77 陽
「やあ、ランダース」
旧友に挨拶するかのように、ユーリスはにこやかに笑いかけてきた。
そんな笑顔ができるのかと少しぎょっとした。
「……その様子じゃ、来るのが分かっていたみたいですね」
「もっと早く来るかと思っていたけどね」
心配げにするセシリアにユーリスは「先に乗っていてくれますか」と促した。
セシリアは診療所で見かけたこれ以上ない地味なドレスではなく、白にクリーム色のラインが入った夏らしいドレスをまとっていた。三つ編みを緩くいくつか結い上げて百合の髪飾りをつけた姿に、ランダースはここまで変わるものかと驚いた。
彼女が度々振り返りながらタラップを渡っていくたびにユーリスは笑いかけている。
「で? 言いたいことは?」
こちらに向き直ったユーリスの顔はまだ笑みが残っているが、目は以前のように感情を隠していた。
ランダースは怒り半ばに問いつめた。
「国の為に生きる貴族の子として生まれ、国を生かす王族の血を引いておきながら、その生まれた責務を全て放棄して逃げる。あなたはそれで本当にいいのですか。自分のことしか考えていない。野蛮人にも劣りますよ」
「そう。おまえはそんな所しか見ないのか。……この、貴族が必ずしも必要でなくなった時代に、血統が人を引っぱっていくのも終わったんだよ。僕の立ち位置は誰の為にもならないだろうに」
「なんの為のアルバの血です!? 二つの国の和平を……」
「ボスがいなくてもアルバの議員は議席を増やして、自分たちの力で正当にやってるだろう? 僕が出たらその正当のバランスが崩れるだけだと気づかないのか?」
「あなたは王族であり……」
「ランダース、医師の卵として一つ教えようか。人間は帰る場所がないとありえない敵を作りたがるんだ。お前がそうだ。
アルバの過激派も、ティリア会派の襲撃も、存在しない。おまえに敵は、いない」
ランダースは口を開けたままユーリスを見つめた。
ユーリスはそろそろ切り上げようと歩き出して何かを思い出したように足を止めた。
「ランダース、最後に一つだけ礼を言うよ。彼女の瞳を褒めてくれてありがとう」
「……落日色の瞳ですか?」
「うん。確かに夕陽の色だね。うまいこと言うなと感心する。ただ僕には、夕陽に国は関係ない。家に帰って安らぐ時間の色だ」
「……」
「おまえも帰る場所を見つけるんだな。そうすれば敵なんか作らなくてよくなる。おまえは……病気じゃないんだから」
そう言って、ユーリスは船の中に消えていった。
ランダースはもう笑顔を作ることはなかった。
潮の匂いがして、セシリアは思いきり息を吸い込んだ。
船はみるみるうちに陸から遠ざかっていく。さっきまで同じように甲板に出ていた人たちは陸が見えなくなるとさみしげに中へ戻った。
「やっと2人きりですね」
となりでユーリスが呟いたのでセシリアは笑った。
「そうですね。大使館の方々があんなにご親切だとは思いませんでした。お部屋も二つ用意して下さって……」
本国との許可書類が届くまで2人は大使館で過ごしていたが、その間、何かと説明を求められたり、大陸での生活の説明を受けたりと、あまり2人きりにはなれなかった。
セシリアはユーリスが傍にいる安心感だけで幸せだったが、彼の方はそうでもないらしい。
「あなたは僕と一緒じゃなくても楽しそうでしたから……。ちょっと面白くなかったかな」
「えっ、そんなことなかったです! ユーリス様こそ相手がご立派な人であっても笑ってお話されてて、すごいなあって……私、全部ユーリス様にまかせっきりで落ち込んでたんですから」
拗ねるそぶりを見せてしまったが正直な気持ちだった。
ユーリスは吹き出して、「やっぱりあなたって可愛いですね」と笑った。
一生こうやっていられるのかな、と、じっとユーリスを見つめてしまう。
それに気づいてユーリスは笑いを収め、セシリアの手を取った。
「……僕と、一緒に生きてほしい、セシリア」
初めて名前で呼ばれ、驚いたせいなのか感激のせいなのか涙がにじんだ。
それを隠すようにユーリスの胸に顔を埋める。
「……はい、ずっと、一緒です……」
ようやく安息が訪れ、和らいだ時間が流れる。
船は水平線間近まで落ちた陽に向かっていく。
陽の向こうにある新しい世界を目指して。




