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落 陽  作者: nonono
第5部 夏
71/78

71 決意


次の瞬間にはセシリアは頬に大きな衝撃を受け、地面に身を投げた。

「また元のただの女に戻ってしまったのか。残念だ、残念でならない」

「父…」

痛みの衝撃で一瞬茫然となったセシリアの手からすばやく手紙が奪い取られる。

「!父様、それを返して下さい!」

おいすがった体は再び父の手によって地面に叩きつけられた。

「これのせいだな。ではこうしよう」


手紙は無惨に破かれ、川に流された。

川の中に飛び込み、急いで拾い上げるが、文字は滲み、旅券は細切れとなっていた。

「あ……」

茫然とするセシリアをイリューマが乱暴に引き上げる。

濡れた体をそのまま地面に力無く横たえるセシリアに張り手を喰らわそうとしたイリューマだが、「牧師様」と声がし、ひとまず手を振り下ろされることはなかった。


イリューマが立ち去るのを確認したセシリアは、手の平を開いた。

琥珀の髪飾りは拾い上げることができた。そしてそれを握りしめる。



「いい知らせだ、セシリア。お前が聖女に認定されたそうだ」

「!?」

先程の怒りは消え失せ、晴れやかなイリューマの顔にまず驚いた。

それから彼の告げた言葉に目をむく。

「……私が……聖女!?」

あんな傷が聖痕だなんて。肉親から受けた虐待の痕が?

なんて馬鹿馬鹿しい話なの、と喉まで出かかり、何とか押し込める。今は大人しくしていないと。

「エルガー侯爵と聖女エセル様の働きかけが利いたようだ。あの方々に深い感謝を」

「ま、待ってください。聖女は既婚者である『神の花嫁』がなれるものではないでしょう?」

「そのことならな、セシリア」

イリューマの顔が大きく歪んだ。それが笑い顔だとセシリアには分からなかった。

「おまえとジーンの婚姻はこの町の中だけの事なんだよ。婚姻の届けは正式に出していない。お前が結婚したという記録はどこにもない。安心おし」

「え……!?」


心が奈落に落ちていく感覚だった。。

それでは、何のためにあの時一人で生きていく覚悟をしたのか。

何のために自分の気持ちに苦しんで、孤独を感じて、外出を避けて……

「……あなたは、私を捜していた訳ではなかったのですね。“聖女”を探していたのですね」

「何を言っているのだ?」

「親として傍においておきたかったわけでもなかった。ただ、聖女にするために……」

「勘違いをするな。全て親として当たり前の事。娘が光り輝くのを望まぬ親がどこにいる?」

強い感情が溢れてくる。憎しみかと思った。

それ以上の感情があった。悲しみだった。この後におよんで父に愛情を求めていたのか。


セシリアは必死に手の中の髪飾りを強く握りしめて心を落ち着けた。

(逃げよう)

父の威圧に負け、すべてを放りなげ、諦めきっていた。条件反射のように萎縮し何もかも空っぽになっていた。

一度は逃げることができたんだから、またできるはず。

(……何度だって逃げるわ。 絶対に)

スキを作るしかない。もう一度、父たちを安心させないと。


「来月の復活祭、ラテラノ寺院で受託式を行う事となった」

ラテラノ寺院……。王都にある一番大きな寺院だ。

また王都に行くことができる。

これはもしかしたら幸運かもしれない。

(その時になんとか機会を作らないと……)

ふと気づいた。来月の復活祭はたしか。


(……新大陸に渡る予定だった日……)



 その夜は眠らず、逃げる手立てを考えた。

 王都に着くまではスキが生まれないだろう。やはり王都に着いてから……

 寺院がどんな所か詳しく分かっていたらもっとうまくできるかもしれないのに。

(ユーリス様も小さい頃からこんな事を考えていたのね……)

 レイは彼を脱走の百戦錬磨だと褒めていた。

 寮長にばれずに寮を抜け出すことはもちろんのこと、別名修道院の特科からも逃げたことがあったと言う。

 ダティラーも逸話を話してくれた。

「彼は癪狂院で抜け道を作り、小さな子供たちを外で遊ばせていた」

 そんな話を思い出してつい笑ってしまう。

 そんな風にして小さな頃から逃げ道を作る名人だったユーリスがやっぱり貴族の子息らしくなくて。


(もしかして……)

 ユーリスはまさか……。

 ある考えに辿り着き、セシリアは思った。

「僕を信じて」と言った彼はその後どうしただろうか。

 それにあの時、セシリアがランダースに疑惑を突きつけられて困惑しているのを分かって止めなかった。

(もしかして……そういうことだったのですか? ユーリス様……)

 自分の考えた事はしかし、不可能だろう。

(いつそれを実行する気なの……)

 やはりこの考えは思い違いだろうか。

 自分の考えが正しくあってほしい。

(あなたを信じさせてください、ユーリス様)

 琥珀の髪飾りを握りしめ、今は祈るしかなかった。



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