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落 陽  作者: nonono
第5部 夏
70/78

70 故郷

9/13 3話目

全てから現実味が消えた。

目の前にいる父も、町の人間も、動く人形か幻に思える。

「セシリア、立派だね。もう祈りをはじめているのかい」

「はい父様」

自分が生きているのかもよく分からなくなってきた。

ただ課せられた日課の仕事をこなしていく。祈りをし、教えを人々に説き…

イリューマはムチを与えなかった。必要ないと知ったからだ。

列車で窓から王都を見ていたセシリアから徐々に様々なものが消えていった。

目の輝きも、表情も、感情も。

「セシリア」

「はいお父様」

声をかければ返事をする。それも以前と違いビクビクとおびえた感情に流されていない声色。

「そうか。おまえはとうとう神の域に入ろうとしているんだね」

イリューマは喜びに、娘を抱きしめた。セシリアはされるがままでいた。

とうとう父が望んだ娘になったらしい。

嬉しいも何もなかった。ただ、初めて見る父が喜んでいる顔が新しい記憶として視覚がとらえただけだった。


町に戻って二週間が過ぎる。

セシリアにつく監視の目が減らされた。さほど必要ないことが誰の目にも明らかだからだ。

言われればその通りに動き、それ以外は人形のように宙を見ている。

それが煩悩から抜け出した人間の姿である、と牧師は人々に説く。

町の者は奇跡を見るためセシリアに会いに来る。

ただの白痴に近い状況を人々は牧師に言われた通りに祈る。


夜、いつものように一人神の像の前で聖典を朗読する。

その朗々と読み上げる声は何を理解しているのか町の人々には分からない。

「セシリア」

声がしたのでそちらの方を向くとそこに、ジーンがいた。

少し彼女は目を見開く反応を見せたがすぐにもとの石のような顔になった。

「セシリア、助けにきたんだ。逃げよう、今なら簡単に…」

「人を呼ぶわ。帰って」

機械仕掛けのような声にジーンはぎょっとした。が、彼女がこうなってしまうのも無理はないと感じる。

「…謝りたかったんだ。俺は君を踏み台にしていた。すまなかった」

「ええ、わかったわ。もういいでしょう」

「……ユーリスという青年に君を頼まれたんだ」

セシリアの瞳がゆらいだ。反応があることにジーンはほっとした。

「彼は君に自由を与えたいと言っていた。どうやら身動きが出来ない身で、自分が来れないことに苛立ってたよ。」

「…そう」

「それで、彼から手紙を預かっている」

ジーンがそう言ってセシリアの目の前に手紙を差し出す。

少し時間をおいて彼女はそれを静かに受け取る。

触れると手触りがよく、厚く美しい質感の封筒だった。

貴族たちの使う紙。町の者は一生触れることさえないだろう紙。

それが次の瞬間には少し開いていた窓の間からセシリアの手によって放り出された。

「!!セシリア!?なんで…!」

ジーンはとっさに手紙の行方を追うために窓の外に身を乗り出した。

外は夜のとばりで墨のように黒く、サラサラと水の音が聞こえていた。

ここの裏手が川だった事を思い出す。

諦めの気持ちでいっぱいになりジーンはセシリアへ向き直る。

「…どうしてだ!?彼は君を心底気にかけていたんだぞ!?君のために…」

「いいかげんにして、ジーン」

冷ややかな声があたりに響いた。

「…彼に伝えて。私は神に一生を捧げる。それが最初から決められていた私の人生だと。あなたに出会ったのは、神が私を試されたのであって私は自由など必要としていません、と」

「本気で言っているのか?」

「信じないなら」

セシリアの手が祭壇にあるベルをつかんだ。

「人を呼びます。どうぞ、お帰りください」


ジーンが去り、セシリアはまた聖典の朗読を続けた。

次第に朗読をとちっていく。

朗読の声がかすれていく。

「………」

その日の作業を終えることにして、祭壇の蝋燭を消した。


数日が過ぎ、ジーンは現れなくなった。

心は一本の線のようだった。何も思わず、何も迷わず。

夏らしくなり風もない中、外から帰ったセシリアはふと、敷地の向こうに信じられないものを見た。

母だ。

母が背中を向けて長い髪を下ろしてそこにいる。

慌てて駆け寄ると、それは空に突き出た岩だった。

「………」

その岩を昔にも母と見間違えたことを思い出した。

生前の母はこの岩に座って、足を洗っていた。そして川遊びをするセシリアを笑って見守って…


縦にまっすぐ入った割れ目になにかがあった。封筒だった。

窓から放り投げた封筒が割れ目に挟まっている。つっかえているものがあって封筒は下に落ちもせず、風に飛ぶこともなかった。

一体どれほどの確率でここにうまくはまったのだろうか。

震えがこみ上げてきた。手が勝手にその封筒に触れた。

つっかえているのは中に何か固い物が入っているからだ。その物が落下を防いでいた。

中を開けるとまず渡航旅券があった。

手紙、そしてつっかえていた『もの』。

それが何なのかが分かって、セシリアは涙をこぼした。

一つこぼれるとまた一つ、二つと涙はどんどん落ちていく。耐えきれなくなって体を地面に崩した。

そしてそれを握りしめて泣き続けた。

それは、なくしたはずのユリを彫った髪飾りだった。

「…ユーリス様…っ」

またすべてが溢れてきてしまった。

涙と同じように、感情が波のようにどんどん出てくる。

今までの分を取り戻すかのようにセシリアはしゃくり上げて泣き、嗚咽した。

いくらどうしようとこの感情を殺せるわけがない。

とうに知ったはずだった。


「セシリア、おまえは…」

その声にはっと見上げると、そこにはイリューマが立っていた。


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