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落 陽  作者: nonono
第5部 夏
73/78

73 式

 セシリアが再び降り立った王都は、夏そのものであった。

 雨の多い街もこの日は太陽が照りつけ、人々が生き生きと仕事に精を出している。

「相変わらず喧噪に耐えない街だ」

 こんな日でも黒いスータン姿のイリューマは、口ぶりだけ毒づいている。柔和な顔だけ見れば、そんな言葉を口にしていると誰も思わないだろう。

 その賑やかさにセシリアは活力をもらう思いだった。

(私にも、人間らしく生きる力を下さい)

 神ではなく、労働者たちにそう祈る。


 復活祭の祭り準備でどこの通りも人が賑わっている。

 馬車に乗り込んだセシリアはじっくりと街の建物を眺めた。

(あの建物は……。あそこの建物は……)

「何をそんなに乗り出して見ているのだ、はしたない」

「申し訳ございません」

 父に叱責されながらも視界は外に向けた。

 やがて馬車は寺院へとたどり着いた。




 復活祭当日は街中が賑わった。

 全ての通りに花やリボンが飾られ、娘たちは女神の服装をまねた花冠と白いドレスで街を歩く。

 男たちはそんな娘たちに声をかけ、恋人が数多く誕生する。

 異国から取り寄せた花火があちこちで鳴らされ、歓声が上がる。

 貴族たちが振る舞う麦酒の樽が広場で山を作り、陽気な飲んべえが昼間から出来上がっている。


 そんな外の喧噪とかけ離れた所にセシリアはいた。

 寺院の奥、控えの間で受託式が始まるのを待っている。

 外の陽気とは裏腹に、天井の高い石造りの寺院はひんやりと重い空気を変わらず作っている。

 修道女によって聖女の服装を施されたセシリアは、緊張と重い空気によって冷や汗をかいていた。

 聖女の純血を現わす白い絹の衣装は裾が長く、後ろ部分がずるずると引きずる造りだ。

(これ、うまく走って逃げられるかしら……)

 いざとなったら破こう。血まみれの患者の服をびりびり破くのはうまくなった。きっと出来る。

(このベール……)

 女神と同じ白のデイジーの花冠にこれもまた長いベール。

(一気に取ってしまえば……あら?取れない?)

 修道女たちはご親切にもきっちりと無数のピンで止めてくれたのか。

 傍らにいる修道女と目が合うと彼女は「どうです心配ご無用」と言いたげに胸を張っている。

 力無く笑い返していると、「時間です」と司祭が迎えに上がった。



 オルガンが鳴り響く。

 いつかの日、ユーリスが利かせてくれた音色。

 その音色と、司祭に導かれてセシリアは祭壇にいる司教の元へ進んでいく。

 周囲を見る余裕はないが、遙か向こうの出口まで人がびっしりいるのは感じ取った。

 ふとまた、どうしてこんなことになったのか、と自問する。

 ただの家庭教師だった。

 可愛い教え子と自然の中でのどかに勉強をしていただけだった。

 聖女エセルの言った言葉が甦る。

「運命はあるのよ? どうしてもそうなってしまう運命って」

 ……そんな訳はない。

 自由が欲しくて普通の人間らしい生活がしたいただの女だ。

「あなたは自由が欲しくて父親の元から逃げた」

「あなたが自由なんて求めたからあなたの愛した人は自由が無くなってしまった」

「あなたはね、どうあっても「神の花嫁」であって、「純血の聖女」なの。そうなるように物事が動いているの」


 そんな訳はない。

 神が今になっても自分を求めているはずがない。

(あの聖女は人の心が読めるのだと思ったけれど……)

 自分の周囲の事情や、修道院に入りたがっていたことを知っていた。だから驚いてしまったけど。

 独自の情報網を持っていれば知ることなど不可能ではないとも言える。ランダースだってあんなに調べ上げていた。

 修道院に入る話だって、考えてみれば以前からイリューマや、訪問する司祭様に修道院の事を尋ねていたし、そうなれば「入りたい」と言わずとも入りたがっている印象はあるだろう。

 なにかが心で揺らいでいる。

 町に戻ってから読み続けた聖典の内容が頭を駆けめぐる。

 信仰心に揺らぎはない。

 だが人の作った神の世界への欺瞞がふくらんでいく。


 司教が聖水を祭壇の女神に掲げ、次にセシリアの頭上に掲げる。

 次の手順はセシリアが司教から聖水を杯で受け取ることになっている。

 が、セシリアは手を差し伸べることが出来なかった。


 ざわめきが起きた。



「司教様、申し上げます」

 予定外の事に、控えている司祭たちが立ち上がりかけた。

「聖典の原書には、純血の聖女には二つの意味があるとされています。一つは血統の純血、もう一つは純潔、清純の純血」

 司教はセシリアを見下ろした。

 まっすぐその顔をセシリアは見つめた。そして一つ息を飲んでセシリアは言葉を続けた。


「私は清純ではありません。純血は、愛する人に捧げました」


 司教の目が抜け落ちるかという程に開かれた。


 セシリアの声はさほど周囲に響いていないが、祭壇内に控えている司祭たちの耳には入ったのだろう。

 彼らはすぐに理解できないのかそれともこの自体をどうすればいいのか、とにかく硬直したように立ちんぼを続けていた。


(今だわ!)


 機会ができた。

 セシリアは走り出した。


 その瞬間、ガラスの砕ける音が鳴り響いた。



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