9 変化
「先生、村祭りに行ってみたいとおもいません?」
ルーシー・アンが上目づかいをして尋ねてくる。
いけない、最近彼女はよくこの目をしてくる。セシリアがこれに弱いことに勘づいたのだ。
毅然としてそれをはねのける。
「だめですよ、セシリア様。夜遅いじゃないですか、あれは。暗くなる時間は外に出てはいけません」
「…そうですか。そうですよね」
こういう時けして駄々をこねないのがルーシー・アンの美徳の一つである。
いつも素直に聞き分ける。それがかえっていじらしくてたまに許してしまうことがある。
だが今回は譲れない。何もない環境で厳しすぎる気もするが、日が暮れて以降のルーシー・アンの外出は契約上固く禁じられていた。
「駄目だっていってるだろ、ルー」
「じゃあ、お昼の…」
「だめ」
兄にも言われ、ようやくさっぱり諦めた少女にセシリアは、せめてもと何か祭りを思わせるようなものを捜した。
ちょうど村人が祭り用に初の試みで輸入物の花火を扱い、余った物があったのが幸いだった。
それでルーシー・アンは楽しくはしゃいでくれ、セシリアもほっとした。
それにしても、と兄にしがみついてはしゃぐルーシー・アンを眺めて思う。
(ルーシー様もお綺麗になってきたな。お年頃になったら、誰よりも素敵な貴婦人になるわ)
ユーリスがいなかった時訪れた来客は皆ルーシー・アンの愛らしさに目を奪われていた。
なぜかセシリアは(どうです、だれも叶いませんよ)と胸を張りたいくらいだった。
ユーリス様、素直に手放すのかしらとじゃれ合う二人を見て微笑んだ。
いつもの夕暮れの散歩。
つい、と池の中に目をやる。あるわけがない。何度も確認した。それでも覗き込むのは習慣になっていた。
「まさかまだ探しているんですか?」
狩猟の姿をしたユーリスが隣にならんだ。彼は今日、森番と共に狩に出掛けていたが、今戻ってきたのだろう。
夕食に兄がいなくて妹はむくれていた。殿方には殿方のつき合いがあるのは理解しているつもりですが、と断りを入れながら。
「覗き込んだだけです。また池に入ることはありませんから心配しないで」
「そうですか」
今セシリアの髪には別の髪飾りがある。今年新たにユーリスに贈られたものだ。
真珠と貝細工でできたユリのそれは、派手さを押さえながらもハニーブロンドの髪に映える。
「よかった、あなたに似合っている」
そう言われると、なんだか恥ずかしくなる。いちいち経験値の少ない自分が大概に面倒になってくる。
「都会っ子には色々かないませんわ。たまにあなたに惑わされるウブな私の身にもなって下さい」
開き直ってそう言うとユーリスは珍しく子供っぽいきょとんとした顔でセシリアを見る。
「それはどういう意味ですか?」
「私は人から褒められることがなかったのです。いえ、周囲が酷い人間だ、というわけではなくて、清貧が美徳の土地柄の為なのか…互いを褒め合うことが少ないのです。だからあなたは気軽に言う挨拶でも私には10倍くらいの重みになってしまうのです…慣れたいものだわ…」
最後に本音がぽろりと出たことにユーリスは笑った。
「じゃあ慣れさせてあげますよ」
そう言って向き合うと顔を寄せてささやいた。
「あなたはとても綺麗です。本当はもっと華やかにさせてみたいです」
その言葉はセシリアを真っ赤にさせた。それを見てユーリスは更に言う。
「白いユリのようだと思いましたけど、白い蕾のバラも似合い…」
「も、もうけっこうです、頭がくらくらしそう…」
「駄目ですよ、慣れたいんでしょ?あと…」
「もうユーリス様!」
慌ててつい彼の口を手でふさぐ。ユーリスはくすくす笑ってその手を掴んで口から引きはがす。
赤くなった顔を見られるのが悔しくてうつむいていたが、捕まれた手がいつまでも解放されないので上を見上げた。
見下ろすユーリスと目があって何故かそらせなくなった。
改めて体格の差を感じる。握りしめてくる手は固くゴツゴツした感触で、近くで見る肌は子供特有のすべらかさが消えていた。
彼の顔から笑顔が消えているのは何故だろうと思う。
夏の涼しい夜風がセシリアの頬にかかる後れ毛をゆらし、そこにユーリスの指がかかる。
なでるような手つきに、何か意識が遠のきそうになる。
ギー!…バサッバサッ…
夜鷹の羽ばたきに現実に引き戻された。
「風が出てきましたね。戻りましょう」
ユーリスはセシリアの前を歩いて暗くなった夜道を誘導する。どんどん闇が深まると大きな手がセシリアの手を包んだ。
去年もこうして歩いた。だけど、自分を包み込む手は去年とは全く変わっている。
あんなに話あった道のりは、今は沈黙だけがある。
それがかえって胸を異様に締め付ける。