのかまったくわからない。ただ、問題は彼女が苦しくて、息がつまることばかりやってるってこと。

 代わってあげたいけど、ボクの能力じゃどうしようもない。はげます言葉すらどれも嘘くさくなる。だからボクは手をにぎってあげる以外に何もできない。

 






 彼女は手紙を書き終えたら、ほとんどの業務をランヌとボクにまかせて、しばらく家にこもっちゃった。でも、大隊の皆も同じ。みんなろくに動けなくなっちゃった。せっかく晴れてても、何をするでもなく兵舎の中庭でボーっとしてるんだ。

 十日間の休暇申請をキァハが正規軍のところにもってったら、なんかあっさりと許可が下りた。だから大隊の皆はとにかくひたすらボーっとしたりしてる。

 なかにはちょっと元気なやつもいて、そういうのは市街の飲み屋さんで飲んでるか、スィヘリヴェ中隊長についてって、大人のお店とかいうところで遊んでるみたい。子どもなのにね。






 市庁舎の前には、正規軍の充実した装備をもった大人の兵士たちが、きびきびと哨戒してた。

 ボクらの大隊とは違って、兵の末端まで新式の六連発輪転弾倉銃が行き渡ってうらやましいことこのうえないよ。ボクらなんていまだに一世代前の三連発すらまんぞくにもってない。それどころか単発前込め式がいまだに現役。ボク用に一丁あれば、キァハを守りやすいんだけどねぇ。


「じゃ、ニック。ここまででいいから。査問って形式ととのえるために時間かかるから、一七〇〇にこの場に迎えに来て。ひまになると思うけど、その間に各級指揮官をつれてきて。飲みに行くわ。では、かかれ」

「かかります」


 キァハは命令をのこしてさっさと市庁舎の門をくぐっていった。

 飲みに行くのはべつにいいけど、指揮官連中をさがしに行くのがめんどうだよ。とりあえず兵舎にいかなくちゃ。あそこにいけば指揮官連中が外出先を記した紙を食堂に張ってるはずだから。






 兵舎にたどりついたら、ボクはむっとしてしまった。

 正門を守る警衛がいなかったから。

 またリベロの憲兵班がサボったな、と思ってすこしあたりを探してしまう。でも、はっと気づいてやめた。


 あいつら死んだよね。


 そっか。死にそうなかんじじゃなかったけど、憲兵班はみんな殺されちゃったんだ。また憲兵を再編成しないとね。めんどうなこと残して死んじゃうなんてゆるせないなぁ。

――死ぬなよ。まったく。





 兵舎に入ると、包帯をぐるぐるまきにした兵とかが、やることもなさそうにうろうろしてる。

 ただ、前と違うのは、銃だけは絶対にもってること。たぶん、この前の戦いでみんな分かったんだよ。銃があったから生き残れたって。

 負傷兵に敬礼は免除されてるんだけど、みんなボクをみたらちょこんと頭をさげる。だからボクも立派に戦ったみんなに答礼をしっかり返す。


「あれ、ニック戦士長じゃないですかっ。元気にしてましたっ?」


 エリシュカさんだ。

 今日は普通の女の子のかっこうをしてて、かわいい。いつもはリスみたいなんだけど、今日はパッチリおめめの女の子だ。


「おつかれさま。エリシュカさん。休暇を楽しんでるみたいでよかったよ」

「えへへっ。だっておやすみってことは女の子に戻れるってことですよっ?」


 エリシュカさんはくるりと回った。なんだかおてんばお嬢さんみたいだけど、そもそもそういう年頃なんだし、本当は軍服着てるほうがへんなんじゃないかな。


「いまからでかけるの?」

「はいっ。パステルさんとポーニャさんと一緒にお買い物にいくんですっ」


 エリシュカさんはなんだか元気が戻ってきてるみたい。この休暇で回復してくれるといいなぁ。簡単にはいかないんだろうけど。


「あとの二人は?」

「すぐくるとおもいますけど――」


 しかたないから兵たちの様子をうかがってると、なんかお金持ちの家のお嬢様がでてきた。

 まったくもう。ここは市民の人は立ち入り禁止だよ。


「あのー、ここは兵舎ですから市民のかたは……」

「ニック戦士長。あなた、休暇ですのに職務に忠実とは恐れ入りますわ」

「えっと――」


 ボクはまじまじとこの人をみる。ドレスってあれだよね。ボンって胸元が強調されててボクとしてはこまってしまいますです。


「わーっ、ポーニャさんってそんなの持ってんるんですかっ」


 エリシュカさんがお嬢様さんにぱたぱたとかけよる。


「えっと、ポーニャさん?」

「――もう訂正はあきらめましたわ」


 ポーニャさんからじろりとにらみつけられた。なんで?


「すっごーい。本物の絹ってはじめてみましたっ」


 エリシュカさんはなんだかポーニャさんの服にびっくりしてるらしい。

 そんなすごいの、これ? とりあえずなんか言っておかないと。


「なんていうか、ボクはポーニャさんがきれいな人だとは思ってたけど、すごく大人びてみえるよ、うん」


 おもったことをそのまま口に出すしかない。


「それは褒めてくださって?」

「まあ、そうです」

「感謝いたしますわ」


 はらりとみたこともない礼をされたけど、これってどうやって応えればいいのかしらないから、とりあえず、ああどうもと敬礼しとく。


「いい服」


 パステルさんがいつのまにかいた。

 黒髪をまとめて、口紅をさしたパステルさんは制服の礼装だった。

 タイを変えて、髪型と化粧をかえるだけで女の子は大変身するからこまる。


「なんで礼装ですの?」ポーニャさんがボクのかわりにきいてくれた。

「着た事ないから」


 ふーん。とくわかんないけど規則に反することもないからいいんじゃないのかな。


「似合ってる?」パステルさんが静かに訊いた。

「なかなかですわ」

「いいですっ」

「いつもとぜんぜんちがう」としか言えない。


 パステルさんの白いほほにすっと赤紅がさしたけど、ボクの気のせいだったのかすぐにそんなものはなくなったみたい。


「よし」とパステルさんは小さくいった。

「あー、そうそう。キァハが一七〇〇に市庁舎前集合だって」


 三人の指揮官がそろったから伝えておく。


「仕事ですの?」

「飲み会だよ」


 ボクがそういうと、なんだか三人ともさっきまでの楽しそうな雰囲気がうすくなったみたい。


「司令と、飲み会ですかっ?」


 もちろんそうにきまってるじゃないか、といいたいんだけど。なにその質問?


「そのぉ、ニック戦士長はキァハ司令と一緒にいて、あの、緊張したりしないんですかっ?」


 エリシュカさんがみょうなことをきいてくる。


「え? べつにないけど」

「あなた、戦場での司令をご覧になったでしょう? わたくし、なぜあの人は平然と部下が死ぬ命令を出せるのか不思議でしたわ」

「はい?」どういうことなの、ポーニャさんまで?

「わたし達は司令のおかげで生き残りましたっ。だから、その、恐れ多いというかなんというか……。その、何も出来なかったわたし達をキァハ司令はどう思ってるのかわからなくてっ」


 あー、なるほど。

 つまりキァハのことをぜんぜん分かってないんだね。


「どうして彼女は戦ってるの?」


 パステルさんが端的な質問をしてきた。


「理由なんてないよ。戦いがそこにあるからじゃない?」

「あの、よくわからないんですけれど?」


 ポーニャさんが目を丸くする。


「たぶんだけど、司令は何も考えてないよ。まずい状況だから、それを解決しようとしてるだけ。理由とか、理論とかそういうのは後から考えればいいって思ってるんだ、あの人は。辛いこととか、諦めたいことがあっても、とにかく手を尽くした後の結果に全部を任せるんだ。彼女にとって結果だけが意味を持つんだよ」

「けなげな人。賢い選択じゃないけど」パステルさんがつぶやく。


 キァハはむつかしい理屈をいっぱいひねり出せるけど、それは全部道具にしか過ぎないんだ。事態が解決すればそれでいいって思ってる。それって賢くないのかなぁ?


「……わかりました。一七〇〇ですね。みんなでいきます」


 エリシュカさんがそういってくれた。よかった。これでボクはキァハの命令をなんとか実行することができたね。

 でも、なんでみんなはこういうめんどうなこと考えてるんだろ。

 ボクはこういうのはどうでもいいけど。

 だって、信じるか信じないか。ただそれだけのことじゃないか。







 ランヌは休暇をどう使うかよく知らないらしくて、居室でグーグーねてたり、自分の装具をぴっかぴかにみがきあげたりして休暇をすごしてるってうわさだった。

 ま、そうなんじゃないのと思ってたけど、実際に部屋をたずねてみるとその通りだった。

 うーん。なんだかマジメなやつってのはきゅうくつなんだなぁ。


「ランヌ、はいっていいかな?」

「どうぞ」


 ランヌにうながされて入る。

 うちの部隊はキァハの方針で階級じゃなくて役職で個室になるかどうかが決まってる。小隊長以上は個室ってことで、ランヌもとうぜん個室だ。ボクは天幕だからさらに特別な待遇だとかなんとかみんないってたけど、ホントかなぁ。


「何か御用ですか」


 オオカミはうえてなくてもオオカミだから、あいかわらずギラギラしてるみたい。

 ベッドの上で腹筋をきたえてる。こいつ、あたまへんだね。


「いやあ、キァハにたのまれて。一七〇〇に市庁舎前集合だよ?」


 ボクは入り口のところに背中をあずける。


「任務ですか?」

「飲み会」

「命令ですか?」

「そんな権限はないんじゃないかな?」

「――」


 ランヌはだまりこんじゃった。いく、いかないくらい言えばいいのに。


「どうすんの?」


 そとで誰かがラッパの練習してるみたい。なんかきこえてくる。


「戦士長は、キァハ司令が恐ろしくないのですか?」


 でたよ。またそういう質問? みんないったい何を気にしてるんだろう? 飲み会にいくか行かないか。ただそれだけの話じゃないか。


「そんなことないよ。どうして?」


 ランヌはベッドからおりて、腕立てをはじめた。


「私は、キァハ司令が危険な人に思えて仕方ありません」

「なんで?」

「司令は子どもなのに大人のまねをしています。大人からはうとまれ、子どもからは理解されないでしょう。それでも司令は妥協せずに自分がそうすべきだと信じて、そうふるまっておいでです。自己を演出なさっています。『結果』という事実だけを用いて。これは危険なことです。よき評判は立ちません。ただ、結果だけが事実としてぽろりと世界に表明されるだけです」


 ランヌは腕立てをおえて、あせをふく。


「よくわからないけど、ランヌはキァハ司令がきらいなの?」

「違います。結果だけを追求する姿勢に危うさを覚えるだけです」

「結果だけだと、なにかだめなの?」

「結果を出すためにあらゆる方法を駆使し、方法論を重視する司令の姿勢は、指揮官としては大変評価できるものです。しかし、そのさきにあるのは結果だけ。結果とは恐ろしいもので、評価概念なのです」

「うーん、どゆこと?」

「事象を観測した際に、主観を排除できないということです。この世界には評価概念と事実概念があります。あるものを美しいというのは、主観を排除できぬゆえに評価概念です。一方でこれは何ですか?」


 ランヌが腕立てをやめて、ぴかぴか銃整備の見本ともいえる銃をつきだした。


「銃だけど。三連発式の」

「これは銃です。それは事実として人を殺す機能を有する兵器として誰もが認識を共有できます。これが事実概念です」


 あー、なんとなくわかってきたよ。つまり塩とか砂糖とかは事実なんたらってやつだけど、それがおいしい塩か、すばらしい砂糖かどうかってのは評価なんだね。


「じゃ、キァハが出す『結果』ってのは、見る人によって主観がはいるの?」

「そうです。生きのこった事実は我が大隊にとって『素晴らしい結果』でしょうけど、市長勢力あたりからすれば、『責任問題』。商工業組合のモモポフ殿あたりの一派だと『経済的政局』。さて、正規軍はキァハ司令の出された結果をどう評価するか。ここが問題ですね」

「ふーん。ランヌはむつかしいことを考えてるんだね」


 ボクはそんなめんどうなこと考えないなぁ。


「いいえ。最適化しているだけです」

「どゆこと?」

「戦争に最適化しているんです。あなたの適応の形はまた違うもののようですが」


 うーん。ボクとしてはランヌはきらいじゃないけど、むつかしいことを言いすぎるから、じつはよくわかんないんだよね。だいたいさ、ボクがききたいのは飲み会に行くかどうかだよ。


「で、飲み会はどうするの?」

「一杯つきあったら帰ります。そういうものなんですよ、その飲み会は」


 ランヌはそういうと愛用の山刀を研ぎはじめた。

 なんとなくこれは出て行ったほうがいいなとおもって、ランヌの部屋をあとにした。

 うーん。よくわかんないけど、とにかくランヌは出席ということだね。よかったよかった。







 スィヘリヴェは休暇ってのをいちばん上手に使ってるみたい。

 あいつはキァハからちっぽけな家を貸してもらってるんだけど、そこは城壁の外側なんだよね。普段は兵舎の個室にいるんだけど、休みになるとそっちを使うんだって。ベッドしかおいてないのに何に使うんだろう。あいつはバカなのかな。

 目的の小さな家がみえた。典型的な元農家だよね、あれ。

 よっこいしょとわざわざボクがこんなところまで来なきゃいけなくなるんだから、できるだけ兵舎の近くに家を借りてほしいもんだよ。こんな遠くはダメだね。

 スィヘリヴェの家に近づくと、やたらうるさかった。女の人の声があーっ、あーっ、とさわがしいんだ。だからボクはドアを思いっきりたたく。そうしないと聞こえそうにないから。

 でも、返事がない。むしろもっとうるさくなっちゃった。

 ボクは入るよーといって古びたドアノブをまわして入った。

 居間が寝室になってる。ベッドがどんっておいてあるんだ。スィヘリヴェはやっぱりリベロとはちがうバカなんだろうな。こんなところにベッドおくなんて、朝食をどこで食べるんだろうね? まったく。


「スィヘリヴェ、なんではだかの女の子とベッドにいるの?」


 やつはなんかベッドの中でもぞもぞしてる。


「よぉ、さくらんぼ少年。お兄さんにお花の咲かせ方でも教えてもらいにきたのか?」


 スィヘリヴェはうつぶせでぐったりしてる女の子の髪をなでながら言った。


「なにをいってるの? 司令が一七〇〇に飲み会だってさ」

「げっ! まずい酒が飲めそうだな、それ」


 そういってやつは汗ばんでる女の子の背中を人さし指でなでる。


「そうかな。ボクはそんなことなかったけど」

「酒の味は、情の味さ。飲む相手次第で美味さが変わる」

「へぇ。ボクはキミと飲んでもおいしいお酒は楽しめなさそうだね」

「相性ってのがあるからな。男と女の関係と一緒さ」


 スィヘリヴェは女の子をやさしくだきよせた。女の子の桃色の乳首をなんでそんなにいじってるんだろうか、あいつは。


「でも、ボクはべつにキミがきらいなわけじゃないんだ」

「俺もだ。お前さんは狂ってるが、善人じゃないから大好きだ」


 女の子はあんっ、といって身をそらせてる。どういうことなの?


「で、くるの?」


 スィヘリヴェは女の子の上におおいかぶさった。


「そうだな、たまには司令のキレイなお顔を見ながら飲むのも悪くないな。キレイな仮面に隠された毒針でつっつかれるまえに退散するけどよ」


 また女の子があーあーうるさくなってきたので、ボクはさっさとドアをしめて外にでる。

 なるほど。城壁の外じゃないとうるさくて抗議文書が司令小屋にいっぱいきちゃうよ、これ。

 これで指揮官はみんなくるみたい。ボクとしてはべつにスィヘリヴェはこなくてもいい気がしたけどね。






 うーん。

 てきとうに市場の屋台で飲んでるんだけどねぇ。

 ボクはキァハとしか飲んだことないからよく知らないんだけど、飲み会ってこれでいいのかな。なんかちがう気がするんだ。

『みんなだまって黒ビールを飲んでるだけの会』ってのになってる気がするけど。


「――さてと。乾杯も終わったし、これ以上付き合う義理なんてないわよ?」

「いえ、そんなわたしたちはっ――」


 エリシュカさんが何か言いかけたけど、ランヌが立ち上がってジョッキをかたむけたから中断されちゃった。


「プハーッ! ご馳走様でした。司令」


 いっきにジョッキを空にしたランヌは、銅貨をピシッと円卓において、さっさと席を離れてしまった。

 あっという間に町の中に消える。


「やるねぇ、ランヌの旦那は。まさに付き合いできましたってのが露骨だぜ。ま、俺はキァハ司令のご尊顔を仰ぎながら、もう二、三杯いかせてもらいますけどね」


 スィヘリヴェはそんなことを言ってるけど、ぜんぜんお酒が進んでない。


「あのっ、どうして飲み会なんですかっ?」


 エリシュカさんがみょうなことをきいてる。そりゃだって、たぶん単なる思い付きだよ?


「あたしに文句に一つ二つ言いたいでしょ? 死ね死ね命令ばっかり出してるんだし」


 あれ? ボクの考えとは違ってたぞ。まだまだボクは彼女をわかってないんだなぁ。


「ひとつ伺ってもよろしくて? 司令」


 飲めば飲むほどポーニャさんは偉そうになるね。


「あー、よろしくてよ」


 げげっ。キァハのやつ、まだ黒ビール二杯なのに酔いはじめてるみたいだ。前はぶどう酒のビンをけっこう空けたけど、今日は疲れてるのかな?


「査問はよしなに?」


 ポーニャさんの問いに、キァハがビールを飲む手をとめる。


「質問がやわらかすぎるわね。つかみどころがなさすぎる」

「良かったのですか? 悪いのですか?」

「落としどころにはちゃんと落としたわよ。それがあんた達の幸せにつながるかまでは責任持てないわ」

「つまり?」

「名誉除隊とかそういう特典なんて無いわ。はい、ご苦労さん。これからもがんばって、ってやつよ。初陣生き残ったくらいでなんか特別扱いしてもらえると期待してた?」


 ボクはぜんぜん期待なんかしてなかったけど。

 だってこれからも戦いはあるだろうし、どうせ誰もボクたちのことなんか気にしないから、大人たちはボクたちをえんりょなく戦闘へと投入するでしょ?


「わたし、勝ったんだからなんかいいことあるんだと思ってましたっ」


 エリシュカさんがぐびっとジョッキをかたむける。


「あるわけねえだろ? エリシュカちゃん。大活躍して出世するみたいな夢物語なんざ、戦争の醍醐味を知ってる連中からすりゃ、嘘くさくて反吐が出るぜ」


 スィヘリヴェはつまみの唐揚げをひょいとつまむ。


「醍醐味ってなんですの?」

「生き残ることさ。生きてりゃそれでよしってことだ。お前ら考えたことあるか? 自分が明日理由もなく死ぬってことをさ? 俺はしょっちゅうあるよ。俺は路地裏生活ってのは知らないが、それに近いのを知ってる。俺の村は理由もなく焼かれたよ。たまたま賢皇帝国が進軍経路に選んだのが運のつきさ」


 ふーん。軍隊が通ったら村が燃えるなんて変なの。


「ボクは路地裏にはくわしいよ?」

「少年は素直で良いねぇ。みんなそれぞれくわしいところがあるだろ? 例えばポーニャちゃん。あんただと娼館か?」


 ポーニャさんがガタンッと席を立つ。


「――だまってくださいます?」


 おやおや。こまったもんだね。ビールがこぼれてるよ? 

 おじさん、もう一杯もらえます?


「はっはっは。いいじゃねえか。革命以後の貴族の娘がどうなったかなんて、くさった共和国議員のみなさんの夜の暮らしを見てればわかることさ。でも、お前さんくらい気位が高いお嬢さんを征服するってのは男の欲望なんだぜ?」

「――下衆め」


 へらへらわらうスィヘリヴェに、ポーニャさんはボクが頼んだビールをぶちまけた。

 うわー。ボク、ビールって目にしみるからくらいたくないよ。

 で、ポーニャさんはぷんすかして人ごみの中にきえていっちゃった。


「やりすぎたな。スィヘリヴェ」

「最低ですっ!」


 キァハとエリシュカさんがスィヘリヴェをとがめる。

 スィヘリヴェはふところから女の子が使うようなハンカチをとりだして、顔をふいてる。


「そうですかね? 俺は思うんですけど、女が女であるだけで奪われつづけるって、まさに男の理想郷ですよ? そういうのが革命後の世界だぜ? 女は男に尽くし、奉仕させられ続ける。いいねぇ」


 ボクはなにがいいのかわからないけどね。キァハはどう思ってるんだろう。


「スィヘリヴェさんは女の子をそんなふうにしか見られないんですかっ?」


 なんだかエリシュカさんがおこってる。エリシュカさんって、飲むとよりマジメになるっていうか、歯止がきかなくなってるよね。

 なんというかキァハと相性がいいといえばいいよね。酒の席では。

 スィヘリヴェはよっと席を立ち、むりやりエリシュカさんのとなりに移った。


「はっはっは。逆だね! 俺はね、欲望は全部肯定されるべきだと思ってんだよ。これは男も女も関係ねえ。男が娼婦を買うみたいに、女が三人の男を買うのも最高に素敵なことだと思うんだよ。男が女を漁れば英雄色を好む、で、女が男を漁れば尻軽か? そんな価値観クソ食らえだ」

「ぷっ」


 なぜかずっとチビチビのんでたパステルさんがふきだしてる。どゆこと?


「あ、あなたは不謹慎ですっ」

「あたりまえさ。身を謹んで生きるには、世界は広すぎるんだ。可能性がごろごろしてる世界でなんで身を慎む必要があるのか、俺は問いたいね。なんだったらあんたが俺を愛人にしてもいいんだぜ? 俺はぜんぜんかまわねえ。マジメなあんたが融けてくのをみせてくれるなら、俺はあんたを抱きながら死んだって良いぜ?」

「バカにしないでくださいっ!」


 あーあ。スィヘリヴェのやつ、エリシュカさんにゲンコツで殴られちゃったよ。

 しかもエリシュカさんは顔まっかにしてどっか行っちゃった。ほんとスィヘリヴェは女の子を怒らせる専門家だなぁ。


「スィヘリヴェ、あんたってバカよね」


 キァハがさらに追加でジョッキを交換してもらってる。


「なかなか――いてぇ一撃で。俺は司令みたいに賢く生きるのっていやなんですよ。大人になるくらいなら子どものままでいいんです。だいたいさ、いつ死ぬかわかんない兵隊が大人になる必要なんてないんですよ? そのくらい司令はわかってるっしょ?」


 キァハはスィヘリヴェの問いに答えない。


「なんとかいってくださいよ? 人は死にますよ?。だったら大人も子どもも関係ないじゃないっすか。権力がどうだとか政治がどうだとかいってさ。つまり誰かから上手いこといって奪い取ろうってことばっかり。べつにいいですよ? 説得性がないなら、『大人』な司令向けに難しい言葉つかいましょうか? 例えば『生権力と規律権力の誕生は人口を介した安全装置を――』みたいな」


 うわー。なるほどね。スィヘリヴェは酔うとからんでくるんだね。こりゃ呼ばないほうが良かったんじゃないかな。


「『――そして自由を手に入れるために自由を消費する必要が生じた。自由を保障するための社会構造を作ることは、誰かの自由を制限せずには作り上げることができないからだ』スィヘリヴェ、あんた学者の本の読みすぎ。こんなこと知ってても生きのこることとは無関係よ」


 キァハはてきとうな感じでこたえる。飲みすぎたかな?


「ははっ。司令だってちゃんと目を通してるじゃないっすか。司令はそういう人ですよね。理念なんて道具。思想なんてジャガイモよりも役に立たない。そう思ってらっしゃるんでしょ? そういう生き方、つかれません?」


 スィヘリヴェはうーん、と背伸びをして、席を立ち上がる。


「じゃ、お先」といって、銅貨をじゃらっと卓上において、女の子が一杯いそうな通りの方向へと消えていった。

 ボクはスィヘリヴェの置いた銅貨をかぞえてみる。エリシュカさんやポーニャさんの分もぜんぶ払ってるみたいだ。あいつ、ほんとはいいやつってこと?


「へんな面子ばっかり残ったわね」

「そうかな?」

「パステル、あんたもなんか言いたいことあるんじゃないの?」


 キァハがパステルさんにからんでいく。


「ある。もっと静かなところで飲みたい」


 へぇ。そうなんだ。ボクもこういうさわがしいところって好きじゃないんだよね。だってさっきからビールあびせたり、女の子が男の子殴ったりして、いちばん目立ってるからみんなこっち見てるし。


「よし! じゃ、例の場所行くわよ」


 キァハが宣言する。たぶんモモポフさんに紹介してもらったとこだね。このまえの戦いで壊れてなきゃいいけど。







 お店はまえとかわらず、静かで落着いてた。

 お客さんもへってない。かわらないところってあるんだねぇ。

 ボクたちは前と同じ個室にとおされた。

 とりあえず、みんなやわらかいソファにぼふっと腰をおろす。


――商工業組合の書記会の御面々からキァハ司令官宛に葡萄酒樽が届いております。


 口ひげたくわえた店員のおじさんが、やわらかい物腰でキァハに告げた。


「付け届けに抜かりなしってのが気に食わないけど。グラスを三つ用意してもらえる?」

――かしこまりました


 店員さんはしばらくしてグラスになみなみ注いだ白ぶどう酒をもってきた。

 しずかに円卓にならべると、失礼いたしますといって、うすい暗がりにしずんでいった。


「生きてておめでと。乾杯」


 キァハにしたがってグラスをかかげ、そのまま飲む。グラス同士をぶつけたらダメって、この前キァハにめちゃくちゃ指導されたのをおもいだす。


「中々ね。安ものだけど、おいしいものを贈ってくれるところがにくいわね」


 なかなかどころか、ボクとしてはさらりと甘くて、かなり好きなんだけど。これ何杯も飲んで良いなら、こんなにいいことはひさしぶりだよ。うん。


「満足そうね、ニック」

「だって、これホントあまくてさらさらだよ?」

「あんたの好みまでおさえてるってことか。困った連中だわ。まったく」


 なんでボクがこういうのがすきだってわかるのかな? ボクとしてはうれしいけどね。こういうのを贈ってくれるならやっぱりモモポフさんたちはいい人だ。


「で、パステルはこういうのいける?」

「苦手。火酒がいい」もうパステルさんのグラスは空いている。

「どれがいい?」


 ボクが棚にならんでるビンのどれかをとってあげようかな。


「それ」


 これでいい? と確認して、ボクはビンをパステルさんにわたした。


「氷をお願いしなきゃね」キァハが店員さんを呼ぼうとする。

「いらない」


 パステルさんはそういうと、空いてるグラスにとろんとした火酒を注ぎ込んで、そのまま飲みはじめた。うわー。ボクはその飲み方だと明日あたまが割れそうになるからだめだね。


「パステル。あんたはあたしをどう思うわけ? この際だから言っとくといいわよ? 酔ってるあたしは寛容だから」


 そうだっけ? ボクはそうは思わないけど、キァハがいうならそうなんじゃないかな。

 ま、とにかくもう一杯もらおうかな、この白ぶどう酒。


「特になにも」


 パステルさんはさらに火酒を飲む。


「いいたいことあるんじゃないの? この前の作戦はくそだったとか、采配がおかしいとか、あんたのせいで死んだんだとか?」

「ぜんぜんない。太陽に輝いてるといっても意味がないのと一緒」

「それってほめてるわけ?」

「ほめてほしいの?」


 キァハがだまりこむ。パステルさん、その言葉は禁じ手だよ。

 キァハはがんばりやさんだから、たまにだれかにほめてもらわないとダメなんだけど、それを人に見すかされるのがきらいなんだ。だから、ボクは――


「キァハはがんばった。ボクはそばで見てた」

「……ありがと」


 キァハはちょっとだけ笑う。この草花みたいに小さな笑顔のためにボクはここにいる。


「スリトバル殺しの件は?」


 パステルさんが突然みょうなことをいいだした。

 ボクだけがスリトバル戦技長の死が人によるものだとおもってたんじゃないの?


「誤射というには苦しいところだけど、それで落着いたわ。遺族に老いた母親がいたみたいだから、あたしのほうで金を出しといたわ。モモポフもお手伝い兼監視役を送ったみたいだし、余計なことは言い出さないはずよ。問題は下手人だけど」


 誤射なわけないよ。あれはちゃんと後ろから急所撃ってあったもん。いい仕事といえばいい仕事だったね、あれ。


「ここにいないあの人」

「ま、口は堅そうだから良いけど。もし、話がもれたら処分するわ」


 なにをいってるんだろうね、キァハは。ま、むつかしいことはとりあえずキァハに任せとくとして、ボクはせっかく生き残ったんだからこの甘い白ぶどう酒をさらに楽しもう。


「そう。査問ではどういう筋書き?」

「キァハ独立支援大隊は全力で市民を守ろうとした。実際に市民の一部も救助して、敵もそれなりに屠った。全滅寸前まで抵抗し、正規軍到着まで持ちこたえた。このことから補助軍の戦術的有用性は証明された」

「なるほど。あなたは有用性を証明した」


 パステルさんとキァハさんはボク向きじゃない話をはじめちゃったなぁ。こういうの面白くないから、ボクはパステルさんが飲んでる火酒のビンをずるずるとひっぱってきて、ボクのグラスにそそいでみたりする。うーん、酔ってきたね。なんだかふわふわする。


「だけど、補助軍全体の有用性が証明されたわけじゃない。相変わらずあちこちで全滅してるし、役立たずの愚連隊になってるのもいる。だから、あたしの部隊が最初の成功例って訳よ。周りが馬鹿であればあるほど、賢いやつが際立つのよね。これを補助軍を統括する社会福祉官房がどう利用できるかは、中央官僚の能力次第ってところ。ただ、間違いなくあたしの部隊は中央の連中にとって利用価値がうまれた」

「中央は予算と権限が欲しいから」

「あたしは武器と部下が欲しいのよね。お互いの利益が一致するって素敵よね」


 キァハがぐいっとグラスをあおり、棚からまた別のぶどう酒のビンをひっぱってきた。こんどは赤らしい。


「ついでにあんた、知り合いの大学の先生を紹介してくれない? 知識人ってやつの御言葉をありがたがる馬鹿共をうまく煽りたいの。モモポフ経由で新聞記事だすから」

「わかった。手配する」

「そ。助かるわ」


 ふーん。よくわかんないや。とにかくなんか世の中のからんでる糸をあれこれひっぱってるんでしょ? あれが抜けるか、これがでてくるかみたいな運試しかな。そういうことって楽しいかもしれないけど、ボクはめんどうだからえんりょしとくよ。


「で、あんたの報酬は、あたしの知り合いの魔女を紹介すればいいんだっけ?」

「そう。わたしは確信している。彼女たちが使っているのは魔法ではない」


 そんなことはないと思うけどねぇ。魔法は魔法じゃないの? 

 あ、おじさん、もう一杯もらえますか?


「そうなのかしら?」

「絶対。あれはわたしたちの技術的知見の延長にあるもの」

「あたしにはよくわかんないけど」

「彼女たちは何百年、何万年も進んだわたしたちなのかもしれないと思う」

「あんた、大学飛び出したのって、それが理由なわけ?」

「教授より魔女のほうが何かを知っている。直感だから論拠は無い」

「勘でぜんぶ捨てるあんたって偉大ね」

「あなたは信念のために人の心を捨てようとしてる。たいしてかわらない」

「いやな女ね、あんたって」

「あなたも」


 二人はだまってまた乾杯した。


「ねぇねぇ、ボクもまぜてよ」


 ボクはおいてかれてるみたいにかんじたから、わりこんでみる。


「何いってんの? あんたはダメよ。あんたはあたしの友だちだもん。こっちの世界は立ち入り禁止よ」


 え? そうなの。そっかー。

 友だちはそっちの世界は立ち入り禁止なんだね。友だちだったら入っちゃいけない世界があるなんて、ボクははじめて知ったよ。友だちはキァハしかいないけど。

 あ、そういえばパステルさんとも友だちになるって言った気がするけど、約束をしてないから、まだ友だちじゃないのかもしれない。


「で、ニック。今週末空けときなさいよ? ちょっとした偉いさんの催しがあるの」


 キァハが空けとけというんなら、ボクはいつだってヒマをつくるよ。

 どんなにくそいそがしくても、キミのためならへっちゃらだ。

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